第二話 特に無い密室
篝火に 邪龍フォルの雄叫び響く
飲め 飲め 唄えと声高に
黒髪乱して 踊り叫ぶ
奇々怪々なその出で立ちに
断末魔達の嗤い声
それを肴に 黒龍叫ぶ
飲め 飲め 唄え それ嗤え
【南部レイザン民謡より 黒龍の祭り】
夕暮れと共に村に現れたおかしな余所者を、村人達は敵意を以て迎え入れた。
本来、農民として細々と暮らしている彼らに武術の心得などある筈も無い。ここ数十年、この地方で戦など起きた事もなく、生まれてから対人戦闘といえば王都の騎士ごっこが関の山…といった具合だ。
もちろん、たまにはピッケルやマヌグーといった魔物の類も出没するが、所詮はウサギに角が生えたものか、動きの鈍い大きなトカゲである。そういった意味では、時たま現れるはぐれ野犬の方が、魔物よりもよっぽど性質が悪い。
しかし最近になって、はぐれ野犬よりも更に性質の悪いモノが現れた。人買いの一団を見た、という者達が現れたのである。
「人買いは、愛想の良い顔ぶらさげて 極悪非道 残虐冷血 馬を駆る姿を見た日にゃ最後 子供が全員消えちまった」
似たようなニュアンスの歌は、どこの地にも存在している。突然現れた犯罪者の影に、平和な村は一転し、混乱した。領主様に報告しよう、という声がどこからともなくあがった。それに異を唱える者などいなかった。
しかし、報告のために街へ出かけた村人が持ち帰ったのは、領主の娘が誘拐されたというニュース。普段なら、お転婆な姫様の悪戯だ…と誰もが笑っただろう。
しかし、部屋には脅迫文が残されており、三日経った今でさえ、ローリエは見つかっていないのだと言う。
村人達は沈んだ。
領主が一人娘を目に入れても痛くないほど可愛がっているのは、領民であれば誰もが知っている話だ。
人買いは領主の娘を盾に取り、村狩りを黙認させるつもりに違いない。
正義感溢れる村人は怒りに燃え上がった。王都にこの事を知らせよう!と叫ぶものもいたが、王都までの距離はどんなに急いだところで片道一か月はかかる。その前に村が無くなる可能性や、王都へ報告に向かう最中で人買いに襲われる可能性の方が高いと感じられた。
結局…結論を出せないまま、人買いの新しい情報も得られぬまま。
マクシーズの村民達は、やきもきしつつも、見かけだけはいつもと変わらぬ日々を過ごしていた。
そんな中現れた、怪しい旅人二人連れ。こんな辺境の村に、行商市も無いのに人が来るはずもない。村人達は、各々が武器…大体はクワやスキといった農具を手に集まった。そうして、最大級の警戒心で、村唯一の門を睨みつける。
闇に溶けるような黒髪を持つ青年と、幽鬼のような肌を持つ長身の青年。どちらもこの村では見かけた事がない。旅人にも見えず、冒険者にも見えず…かと言って、貴族のようにも見えない。
見た事もない黒い装束で身を覆うその姿は、夕闇の色と相まって死者の国から現れたようにも見えた。
胡散臭いその姿に、彼らの誰もが「警戒しろ」と目線で注意を促す。しかし、村に構えられた防衛用の門の前に立ち尽くす二人組に、明確な敵意があるようにも見えなかった。
門にかけられたカンテラの炎が、風にあおられ、揺れた。灯りに照らされた第三者の存在に気が付いた数人の村人が、はっと息を飲む声が響く。一方の背中には子供…一週間以上前に誘拐されたという噂の、領主の一人娘、ローリエの姿があったからだ。
緊張と恐怖に満ちた村人に向かって、訪問者は遂に声を発した。
「いやもう正直クワとかカマとか農作業の道具で突かれる作業は迫害時代で慣れてるからいいんだけど、ひとまずそれは置いておいて、此方のロリが緊急事態なので、この中にお医者様はいらっしゃいませんかァーーーー!!」
