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第五話 由良洸介

 最近隣の席の女子がそっけない。

 俺が話しかけても無視するし、授業が終わると何かから逃げるように、さっさと教室を出て行く。

 あんなに好きだったお菓子も、俺の前で食べなくなった。

 でも……彼女がどうしてそうなったのか、本当はなんとなくわかってる。

 わかってるくせに……俺は何もしようとしない。


 *


「あー、終わった、終わった」

「夏休みなのに補習って。うちの学校クソだろ」

 一週間に一度の授業が終わる。窓の外は夏の太陽がギラギラと輝いていて、それを見るだけでうんざりする。

「腹減ったぁ」

「なんか食って帰る?」

「あー、どっか行くの? うちらも行くー」

 教科書やノートをバッグの中へ押し込みながら、騒がしい声を聞く。

 補習のあとは、マックでだらだら時間を過ごすか、女子を誘ってカラオケ行くのが最近のお決まりコース。

「由良も行くでしょ?」

 その声に顔を上げる。隣の席を隠すように立っているのは、椎名美咲妃だ。そんな美咲妃の後ろで、スマホを手にした彼女がそっと立ち上がる。

「マジか。既読無視かよ」

「なんとか言えっての」

 くすくすと笑い合う女子の声。うつむいたままの彼女が、今日も逃げるように教室を出ていく。

「おいおい、お前ら、なんなんだよ? こないだまであんなに仲良くしてたのに」

「べつにー。先にうちらのこと無視してきたの、あの子だし」

「だいたい最初からあたし、あの子あんま好きじゃなかったんだよねぇ……ぼっちでかわいそうだから、グループ入れてあげたけど」

「こえー。やっぱ女子こえーわ」

 教室に響く女子と男子の笑い声。ぼんやりその声を聞いていたら、もう一度美咲妃が言った。

「由良も行くでしょ?」

「ああ、うん」

「じゃあ、うちも行く」

 美咲妃がそう言って、俺の前で笑う。

 甘ったるくて、ちょっと懐かしい匂いが、ふわりと鼻先をくすぐった。


 眩しい日差しの中、校庭では、野球部とサッカー部が部活の準備を始めている。

 そんな光景を横目に、いつものメンバーといつものように騒ぎながら校舎を出る。

「あちー」

「あいつらよくやる」

「これから練習とか、ありえねーし」

「どっか涼しいとこ、行こ」

 くだらない会話。くだらない時間の過ごし方。

 だけどそれでよかった。仲間といるのは楽しいし、適当に勉強して、適当に遊んで、面倒なことには関わらないで、笑っていればそれでいい。

 結局みんなでカラオケに行って、だらだらした放課後を今日も過ごした。


「ねぇ、由良。一緒に帰らない」

 店を出ると、美咲妃に声をかけられた。

「別にいいけど」

 美咲妃とは帰る方向が同じだし、断る理由もない。

 みんなと別れて、美咲妃のおしゃべりを聞きながら町を歩く。すれ違った他の学校の生徒が俺たちに振り返る。

 美咲妃は目立つから。男子の中でもいつも話題に上がってる。そういえばこの前バスケ部の青山が、告ったって言ってたな。見事にふられたらしいけど。


「久しぶりだね。由良と一緒に帰るの」

 そう言って美咲妃が右手で髪を耳にかける。その仕草、中学の頃と変わってない。

 そして美咲妃がその仕草をする時は、誰かの気を引きたい時だって知ってる。

「何か話でもあるの?」

「え?」

 俺は美咲妃から目をそらしてつぶやく。

「何か俺に、言いたいことでもあるんじゃないかって思って」

 美咲妃が黙って俺の顔を見ている。そして少しの沈黙のあと、どこか冷たい声で俺に言った。

「梨央のこと、好きなの?」

 やっぱり。そう言われるような予感がしてた。

 美咲妃が俺と梨央のことを、気にしてるって気づいてた。

「別に好きじゃないよ」

「でも一緒に帰ってた」

「美咲妃とだって一緒に帰ってるじゃん」

 横を向くと、俺のことをじっと見ている美咲妃と目が合った。

「ねぇ」

 立ち止まった美咲妃が、俺のシャツの袖を引っ張る。

「うちら、もう一度、前みたいに付き合えない?」

 同じように立ち止まった俺のシャツを、美咲妃がもっと強く引っ張る。

