第五話 水面下の波紋
意志によって区切られた空間は静謐を包んでいた。あまりにも清潔で広い、閉塞感のあるその部屋は精神病院の独房を連想させた。
コンピュータはスリープ状態で主人の入力を待ったまま一時間になろうとしていた。
ドラゴンスレイヤーの開発工場を司る人工知能のヒビキは一言も発さず彼を見守っている。
教会の研究室、その椅子に腰掛けてだるまは熱い茶を飲んでいた。
異世界から来た王女、ドロップレー・ブレーク・ロバートウェインスタインは紅南海が紅茶を淹れるのを見て私もやってみたいと言いだして、試みに淹れてみたその紅茶をだるまは味わっているわけだった。
初めてにしては美味い。口内に広がる熱と香りを楽しめる。
まさか一国の王女手ずからの茶を飲む日がくるとはな。
休憩ではない。ドラゴンスレイヤーの課題にどう取り組むべきか思案していた。
彼の頭脳が包んでいる思考は『停滞』という名だった。
過日会敵したディオゲネス・クラブのエレメンツ、『ヒポポタムス』の性能。
教会虎の子の兵器であるドラゴンスレイヤー、その装甲を素手で砕くかのようなヒポポタムスの怪力に対抗するにはやはり装甲の改良が必要なのだが、肝心の装甲素材は頭打ちの感があった。
「ディオゲネス・クラブの能力を甘くみていたことを認めなければな」
「あなたらしくない、謙虚な物言いですね。だるま。しかしヒポポタムスとの戦闘はディオゲネス・クラブとの初接触です。彼らの性能を予測するのは不可能だったのでは」コンピュータのスピーカーに割り込んでヒビキが言う。
「ドロップレー陛下の情報だけで敵を知った気になっていた、ということだ。少なくともデブリよりはわかりやすい敵のはずだ。異世界の敵は一味違ったわけだよ、ヒビキ」
「なるほど。それでスレイヤーの改造プランは完成しましたか? 装甲の改良案です」
「上手くいかないよ。ドラゴンスレイヤーの装甲はアダマント=チタン合金、俺の最高傑作だ。これ以上の剛性を持つ新素材を造るのは不可能でないにしても時間がかかる」
「ディオゲネス・クラブが待ってはくれないでしょう。しかしだるま、あなたが検討していない金属が一つあります。アダマント=チタン合金を凌ぐ剛性があります」
だるまはため息をついた。それについては考えないではなかった。おそらく地球最高の希少金属。
「アラスキウムだな」
「はい。アラスカ州でのみ採掘される金属です。メタモル・メタルだとかオリハルコンだとか、魔法の金属とも言われています。データ不足ですがアダマント=チタン合金を超えるかもしれません」
魔法ね、とだるまは笑う。
「さすがにそれは誇大広告だ、プロパガンダ、違うな、示威行為に近い。魔法とはもっと『とんでもない』ものだ。特殊な金属など魔法とはいえない」
「幸い我々に必要なのは魔法ではなくアダマント=チタン合金以上の防御力を持つ素材か、革新的な装甲構造の発案です」
「……ふむ、装甲構造か。それならドラゴンスレイヤーに外部装甲を外付けするか。『ヒポポタムス』のような近距離パワー型の相手の時だけすぐに装備できるような」
ヒーロー、ギロチンムーンは状況に応じて装備パックを使い分けるという、それをだるまは連想する。
「着脱式の装甲となると装着に手間がかかるな」
「それに重量が増しますので出力も上げなければならなくなります」
「そちらは問題ないよ。時空修復エンジンにはまだまだ余裕がある。その出力に耐えられる構造体の開発が課題なんだ」
「アクチュエーターに余裕はありますが、動力伝達系、センサー系はその限りではありません。兵装も耐久性が求められます。他にもアプローチがあるかもしれません」
「どんな」
「例えば、ドラゴンスレイヤーを無人化します。装着者とその保護装置を除けば重量の問題はなくなり強度を上げられます」
「……初めはアーマーにしたのは遊び心だったんだが」
人間が装着するアーマーの構想、それは一見スマートに見えないコンセプトだ。何作か造っているうちにだるまはそれに気付いた。
人工知能を積んだ兵器の開発をするのならむしろ無人の方が、そのAIの性能を評価できるのにと、そうした考えは製造中に浮かんできた。
この程度のミス、ドラゴンスレイヤーそのものの性能を上げればカバーできるだろう。そう酔狂に考えてだるまは開発を続けた。
結果的にそれは正解だった。
まっさらな状態の人工知能に敵や戦術を教えるにはその場に必ず人間がいなければならない。デブリのような正体不明の敵性体が相手なら尚更。
