Prologo~序章~
※H27.2.15 アプリコットの瞳→モルガナイトの瞳に訂正しました。
上空に存在する海(天海という)に透けて、月が美しく映える静寂な闇夜のこと。
一人の青年が、所属する騎士団の仕事として、街の巡回に当たっていた。
巡回業務は、基本的に二人が巡回し一人が本部にて連絡を受けるスリーピース体制だったが、供に巡回するはずであった同期が訓練で大怪我をしてしまった。巡回業務前日のことに代役が立たず、急遽バディ体制へと変更になったのだ。
(仕事が全部、俺に回ってくんじゃんかよ)
胸中で文句を垂れながら大きな欠伸をして、目の前の突き当りを右に曲がった。
その先は、中央に大きな噴水がある広場だった。ここは、この国の中心と言える『ボヌール広場』だ。円形に街路樹とベンチが据えられ、奥の方にはガゼボがある。国民の憩いの場所と言える広場だ。
暫く、その広場を遠目から眺めると、盛大な溜め息を吐きながら外周に沿って歩き始めた。
物陰などに異常はないか確認していく。普段は分担して行うため、一人では途方もない広さだった。
このままでは夜が明けてしまうと、そう考え始めた頃だ。
始めの位置からでは視覚になっていた街路樹の裏に、一人の少女が座り込んでいた。真っ白な薄手のワンピースを着ており、足元は何も履いていなかった。頭と膝を抱え込み、体を硬くしていた。
彼は慌てて駆け寄ると、目の前に膝をついた。
「おい、大丈夫か?」
言葉をかけるが返事はなく、身動き一つとらない。
この国の後方には、標高約3千メートル級の山が聳えており、山肌に吹き付ける風が反射して冷え込む。特に夜は日が落ちるので、気温が非常に下がる。
少女は肌着一枚だったためか、体が小刻みに震えているのが目に付いた。
彼は、自分が羽織っていた上着を脱ぎ、硬直状態の少女に半ば強引に着せた。触れた手に、冷たさが残る。
「こんなところで何してる! 今は厳重警戒態勢で巡回の騎士が多いんだ。下手したら捕まるぞ!」
叱咤するように声を張り上げるが、やはり少女に反応はない。
彼は頭を抱えた。業務を完了させ、早々に家路へとつきたいのに、このままでは報告書という課題が一つ増えてしまう。今日という日を恨んだ。
面倒と感じていたが、放ってはおけずに数分が過ぎようとした頃、小さな声が聞こえてきた。彼が耳を澄ませると、それはすすり泣く声だった。
「……お前、泣いてるのか?」
彼は、何も答えない少女に、そう尋ねた。
そのすすり泣く声は暫く続いた。更に数分が経ち、鼻を啜る音が収まってきた頃、今度はか細い声が耳に届いた。
「……分からない」
彼は、訝しげに少女を見つめた。
「どうして、ここにいるのかも。何で、こんなに怖いのかも。何に追われているのかも。何も、分からないの」
(この子も、まさか......記憶喪失?)
少女の声は、鈴の音の様に淀みなかったが、今は寒さに震え、喉から搾り出すように掠れていた。
そして、全く動かなかった体を小さく揺さぶり、重たそうに顔を上げた。
彼は息を呑んだ。
少女は、絶世の麗人だった。雪の様な白い肌に、全ての部位のバランスがとれた小さな顔。そして何よりも、全く汚れを知らない透き通るモルガナイトの瞳が輝いていた。
動きを止めた少年に、少女はその美しい顔を不安に歪ませた。
「貴方も、私を追っているの?」
その言葉に、何故か胸を貫かれたような衝撃を受けた。
彼女の“恐怖”にだけは、なりたくない。そう、心の奥底で強く思った。
少年は頭を左右に振ると、少女の手をとった。
不思議と懐かしさを感じ一瞬戸惑うが、離すと脆く崩れてしまいそうで、冷えた手を強く握り締めた。
少女は小さな悲鳴を上げて驚く。
「違う、俺は違う!」
その言葉が、口からこぼれ落ちる。
「俺は、絶対に違う!」
必死の形相で否定する少年に、意図が分からず困惑する。
しかし、少年の不思議と懐かしい温もりに、震え切っていた手が、体が治まるのを感じていた。
「詳しい話は分からないし、出会ったばかりの俺が、こんなこと言っても信用できないだろうけど……」
呆然と見つめる少女に、少年は真っ直ぐな眼差しを向けた。
そして、ただ一言だけを伝えた。純粋に思っている、ただ一つの答えを――。
「君は、俺が守る」
これが後に、自らの運命をも左右する選択だったことを、この時の彼は気づくことさえなかった。