脱出
「う、うう……」
呻き声に近付いたところで、ケインとマリスは立ち止まった。
どうやら、目の前の、岩の下から聞こえてきている。
「……う、う……うりゃーっ! 」
(うりゃー……? )
二人はまたしても、顔を見合わせる。
ヒトほどもある大きな岩は、ずごごごと動いた。けほけほ咳き込みながら、岩を
どかせたひとりの男が立ち上がる。
男は三〇代後半ほどの、一見、普通の青年であるが、誇りだらけの黒マントを着て
いることから、どうやら魔道士らしいことがわかる。
まだ見習いなのか、普通の魔道士がまとっている冷酷な雰囲気もなく、どちらかと
いうと、人の良さそうな感じさえ与える。
「今日は、なんて魔道士と縁があるのかしら」
マリスが、うんざりしたように呟いた。
「大丈夫ですかー? 」
ケインが声をかける。
「ああ、私の他にも、人がいらしたんですか。ご親切に、どうも! 私は大丈夫で
す! 」
男は、にっこり笑って答えるが、
「ややっ!? 貴様は……ケイン・ランドール! 」
「えっ? 誰だ? 」
ケインは怪訝そうな顔をしているだけだ。
「なんだ、また忘れているのか」
魔道士は、がっかりした表情になったが、すぐに思い直し、身振り手振りで話し
出した。
「ほら、私だ。二年前にローダンの山で会い、ついこの間、砂漠でも会っただろう?
蒼い大魔道士様の弟子の……」
「……ああっ! 」
ポンと、ケインが手を叩く。
「あの新米魔道士の……! 」
「そうだ! 思い出してくれたか!? 我が名は……まだ大魔道士様からは許されては
おらぬが、『名なしのプー』だ! 」
誰だかさっぱりわからなかったマリスは、ケインに耳打ちした。
「『名なしのプー』だなんて、随分変な名前ね」
「あのー、きみが付けたんだけど? ほら、砂漠でゴーレムと戦った時の……」
「……ああ! あの時の魔道士? 」
マリスの記憶も繋がった。
「ところで、お前、こんなところで、今度は何をやってるんだ? 」
ケインの問いかけに、プーは、よくぞ聞いてくれたという顔になった。
「貴様が砂漠にいたことを、大魔道士様にご報告した後、ゴーレム造りから解放され
た私は、筋力を鍛えるよう命じられ、この洞窟へ、案内されたのだ」
「魔道士なのに、筋力トレーニング……? 」
ケインが呟いた。
「……ねえ、確か、前に会った時は左遷っぽかったけど、今度のは……破門なんじゃ
ないのかしら? 」
「……だよな? 」
マリスとケインがこそこそと話すのには気付かない魔道士は、勝手に喋り続けて
いた。
「洞窟内の岩を、一日数回持ち上げるだけでよかったので、ついでに横穴を掘り続け、
迷路を作ってみたのだ。光苔のない道がそうだ」
「……てことは、……この数ある横穴は、お前の仕業……? 」
「そうなのだ! 」
プーは、誇らし気に威張ってみせた。
「先ほど大きな地震が起こり、岩が落ちて来た時も、急いで穴を掘り、逃げ込めた。
穴を掘る修行が、こんなところで活かされるとは! これは、大魔道士様が『備え
あれば憂いなし』を、私に教えるために、一見関係ないと見える修行を命じて下さっ
たに違いない! しかも、貴様がここへ現れることすら予想なさっておられたようだ。
やはり、大魔道士様は、すごいお方なのだ! 」
プーは、瞳をきらきらと輝かせ、宙を見上げていた。
ケインとマリスは、黙って、それを眺めていた。
(おいおい、お前の本来の修行は、筋力トレーニングであって、穴掘りは、あくまで
も、退屈しのぎ)
ゴーレム造りといい、今回といい、またしても、彼は、ちゃんと言いつけ通りに
出来ていないのだった。
「それにしても、ケイン・ランドール、関係ないが、この間の砂漠といい、今といい、
貴様は、いつも女連れだな。デートか? こいつぅ、うらやましいぞ! 」