敵から距離をとれ、たとえばそんな単純なオーダーであっても、まず距離を取るべき敵がなんなのか人工知能がわかっていなければ話にならない、いや、戦いにならない。
戦いには人間が必要だ。
前線に人間が出なければならないとなるとドラゴンスレイヤーに人間を守る機能を持たせなければならない。それならアーマーにして防御力を上げた方が合理的というものだ。
ヒーローのメジェド、太宰勇の喜びようをだるまは思い出す。アーマーファイターか。
あの悪友、共同研究者、ルシアン・オブライエン・ハーレムルートも喝采するだろう玩具。
俺は思ったよりもルシアンの影響を受けているのかもしれない。気をつけよう。
しかしその影響は既にドラゴンスレイヤーという形をとり、デブリやディオゲネス・クラブとの戦闘に十分関わっている。成果を出していると言っていい。今更廃棄する訳にはいかない。
というより軌道変更を余儀なくされる程の設計ミスではないということだ。有人のアーマー兵器。
こうして材質について悩んでいると妹を思い出す。帯刀まくら。
刀造りと材料工学ならば兄以上の実力を持つ女。まくらがいれば。いや、いたとしても大した違いはないだろう。アダマント=チタン合金の完成度はそれほどに高い。だるまは遊んでいたわけではない。
アダマント=チタン合金のマイナーチェンジを開発するか。いや、超人である涼を全面に出すという防衛戦術もある。
超人。涼は現在、デスタッチという友人とネクロポリスで暮らしている。
ネクロポリスか。
「たしか西東京に廃鉱山があったな、ヒビキ?」
「はい。希少金属を産出していたそうです。あくまでも噂ですが」
その噂も西東京が滅びネクロポリスが成立してからであるとヒビキは付け加えた。
「期待値は極小です。だるま」
「空振りでも気分転換にはなる。どれ、ピクニックといこうか」
立ち上がると、ドアがノックされた。入ってきたのは異世界の王女、ドロップレーとその相棒、妖精のキューピット。
「研究中にごめんなさい。キューピットがあなたにご託宣があるって」
豊かなブロンドの異世界人は宗教画の天使のイメージそのままの相棒、キューピットを指差す。
「お前に客が来るぜ、だるま」
小さな羽で空を飛ぶ小さな天使。
愛らしい外見に似合った声、しかし口調は品の悪い子供のよう。
「誰かわかるか? 敵か?」
「敵じゃないと思うな。お前を探してここにくるんだ」
「だるま、もしかして、ルシアン・ハーレムルートでしょうか」
「それは違う。奴が敵かどうかは微妙だが、奴はここを探したりはしないよ、ヒビキ」
「なんでだ? そのルシアンていうのはコロンゾンに侵入したことがあるんだろ? 危なくないのか」
「ルシアンは極めて危ない、が、確認するがキューピット、その客がここを探し当てたのはいつのことだ」
「昨日。この教会へ奴は初めて来る」
自分で聞いておいてだが、そんなことまでわかるのか、妖精とはなるほど、強力で便利なものだ。だるまは感心する。ドロップレーが契約しただけはある。
「それではそいつはルシアンではない。ルシアンはもうここを知っている。既に教会に侵入していたんだ」
「侵入していた?」ヒビキがオウム返し。一瞬、BLAI人工知能が演算を止めた。
「どうやってデビルのBLAIに干渉したのか。俺はBLAIの設計にEPR通信システムを採用した。独立性とセキュリティを高めるために」
「難しい話かよ、だるま?」とキューピット。
「そうです。EPR通信システムは理論上、伝達速度は無限速であり、もう一つのメリットは独立性と秘匿性です。情報処理やネットワークを電磁波に依存せず、空間的広がりを持ちませんから、外部からの電磁的侵入は原理的に不可能です。だとしたらルシアンは」
ヒビキの言葉にだるまは頷いた。
「そう、一つしか考えられないよな。ルシアンは直接このラボに侵入してデビルのBLAIを改竄したわけだ。このコンピュータで」だるまは自身のパソコンを指差す。
「デビルは最初期のスレイヤーだから、ルシアンの侵入もそれほど早かったことになる」
「……それなら私がルシアンを検出できなかったのも仕方ありません。当時の私は性能が低かった」
「俺を、いや、人間を認識できないほどだったからな、お前や瓶底と、あの頃の俺は立派な教師だった。お前はまるで赤ん坊のようだったよ」
外の生活に馴染ませるためにインサイダーたる瓶底を教育し、ドラゴンスレイヤー開発の母体である『女教皇』のヒビキにスレイヤーや戦術を教えていた時期、教師に不向きであると確信しただるまだった。
「ルシアンは何故あなたを探したのでしょうか? そしてどうやって『教会』の機密保持をどうやって突破したのでしょう?」