子供を指さしながら、青年の凛としたテノールが村へと響く。途端、広場は蜂の巣をつついたような騒ぎとなった。
駆け寄ってくる者、子供を下ろそうと手を伸ばす者、医者を呼べと怒鳴る者。その手に、いまだ鋭い農作業用具を持っている者達もいたが、黒い二人組は気にする様子もなく、現れた時と同じく飄々とした顔で接している。
村人達の中には警戒の解けない者も多い。それでも何人かの、子供を守る様に囲んでいた大人達はかわるがわる、現れた二人組へと感謝の言葉を述べている。
その感謝の言葉に大仰に頷く黒髪の横顔は…恐ろしく美しかった。
△△△
「私はこのマクシーズ村にて、長年、村長を勤めさせて頂いている、ルザスと申す者です。旅人殿、ローリエ様をお助け頂き、感謝の言葉が尽きませぬ。この村を、強いてはこのイーストメドウ領に住むものの一人として、厚く、御礼の言葉を申し上げ…」
「いえいえ、困ったときはお互い様っすから気にしないでください」
長くなりそうだと直感したアッシャーは、村長の語りスイッチが入る前に待ったをかけた。
村人達は、現れた二人の処遇を、村長であるルザスに一任するという形で合意したようだ。村人の中には、二人に直接お礼を言いたがった者もいたが、それは後日でも構わないだろうという旅人本人の希望もあり…彼らは村長の家を訪れる事になった。
ルザスはつるりと磨き上げられた頭が眩しい老人で、白く長い髭がトレードマークの、好々爺然とした男であった。
村で一番大きな茅葺屋に案内され、今は二階の応接間で三人、向かい合ってお茶を飲んでいる。そこには先程までのギスギスした緊張感はない。この、のんびりとした村長の雰囲気こそ、元々のマクシーズ村なのだろう。壁にかけられた柔らかい色合いのキルトは、この辺りに生えるハーブをモチーフにした奥方の最高傑作らしい。
「俺はアッシャー。此方のふんぞり返ってる方はフォルスタッフ様と言います。詳しい事は言えませんが、本名で呼ぶと差支えがありますので、どうぞフォル様とおよび下さい」
手慣れた様子でアッシャーが自己紹介すると、フォル様と呼ばれた黒髪の青年は、ん、と小さく咳払いをする。
「しかし、良いのですか?フォルと言うと、その…」
ルザスは戸惑うように口ごもった。「フォル」という名前はこの世界の人間なら誰もが知っている「邪神フォル」を連想させる名だ。
「フォル」というのは暗黒を司る龍の形をしている、というのが通説だ。酷く悪賢い神で、創生の三神に数えられておきながら、その伝説には真偽がはっきりしないものが多い。
曰く、酒を飲み過ぎて神々の会議を欠席した。泥人形を作るのが楽しすぎて地表を削り取り海が出来た。創生の三神豊穣のメイディと喧嘩して負けた際、地団太を踏んだせいでユーリス大陸が四つに割れた…エトセトラ、エトセトラ。
メイディを唯一神と崇める神聖アルフェス王国では邪神扱いだが、その他の国では或る種の人間らしさから熱狂的ファンもいると言う。
ルザスの様な田舎者からすれば、伝説に登場する神…といった認識で、詳しく知っているわけではない。ある地方では、黄金の翼を持つ漆黒の髪の魔女だという言い伝えもあるが、ルザスには預かり知らぬことであった。 ただ、昔からある「忌み言葉」と同じく「フォル」という名前は、あまり子供に付ける名としては相応しく無いことだけは確かだ。
ルザスの困惑した表情の中には、そのような不吉な名前を自ら口にしてよいものか、という戸惑いも見受けられた。
ルザスに釣られたようにアッシャーも、困った笑顔を浮かべる。
「…まあ、本人が気に入ってるそうなんで、いいらしいっスよ」
「そのようなものですかな…」
「そんなもんです…」
さすがのアッシャーも、「こちら、本物のフォル神です」とは言えなかった。言ったところで本気にされるとは思わないが、変な噂を立てられても困るのだ。
