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始まり


「レビ、酒をくれ」

 目の前で頬杖を付いて何やら思案している黒髪の男が、久方ぶりに言葉を発した。

 久方ぶりと言っても時間に直せば一時間程度。

 しかし、目の前の男は元来から黙っていることが苦痛なのか、人が近くにいればくだらない話題であっても躊躇なく話しかけているのだが、今日は違った。

 朝から言葉も少なく、こちらとしては苦労が少なく済むので助かっていたが、ある意味不気味な風景ではあったことも事実。

 そして、あろうことか真昼間から酒を所望する始末であった。

 原因は分かっているが、敢えて指摘はしない。

 それが、こちらに出来る唯一の抵抗であり、意地でもあって、そして捨て身でもあった。

「主、日のある内から飲酒は流石に見過ごせません」

 男の後ろで共に控えていた、全身に黒装束を纏った人物が主人である黒髪の男に注意をした。

 これも、極めて珍しい出来事である。

 普段は何事にも関心を示さず、その姿の通り主人の影として過ごしているので話しかけられるまで一切口を開くことはない。

 が、どうしても許容できない部分があるらしく、このように諌めることが過去に二度ほどはあったらしい。

「ビス、止めてくれるな。 ややこしいことを考えた頭をクリアにするには酒が必要なんだ」

「主、それは思考を投げるのと同義です」

 黒装束の人物、改めビスは尚も食い下がる。

「違うんだビス、俺は甲斐甲斐しく酒を注いでくれるレビの姿を見てすべてを決めるつもりなんだ」

「主、それは日が落ちてからにして下さい」

 以下、十数分もこのようなやり取りが続いたのち、男は昼寝をすることで決着した。

 男が完全に寝入ったことを確認したビスが楽しそうに笑った。

「うん、予想通りの展開だわ……」

 第一声と共に、ビスの目線が俺のつま先から顔までを辿る。

 そして、いささか顔を赤らめた。

「俺としては大いに迷惑です」

「そ、その出で立ちでその声で話されても、未だ慣れないわね」

 普段は口と目線ぐらいしか動かない彼女の顔が、困ったような照れたようなそんな表情を行ったり来たりしている。

 無表情以外の表情が出来ることに驚きを隠せない。

「声はこれが地声ですし昨日は受け入れてましたが……。 格好がおかしいのでしょう。 というより、ビスさんも似たようなもんじゃないですか……女なのに男の格好してますし」