にやにや笑うプーの言うことに、ボッと頬を赤らめたケインだが、それが知られる
ほど辺りは明るくない。
プーの師である蒼い大魔道士ビシャム・アジズとは、獣神の召喚魔法を編み出した
大魔道士ゴールダヌスとも敵対し、マリスやベアトリクス王子セルフィスの高い魔力
にまで目を付けているという。
しかし、プーは、そのことを知らされてもおらず、マリスの顔も覚えていないよう
である。
「ねえ、彼って、ホントに敵なの? 」
マリスがささやくと、ケインも曖昧に頷いてみせた。
「砂漠では、赤い服を着た『ナゾの踊り子』を連れていたと思えば、今度は清楚な
巫女さんを連れている。次から次へと恋人を取り替えるなど、まったく、剣士という
ものは、気楽で良いな」
肩を竦めて苦笑いするプーに、「俺よりお気楽なお前には、言われたくないけど」
と、ケインが呟いた。
「この子は、『ただのナゾの巫女』だ。かかってくるなら、俺だけにしろ。彼女には、
手を出すんじゃないぞ」
呆れた声で言うケインの言葉を聞くや否や、プーは、さっとマリスを捕らえ、また
もとの位置に戻った。
「はっはっはっ! どーだ! 恋人を人質に取られれば、これで貴様は、手も足も
出まい! 」
彼は、完全に勝ち誇っていた。
「はあ……。お前って、やっぱ敵だったんだな」
ケインが溜め息をつき、マリスも頷いた。
「……で? 」
ケインの短い問いに、しーんと、その場の空気が静まった。
「お前は、マスター・ソードの件からは、とっくに手を引いているんだろ? 彼女を
人質に取って、俺をどうする気なんだ? 」
「決まっておろう! この洞窟の出口に、案内してもらうのだ! 」
ケインもマリスも、足を滑らせた。
「ちょっと待て。この洞窟の迷路は、お前が造ったんじゃなかったのか? 」
「いかにもそうだが、造っているうちに、自分でもわけがわからなくなってしまった
のだ」
けろっと、彼は答えていた。
「お前たち、入ってきたということは、外への道がわかるのだろう? だったら、
おとなしく、私を案内しろ。そうすれば、命くらいは助けてやってもいいぞ」
ケインのこめかみが、引き攣る。
「マリス、やってよし」
「えっ? いいの? 」
「構わん」
どかっ!
「うわああっ! 」
プーが後ろに吹っ飛んだ。彼女のエルボーを、直に腹に受けて。
「そっ、その女は、『ただのナゾの巫女』ではなかったのか!? 」
よろよろと起き上がりながら、プーは動揺した。
「生憎、あたしは、格闘が専門でね」
「なんだ、そうだったのかあ! またしても、貴様らに、してやられたわあ! 」
プーは頭を抱え込み、喚いた。
「ついでに、もっと残念なことを言っておくが、俺たちは、空間移動で時空を越えて、
この場所まで連れて来てもらったクチなんだ。だから、この洞窟本来の出口は、
わからないんだ」
ケインの声に、プーは、ピタッと、止まった。
「なっ、なんだと? それは、本当なのかっ! ケイン・ランドール! 」
「ああ、本当だ」
一瞬の間が出来ると、
「わあああ! もう終わりだあ! 」
プーが再び喚く。
「いや、まだ可能性はある」
ケインは屈むと、しゃがみ込んでわあわあ喚くプーに向かい、笑ってみせた。
「プー、お前、空間移動が出来たよな? それで、地上へ出られるじゃないか」
「そうよ、確かにそうだわ! 」と、マリス。
ゴーレムもろくに造れない劣等魔道士が、なぜ空間移動という高等技術が使える
のか、というのが、ケインもマリスも、プーの不思議なところだと思っていたが、
だからこそ、蒼い大魔道士も、彼のことを、完全には見捨てられないのかも知れない
と思い返した。
「まったく、素人は、何もわかっちゃいないんだから。私だって、そう