「ごめんね、由良。あの時のことは何度でも謝る。あれはうちが悪かった。先輩とはあれから一度も会ってない。ほんとだよ」

 美咲妃にぐっと引き寄せられた。あの時の記憶が蘇って、情けない気持ちになる。

「……無理だよ」

「うちのこと、どうしても許せないって言うの?」

「そうじゃない」

 もうあのことはいい。どうでもいい。

「じゃあどうして……」

 黙り込んだ俺の耳に、美咲妃の声が聞こえる。

「やっぱり由良は……梨央のことが好きになっちゃったんでしょ?」

「……違うよ」

 美咲妃の手が俺から離れた。

「嘘つき」

 その言葉を残して、美咲妃は俺の前から去って行った。


 美咲妃とは中三の時、一年近く付き合った。

 告ってきたのは美咲妃のほう。その時俺には付き合ってる子も好きな子もいなかったし、美咲妃はすごく可愛かったから、すぐに「いいよ」って答えた。

 それから毎日、美咲妃はサッカー部だった俺の練習が終わるまで、校庭の隅で待っててくれた。

 部活の仲間からは冷やかされたけど、全然悪い気はしなかった。

 毎日一緒に帰って、手をつないでキスをして、セックスもした。

 お互い初めての相手だった。

 サッカーも友達付き合いも美咲妃との関係も、何もかもがうまくいっていた。

 そのうち受験シーズンになって、俺は美咲妃と同じ高校に入れるように、必死で勉強した。

 美咲妃と会う時間は減ってしまったけど、でも受験が終わればまた会えるって信じて、めちゃくちゃ頑張った。

 あんな必死に勉強したのは、後にも先にもあの時だけだと思う。

 だけど美咲妃は違ったんだ。あの時の美咲妃の気持ちに気づけるほど、俺は大人じゃなかった。


 美咲妃と会う約束をしていた合格発表の日、久しぶりに顔を出したサッカー部に、時々指導に来ている高校生のOBがいた。

 そいつは悪びれた様子もなく、突然俺に話した。美咲妃とセックスしたことを。

「勉強教えてるうちになんとなくそういう雰囲気になっちゃってさぁ。悪いな」

 全く意味がわからなくて、俺はただ黙ってその声を聞いていた。

「だけどお前も悪いんだぞ? いくら受験だからって、彼女ほったらかしにするなんて。もっと彼女の気持ちも考えてやらなきゃダメだ」

 悪いのは俺なのか?

 美咲妃に問い詰めたら、寂しかったんだって答えた。

「うちだって由良とおんなじ高校行きたくて頑張ってたよ? だけど時々すごく不安になって、少しでもいいから由良に話を聞いて欲しかったのに……由良はそれさえもしてくれなかった」

 そんなこと言ったって。受験が終わればいくらでも会えるから、それまでは勉強に集中しようってお互い約束したじゃないか。

「そんな時先輩が優しくしてくれて……それで一回だけ……でもすぐに後悔したの。先輩のことなんてなんとも思ってない。だからほんとに……ごめんなさい」

 美咲妃はそう言って、俺の前で肩を震わせながら泣いた。

 そんなふうに泣かれたら、やっぱり自分が悪いような気がしてきて、怒る気にもなれなかった。

 そのまま俺たちはなんとなく高校生になって、だけどふたりきりで会うことはなくなって、もちろんセックスもしていない。



 一週間後。その日は夏休み最後の補習の日だった。

 いつものように教室に入ると、隣の席に梨央が座っていた。両手で握りしめたスマホの画面を、じっと見下ろしながら。内容はわからなかったけど、そこにはメッセージがずらりと書きこまれていた。

「梨央……」

 そんな梨央に声をかける。

 だけど梨央はスマホを隠すように立ち上がり、黙って教室を出て行ってしまった。その姿を追いかけて顔を上げると、スマホの画面を開いている美咲妃と目が合った。

「由良ー」

 誰かが俺の名前を呼ぶ。俺は美咲妃から目をそらす。

 いつもと同じ教室。美咲妃を囲むように笑っている女子。くだらないことを話しかけてくる男子。授業が始まっても空いたままの隣の席。

 俺はその中で今日も変わらない一日を過ごす。

 あの中三の受験の時。正しいと思っていたことを間違ってると言われてから、何もかも自信がなくなった。だからすべて本気にならず、どうでもいいように、毎日を過ごしてしまうようになった。