「…ところで、フォル様は具合でも悪いのでしょうか?」
ひそひそ声のまま、ルザスはアッシャーへと問いかけた。村の前で珍妙な怒鳴り声をあげてからと言うもの、フォルは口を開こうとしない。気のせいで無ければ…ルザスが「私が村長です」と名乗りをあげて以来、何か悩んでいる様子でブツブツつぶやいている。
現れた時は闇に紛れて分からなかったが、ランタンの光の下ではフォルの類まれなる美しさがはっきりと見てとれた。
人形のように白い肌、赤い苺のような唇。黒い眼鏡で隠されているものの、横顔から覗く大きな切れ長の黒い目は神秘的な黒曜石のようだった。そして何より、長年生きて来たルザスも初めて見る黒い髪。 それらすべてが、フォルを人間離れした神々しさの象徴だった。
一方で、アッシャーは背は高いものの…良くも悪くも小市民的だ。オドオドと応接間に入り、中の家具を感心したように見渡す姿から、恐らくは一般人なのだろうとルザスは見ていた。
恐らく、フォルはどこかの国の偉い貴族で、偽名を使いながら旅をしているのだろう。アッシャーはその従者に違いない。
「いや、気にしなくても良いと思います」
温かいお茶を口にしながら、それでも青ざめた顔のままアッシャーは、ルザスに聞こえるか聞こえないか分からないくらいの小さな声で呟いた。
「あれは、どこからどう見ても『村長にしか見えない村長の存在』に感動しているだけですから」
そう言って再びお茶に口を付ける。その意味がよく理解できないルザスは、はぁ…と曖昧な返事を返すのみだ。
「それで、THE☆村長」
「フォル様!ルザスさん見て、何か考え込んでるなと思ったらそんなニックネーム考えてたんスかッ!?」
ようやく口を開いたフォルに気圧されながら、ルザスは神妙に頭を下げた。
「あの子供の事なんだが、誘拐とは穏やかじゃないね」
「ああ、その事でございますな」
フォル達があの子供、ローリエという名前らしいを助けた話は、適当に端折りながらアッシャーが説明していた。
その中で、フォルとアッシャーは道に迷った旅人…という設定であり、原っぱに落ちていた少女を放っておくわけにもいかず、適当に歩いていたら、村の灯りが見えた…という話だ。
大体間違ってはいない。
自分達が、この世界ではちょっぴり邪悪な生命体であり、何世紀かぶりに次元の壁越えて道に迷っていたら目の前にロリが倒れており、大地の力で最寄りの村をルート検索しただけ…というのを上手く現代風にアレンジしただけである。
さすがに「あっちに徒歩2時間」と出た時は、媒体となった木の枝をへし折りたくなったが、フォルも大人になった。木の棒を全力投球で遠くに投げ飛ばすくらいで勘弁してやった。
ある世界での移動手段…数分ごとに勝手に進む機械がやってくるので、どこかに行きたければ、それに乗ればいい…に慣れきっていた身体では、手慣れた徒歩移動がひどく原始的に感じてしまったが、これはこれで楽しみ方があるのだ。
「私も詳しい事は知らないのですが…」
そう前置きをして、ルザスは話し始めた。
此処、イーストメドウ領は、ハルフォード王国の南東に位置している。中心地となるイーストメドウ街を囲む様にして、小さな村が点在しており、マクシーズ村もその中の一つだという。
主な産業は農業。土地だけはあるため、放牧や果樹園などの畑で大体の民が生計を立てている。
争いとは無縁に思われたこの領地に、ある日恐ろしい知らせが舞い込んできた。
人買いを見た、という噂が流れ始めたのだ。
時を同じくして、イーストメドウ領主、カデイスの一人娘、ローリエが何者かに誘拐される。
例え地方と言えども、領主は領主。館の警備はそれなりだったらしい。