したくとも出来ない理由があったのだ。ここへ来た時は、上級の魔道士様が連れて
きて下さったから良かったものの、私程度の魔道士が、空間を渡ろうとすると、必ず
大量のモンスターどもが襲いかかってきたのだ。さらに、ここの洞窟の次元の狭間に
は、巨大クロウラーが、大勢のモンスターと共に、棲息しているのだぞ! 」
「そのクロウラーなら、俺たちが倒した。だから、もう空間を移動しても、大丈夫な
はずだぜ」
プーは、目をパチクリさせ、次第に笑顔になっていった。
「ケイン・ランドール! 貴様は、やはり、そこまで強かったのだな! あの恐ろ
しいクロウラーを倒すことが出来たとは! さすがに、マスター・ソードの使者だけ
ある! 」
敵であるはずの彼は、ケインの実力と剣を絶賛していた。
「わかったんだったら、俺たちも一緒に運んでくれるか? 俺たちがクロウラーを
倒したから、お前だって空間を渡れるようになったんだぜ」
ケインの提案には、プーは笑って答えた。
「はーっはっは! 私は、お前のような正義の味方とは違うのだー! 誰が、やす
やすと貴様らを地上になど、連れていってやるものかー! 貴様らなど、永遠に、
この洞窟で彷徨うがいい! 」
言い終わると、プーは、ケインたちに背を向け、両手を広げた。
(今だっ! )
ケインとマリスは目配せし合うと、プーのマントの端を掴む。
途端に、目の前の景色は、時空を渡る時特有の、混ざり合った景色へと、移り変わ
っていったのだった。
ふわふわと浮いたような感覚から、一瞬で、地に足がつく。
そこは、洞窟の外であった。
「はー、シャバの空気は良いなー」
プーは、深々と深呼吸した。
マントに掴まり、同時にここへ辿り着いた二人には、気が付いていない。
そして、プーの見ている方向には、カイル、クレア、ジュニアの姿があったのだっ
た。
「おお! あんなところに、ヒトが! 一般庶民を見かけたのは、実に久しぶりの
ことだ! 」
プーは感慨深気に、独り言ちた。
「あっ! ケイン! マリス! 」
カイルが逸早く気付き、駆け出す。
座っていたクレア、ジュニアも、喜び勇んで続く。
「なに? ケインだと……? 」
プーが振り向くや否や、
「サンキュー、プー、助かったぜー! 」
ケインが後ろから、彼を飛び越えがてら、ウィンクした。
マリスもプーを踏ん付けて、ケインに続く。
「なっ、なっ、なぜだ!? 貴様、なぜ、どうやって、ここへ……!? 」
混乱しているプーをよそに、彼らは抱き合って飛び跳ねた。
ただし、ジュニアだけは、例の如く、白のパワーに弾かれていた。
〜 エピローグ 〜
ヴァルドリューズが現れたのは、プーが去って間もなくであった。
「おのれ、よくもハカッたな、ケイン・ランドール! 覚えていろ、次は、こうは
いかないからな! 」
次があるのか、ケインからすれば疑わしかったのだが、そのような捨て台詞を吐い
て、彼は飛んでいったのだった。
「こんなに早くヴァルが戻ってきてくれるんだったら、プーがいなくても、あたし
たちは、洞窟から脱出出来たってことよね。だから、あいつには、特に感謝する必要
もないわね」
「ああ、まったくだな」
マリスが意地悪く笑い、ケインと顔を見合わせた。
「ヴァル、あなたも無事で良かったわ」
「ミュミュはどうしたんだ? 」
マリスとケインに尋ねられたヴァルドリューズの表情は、普段と変わらなかったが、
「まだダグトに捕まったままだ」
「えっ! 」
仲間たちの間には、緊迫した空気が流れた。
「奴には、途中で撒かれてしまった。お前たちのことも気になってはいたので、
とりあえずここに戻った」
一同、静まり返った。
彼でも撒かれてしまうのであれば、相手の実力を軽んじられないと、誰もがショッ
