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そのニ。

 ガチャッ



 開いたのはトミさんが住む203号室の扉だった。202号室には残念ながら鍵がかかっていた。


 俺はトミさんの近くへ寄って行った。あれほど大きい物音ならトミさんの部屋にも十分響いているはず。そう思い、話を聞こうと寄ってみたのだ。


「トミさん、いつも息子の螢太けいたがお世話になっています」と俺は挨拶をした。


「いいえ~、独り暮らしは寂しいので螢太君がいるときはとても楽しい気分になるわ」とトミさんは屈託のない笑顔で言った。


「それより、先程の物音、聞こえました? 何かを強く叩くような音でしたけど……」と俺は両手のひらを腹の前で見せて尋ねた。


「ええ、聞こえましたよ。きっと隣の202号室からでしょうね。普段人の気配はないけれど、物音はよく聞こえるのよ。だけど、さっきの音はいつもより大きかったわね」とトミさんは厳粛な表情をして応えた。


「やはりそうでしたか。何かあったんでしょうか。さっき202号室から人を呼びだそうとしても全く反応がないし、妙な感じがしますね」と俺が神妙な顔つきで言った。


「そうね、ここは、恐ろしいところですよ」とトミさんは急に声のトーンを落として言った。


「恐ろしい、ところ?」。俺の眼光が鋭くなった。


「そう、私にとってはね。だけど、もしかしたら、あなた達にとってもそうなるかもしれない。何か悪い予感がする」とトミさんが淡々と言った。


「どういうことか、詳しく教えてください」と俺はトミさんに詳細を求めた。


「いいわ。もしかしたら話すことで最悪の事態は避けられるかもしれないから」とトミさんは不気味な調子で言った。


「お願いします」。俺にはトミさんが何を言っているのか分らなかった。



「二十年前、私はそのときからすでにここ――201号室に住んでいたわ。そしてそのときは、私独りだけではなく、三歳の孫と一緒に暮らしていた」


「今の螢太と同じ歳ですね」と俺は言った。


「確かにそうね。名前は幾雄いくおと言うわ。螢太君とは反対で、幾雄は活発な子だったわ」とトミさんは昔を思い出すよう右斜め上方向を眺めた。


「しかし、なぜここにはトミさんと幾雄君しか暮らしていなかったんですか。両親はいったい?」と俺は問いかけた。


「私と幾雄がここに住む前までは、家族みんな目黒区に住んでいたの。だけど、二十年前の目黒区無差別殺人で幾雄の両親は犠牲になってしまったわ。それで私と幾雄は、目黒の家を売り払って、この小さく家賃の低い裏野ハイツへ越してきたわけ。さっきニュースで事件の犯人が逮捕されたと報道していて、少しホッとしたわ。これであの子達も報われるわね」とトミさんは上着のポケットからボロボロの写真を取り出して言った。その写真には小さな男の子が写っており、そこは広い原っぱのようなところだった。春の陽気がその写真から感じられた。


「この子は、もしかして……」と俺は写真を見て言った。


「ええ、幾雄よ」とトミさんは写真を見つめて言った。


「幾雄君は、今どうしているんですか? お孫さんらしき人は、あまり見かけませんが」と俺は尋ねた。



「幾雄は、三歳のときに――死んだわ」



 俺とトミさんの間に静寂が訪れた。気まずい空気が周りに漂った。


「幾雄は、両親と同じように、殺されて死んだわ。目黒の殺人犯に殺されたのではない。隣――202号室の住人に、殺されたの」とトミさんは静寂を切り裂いて言った。


「まさか、ここで!」と俺は202号室の扉を一瞥して叫んだ。


「幾雄は奇怪な格好で発見された。前屈するような姿勢で、足の爪先を噛んだ状態で発見された。頸動脈を掻っ切られて殺されたみたい」とトミさんは俯きながら話した。


「なんて酷いんだ……」。俺は驚嘆にうろたえていた。


「犯人はすぐに逮捕されたわ。奴は、人間ではないように見えた。まるで、幽霊のように見えた。生気が感じられなかったの。まだ二十代前半だったというのに、二十歳も年老いているように見えたわ」。トミさんの目つきが険しくなっていた。


 俺はついに黙って話を聞いていた。両手を組んで握りしめていた。


「それ以来202号室はずっと空き家なの。けれど、さっきみたいに物音は頻繁に聞こえてくるから、この部屋はいわくつき物件として誰かが住んでいることにされているの」とトミさんは段々といつもの調子に戻りながら言った。


「今まで空き家だったんですか」と俺は呟くように言った。


「ええ、だから、この202号室は恐ろしいのよ。今の裏野ハイツの住人さん達は、あまり知らないみたいだけど」とトミさんは空を眺めて言った。空は段々と暗くなってきていた。


「そんな過去があったんですね。俺も知りませんでした」と俺は落ち着いた口調で言った。


「もう、こんなことはないと思うけど、螢太君も気を付けるのよ」とトミさんは急に明るくなって言った。無理していることは明らかだった。


「はい、気を付けます。幾雄君のこと、お悔やみ申し上げます」と俺は言った。


「ありがとうね。それじゃあ私は部屋に戻るわ。大山おおやまさんも早く螢太君達のところへ戻りなさい」とトミさんは優しい声で言った。


「それではまた」と俺は言って、きびすを返した。トミさんもまた、201号室に戻って行った。


 しかし、例の202号室の前を通りがかった瞬間――

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