「う、む……、そうだな。 しかし、私は影として仕えるに特化した格好をだな」

 納得するのに時間を要したのは何故かを問い詰めたくなったが、グッと我慢することにする。

 いや、そもそも問い詰める必要もない。

 自分自身でさえも同じ感想を抱いてしまっているのだから。

「……とりあえず、着替えていいですか?」

 昨夜から続く俺の申し出に、ビスは首を横に振った。

 予想通りではあるが、少し落胆してしまう。

「主も含めて我ら皆困ってはいるが、その主の『厳命』ゆえ誤魔化しや不正は私が許容できない」

 困っているのなら、口裏を合わせてしまえば良いものを……、とは思うがそれが出来ないビスはとにかく生真面目である。

 不正の発覚を恐れて及び腰になっているのではなく、心根が真っ直ぐなのだろう。

「そういえばヒエラさんが目覚めたら、酒を飲むのでは? 買いに行かなくていいのですか」

 飲みに行くという選択肢もあるはずだが、どうもヒエラは騒がしい場所が苦手らしい。

 自分が騒がしいのにこれ如何にと返すとビスに睨まれたことがある。

「では訓練がてら君が行って来てくれないか。 駄賃ならこれでいいかな」

 やはりと言うべきか、ヒエラに対する態度と俺に対する態度が少し違う。

 事情は聞いているが、苦労しているなぁと同情せざるを得ない。

「……分かりました」

 いくら態度が柔らかくとも、その提案だけは受け入れたくない。

 しかし、逆らえば首が飛ぶだろう。

 結果として、生き恥を晒さなければならないのである。

 実に不条理である。

「一応、見破られないように練習しようじゃないか」

「んん……、あーあー。 どうです?」 

 少し喉をほぐし、生まれてこの方使うことはなかった声を出すと、ビスは再び困ったような照れたような表情を見せた。

 恐らく、大丈夫だろうと判断した俺は部屋を出る前に備え付けの姿見に目を向けた。

 そこには、飾り気は少ないがところどころに可愛らしさをアピールするフリルがあしらわれたメイド服を着た自分の姿があり、思わずため息を吐きだした。

 何故、男である俺がこのような恥辱以外何者でもない格好をしているのか。

 それは今この部屋で寝息を立てている男の、不可解で個人的な理屈が全ての元凶であった。

 そして、同時に全ての始まりを想起することとなった。


 ― ― ―


 凡そ一週間前、廃墟。

 俺は、一言で言えば混乱の極致に立たされていた。

 突然視界が真っ白に染まり、聴覚も触覚も、すべての感覚が消えて底なしの穴に落ちていくような浮遊感だけを感じた瞬間にはすべての感覚が戻っていた。

 周囲を見回してみても、何処にいるのか把握出来ない。

 目の前の光景そのものは見えてはいるものの、写真同様に映っているだけなのである。

 明らかに動揺しているのが自覚出来る。

 次に、身体に異常はないかを確認するも傷一つ見当たらない。

 ということは、何かしらの精神的なショックを受けたのかと考えるも、それもなさそうに今のところは思える。

「さて、儀式は成功したようだね」

 声の聞こえた方に目を向けると、ボロボロになった黒いマントを纏った黒髪の男が石造りの玉座に腰掛け、その傍らにいる黒装束の男(だと思っていた)に話しかけている光景を目にした。

 それほど距離も離れていないのにも拘らず、気付けなかった自分を叱責しつつ相手を観察する。

 マントの男は心底楽しそうな笑顔なのに対し、黒装束の方は無表情、というより顔が目元まで布に覆われているので表情が読み取れない。

 少なくとも、目は笑っていないことはわかるが。

「主、おめでとうございます」

 黒装束の男が綺麗な姿勢で頭を下げると、マントの男は大層満足げに笑った。

 彼らは主従関係なのだろうかと推測された。

「で、君は今の状況を分かっていないよね?」

 急に視線と話を向けられ、思わず一瞬怯んでしまう。

「あ、えーと、そうだな」

 パッと見同い年ぐらいなので敬語かタメ口かを悩んだが、結局タメ口を選んだ。

「俺はヒエラ、んでこっちがビス」

 黒装束改め、ビスが軽く会釈をしたのでこちらも会釈を返す。

 ここまでビスの表情が一切変わっていないので、どのような感情を抱いているのかは窺い知ることは難しい。

「俺は――」

 自然な流れで自己紹介を行おうとしたところ、ヒエラに手で制される。

 まさか既に名前や出自を知っているのだろうか。

「名前や経歴は、こっちが用意しているものを使ってもらおう」

 懇願や提案ではない命令。

 何故、初対面の人間に名前などの人格面を否定されなくてはならないのか。

 憤りというよりは、戸惑いを含んだ目線を投げかけると、ヒエラが口を開いた。

「簡潔に言うと、君には生まれ変わってもらいたい。 だから、君の名前や経歴を聞く必要がないということになる」

「何とも身勝手だな」

 それではい、分かりましたと頷けるほど人生は投げていない。

「まぁ……運が悪かったと諦めてくれ」

 ヒエラはあくまでも譲る気はないようで、足は組み直しても表情は変わらない。

「だが、俺には一切のメリットがない」

「メリットがあれば言うことを聞いてもらえるのか?」

 向こうはお願いしている立場のはずなのに、容赦なく圧をかけてきやがる。

 そしてさらに冷静にヒエラやビスを観察してみれば、大凡普通とは言えないものを所持していることが分かった。

 刃渡りが優に15センチを超える剣だ。

 もしかすると木剣なのかもしれないが、希望的観測は危険であると自分に言い聞かせる。

「話ぐらいは聞くが、それが承諾とはならないぞ」

「そうだな、まぁメリットはない」

「は?」

 あまりにも悪びれずにそう言い切るため、思わず呆けた声を出してしまった。

「が、拒否権もない。 もし意地でも嫌だと言うならば、実力行使に出る」

 そして、ヒエラは腰元に差している黒い鞘に収まっている剣をちらつかせて脅迫。

 さてどうしたものか……。

「5秒待ってやるから、返事を寄越せ。 黙するは、拒否とみなして切り捨てる」

 ついにシビレを切らしたヒエラは柄に手を掛けてカウントを始めた。

「5……」

 返事は、もちろんノーだ。

 問題はこの場から如何にして逃亡または敵の無力化を図るかである。

「4……」

 敵は本当にあのゲームの装備のような剣一本しか装備していないのか?