クを受けていた。
その空気を察したマリスが、明るく言った。
「だからといって、あの男がヴァルより勝っているとは言い切れないのよ。
魔道士というものは、それぞれ得意分野があるもので。あのダグトって男は、召喚
魔法も器用にこなしてきたと言っていたけど、きっと逃げ足も早かったに違いないわ。
ヴァルが追いつけなかったからと言って、その実力まで、ダグトが彼を上回っている
とは言えないわ」
マリスに続いて、ヴァルドリューズが続けた。
「だが、彼のことで、少し気になることがある」
マリスも、皆も、彼に注目した。
「何か特殊な能力のようなものを、手に入れたような振る舞いだった。
私が追いつけなかったのも、そのためのような気がする……」
ケインも大いに頷いた。
「俺も不思議に思ってたんだ。ミュミュには、魔道士の結界は関係ない。あの蒼い
大魔道士の結界ですら、行き来は自由だったんだ。それなのに、ダグトの結界からは
出られなかった。あいつは、ただの魔道ではない何かを、……使ってるのかも知れな
い」
ヴァルドリューズは顔を上げ、遠くを見た。
「奴の行き場はわかっている。おそらく、魔道士の塔本部だろう」
一同、緊張した顔を見合わせた。
「そんなところに、ミュミュも一緒に……? 」
ケインが、いつになく心配な顔になる。
ヴァルドリューズは無言で視線を戻す。少しだけ遣る瀬ない思いが、その碧い瞳に
浮かぶ。
「殴り込みなら、手伝うわよ」
マリスは微笑み、指を組み、ぼきぼき鳴らした。が、ヴァルドリューズは首を横に
振った。
「これは、私の過去の因縁が引き起こしたものだ。それに、ミュミュを巻き込んで
しまった。ダグトの言っていたように、過去に決着をつけねばならぬ時が来たようだ」
彼は、僅かに、なんとも言えない瞳を、ケインに向けてから、マリスを見下ろした。
マリスも、その碧眼を、見つめ返す。
「わかってるわ、ヴァル。あたしなら大丈夫。みんながいるし、例え、ヤミ魔道士と
接触したって、奴等に天敵の、伝説の剣保持者が二人もいるんですもの」
マリスはにっこり微笑んで、ケインとカイルにウィンクしてみせた。
「ええっ、俺も? 」
思わず、嫌そうな声を、カイルが上げた。
「ね? 伝説の剣を持った頼りになるお二人の男性に、治療魔法、防御結界のできる
元巫女さんもいることだし、あなたは、安心して、思う存分、あいつを叩きのめしに
行っていいのよ」
マリスは明るく言い、ヴァルドリューズにもウィンクした。
「……すまぬ、マリス。本来ならば、ゴールダヌス殿のご命令通り、お前を護らねば
ならぬ身なのだが……」
言葉に詰まってしまったヴァルドリューズを、マリスは見つめた。
傍からは、彼の感情は読み取りにくいが、一年以上も同行している彼女には、
それとなく感じ取れた。
初めのうちは、大魔道士ゴールダヌスの言いつけで彼女を護っていただけに過ぎな
かったのが、徐々に、単に義理だけで護っているというわけでもなくなってきたこと
が、彼女にはわかっていた。
冷血漢という印象の強かった彼にも、普通の人間らしい感情が表れるようになって
きたのは、この一行が結成されてから、さらに増したと、彼女は思う。
「わかってるわ、ヴァル。ミュミュを助けたいんでしょ? 行ってらっしゃい、魔道
士の塔に」
彼は僅かに瞳を和ませて彼女を見てから、言う。
「それだけではない。私が思うに……ミュミュは、魔物の言葉がわかるだけではなく、
特にケインにとっても、重要な存在なのだ」
「ケインに……? 」
皆には意外に思えた彼のセリフで、一斉にケインに注目が集まる。ケインは、彼に
頷いてみせた。
「ひとつ目のマスター・ソードの魔石、あれは、ミュミュが発見したのだ」
「ミュミュが!? 」