「ワイダニットとハウダニットだな。動機と手法。動機についてはロクなもんではないだろう。想像もつかないが考えたくもない。手法については不思議なことはないな。あいつは馬鹿ではないし魔道も使える。地図とペンデュラムがあればなんでも見つけ出せるヤツだ」
「彼が探していたのはだるま、あなたではなく教会の可能性もあります。なんらかのルートから教会の情報を得て侵入したという仮説です」とヒビキ。
「そうなるとルシアンはデブリやディオゲネス・クラブの存在を認識していることになるな……。ま、だからといって状況が好転するわけではないが。さて、客が来ているんだったな、キューピット」
本題に入るためだるまは立ち上がった。俺を探している客。
「ヒビキ、宿題だ。アダマント=チタン合金を凌ぐ装甲材を考えてみろ。キューピット、行くぞ」
いまいち何を考えているかわからない妖精を聖域といえる研究室に残しておくことはできなかった。 第一客を予知したのはキューピットなのだ、先導してもらわなくては困る。
だるまの後をドロップレーとキューピットがついていく。
正門を開ける。今日は瓶底も観音もいない。涼もしばらくは顔を出さないだろう。教会は静かだ。
「一体誰かしら」と海。
ダークスーツと赤髪の女、専用のドラゴンスレイヤー、『世界』を装着している。
「ディオゲネス・クラブだとしたらかなり厄介ね。そうでしょう、博士?」
『恋人』を装着したドロップレー。利き手には剣を、もう片方は巨大な錨を持っている。完全武装だがそれほど緊張していないようだ。
敵襲をあらかじめ察知できる、それが精神的なアドバンテージになっていると、イーン帝国の王女は自身の心理状態を把握できていた。だるまの存在も心強い。
「そろそろ来るぜ」
キューピットの言葉に続いて正門が開く。長身の人影。背中に刀らしきものを背負っているのが見える。竹刀袋。
「女の人だわ」とドロップレー。
落ち着いた雰囲気。均整のとれた足取り。髪は後ろにまとめている。慣れない土地に訪れた二十代前半の女性だった。
「……驚いた。宝千寺雅美か」
予想外の客人。『教会』に所属する直前に某県で遭遇した不思議な事件、その関係者が宝千寺雅美だった。海たちに事件のあらましを簡単に伝えた。
「関係者ですか?」それがどうしてここに?
海の問いにだるまは答える。
「宝千寺さんは俺と戦いたがっていたが俺は七福神を探して出立しなければならなかった。それで俺はゲームを思いついた。期限内に俺を探し出すこと。見つけられたら再戦する」
「かくれんぼ? 酔狂な騎士ね」とドロップレーは訪問者を見る。私より少し年上か。
「ギロチンムーンとは別の密偵が最近うろついていました。彼女が雇った探偵でしょう」とだるま。
雅美との別れ際、探偵を使ってもいいと言ったのをだるまは思い出した。
教会に加わった俺を探し当てられる探偵か。いや、それは重要ではない。
だるまが手を上げ、雅美が笑った。
「帯刀さん!」
父親を迎える少女のように雅美はかけよる。
「かくれんぼは俺の負けですね、宝千寺さん」
「勝負はこれからですよ、剣豪先生」
雅美が背中の剣に意識を向けたのは一瞬だけ。彼女の困惑をだるまは感じた。
「立派な教会ですね、帯刀さんはこちらでなにをしてるんですか?」
好敵手の背後の、二人の女性が気になる雅美。彼女たちは現実離れした格好をしている。
教会の敷地で鋼鉄のアーマー?
だるまは自分の近況を噛み砕いて説明した。本来なら機密である教会のことも。雅美は信頼できた。もう一人の彼女は別として。
テレビやネットでしか見聞きしなかったネクロポリス。そして『超人』と『力能者』。
おとぎの国に足を踏み入れたと、ネクロポリスの板壁を見た時思ったが、まさかその向こうに異世界の扉があろうとは思いもしなかった。
扉の向こうから来る怪物に対抗するためにだるまは科学の粋を結集してアーマーを創り出したという。
まるで少年漫画。特撮番組だ。『恋人』を指差して大真面目に説明するだるまを見て、彼はこの上なく真剣なのだと雅美は理解した。かつて剣を交えた時の、剣士の眼。
「しかし宝千寺さん、別にネクロポリスに用があって上京したわけではないでしょう」
「え、帯刀博士!?」
いつの間にか両手に竹刀を握っているだるまに海は声を上げた。
「戦う気ですか? 相手は一般人ですよ!?」雅美を指差す海。フルフェイスマスクの下の表情がだるまにはよくわかる。
「宝千寺さんはもう一度戦いたくてはるばる東京まで来てくれたんだ。ならばこれこそ最大の歓迎だろう」