 それではいけないとわかっているのに。


 放課後、進路のことで担任に呼ばれた俺は、みんなより帰りが遅くなった。ひとりで昇降口に向かって歩いていると、靴箱の前で何も持たずにうろうろしている女子生徒の姿に気づいた。

「梨央?」

 そこにいたのは梨央だった。

「梨央、どうした?」

 思わず声をかけると、梨央は驚いた顔をしたあと、逃げるように外へ走り出した。それと同時にくすくすと笑い声が聞こえてくる。

「やだぁ、あの子。上履きのまま出てったよ」

「よっぽど急いでるんじゃない?」

 女子の声を聞きながら、俺は梨央の靴箱を開けた。中には何にも入ってない。

 そんな俺の隣から誰かが覗き込んでくる。

「え、あの子靴なくしたの? マジで? かわいそー」

 その声は美咲妃だった。俺は靴箱の扉を乱暴に閉める。

「……いい加減にしろよ」

「え? なにが?」

 俺の隣で美咲妃が口元をゆるませる。

「こんなガキみたいなことして面白いのかよ? いい加減にしろよ」

「なに言ってるの? うちらがなにかしたっていう証拠でもあるの?」

 目の前に立つ美咲妃のことを見る。美咲妃は笑顔だったが、本心は笑っていない。きっと俺のことを憎んでいる。

 美咲妃のことも、梨央のことも、中途半端にしたままでいるから。

「ばっかみたい」

 吐き捨てるようにそう言って、美咲妃が背中を向ける。肩に掛けたバッグについている、見覚えのあるストラップが、俺の目の前で揺れる。

 その瞬間、思わず伸びた手が、そのバッグをひったくった。

「なにするのっ……」

「返せよっ! これ梨央のだろ!」

「違う! うちのだもん!」

 美咲妃にひっぱられたバッグから、ばらばらと中身が落ちた。靴と、それからお菓子。俺がコンビニで買った、期間限定の……。

 それを見た途端、どうしようもない気持ちが湧き上がってきた。

「美咲妃……お前、最低だよ」

 つい口を出た言葉。その瞬間、崩れ落ちるように美咲妃が目の前でしゃがみこむ。

「そんなこと……わかってるよ」

 突っ立っている俺の耳に、美咲妃の声が聞こえてくる。

「でも悔しかったんだもん。由良がうちのこと見てくれないから。梨央のことばっか見てるから。先に好きになったのはうちなのに。中学の頃からずっと由良のこと好きなのに……だから悔しかったの!」

 美咲妃の周りに女子が集まってくる。美咲妃は俺の前で声を上げて泣いている。関係ない奴らまで遠巻きに俺たちのことを見ていて……なんだよこれ。泣きたいのはこっちのほうなのに。

 美咲妃が女子たちに連れられるようにして、外へ出て行く。周りに集まっていた生徒たちが、微妙な視線で俺のことを見ている。俺はその場にしゃがみこんで、落ちたものを梨央のバッグに全部入れた。


 そのバッグを持って、ひとりで校舎を出た。夏の暑い日差しが頭の上から容赦なく照りつける。

 どうしてこうなってしまったんだろう。どこから間違ってしまったんだろう。

 もう……何もかもがわからない。


 自転車置き場の隅で、上履きのまましゃがみこんでいる生徒が見えた。俺は黙って近づいて、持っていたバッグを差し出す。

 顔を上げた彼女は、声を出さずに泣いていた。目を真っ赤に腫れあがらせて。

 あの日。梨央と一緒に帰った日。仲間と一緒にいたくなかったのは、梨央だけじゃなかった。

 本当の気持ちを押し殺して、なんとなくみんなに付き合って、ただ笑っているだけの時間を、俺も過ごしたくなかった。

 だから俺は梨央を誘ったんだ。

 梨央と帰ったあの日は、すごく楽しかった。

 だけど楽しければ楽しいほど、それを失う時が怖い。だからそれ以上先へは進めない。進もうとしない。

 結局俺は、自分が傷つきたくないだけなんだ。

 最低なのは、美咲妃だけじゃない。俺だって、そうじゃないか。


 何も言わないで、泣いている彼女にバッグを押し付けた。そして俺は、逃げるようにその場を立ち去る。

 じりじりとアスファルトに照りつける日差し。拭っても拭っても流れる汗。

 いつまでも気温は下がらないまま、もうすぐ夏休みが終わる。

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