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…きた。
いつもそれは唐突に舞い降りてくる。
けれどそれは、しっかりと捕まえておかないと、すぐにまた実体をなくしてしまうような、うつろなもので…。
体中が指先に集中していく。
そして消えてしまいそうなそれを必死で追いかけ、形に…音に、しようとする。
頭の中の映像、イメージが指先に伝わり、音という形になって、また自身の耳を通して頭に戻ってくる。
その音がまた新たなイメージを生み出す…。
終わることの無いサイクル。
今まで味わったことも無いような快感。
今しあが弾いているのは、『金色の魚』。
ドビュッシーの曲だ。
かなりの高度なテクニックを必要とするが、しあは平然と弾く。
楽譜に忠実に、一音の狂いもなく。
完璧に。
しあは初見も強いし、学年一、下手をしたら学内でも5本の指にはいるかもしれないほどの、技巧を持っていた。
リストだろうがラフマニノフだろうが何だろうが、弾けと言われれば何だって弾いた。弾けた。
しあにはあまり好き嫌いがない。
けれど、わりとドビュッシーは好きだ。
ベートーヴェンのような力強さを必要とする曲はあまり向いていない、と言うのもあるが、
あのとらえどころがなくて、奇妙なのに心地よい和音。
光と影のコントラスト。
収縮しては拡散する見事なバランス。
一音として無駄のない、繊細な旋律。
そういったドビュッシーの要素が、しあの中の『何か』に見事にはまる。
ドビュッシーはかなりの変り者だったらしいから、変り者の血がしあを呼ぶのかもしれない。
以前は、形式がきっちりと決まった、バッハやハイドン、モーツァルトなどが弾きやすいと思っていた。
ドビュッシーやショパンなど、お前のピアノはまるで楽譜をスキャナで取り込んで演奏させた機械の音のようだ、と初めてのレッスンで樋口教授に言われた。
楽譜通りには弾けても、お前のピアノは感動もくそもない、ただの音の完璧なる羅列だ、と。
ほんの少し前まで、その意味が分からなかったのだ。
あの日から、まるでしあは新しいおもちゃを与えられた子どものように、毎日無心でピアノに向かっている。
自分の頭の中のイメージと、ピアノの音が完全に一致する瞬間。
あの瞬間の気持ちよさを、知ってしまったのだ。
そして今も、もうすぐそれがつかめそうな気がしている。
あと少し…。
「おい、勝手にあがるぞ」
繊細さとはかけ離れた、なんとも無粋な声。
玄関から聞こえるが、しあの耳には届かない。