雅美は背中の木刀を抜いて構える。だるまも。
「そう。異世界だのドラゴンだの、そんなものは些細なこと。帯刀さんの言う通り、私はこのために」
「よく言った。よく思い切ったな、宝千寺さん。しからば、いざ尋常に」
海の手を引いてドロップレーが退がる。
炸裂音。
だるまと雅美の躍動。
間合いを測る雅美。
心地良い緊張。
だるまもまた雅美の力量を測る。
格段に強くなった。まるで別人。しかし足運びも剣も彼女の第二人格、『村正』のそれではない。
村正は死んだ。
俺が斬った。
衝撃的な体験によって人格が激変するという事例はだるまも知っている。それでも剣筋までこうも変わるとなるとそれこそ衝撃だ。
速度と体重を載せた一撃、だるまの袈裟斬りを寸前で受ける雅美、だるまの反対の剣が面を打った。
「か!」
前蹴り。雅美の前蹴りで二人は距離を離した。
「な……!」
腹を押さえるだるま。蹴りなど明らかに雅美の技ではない。
「貴様、誰だ! 村正か!?」そんな筈はない、しかし問わずにはいられない。
実体のない村正を斬ったのは、概念をも斬れる空想剣、弁天丸だ。斬想剣。
本来なら簡単に抜いていい剣ではない。村正を斬った時も興奮していたとはいえその危険性を忘れていたわけではなかった。
『概念を斬る』とはどういうことかを考えれば抜刀すら軽々にはできない。
人は実体を知覚してそこに概念を想像してあてはめる、そうして初めて『それが存在する』ことを認識するものだ。
例えば弁天丸で林檎を斬ったとする。その実体と同時に人間が知覚する林檎のイデアをも弁天丸は斬る。
すると世界から林檎という概念が失われる可能性がある。世界中の誰もが林檎を認識できなくなってしまう。車を斬れば車が、人を斬れば人が認識されなくなる。
そんな概念はないのだから。
竹刀に取り憑いた村正を斬った時でさえ、一つ間違えば世界から、イデア界から竹刀という概念が失われていたかもしれない。
そんな斬想剣の弁天丸だからこそ、概念に近い人工人格の『村正』を確実に斬れたはずなのだ。村正が宿る竹刀を両断したあの時に竹刀を知覚できなくならなかったということは、逆に確実に村正を斬ったことを意味する。
村正が生きているわけがない。
雅美がだるまの目をとらえる。その表情は雅美のものではない。
しかし村正のものとも僅かに違った。
「……まさか」
「いかにも。さすがに俺の中の村正を探り出しただけはある。たいした眼よ」
「村正の口調だが違う、宝千寺さん、あなたは!」
「驚きました? あの後お父様や村正と戦ったお弟子さんたちの話を聞いて興味が出たんです」またも口調ががらりと変わる。表情も雅美のものに戻っている。
「村正を創り直そうと思うのにそう時間はかかりませんでしたよ。今度は雅美の意思を無視はせん。雅美は俺を結構気に入ってるが、それでも趣味の範囲を超えはしない」
「すごい、腹話術師みたい」と海。
「感心してる場合か。なんて真似を、宝千寺さん。最悪村正に乗っ取られるぞ」
かつてほどの存在感は感じない。以前は村正が喋っている時、まるで竹刀から声がするように聞こえたが今はそうではない。
「お前が斬った俺は自分を妖刀だと思っていたようだが、俺は違う。あくまでも雅美の副人格よ。そうれ!」
突然の踏み込み、村正の木刀はだるまの胸を狙う。
その突きを退がってかわし、逆に彼女の伸び切った小手を打つだるま。バランスを崩した一瞬を逃さず二撃目を脳天目掛けて放つ。
「メェェン!!」
「なんの!」
振り下ろされる竹刀を村正はなんとか防いでいた。
だるまの剣を支える木刀を滑らせて距離を取り、横に振り抜く雅美。
その筋をだるまはもう一方の竹刀で防ぐ。
「きやぁぁッ!」
村正はだるまの竹刀を滅多打ちにする。その気迫は示現流のようだ。
「この、村正!」
振り上げた村正の手首に一撃を入れる。
「あ!?」雅美が叫んだ。
海とドロップレーは彼女を案じたがだるまは違った。
「そんな演技では俺はひっかからんよ、宝千寺さん」言いながら構え直すだるま。
「お見事。流石は帯刀さん」
お互い絶好の間合い。
「とはいえ、少し動揺した。強くなりましたな、宝千寺さん。ならば俺も、帯刀斬刃流の技を一つ、見せましょう」
二本の竹刀をだらりと下げるだるま。
構えの変化以上の豹変に雅美は震えた。だるまに認められた嬉しさなど即座に吹っ飛んで。
だるまの目。
見るともなく観る、というやつか、と村正。こちらの足運びや剣の僅かな動きを観察しているのではない。
私の全身を俯瞰しているのでもなさそうだ、雅美はそう思う。では?
