Decimo La testa~十番団長~
緊急召集会議が終わり、アレックスとレイナの二人はシリルから命じられた通り、十人団長のリオとアリスを探しに階下へと降りた。
階段を下っていると、少女の怒鳴り声が耳に入ってきた。二人は何かを察したのか、顔を見合わせて溜め息をつく。
3階に着くと、少女の大声はフロア全体に響き渡っており、その階で生活をする団員達がざわざわと集まって野次馬状態になっていた。
「うわっ、完全にちょっとした騒ぎじゃねぇかよ。あいつらも、いい加減学べよな」
アレックスが野次馬の波を掻き分けて行くと、団長専用の個室前へと辿り着いた。
そこには、女性専用の団長服をミニ丈に改造して着こなしている美しい少女の後ろ姿があった。
「おい、朝っぱらから何やってんだ! アリス」
そう言うと、部屋に向かって大声を上げていた少女――アリスが、苛ついたように踵を返して振り向いた。
肩につかない程度に切り揃えられたアプリコットのボブヘアと、横髪だけが腰辺りまで長い三つ編みが揺れる。雪のように白い肌とバランスのとれた可愛らしい顔立ちが、窓から差し込む朝日に照らされ眩しいほどに輝いて美しい。まさに絶世の美少女という言葉が相応しい少女だ。
団員達の間からちらほらと、小さな感嘆の声が漏れ聞こえた。
だが、そんな少女の愛らしい顔は苛立ちに歪んで眉間には皺が寄っていた。
「アレックスさん! リオが、まだ出てこなくって!!」
モルガナイトの瞳をぎらつかせ、美しい鈴の音の様な声は怒気で彩られていた。容姿と声音からは想像できないほどだ。
「まだ出てこないのかよ。アイツの寝坊癖は、既に神の域だな」
「通算885回中、883回は寝坊又はサボりよ」
「レイナ、数えてるのかよ」
「勤務連絡表に載ってるわよ、そんなもの」
レイナが「総団長も頭抱えてたし」と付け足しながら、心底呆れたように呟く。
額に手を当て首を振ったアレックスは、団長室の扉を指差してこう言った。
「アリス、何時ものやっていいぞ。責任はリオにとらせるから」
「え、でも“あれ”したら後片付け大変だし......」
躊躇いを含んだ表情で戸惑うアリスに、アレックスはそれ以上言葉を紡がず、代わりに何度も扉を指差した。
アリスは「分かりました」と一言頷き、扉の前で両足を肩幅ほど開き、瞼を伏せ、息を吐いた。
辺りの野次馬団員達は、張り詰めた空気に静まり返る。静寂な空気が暫しフロア全体を覆った。
誰もが息を飲んで、次の行動に緊張と期待をしていた矢先だった。
「へっくし!」
団員の一人がくしゃみをした。
全員の意識と視線がそちらに傾いたと同時に、アリスは一気に開眼し右足を引いた。流れる動作で体を左下へと捻り、フローリングの床に両手を付いて重心を支えると、引いていた右足を反動に合わせ前方へと突き出した。さながら、馬が後ろ足を蹴りあげるが如くだ。
右足は見事に木製扉を粉砕し、団員達の視線がアリスの太股へと集中する。
直ぐ様体制を建て直し、アリスは一つ息を吐いた。
数秒後、団員達から割れんばかりの歓声が上がった。
アレックスは、それを収集しながら本人に聞こえるような大きさで声を上げる。
「何で、そこまで体術も力もあるのに、後衛なんだか」
「し、失礼ですね! これでも、一応女の子なんですから!」
恥ずかしそうに頬を膨らませるアリスに、団員達のボルテージは一気に上昇した。
更には、レイナがアリスの頭を撫でたことにより、嬉しそうにはにかむ姿にも――。
(まぁ、確かに男共が騒ぐのも無理ないな。あの可愛さなら)