ローリエは脱走癖があるらしく、領主はローリエの私室の隅々まで御自ら調べあげ、隠し扉が無いかを確認したのだという。(その後、思春期間際の娘から壮絶な頭突きを食らったらしい)
人買いの噂の後は、「けっして娘から眼を離さないように!」と領主は口を酸っぱくして警備兵に言っていたのだが、事件は起こってしまった。
しかし、かれこれ一週間前の事。夕食を終えたローリエは「眠くなってきた」と、メイドに告げ、部屋に帰った。そうして、翌朝、朝食の時間になっても出てこなかった。心配したローリエの母が、傍付きのメイドと共に部屋を開けると…
「そこには、誰も姿もなく…『娘は預かった。返して欲しくば100万ゲルダ用意しろ』と書かれた紙がベッドの上に置いてあったそうです」
「えっと、100万ゲルダって、ゼータに換算するとおいくら位になるんすか…?」
いくらルザスが長い年月を生きていようと、遥か昔に存在した古代文明の通貨「ゼータ」の存在を、一般の村長が知る筈も無い。どこか他所の国の貨幣であろうとボンヤリ理解する程度であった。
「そうですね…例えば」
ルザスは自分の握りこぶしをフォルとアッシャーの前に掲げて見せた。
「この拳と、同じくらいの魔剛石と等価値である…と言えば、ご理解頂けますかな?」
此処でルザスは一度話を切り、伺うように二人の旅人を見た。二人は固まったように動かない。だが、その表情には明確な差があった。一人はニヤニヤと口元を笑みの形にし、一人は青ざめている。
「ひぇぇぇ、そんな大金、国家予算を逆さまにしても出ないっすよ…!!」
情けない声をあげるアッシャーとは反対に、フォルはおもしろくなってきたとばかりに両手を擦り合わせる。
「阿呆。用意できないのを見越して、要求しているんだ。目的は別だな…。それに、あの子供はどうやら密室から誘拐されたらしいぞ、アッシャー。そこには一体どんなトリックが仕掛けられていたのか…」
「あ、ローリエ様の私室の鍵は盗まれておりました。窓は開いていて、縄梯子がかかっていたそうです。恐らく、犯人はそこから逃げたのかと」
「がっかり密室!!!」
ボスン!と、大きな音を立て、フォルはその場に突っ伏した。あまりの迫力に、ルザスは自分が何か余計な事を言ってしまったのかと肝を冷やす。
「あ、あの…」
「すみません。フォル様のこれは、一種の病気なので、生暖かい目で見守ってあげてください…」
フォルの行動に慣れているのか、申し訳なさそうな顔のアッシャー。
「ザ☆村長…他に何か情報は無いのかな? 夜な夜な怪しい動きをするメイドとか、突然現れた妙に愛想の良い執事とか、領主をねたんで怪しげな宗教団体に金銭を寄付する金持ちとか…」
ニタリ、としか形容できない笑みを貼り付けたフォルはルザスへ問いかける。サングラスで隠された瞳の奥は輝いているに違いない。
「はぁ、わたしも、何せ噂で聞いた程度ですから。詳しい事はさっぱり。そもそも、イーストメドウで誘拐されたローリエ様が、マクシーズの近くで見つかった事すら驚きなのですから」
「ほう」
それぞれが一度クールダウンする必要を感じたのだろう。だいぶん冷めてしまったお茶に、各々が口を付ける。
こん、こん、
タイミング良く扉をノックする音。
村長のルザスは、フォルとアッシャーに出ても構わないだろうかと目線で問いかける。眼を隠した二人は互いに顔を見合わせると、気にするなという合図の代わりに軽く頷いた。許可を得たルザスは立ちあがると、扉を開ける。
そこには白髪を綺麗に結い上げた、身形の整った老婦人がおっとりとした様子で微笑んでいた。その笑顔は喜びに満ち溢れていて、何か良いニュースがあるのだと伺い知る事ができる。
「あなた、ローリエ様が、眼を覚ましましたよ!」




