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しあは、今まで告白されたことが、ないわけではない。
むしろ、ある。
かなりある。
一番しあと付き合いが長い透子が記憶している限りでも、両手両足の指では足りないほどだ。
けれど、誰とも付き合ったことはない。
「好きです」
と言われれば、しあは
「はぁ」
としか答えられない。
ましてや、
「付き合ってください」
にいたっては、
「どこへですか」
という意味不明の返答しかできない。
これで、ほとんどの男は悟る。
そして、
「ごめん」
と言って去る。
もう少し粘って会話をつなげようとしても、バカの一つ覚えみたいに「はぁ」としか言わないしあに痺れを切らして、結局去る。
実力行使に出る男は、今まで辛うじて、透子と山崎、たまに叶が阻止してきたはずだ。
しあからの被害報告は無い。
従って、小田嶋渉は、保留、というところまで持っていけた唯一の男だ。
しかもそれは、付き合う、の意味を考えていたしあを、悩んでいると勝手に誤解して、
「返事は、焦らないから。考えてみてください」
と、自分で保留にしてしまったのだ。
もし、あの時強引に押し切っていたら、しあはもしかしたら、もしかしていたかもしれない。
と山崎は思った。
「あのねしあちゃん。付き合うって言うのはね」
そろそろ、『付き合う』の意味を、教えてもいいのではないだろうか、と山崎は思う。
『一緒にお出かけしましょう』という意味ではない、と気がつき始めたみたいだし。
恋がしたいと言い始めたくらいだし。
などと心の中で言い訳してみたが、結局のところ、一番の理由は、
教えたほうが面白いことになるからだ。
叶が聞いたら、一体どういう反応をするのだろう。
うまれて初めての伴奏で、教授の言うとおりオダジマワタルとは相性も良くて、しかも大興奮してここに来て。
おまけに、いつにない早口で、
「付き合ってくださいって、一郎さん、付き合うって、なんですか?付き合うって、恋なんですか」
と言うのだ。
叶。うかうかしてたら、誰かのものになっちゃうわよ。
なんて言ったところで、叶は意地を張るに違いない。
見え透いた意地を。
「付き合うって言うのはねしあちゃん。
恋人になってくださいって意味なの」
しあがぱちぱちと2回、瞬きをした。
耳慣れない言葉を聴いたときの反応だ。
「こい、びと、ですか」
「そう。つまりね、オダジマワタルは、しあちゃんのことが好きなの。恋してるの。
だから、僕のものになってください、ってこと」
「はぁ」
火曜だからか、オープンして1時間ほどたつが店内は誰もいない。
透子もいない店内は、やけに広い。
「しあちゃんは、どう思ったの?
オダジマワタルと一緒にいて、どう思ったの」
しあは、山崎がいれたカフェオレをじっと見つめていた。
「頭が、うわぁんって熱く、なる、かんじです」
山崎は黙って先を促した。
「弾いてると、あたしの、イメージと、違うイメージで吹いて、でも、聞いてると、どんどん新しいイメージ、ができて、もっともっと、弾きたくて、」
そのときの興奮を思い出したのか、しあの顔は高潮していた。
いつも表情はほとんど変わらないしあ。
たまにこんな顔を見せる。
少しだけ頬の辺りに赤みが差して、目が潤んでいる。
あの時も、こんな顔をしたのだろうか、と山崎は思った。
叶と水族館に行ったあの時。
「心臓がうるさくて、テンポが速くなっちゃって」
しあは、ふう、とため息をついた。
ガラにも無く興奮して喋るから、息が上がったのだろう。
喉もとを押さえて少しうつむく。
そんな仕草を、山崎は心底いとおしいと思う。
今自分は多分、透子や叶といる時とは少し違う顔をしあに見せている。
「一郎さん、これは、恋ですか」
しあは、山崎をまっすぐ見つめた。
他の誰も、分からないだろう。
必死の顔をしていた。
知りたくてたまらないのだ。
恋の意味。
自分に足りないものの正体。
少しだけ周りに目が向くようになって。
何もかもが、新鮮で。
今まで感じたことのなかった感情全てを恋と結び付けてしまう。
なんて可愛いバカな子なんだろう。
「分からないわよ。俺には」
しあの頭を撫でながら言った。
「俺には分からないし、俺が決めることでもない。
ただ、今度会うときに、確かめてみなさい」
「?」