 それとも、ビスが銃器を所持しているのか?

「3……」

 ここは廃墟のようで、左右には大小様々な石の塊が転がっているので最低限の遮蔽物にはなりそうだが……。

「2……」

 ヒエラだけに一発浴びせて遮蔽物に退避するのがベストな戦術か?

「1……」

 最早、迷っている暇はない。

 まずはこちらから動いて様子をみよう。

「ゼ――」

「動くな!」

 0のカウントとともに走り出そうとしたヒエラを制するために大声を挙げて自動拳銃を構えた。

 照準は、ヒエラの眉間に合わせている。

 ヒエラは走り出そうとした体勢のまま、ビスは頭を下げた直後から一切の挙動もない。

「こちらの質問に答えれば、撃つことはない。 いいな?」

 そう言ったはずなのだが、俺が一瞬だけビスの様子を窺った瞬間、ヒエラの姿が視界から消えた。

 反射的に遮蔽物に転がり込み、攻撃に備える。

 瞬間、俺の立っていた石畳の地面に一筋の深いキズが刻み込まれた。

「なっ……」

 そして、呆気にとられている内に拳銃を蹴り飛ばされ、首に鋭く光を反射させている刃を突きつけられた。

 万事休す、絶体絶命である。

「最後のチャンスだ。 俺の言うことを聞け」

 今度は、完全に相手に主導権を握られている。

 つまり、拒否は死を意味している。

「……どう名乗ればいい?」

「うむ、話が分かる奴で良かった。 ビス、今日からこいつはお前の後輩だ、指導してやれ」

 ヒエラに手を貸してもらい、立ち上がると早速紙を渡された。

 何かが書かれているが、見たことのない言語のため判読できない。

 ひっくり返してみても、やはり読めない。

 その様子に気付いたヒエラが口で説明してくれた。

「名前はレビ。 経歴は貧しい家で生まれ、口減らしのために捨てられて施設に入る。が、戦火で施設すら追われ、この廃墟に逃げ込んだってことで」

 どんなキャラ付なんだ、と心の中で突っ込みつつも反論はしない。

「これは、故郷も頼れる人もいないっていう人間をテーマに考えてみたんだ」

 得意げに腕を組むヒエラ。

 相変わらずビスはリアクション、アクション共になし。

「あー、とてもいい設定じゃないかな、うん」

 心の籠っていない賞賛を送ると、ヒエラはそれを真に受けたようでますます得意げになる。

 おだてるとすぐに調子に乗る、単純な奴なのかもしれん。

 などと考えていると、ビスが不意に俺に近づき

「……主を出し抜けても、私は出し抜けんぞ?」

 考えが顔に出ていたのだろうか。

 いずれにせよ、油断出来ない人だということは確信できた。

「さて、早速俺の従者となってもらおうか、レビ」

「……あぁ」

 返事が躊躇いがちになったのは、最後の意地だった。

「では、跪け」

 言われた通りに跪くと、頭の上に手を乗せられた。

 何が始まるのかと待っていると、ヒエラが何かを呟いているのが分かった。

 恐らく呪文や、呪いの類だろう。

「さて、もういいだろう。 立て」

 膝の埃を払い、着衣を整えたところで俺は質問を始めることにした。

 先ほどから流されるままに事が進められているのだから、疑問を持ち、それを解決したいというこの気持ちは自然なものであると言える。

「ニ、三個質問いいかな?」

「いいかな、ではないだろ? もう俺とレビは主従関係なんだからさ、ね?」

 この主従ごっこはいつまで続くのやら。

 しかしここで反逆してもいいことは一つもないだろう。

 そう判断し、相手の望む態度をとることにした。