アレックスは苦笑しながら、団員達に囲まれるアリスを見つめていた。
そして、粉砕された扉の主を迎えに行くため、部屋へと足を踏み込んだ。
*
宿舎一階の食堂は、朝早くから大勢の団員達の喧騒と笑い声で賑やかなものだった。
ここ東宿舎は、聖十騎3宿舎の中で一番大きく『中心地』とも呼ばれている。最も多い4つの団の計80名と事務職員20名が共に生活し業務を行っている。
しかし、その割りに建物の作りは大きいと言えず、どの施設に関しても十分な余裕をとることが出来ない状態に陥っていた。
それは無論、食堂も例外ではなく、むしろ一番の問題でもあった。大浴場やトレーニングルームと違い時間指定がなく『各団の情報交換と親睦を深めるために食事のみ一同で行う』という団の方針から、長机が並べられた狭いここに100名近くが一斉に集まることになるのだ。その為、早朝から団員達の群れでごった返していた。
そんな食堂の最奥に設けられている団長専用の個室席に、四人の団長が腰掛けていた。
壁を背にアリスとレイナが座り、向かいにアレックスと、寝ぼけ眼で寝癖頭をボリボリと掻いている少年が一人座っていた。
アレックスが会議の内容を少年に伝えると、室内に驚愕した声が響き渡った。
「ええええぇぇぇぇぇ!!?」
その途端、少年の寝癖頭に拳骨が振り下ろされた。
机に突っ伏して頭を抱え込み悶絶する少年に、アレックスが怒鳴り散らす。
「声がデカいんだよ、クソガキ!!」
「うっせぇクソ野郎! それ聞いて驚かない方がおかしいだろう!!」
二人の言い争いはヒートアップしていき、団員達の視線が集まりだした。慌ててアリスが止めに入ろうとしたのだが、その必要はなかった。
レイナが急に腰を上げると、向かいから二人の頭を机に叩き付けた。
凄まじい音と共に、二人の脳が揺すぶられる。同時に、二人分の悲鳴にならない声が聞こえた。
アリスは、目を丸くして言葉を失っている団員達に、笑顔で手を振って問題がないことをアピールした。
「い、マジで痛いから勘弁してくれ、レイナ」
「レ、レイナ姉さんすみません。痛いから許してっ」
無言のまま手を放したレイナは、何事もなかったように机上のコーヒーカップを手に取り口元へと運ぶ。
二人は頭や首に手を当てて捻りながら具合を確認すると、レイナの怒りに触れない程度で話を再開した。
「とりあえず、お前とアリスがいなかった会議の内容はこんなとこだ。質問あるか、リオ」
寝癖頭の少年――リオは、手首を回しながら面倒そうに口を開いた。
「質問はないけど、シリルが全体会議を行わないのって、団員達にも黙ってろってことだよね?」
その言葉に、コーヒーを啜っていたレイナが頷いて答えた。
「ええ、そうだと思うわ。きっと、国王と相談して団員達に報告する筈よ。そうでないと、話が広がっちゃうもの」
「もし国民や、他国多種族に知られれば、外交問題に大きな穴が空きますもんね」
アリスが神妙な面持ちで言葉を口にする。慎重に事を考えているのか、大分小声であった。
だが、リオは欠伸をしながら目には涙を溜めていた。
「お前、本当に緊張感ないな。寝坊神の面倒臭がり野郎」
アレックスが、つられた欠伸を噛み殺しながら嫌みを込めて呟く。
「悪かったな、尻敷かれ野郎。他人の為、面倒には巻き込まれたくないだけだ」
「尻敷かれ野郎とは何だ!!」とアレックスが叫びながら胸ぐらを掴み再びヒートアップしそうだった二人だが、凍り付くようなレイナの殺気を感じて急激に終息した。
その言葉に、アリスは呆れたように睨みつけ、外見には似つかわしくない男勝りな口調で言った。