全身どころか心の中まで見透かそうとしている。もはや心の中も外もない。
まるで自分の存在そのものがだるまに取り込まれてしまったような感覚。
「…………!」雅美は戦慄した。村正も。
闇雲に仕掛けても無駄。いや、いつ斬られても不思議ではない。
俺が替わるか、と村正が提案。雅美は拒否。
村正は確かに別人のように戦うが、それでだるまの読みを外せるわけではない。
心を読むといっても実際はこちらの足運び、重心移動、木刀の微細な振れを見て予測している。
だから村正に主導権を渡したところで村正の動きを見切られるだけ。雅美はそう考え、村正も同意した。
いや、待て。
やるだけやってみるか。
頭のてっぺんから爪先まで宝千寺雅美の全身を視野に入れる。顔や木刀の切先、筋肉の緊張までどこにも焦点を合わせない、意識しない。
そして肝要なのは目前の敵、雅美を完璧に取り込み理解すること。
己を完璧に知り尽くし敵を理解する。だるまの広大な思考と想像の空間に二人を配置すれば、戦わずして勝負の行方を予測できる。相手の行動を誘導することさえ容易い。
予測の確度は極めて高い。
勝負そのものを心に取り込むこの状態は、帯刀斬刃流というよりさまざまな格闘技に見られる思想といった方が正確だ。
ほとんどの格闘家が達人の境地と諦めるがだるまは違った。
なにしろ時間は有り余っていたのだから。時間、才覚、情熱。全てが備わっていた。
二百年という永い人生に積み上げた剣の修練と実戦経験、この二つを用いて絶対必中の予測を手中に収めた。
雅美との戦いは終わってはいない。しかしだるまは既に結果を見えている。
上段に構え、試すように歩を進める雅美。
もう一歩。
その足運びも予測のうち。雅美の間合いまであと一歩ほどか。
しかし既に、そこはだるまの間合い。
風を追い越すような速さで跳ぶ。右の竹刀で雅美の木刀を打ち無力化、左の竹刀で仕留める。その様がだるまの脳内に。
彼の想像に遅れてだるまは跳ぶ。
「隙ありいッ!」
「!!」
瞬時に雅美は村正と交代、空中で足が止まっているだるま、その下腹部を狙う突き。村正は笑う。
「おお!?」
右の竹刀に全力をかけ突きを弾く。バランスが崩れ着地に失敗、だるまはくずおれながら左の竹刀を振った、弾かれた雅美の木刀に当たりこれを両断。
「な……!?」
「斬ッ!!」
両足に渾身の力を込め、立ち上がりながら竹刀を振るう、木刀を握る雅美の両手首に直撃。
たまらず武器を落とす雅美。
だるまはまだ構える。まさか、剣戟の直前に人格を切り替えて剣筋を変えるとは。
「……くく、まあ、今の俺たちではこんなところだろう」そう言って村正は木刀の破片を拾った。
「やめるのか?」
「業腹だがこのまま続けても勝ち目はない。相変わらずの腕前ですね、帯刀さん」
そう言って頭を下げる雅美。つられてだるまも礼。
ドロップレーと海はだるまの妙技に見入っていた。達人なのは知っていたがまさか、木刀を竹刀で斬ってしまうとは。
拍手をしながら雅美に駆け寄るドロップレー。気に入ったらしい。
「あなたも素晴らしい腕前でしたね、たしか、宝千寺雅美さんでしたか」
私はドロップレー・ブレーク・ロバートウェインシュタイン、と自己紹介。
日本語を自在に話す外国人に面食らった雅美だが、彼女は異世界人だ、それもお姫様、海にそう教えられて更に驚いた。
そもそもその海が機械仕掛けのアーマーを着込んでいるのだ、こここそ異世界だ、と改めて雅美は思う。だるまを探して良かったじゃないか、こんな経験ができるんだから。
「紅南さん、このアーマー、触ってもいいかしら?」
「ええ、どうぞ」
『世界』というパワードスーツの前腕に触れてみる。上腕部に比べてかなり大きい。太い。鉄の感触ではない。鋼でもない。
ではこれは?
「鋼も使っていますよ」とだるまが説明してやる。
「アダマント鋼とチタンと玉鋼、それと銀を独自の配合で組み合わせた特製合金です」
世界最高の金属と自負していたがその自信はあえなくへし折られた。
それなら鍛え直せばいいだけだが。
「アダマント鋼ですか。聞いたことがあります。とても硬くて値が張るとか」
「費用は政府持ちですよ。アダマント=チタン合金といって俺の『七福神』よりも優れた合金です」
「一度は負けちゃったけどね」ドロップレーが意地悪を言う。楽しそうだ。
「ドロップレー陛下は先の対エレメンツ戦をどう評価しますか?」
戦績の分析を人に聞くなど今まで思いつきもしなかった。
しかしドロップレーは異世界人であり、ディオゲネス・クラブにも戦争にも詳しいであろう女王。聞く価値はある。
「初めての接触で人的被害が出なかったのは奇跡ね」
暑いでもないだろうに、『恋人』ラバーズを脱ぐドロップレー。白いウエディングドレスはスレイヤーを装着しやすいように改造されている。ラバーズは剣を握ったまま自立。自然に着こなしているドロップレーから目が離せない雅美。
「エレメンツが出れば兵士の五、六十人は死ぬものとお父様たちは言っていたからね。我がイーン帝国だったら表彰ものよ、博士」あいにく勲章の待ち合わせはないけどね、ドロップレーはそう言って笑う。
「たしかに。『ヒポポタムス』はとんでもなく強かったわ」スレイヤーがなければ王女の言う通り死者が出てもおかしくなかった。このアーマーと、涼のおかげだ。ここにいない超人。
「『虚寂竜』に勝ちたいならば、スレイヤーの強化は必要でしょう。博士には頑張ってもらわないと」海はだるまを立てる。
「ありがとうよ、海。俺もなんとかしてみるつもりだ。さ、宝千寺さん、お茶にしましょう」
雅美はだるまの歓迎を受け入れて笑った。旅の終着、人心地だ。
新宿駅付近、とあるパブにルシアンは顔を出していた。情報屋の友人に呼び出されたので、最近仲間に引き入れた『パイロ・パイレート』を連れてきた。日内めぐみ。
パブは全体的に暗い。ルーシー達はゲスト用の部屋に案内された。外部と違って明るく、周囲の壁にはずらりと酒が並ぶ。この一室に揃えられているのはビールとウィスキーだけではない。
ワイン、日本酒、ソフトドリンク。専属のバーテンダーもいる。オーナーの個人的な友人以外は利用どころか存在すら知られていないスペシャルルームだ。
めぐみはカウンターでバーテンダーにカクテルを作ってもらっている。
突然、めぐみはあの四人を思い出した。無事に逃げられただろうか?