「すいませんが、質問をしてもよろしいでしょうか」

「うむ、許す」

 様になっていない偉そぶった態度でヒエラは鷹揚に頷いた。

「ここは、どこでしょうか」

 国内か、海外か。

 それだけでも掴んでおきたいという思いからこの質問を選んだ。

「リ・スブール地方のセヴァ村だ。 少し前に戦いがあって廃村になっているけどね」

 横文字、ということは外国か。

 そして戦いという言葉が内戦を示しているのなら中東やアフリカの辺りという線が濃厚か。

「今は、何年何月何日ですか」

 次の質問は、ここに来る以前の記憶が混濁としており、長い間目を覚ましていなかったことが原因なのかと考えたことで選んだ。

「えーと、終武十二年の今は風の月の四十日かな」

 ふざけているのか、とも思ったが目が嘘を言っていない。

 相当に訓練されていると踏むべきか。

「分かりました。 ありがとうございます」

 結局、参考になったのは現在地ぐらいか。

 しかしこれも嘘だという可能性も否定しきれない。

 どちらにせよ、この二人組の監視の目を掻い潜って廃墟を脱し、外部との連絡を取らねばならない。

 しかし、それが自分の身を守るためでもあり、別の意味もある気がしてならない。

 思い出せないが、何かを忘れている……。

 晴れない気分で思案する俺とは裏腹に、脱出の機会はすぐに訪れた。

「んじゃ、行くか」

 意外なことに、ヒエラが外に行こうと俺に背を向け、一拍遅れてビスもそれにならったのだ。

 二人同時にこちらから注意を離す迂闊さは演出で、罠なのかと勘繰りたくもなったが、身体が先に

反応していた。

 蹴り飛ばされた拳銃を回収し、廃墟の横穴からの脱出を目指す。

 姿勢を低くして確実に拳銃を回収し、横穴に向かって一直線に飛び込んだ。

 妨害はなかった。

 しかし、ここからが本番だ。

 追撃してくる敵を撒かなくてはならない。

 廃墟の外は大火災の跡のような様相を呈しており、家屋の残骸などが残っている。

 そんな中、左手方向にはおあつらえ向きの森があった。

 森ならば、身を隠せる場所も多いだろうと判断して再び駆け出そうとしたところ、森から何かが出てきた。

 野生動物かと思えば、巨大な人型の化物だった。

 当然、見たこともなければ聞いたこともない。

 二メートルを超える巨躯に薄緑の皮膚、あからさまに獰猛な顔には一本の角。

 発達した両腕の太さは目測でも丸太程に太いのが分かった。

 そして、それが三体ほど同時に現れ、こちらをジット見ている。

 今のところ襲ってくる気配はなく、警戒しているといった様子。

 しかし、下手に動けばたちまち襲いかかられる気がしてならない。

「おいこらレビ、なに逃げてんだ」

 足止めを食らっている間に、当然であるがヒエラたちが追いついて来てしまった。

「! 主、巨人系です」

 ビスが三体の化物を見るなり、ヒエラに注意を促した。

 ヒエラは不敵な笑みを浮かべると、黒い鞘から長剣を抜いた。

「ビス、レビの護衛よろしく」

 それだけ言うと、ヒエラの姿が消えた。

 否、消えたように見えていたそのヒエラは姿勢を低く飛び出し、電光石火の如く化物の一体の懐に飛び込んでいたのだ。

 目の前からヒエラが消えた錯覚に陥った化物は自らに迫った生命の危機に気付けなかった。

 そして、素早く、同時に鋭く剣に胴体を横薙ぎにされた化物は青色の体液を吹き出して後方にゆっくりと倒れる。

 仲間の異変に気付いた化物であったが、まだヒエラの姿を追えていないのか、出鱈目に腕を振った。

