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つい先日、しあは叶に言った。


「叶さん、あたしと恋してください」





心底バカだと思う。


初めてしあに会ったときから、なんてバカなんだとは思っていたが。

二十歳間近の人間がとるとは思えない数々の奇行。

そんなバカな言動をサカナに、ビールを飲むのが保護者その3の叶の仕事だったはずだ。


そもそも、あんなバカ女に付き合いきれるわけが無い。


何も無いところで転ぶ。

寝癖だらけの頭で平気で出歩く。

財布も部屋の鍵もいつもなくす。

玄関のドアに鍵をかけ忘れるのは日常茶飯事。

平気で食事を忘れ、食事を忘れていることを忘れる。

おまけに、つい最近まで洗顔フォームで歯を磨いていた。

賞味期限が切れて、明らかに異臭がするオレンジジュースを平気で飲んで腹を壊した。

訪問販売のセールスマンに引っかかって、何十万とする掃除機を買わされた。

学校から寄り道して帰ろうと思ったら迷子になって交番に行き、自分の家の住所もいえなかった。



もうじきしあは二十歳になるが、あいつに選挙権はやらないほうがいいと思う。本気で思う。

社会の一員などにしたら、社会が困る。


ピアノを弾く以外に、まったく何の能力も持ち合わせていないのだ。





「あら叶。今日は早かったのね」



リビングのドアから聞こえる、はきはきと滑舌の良い声。女言葉の割に声が低いのは、女ではないからだ。


「何、そんなにあわてた顔して」


ひょろりとした長身。

長い手足。

両耳にピアス。

フランスの血が半分だか4分の1だか入っている彫りの深い顔立ちにポール・スミスのスーツを嫌みなくらい着こなしている。

なのに手には近くのスーパーの買い物袋。

ネギが、にょっ、と出ている。

山崎一郎。

しあの保護者その2で、しあ専属の栄養士兼スタイリストである。

月曜日は店の定休日なので、最近はしあの家で夕食を作るのが日課になりつつある。


「いや、べつに」

「ふぅぅぅん。どうせしあちゃんのことでも考えてたんでしょ」

「考えてねぇ」


ふふふ、と笑って山崎は上着を脱いでハンガーに吊るす。

勝手知ったる小日向家、下手をしたらしあよりも、どこに何があるか詳しいくらいだ。

持参した黒いエプロンを着る。

邪魔にならないように、叶はソファに戻った。

テレビはまだ野球の中継のままだった。

「くそっ、打たれてんじゃねーよこのノーコン」

また一点、巨人にとられてしまったところだったのだ。まだ8回の裏だ。逆転のチャンスはまだある。


「あ~あ。これで3連敗かしらね。…しあちゃんは?」

「俺が来た時からずっと弾いてる」

「そう。ドビュッシーね、すてき。

最近、いつ来てもピアノ弾いてるのよね。

あの子いい音でるようになったわ。

俺が思うに、あの水族館デートから変わった気がするのよね」

「しらねー」



テレビから目を離さず、上の空で答える、フリをした。

「叶に言ってもわかんないわよね。

…餃子だけど食べる?」

「食う」


ピアノが一度とぎれ、今度は少しテンポが緩やかな曲になる。

穏やかに始まり、広がりを見せたかと思うと、静かに収束していく。

そう言えば、ここ最近、しあの家に来るたびいつも必ず、一度はこの曲を耳にしている気がする。

そう、練習を終える前に、まるで儀式のように必ず弾く。


音楽音痴の叶にも、この曲はいい加減、耳が覚えてしまっている。


確か、『水の反映』。


そろそろこっちに来るか、と思ったら案の定。

ぺたぺたと素足で床を歩く音がして、ピアノ室からリビングへと通じるドアがふらりと開いた。

相変わらずぼさぼさの頭だ。



「お前な、毎回言うけど玄関の鍵くらい閉めろや」


「あ。…かぎ…、」


相変わらずはっきりしない口調。

一文字一文字、口からこぼれるたびに羽根をつけて飛んでいく。


ピアノを弾く、という行動は意外と体力を消耗するらしい。

いつも以上にへろへろと歩き、叶の向かいの指定席に体重を預けるようにしてソファに沈み込んだ。


「おなかすいた…」


山崎と知り合いになってからは、しあの衣類は著しく改善された。


もともと顔がいいので、少しいい格好をすればそれはそれは見栄えがいい。


今日しあが着ているアイボリー色のシャツも、ドレープのきれいなグリーンのスカートも、当然山崎のお見立てだ。

しあの華奢な体のラインが見え隠れする。


それに気をとられてしまった叶が居心地が悪くなってタバコをくわえたところで、最後の保護者がやってきた。

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