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その一。

 俺は裏野うらのハイツの103号室に住む、会社員の大山おおやまかおるだ。歳は三十代で、同じ歳の妻、そして三歳の息子――螢太けいたと一緒に暮らしていた。家庭の収入は多いというわけではなく、決して裕福と言える家庭ではなかったが、それでも俺達はそれなりに幸せな生活を送っていた。


 妻は俺の会社の給料だけで生計を立てるのは難しいと言うから、自身でコンビニのパートに勤めていた。


 それによって、まだ三歳の螢太だけが家に取り残される時間が生じてしまうが、そんなときは201号室に住む、トミというお婆さんに螢太の面倒を見てもらうことにしていた。


 トミさんは独り暮らしだから、螢太のことを頼みに行くと、いつも快く受け入れてくれた。気さくで優しいお婆さんで、普段は大人しい螢太もトミさんにとても懐いているようだった。


 それと、自分で言うのもなんだが、俺は、家族思いの父だったと思う。


 毎日朝早く起きて会社へ赴き、残業はよっぽどのことがないかぎりせず、飲み会も週に一度しか参加しないようにしていた。それもみんな、家族のためだった。夜は家族みんなと過ごす。特に螢太とはたくさんのことを話す。そういう家族サービスを行うため、俺は会社では素っ気のない立ち振舞をしていた。


 しかし、それでも俺は会社からの信頼は厚く、もう少しすれば出世できるとも言われていた。これも家庭の幸福からできた産物なのかもしれない、と俺は思った。


 出世すれば螢太に新しいおもちゃなどを買ってやれる。遠くへ一緒にドライブへ行くこともできる。俺はそんなことを想像していると、とても幸せな気持ちになれた。素晴らしい充実を感じた。そして全てが楽しい日々だった。



――しかし、あの悲劇が、あの身の毛もよだつような恐ろしい出来事が、全てを、俺達を、滅茶苦茶にぶっ壊したのだった。



   *



 ある夏の夕方、俺達は家で夕飯の支度をしていた。俺はリビングであぐらをかき、螢太を自分の足の上に乗せ、ニュースを見ていた。ニュースでは、二十年も前に目黒区で起きた無差別殺人事件の犯人を逮捕したという報道をしていた。犯人は四十代だった。


 一方で妻の方は、キッチンでチンジャオロースと味噌汁を作っていた。チンジャオロースの良い香りが俺の腹を空かせた。


「ご飯できたから持ってってー!」と元気の良い妻の声がキッチンから聞こえてきた。


 俺はキッチンへ向かい、螢太と自分の分のご飯を持ってリビングへ戻った。すると、螢太はもう既に自分の定位置に座っていた。ニュースは海が賑わっている様子の映像に切り替わっていた。


「あー美味しそうなチンジャオロースだね!」と俺は螢太に向かって言った。


「うん! 美味しそうなお肉!」と螢太は天才子役のように目を輝かせて言った。


「いつもとあまり変わんないけどね」と妻はエプロンを脱ぎながら苦笑した。


「いつも美味しいよ」と俺は妻にほほ笑みかけた。そのときである――



 ドンドンドン! ドンドンドン!



 荒々しい大きな音が天井から聞こえてきた。


「何の音かしら。上から音が響いているみたいだけど、私達の上の203号室は空き家になっているはずだから、202号室から響いているのかしら?」と妻が不安気に呟いた。


「でも本当にあそこには人が住んでいるのか? 人が出入りするところなんて一度も見たことがないし、人の声さえ聞いたことないぞ」と俺が猜疑心を抱いた。


「パパ~、僕怖い」と螢太が俺の服の裾を引っ張った。


「あなた一度様子見てきてくれない? けっこう音も穏やかでなかったし、何かあったのかも」と妻が俺に上の階の様子を見てくるよう促した。


「ああ、ちょっと見てくるよ」と俺は玄関で黒のクロックスのサンダルを履き、外へ出た。二羽の烏が駐輪場の屋根の上に泊まっていた。


 俺はスタスタと階段で二階へ上った。足場が微妙に湿っていたが、あまり気に留めなかった。


 二階へ上がってすぐ傍にある扉は203号室の入り口だ。ここからは全く人の気配はしない正真正銘の空き家だ。ここに用はなかった。


 202号室、そこは人の気配はあるのだが、そこの住人の姿を俺達や他の住人、みんなが見たことないという、怪しさどころか恐怖さえ感じる部屋だった。さっき聞こえてきた物音は、きっとここから響いてきたのだろう。


 俺はその部屋の扉をノックした。この裏野ハイツはけっこう古い建物であるから、インターホンというハイカラなものなどありゃしなかった。


 しかしどれだけノックをしても、中から反応はなかった。聞こえるのはビニール袋か何かが擦れる音だけだった。


「すみませーん、誰かいませんかー?」と俺は中へ呼びかけた。


 やはり反応はなかった。居留守をしているのか、本当にいないのか、俺には見当もつかなかった。


 このままでは中から人が出てくる気配など皆無なので、俺は、ふとその扉のドアノブに手をかけた。すると――

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