 しかし対処法を知っているのか、ヒエラは真後ろから到底人間には出来ない跳躍を披露して化物の頭頂部に着地、そのまま剣を頭頂部のど真ん中に突き立てた。

 初めて止まった敵の姿を見つけた最後の化物は片手を伸ばして捕縛しようとするが、簡単に躱される。

 着地した瞬間に足を狙って回り込むヒエラであったが、化物のもう片方の腕が唸りを上げて彼に迫る。

 その瞬間、ヒエラは確かに笑った。

 それはハンターが仕掛けた罠に獲物が掛かった時に見せるそれだった。

 紙一重で腕を躱すと、そのまま迷いなく首元へと跳躍、そして喉笛を薙いだ。

「よし、片付いたな」

 剣に付着した化物の体液を振り払うと、何事もなかったかのようにこちらに歩いて戻ってきた。

 アクション映画でも見たことのない動きに放心していると、ヒエラは俺の肩に腕を置いた。

「逃げたから、街に戻ってから罰を与えるとしよう。 ビス、レビから目を離すなよ」

 ビスは無言で頷き、俺の後ろ手を縛った。

 俺はそれに抵抗するどころか、呆然としていた。

 コイツは普通ではない。

 その思考だけが今の俺の脳内を支配していたのだ。

 次になにか反逆行為を行えば、自分が切り刻まれるのだと思うと冷や汗が滲んだ。


 ― ― ―


 歩くこと二日、最寄りの街に到着した。

 ここまで未だに車やバイクは愚か、自転車すら見ていない。

 どこまで未開の地なのだろうか。

 少なくとも、国内である可能性は希薄である。

「……警察に見つからないようにしなくていいのか?」

 いくら何でも、警察組織がない街などあるはずがない。

 俺が街中で大声を挙げれば、嫌でも騒ぎになり、騒ぎに気付いた警官が飛んでくるはずである。

 そうなればこの二人は御用となり、俺は本国に送還されるだろう。

 しかし、二人は街に近づいても一切隠蔽などの工作を行う素振りも見せない。

 そして、そのまま街に入ったため、最終警告代わりにそう告げた。

 ヒエラは、小首を傾げたままビスに視線を送った。

「レビ、君は何を言っているんだ?」

「は?」

 確かに周りには一般人しか見えず、警官の詰所らしい場所も見当たらない。

 しかし騒ぎになればそうも言っていられないはずだ。

「ビス、もしかしてなんだが……」

「はい、主。 その通りのようです」

 二人はなにか思い当たる節があるのか、同時にため息を漏らした。

「まぁいいか。 レビ、今君はどこにいる?」

 何処にいるのか。

 先ほどちらりと見えた看板にはヴェイロンと書かれていたのを思い出す。

「ヴェイロンだ」

「うーん、なに大陸?」

 南極ではないことは確かである。

 兼ねてからの予想に従うなら、ユーラシアかアフリカであるが、果たしてどちらか。

「そうだな……ユーラシアか」

 答えるなり、二人は何やら確信めいたアイコンタクトをとった。

「レビ、何も言わずに聞いてくれ」

「分かった」


「君は、俺たちに召喚されたんだ」


「は?」

 やけにずっしりと、はっきりと俺の心に動揺を与えたその言葉は普段なら一笑に付すことも容易かったが、そうはいかなかった。

 まだ確信まで至った訳ではないが、地球では凡そ見ることのなかった化物、人間離れした運動能力を持つ男。

 この二点だけで俺の中の常識が臨界点に達していた。

「従順な従者が欲しいと思ってね。 てっきり知ってるものかと思ってたよ」

 つまり、この男は新しい従者欲しさに違う世界で過ごしていた俺を出前感覚で喚びだしたとでも言うのか?