荷布瞬。それに、ええと、そう、狩野、清水、そして柘植。国外逃亡を手引きしたルシアンは問題なしと太鼓判を押したが。
最後にもう一度、彼らと酒を飲みたかった。
もう会うことはないだろう。
ルーシーは彼女から離れたテーブルで男と向かいあっている。
「吾輩を呼んだということは、見つかったのだな? 石飛」
ルーシーの声に石飛と呼ばれた男は体を硬くした。何度聞いても慣れない、不安を掻き立てる声だ。まるで自分が話しているように思えるほど親近感の湧く声色、それが恐ろしい。
「その前に、ルシアンさん」
石飛はルシアンの後ろのめぐみを見た。
「あの女はなんだ?」
石飛の方を振り向いて微笑み、めぐみは手を振った。手にはカクテル。ピンクレディー。
「そうだな、紹介しよう。石飛、彼女は日内めぐみ。ヴィランの卵でね、いろいろと教えている。めぐみ、こちらは石飛。懇意にしている情報屋だ。顔を繋いでおきたまえ」
政治家じゃあるまいし。そう思いながらめぐみは握手をする。
当たり障りのない挨拶をこなしてこの情報屋は警戒に値しないと評価する。
「ま、ルシアンが保証するならいいさ。新人のヴィランね」
「よろしく、石飛さん」完璧に社交辞令。めぐみはもう石飛を嫌い始めていた。まあいい。腹の立つ人物をいちいち焼いていれば火種がいくつあっても足りない。
「では石飛。吾輩を呼んだということは注文した情報が見つかったのだな」
「ここに」バッグから白い封筒を取り出してルーシーに渡す。丁寧に封筒を開き中の書類を検分するルーシー。
「遅くとも一月以内にあんたが探してた女が日本に来る」
「時期がわかってとてもよろしい。むむ? この娘、ロリロリお嬢ちゃんではないか。やったね!」
同封されていた写真には小学生くらいのシスターが写っている。被り物から覗く髪は紫色、肉付きがいい。瞳は銀色をしている。歯を見せてにっこり笑いピース。
ルーシーの占いで予知されたイギリスからの刺客。
「どうせ宿敵にするならアマゾン産のメスゴリラより汚れを知らぬ愛らしい少女の方がいいに決まってる。日本語で言うと毒を喰らわば盃まで、だね」
「それは皿でしょう、ルシアンさん?」グラスを振って遊ぶめぐみ。
「いいや、盃でよい。吾輩は観相学もできてね、写真を見れば多少は人となりがわかる」
「それで盃ですか?」
「盃、ゴブレット、つまり聖杯よ、めぐみ。とても強力な女性性を持っていると見た。女性を表すのは容器、聖杯。これは西洋魔道の鉄則」
「ああ、それで盃?」
ルーシーの会話ではついてこれない事が多々ある、短い付き合いでめぐみは痛感していた。観相学を嗜んでいると知れただけマシと言える。
この男は謎だ。
「名前は、フム、グレイス・ハンナ・ハネムーンか。ローマ・カトリックの所属であるな。ロンドンの」
「こんな小さな女の子があなたを狙ってるというんですか? というかヒットマンを送るにしてもどうして教会なんです? そういうのはこう、政府あたりがやりそうだと思うんですが」
「さもありなん。もとより吾輩を見つける程の組織力となると教会でも無理やもしれぬ。もちろん吾輩を殺したいのは政府に他ならぬ」危機感の無さそうなルーシー。
「しかしめぐみ、『MIX』政策を聞いたことはないか? この国に例えると一億総火の玉だ」
「ああ。国家再生総動員法の、MIX?」
永遠に繁栄する国などない。
かつては日の落ちない帝国とも呼ばれたイギリスだったが、二百年以上の時間をかけて緩やかに衰退していった。
人口は減り、経済力は衰え、ために軍事力の維持が難しくなった。情報機関の代名詞ともいえるMI6は自身のスキャンダルさえ隠し通す力を失い、組織は解体された。その後釜の情報機関さえ新設しては消滅する弱体ぶり。MI7、MI8……。
不可避ともいえる衰退を社会問題と捉えた半世紀前の政府は『国家再生総動員法』を可決。
王族からホームレスに至るまで、国家の危機への対処という条件に限り政府の命令を遵守しなければならなくなった。国教会だろうとカトリックだろうと関係ない。
あまりにも強権的、典型的なファシズム思想の法案だとすぐに指摘されたが、今のところ悪用はされていない。
それは単なる奇跡でしかないと何度も廃止案が出されている。
「MI6を母体にした後継組織のMIXが指揮をとっているのは間違いないがね、教会というのは昔から武装組織を持っているのだよ、例えば魔道を悪用するものを狩り出すとか、宗教戦争に備えてとかね。ま、国教会のそうした闇の歴史はMIXより遥かに古いというのは断言できるとも。宗教なぞめぐみには縁遠かろう?」