「いい加減すぎだろ、馬鹿リオ」
「俺が忠誠を誓うのはマグナ王とアリス、お前だけだ。それ以外に興味なんてない。況してや、巫女なんて会ったこともない他人だし」
「それと、キレた時の口の悪さ何とかしろ」と言いながらも大口を開けて欠伸をするリオに、アリスは溜息を付きながらも内心は心が揺らめいていた。
(私に忠誠誓ってどうするのよ、バカ)
僅かに頬を染めているアリスを一瞥して、アレックスは肩を竦めながら脱線した話を元に戻した。
「とりあえず、後からマグナ王より勅命が下って総団長殿から連絡があるらしいから、それまでは待機だろうな」
そっかと一言呟くと、何かを考え込むように机上を見つめ始めたリオ。その光景にアリスは、先程と違い心底呆れたような溜め息を吐いた。
「おい、リオ。サボる算段つけてるのか?」
モルガナイトの煌めきが強く鋭くなるが、リオは気にも止めずに力強く頷いた。意味もなく力強く――。
アリスの俊足の蹴りが机の下で炸裂し、リオの脛を的確に捉えた。
急に机に突っ伏して額を強打し声にならない叫びを上げ始めたリオに、隣席のアレックスが驚き跳ね上がる。そのままバランスを崩し、椅子ごと後ろへ倒れて背中を強かに打った。
「バカばっかり」
レイナは、緩くウェーブのかかったワインレッドの髪を人指し指に絡めて遊びながら、男二人の情けない声を聞いて肩を落とした。
団員達の視線が気になる中、二人は胸中で同じ思いを抱いていた。
(何で、聖十騎の女共はこんなに強いんだよ)
立場の無い敗北感に包まれながら、アレックスは立ち上がって座り直し、リオは椅子の上で胡坐をかいた。
アリスは小さく笑いながら紅茶を啜り、食堂の壁に掛けられている光道具の時計を見つめた。時刻は、7時40分を指していた。
「あ、そろそろ行かないとですよ。アレックスさん」
その言葉にアレックスが時計を仰ぎ見ると「もうそんな時間か」とボヤキながら席を立つ。
最後の一口を啜ったレイナが、習って席を立ち上がる。
「お前らは?」
「私は、午前は結界の見回りで、午後からは事務所の手伝いです」
「俺、非番」
「リオ、お前は街の巡回当番だろ。団員達を待たせんじゃねぇぞ」
リオの嘘にさらりと返したアレックスは、寝癖頭をぐしゃぐしゃに撫でながら「ドア直しとけよ」と最後に残して食堂を後にした。レイナも軽く手を振り、彼の後を追っていく。
その光景に、リオが首を傾げた。
「あれ、レイナ姉さんって北の人間なのに、何で帰ってないんだ?」
「さっき聞いたけど、何か東に召集かかったんだってさ。南西からもカーティスさんかジュリエッタさんが召集かかってるって言ってた」
視線を横にずらしながら考え込むリオの眼差しに真剣さを感じて、アリスの胸が僅かに弾む。
普段から寝癖だらけの頭に寝惚け眼で面倒なことは避けるリオだが、時折、まるで別人のように神妙な面持ちで考え込むことがあった。そんな特別な表情を見せるリオに、何故だかドキッとしてしまう自分が恥ずかしくなり、アリスは頬を染めて俯いた。
すると、様子がおかしいと感じたのか、リオがアリスの頭に手を軽く置いた。そして、ゆっくりと撫でる。
アリスの顔は、首まで真っ赤になった。
「どうした、具合でも悪いのか?」
お前のせいだと叫んでしまいそうな衝動を抑えながら、アリスは平静を装った声音で答えた。
「な、何でもない! 大丈夫だから!!」
そう言うと勢いよく立ち上がり、軽い挨拶をして足早に食堂を去っていった。
一人取り残されたリオは、時計を見つめながら懲りずにサボりの算段を考え始めていた。