「……」

 絶句する俺を尻目にヒエラはビスに何か用事を言いつけたのか、ビスはどこかへと向かって行った。

「さて、喚び出された訳だしさ、諦めて俺の従者になってよ。 あ、ちなみにこの召喚は合法なんで」

 そこはかとなくイラッとするフレーズではあったが、今はこの言葉に従うほかの選択肢がないように思われた。

 土地勘も人脈もない場所で暮らすのは難しい。

 黙って付き従うだけで暮らせるのなら、それが最善なのかもしれない。

「なら、しばらくは大人しく従おう」

 正直、まだ頭の中が整理しきれていない。

 それに、ヒエラから逃げるには相応の準備が必要と思われる。

 まずはじっくり相手を観察して情報を集めなければならない。

 これは古今東西、戦いであれば勝つには必要なプロセスであり、情報を軽んじるとどうなるかは歴史が証明している。

「よし、そうと決まれば今日は宴だな。 宿屋に行くぞ」

 気分を良くしたのか、満足げに頷いたヒエラは腕白小僧のように駆け出した。

 見ている方が恥ずかしいのだが、従者の俺が他人の振りはマズイだろう。

 俺は少し距離を置いて、ヒエラを追った。

 そして、その直後に俺はこのときの判断を悔いることとなった。

 それはほどほどに酒を飲み交わしていたところで、ヒエラが発した一言からだった。

「ビス、例のものは準備出来たのか?」

 ビスは待ってましたと言わんばかりに何かを取り出した。

 それは衣装袋のようだった。

「ふむ。 時にレビ、君は一度俺らから逃げ出したよね?」

 恐らく、廃墟での一件のことであろうことはすぐに思い当たった。

「確かに、否定は出来ない」

「で、あの時に罰を与えると言ったと思う」

 放心気味だったので、すぐには思い出せなかったが、そんなことを言われた気がしないでもなかった。

「うむ」

「で、内容をビスと慎重な議論を重ねて決定した。 ビス」

「はっ」

 ヒエラの合図と共に取り払われる衣装袋。

 果たして、その中身はいわゆるメイド服と言われる代物であった。

 嫌な予感。

「そいつを、どうしろと?」

 分かってはいるが、聞かずには居られなかった。

「着てもらう」

 なにかしらオブラートに包んで言うのかと思っていたが、そんなことはなかった。

 やはり、そうなるのか。

「分かった。 この場は恥を捨てて心からメイド然としてやろう」

 一時の恥ならば、勢いで誤魔化すことも可能だ。

 そして、こういうのは引き延ばせば引き延ばすほどに不利な条件が追加されていく傾向が強い。

 ビスからメイド服を受け取り、粛々と着替える俺に向かってヒエラがとんでもないことを言い出した。

「あ、それ今だけじゃなくて、明日からもその格好でいてもらうから。 これ厳命」

 途端に、思考が止まった。

 いや、着替えの手も同時に止まった。

 コイツはあれか?ただ酔っ払っているのか?

 酔っぱらいの戯言なら、全く以て聞き入れる気はない。

 と、言いたいが曲者なのはビスだ。

 ヒエラに忠実に仕えるこの黒装束がこのふざけた命令の証人になってしまっている。

 翌日になって俺がとぼけても、ビスがヒエラに言えば意味がない。

 つまり詰み、というやつだ。

「ほーら手が止まってるぞー」

 いよいよ酒が回って楽しくなってきたのか、俺を煽り始める始末。

 ビスはこちらに無言の圧力をかけてくる。

 因みにビスは目のあたりまで覆っていた布を取り、一緒に酒を飲んでいるため素顔を晒している。

 顔中傷だらけの厳つい顔を予想していたのに反して、中性的な綺麗な顔立ちをしていることに心の中で驚いた。

 それはともかく、その鋭い目線に押されて着替えを再開。

 が、すぐに大きな問題にぶち当たる。

「あの、ビス……さん?」

「ん?」

「これは一体……」

 俺は恐る恐る、"それ"をビスに示した。

 すると恐ろしいことにビスは頷いて見せやがった。

「マジかよ……」

「うぉ、さすがはビスだな! 女物の下着まで用意してるとはな!」

「言うんじゃねぇ!」

 まさかの事態に素で怒声をあげてしまった。

 いや、今冷静になっても事態は一切好転しない。

 ここで男の尊厳を捨てるか否かの決断を迫られるとは。

「いいか、レビ。 呼び出したときも言ったが、君はもう生まれ変わったんだ。 だから、こう考えるんだ。 女になっちゃってもいいやとさ」

 全く心には響かないが、これを着用しないことには進まなさそうな雰囲気。

 とてもではないがごまかすことは出来ない。

「レビ、諦めなさい。 私も似たようなもんだから」

 ん?今言葉を発したのは……?