「そうですね、戦争とも縁がなければいいんですが」宗教戦争など、海の向こうの話だった。
「ふむ、情報はこれだけか。どんな戦い方をするかは、まあ見当つくとして、スリーサイズとか下着の色とか、風呂に入ったらどこから洗うかは調べてないのか?」
ルシアンから三歩遠ざかるめぐみ。宗教よりも戦争よりも、今はこの男から距離をとりたい。気持ち悪い。
ルシアンの子供のように無邪気な目で見つめられ石飛は早口で捲し立てた。
「あんたの耳に入れておいた方がよさそうな情報があるんだ。だからこちらの調査は途中のまま呼んだんだ!」
凄い怯えよう。とめぐみは思う。彼もルシアンを恐れているらしい。同情はしなかった。自分とさほど変わらない境遇だからだ。
石飛の意外な言葉に意表を突かれルシアンは殺気を引っ込めた。石飛はバッグから書類を取り出す。
「二つある。まずグロマティリアの人間が密入国したことだ」
「ほう?」とルシアン。
「グロマティリア?」とめぐみ。
続けてみろ、とルシアンが促し、石飛が頷く。
「そのシスターを調べるために国土交通省やら空港やらに手を伸ばしてたら入った情報だ。先月の上旬に京都舞鶴港から入国したらしい」
「グロマティリアって、ロシアのあたりのちっこい国ですか?」
「ロシアの属領だったこともあるよ、めぐみ。豊かではあるが寒いし退屈だしクソ真面目だしでしょうもないところだ」
「行ったことがあるんですか?」
「昔に一度ね。それから二百年も経つのに変わり映えしないのだからつまらん国さ。日本に来たのもどうせつまらん企みのためだろ」
ルシアンは不機嫌そうだ。よほど嫌いな国なのだろう。
今二百年と言ったか?
「つまらん企みか、ルシアン、あんたにはグロマティリアがなにをしようとしているかわかるんだな?」と石飛。
「興味なーい」宿題を前にした悪ガキのようなルーシー。
「ろくでもないことだろうし多分吾輩らの邪魔にもなろうからブッ潰すが、目下の興味はもう一つのほうだな、石飛くん」
「ネクロポリスのことか……。こちらは更に曖昧な話でね。万民党の誰かがネクロポリスを潰そうと根回しをしてるそうなんだ」
「……ネクロポリスを!?」思わず立ち上がるルシアン。二メートル近い長身、石飛とめぐみは彼を見上げる。
うろたえる姿を見せてしまったとバツの悪そうな顔をするルーシー。
「失礼、続けてくれ。何が君の情報網にかかったのだね?」
「続けてと言われても、詳しいことはわからない。ガセではないけれど誰が動いているのか割り出せなかった。ネクロポリスに攻め込む時期も……」
腕を組み、ルシアンは考え込んでいるよう。不吉な殺気を醸し出している。
こんな化け物とは、と石飛は思う。縁を切りたい。こいつと付き合うのは命綱なしで綱渡りをしているようなものだ。
しかし縁を切ろうとするのは綱渡りのロープを切るようなものだ。
そんなことをすればルシアンは多分俺を殺しにかかるだろう。
それに、俺にはこいつしか頼れる奴がいない。
「ネクロポリスって私たちに関係あるんですか、ルシアンさん?」おそるおそる尋ねるめぐみ。
「ああ、まあな」とルーシー。
「故あってあそこに人の手が入るのは困る」
なんでもズバズバと言うルーシーらしくない物言いだ、とめぐみは思う。合わせた方が無難か。
「まあ力能者である私としてもあそこを潰されるのは困りものですしね」適当に合わせる。
当然だが罪を犯しお尋ね者になれば公的なサービスは受けられない。朝晩二錠の精神安定剤がなければ力能者は暴走してしまう。
しかし政府はネクロポリスの住人、インサイダーたちに食料や精神安定剤の支援をしていて、例外的に悪人でもこのサービスを受けられる。
考えてみればネクロポリスは私の命綱、アキレス腱なのだなとめぐみ。
「そうそう。我らの仲間には力能者がたっぷりおる。それ故ネクロポリスは守らねばならん。悪党の仕事ではないが背に腹はかえられん。それにあそこは我らが指揮者、アクセス・アダプタス・デバイス殿の故郷でもある。それだけで不届者の魔手から守ってやる理由になる」
「アクセスくんが大好きですものね、ルシアンさんは」
「貴殿もすぐに彼のことが好きになる。そうでなかったら桜の木の下に埋めてもいいよ」
アークエネミー・オーケストラのリーダー、アクセス・アダプタス・デバイス。少し変わったところはあるが、宿敵をまとめていられるような人物には見えない。リーダーシップを発揮しているところをめぐみは見たことがない。