「ビス、さんて思ったより女っぽい話し方なんですね」

 思ったままのことを口にしたところ、ビスは意外そうな表情を見せた。

「と、言うより女なんだが」

「へ」

 証拠としてさらしに締め付けられた胸部を見せてもらい、事実確認。

 確かに、膨らんでいる。

「あまり、見ないで欲しいんだが……」

 しかも恥じらって顔を赤らめていらっしゃる。

 普段、ヒエラの傍でひたすら黙って控えている人と同一人物とは思えない。

「で、男装?してるのはよく分かったのですが、下着も男物ですか?」

 すると、即座に目を逸らされた。

 そこまでは捨てきれなかったのだろうか。

「こらー、ビスを困らせてないで着替えろ」

 ヒエラの煽りは止まない。

 そして、ビスも何か期待するかのようにこちらを見据えている。

 それでも尚、手が動かない俺に業を煮やしたヒエラが得物の長剣を取り出し、

「着替えぬのなら、そのスカートをミニにしてやろう……」

「わぁぁ、分かったから仕舞え!」

 酔った勢いで剣を振れば、俺まで巻き込まれない可能性がないわけでもない。

 逆に、メイド服を切り刻んでもらえるのかもしれない、という可能性を考えなかった訳でもないが。

「……勢いで、誤魔化す!」

 意を決した俺は涙目になりながら着替えた。

 実はブラもあったことに気付いて心を折られたが、無理やり奮い立たせて着用した。

 そして、つけ毛を付けてブーツを履けばそこには女装メイドが一人。

「死にたい……いや、この格好のままは嫌だけど……」

 余程見苦しいのだろう、ヒエラもビスも俺から目を背けている。

 まさに恥辱の極み。

 いたたまれなくなり、この場から走り去りたい衝動に駆られるが、この姿を衆人環視に晒すのはもっと嫌だ。

「せ、せめて感想ぐらい言って欲しい……」

 無言の雰囲気に耐え切れず、感想なんぞを求めてしまった。

「そ、その……とても似合ってるよ、うん……」

 ビスは数秒に一度の頻度でこちらをチラ見し、口元を布で覆った。

 感想を言う時も目を見てはくれなかった。

 それはともかく、問題は発案者のヒエラであるが、一度着替え後の姿を見てから一切こちらに目を向けない。

「寝る」

「え?」

 沈黙を守っていたヒエラがようやく口を開いたかと思うとぶっきらぼうにそう言い放ち、シングルベッドに飛び込み、そのまま就寝した。

「主、照れてましたね。 確実に」

 寝息が聞こえ始めたのを確認してビスが再び酒を自分の杯に注ぎ始めた。

「はぁ……。 それより、脱いでいいですか?」

「ダメ。 主が『厳命』だって言ってたもの」

「それが何だって言うんですか……」

 ここでビスさんを丸め込まなければ、本当に明日からもこの格好で過ごさなければならなくなる。

 それだけは、避けねばならない。

「主は、自分でルールを作っているの」

「ルール?」

「そう。 人間誰しも、自分の言ったことを曲げたり取り消したくなることってあるでしょ? でも、主は『厳命』だと言ったことは絶対に曲げないって誓いをたてているの。 それは私たち従者にもだし、自分自身にも同じ条件なの」

 それは、何とも身勝手であるが、今に始まったことではなかった。

 勝手に人を異世界に喚んでおいて諦めてくれなど、図々し過ぎていっそ呆れてしまったぐらいだ。

「つまり……」

「本当は恥かかせて反省させるつもりが、思ったより似合いすぎてて扱いに困ってるの。 でも、『厳命』である以上は撤回できない。 で、どうしようもなくなって寝たの」

 分かりやすい解説どうも。

 しかしそれでは全く解決しないような……。

「とりあえず、朝になってからが見ものね」

「?」

 言葉の意図が見えずに小首を傾げると、ビスは悪戯っぽく微笑んだ。

「改めて美少女化したレビを見て、『厳命』を曲げるのかどうか苦悶するところ。 もちろんレビのメイド服姿もね」

 ダメだこの人、完全に傍観者気取りだ。

「……とりあえず寝ます」

 決して酒の飲み過ぎだけではない頭痛を感じ、安物のソファに寝転ぶ。

 すると驚くほど早く睡魔が訪れ、意識を刈り取っていった。

 そして、冒頭へと話は続くのであった。


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