それでもこのルーシーや最強の悪党たる『ブラックワンド』を率いているのだから、きっとなにか強大な力を持っているのだろう。
「とまれ、目的の情報も、重要な情報も手に入れて、石飛、貴殿の働きに吾輩は感謝したい。そのサービスに対して相応しい対価を支払わねば吾輩、以降合わせる顔がない」
そうして懐から小さな茶封筒を取り出した。限界まで膨れ上がっている。
「石飛よ受け取れ、これこそその対価、決して過大にあらず、我が晴れやかなる心の値段なれば、いざ天もご照覧あれ」
「で、では……」警戒を隠しもしない石飛。
中身を確認する。汚く、雑に詰め込まれた万札。小学生が入れたのか。
ルシアンに対する不信の表れだ。迂闊な、とめぐみは思う。
対してルーシーは石飛をますます認めた。吾輩への恐怖を堪えての確認だ。確認しないことで信頼を示すのは容易い。だが吾輩なら容易い信頼より手堅い生業を尊ぶ。
こいつは利用できる。殺すのはやめておこう、ルーシーはそう判断した。命拾いしたな、石飛。
「これは単なるサービスじゃねえ。ルシアン、俺は……」
「言うな、石飛。君もインサイダー。故郷を守りたいのだろう? 如何か?」
「え?」めぐみは石飛を見る。インサイダー?
「……そうだ。一度は捨てた故郷でも、失いたくねえんだ。友達もいる。両親も、まだ生きてるかもしれない。頼むよ、ルシアン。頼む……」
石飛が頭を下げるのを見てルーシーは笑う。
「これは貸しだぞ、石飛。なれどその望み、奇しくも我が都合と合致。ために吾輩全力死力尽くしてかの死せる街を守らねば。ネクロポリスの敵は諸人こぞりて命乞い。されども虚しく死するは彼奴等。命運既に尽きたり。だってマエストロの逆鱗に触れればなり」
ゆっくりと立ち上がり、めぐみの方を見るルーシー。
「火急の要件ができた故、吾輩はすぐに帰る。めぐみは如何するか?」
今日は早く帰っていいぞと言われている。予想外。帰るといってもあの薄気味悪い府中病院跡なのだが。ホームシックにかかるほど愛着のある住処とは言えない。
「そうですね。ハシゴして帰ろうと思います」
「左様か。あまり呑みすぎるなよ? 一緒に出よう」
二人は出ていき、石飛だけが残された。
まさか、ルシアンを頼らなければならなくなるとは。
石飛はため息。会う度に寿命の縮む思いをさせられる男。
二度と戻らないと誓ったネクロポリス、今でも帰るつもりはないが、再開発の話を聞いた時、彼は体の一部を抉り取られるような衝撃を受けた。
その衝撃自体もそうだがまさかルシアンに借りを作らなければならなくなるとは予想しなかった。それもネクロポリスなどのために。
バーテンダーに声をかける。
「おい、バーボンをくれ、ロックでな!」
こんなことは考えたくない。石飛に必要なのは強い酒だった。
スケジュールを繰り上げよう、ルーシーはそう呟いた。
「なんですって?」
「そろそろネクロポリスに行こうと思っていたのだ。それが少し早まった。我々『アークエネミー・オーケストラ』は接触しなければならない勢力がある、ということだ」
「ネクロポリスにですか?」
「めぐみには、あそこに異世界への扉があると話したっけ?」
めぐみは甲高く笑った。酔っている。
「君たちの『力能』はその異世界から来ているのだぞ?」
「それは……、製薬会社の化学実験ミスとかいう、例のガスのこと?」
「そうそれ、しかしそんな製薬会社などありはしない、ま、詳細は省くが『力能者』と『超人』の発生は異世界の『瘴気』というガス成分と関係がある」
「…………」
「その異世界より『虚寂竜』なる者らが入り込んだ。渡りをつけなければ早晩我らの妨げになる。であるのでネクロポリスに急ぎ赴き協定を結ぶ運び」
面白くなってきた。彼がそう呟くのをめぐみは聞き逃さなかった。
「そう、連中から一人大使を預かっても良かろうと吾輩思う」
爽やかに笑うルーシー。ちょっと女を攫おうぜ、そう言っているように見えてめぐみは震えた。
というかほとんどそう言っている。
酒でこの男を潰せるのなら日本中の酒を盗んでやるのに、そんな詮無い想像をするめぐみだった。
読んでくれてありがとうございます。
デブリドラゴンデビル、水面下の波紋でした。
元々は夢に出てきた、外伝のみの登場の宝千寺雅美が登場です。出世したなあ。
しかし主人公が出てこないなー。本人は気にしないだろうけれど、いいのかな。
トゥモローパイオニアに続く予定です。