ヴァルドリューズの言葉に、ケイン以外は再び驚かされる。
「魔石は、我々魔道士にも見つけることが困難だ。多大な魔力を封じ込められては
いても、魔石の周りに、それを外部に漏らさぬよう結界のようなものが張られている
のだろう。
だが、魔石そのものの物質が放つ独自の波動を、ごくたまに、妖精やその他の自然
界の生き物たちは、見分けがつくらしい。ミュミュの説明では、おおよそそのような
ことだった。だから、ケインの魔石を探すのも、ミュミュの能力が必要なの
だ」
「へー、あいつ、知らないところで、意外と役に立ってたんだなー。てっきり、
好奇心旺盛な、食い意地の張った妖精くらいにしか思わなかったけどなー」
カイルが、ちょっとだけ感心した。
「だったら、ヴァル、早くミュミュを助けに行ってやれよ。今頃あいつ、きっと
怖がって泣いてるぜ。マリスのことなら、心配すんな。ケインが、しっかり護って
くれるってさ。ついでに俺のことも」
カイルが、ヘラヘラとケインの肩を叩く。
「なんで、俺が、お前まで? 」
「まあ、細かいことは気にすんな。とにかく、ヴァルに安心してもらわなくちゃ
ならねえんだからさ」
傭兵二人の気楽なやり取りとは正反対に、クレアは両手を組み合わせ、不安な面持
ちで、彼女の師匠を見つめていた。
ヴァルドリューズが再びマリスを見る。
マリスは、わかってると言わんばかりに微笑む。
「ミュミュがいなければ、ジュニアの調べた次元の『通路』の場所すらわからないし、
さっきのクロウラーみたいな強敵は、あたしだけではムリ。だから、あなたが戻って
きてくれるまでは、あたしも無茶はしないわ。その代わり、なるべく早く決着つけて
戻って来てね」
ヴァルドリューズは、マリスの、膝の辺りでスカートの裾を結んだ、活動的になっ
た神官服に加え、ほどけた長い髪にも、頬にも、泥と光苔を付けた姿を、改めて
見直してから、静かに笑った。
「そうか。『おいた』はしないか」
「なによ、ヒトをコドモみたいに」
思わず、二人の会話に吹き出すケインを、マリスは横目で見た。
ヴァルドリューズの視線が、クレアに移る。
「クレア、白魔法を使えるのは、お前だけだ。私の留守中、皆を支え、黒魔法の時は、
よく周りの状況を判断して、術を使用するのだ」
そう言って、彼は、マントの中から、一冊の黒い本を取り出した。
「これは、返しておく」
フェルディナンド皇国で見つけたチャール・ダパゴの魔道書だ。
「ヴァルドリューズさんが、お帰りになるまで、しっかりと修行しておきます」
クレアの黒い瞳が、少し潤んで、彼を見上げ、魔道書を受け取ると、大事そうに
胸に抱えた。
「あ、そうだわ、ヴァル。あたしも、自分の魔力を抑える修行をしたいんだけど。
そうしたら、重い甲冑をいちいちつけなくても、よくなるでしょう? 」
ヴァルドリューズが一言、
「イメージ・トレーニングが有効だ」
「あっそ。またあの地味なトレーニングね……」
身体を動かすトレーニングの方が性に合っているマリスは、気のない言い方をした。
マリスがいつもの皮の少年服と、白い甲冑に着替えてから、ヴァルドリューズは、
何も言わずに、空間に姿を消した。
(ヴァル、ミュミュを頼んだぞ)
ケインはなんとも言えない表情で、ヴァルドリューズのいたところを、しばらく
見つめていた。
「あーあ、頼りになるヴァルがいないんじゃ、不安だなぁ。さらに、残念なことに、
またこの騎士団から、色気がなくなったぜ。マリス、砂漠の赤い衣装が似合ってた
のになぁ」
「だよなー」
カイルのがっかりした声に、ジュニアが相槌を打った。
「あの東洋の赤い衣装も、巫女さんも似合うと思うけど、……やっぱり、俺は、その
甲冑姿が、一番マリスらしいと思うよ」
ケインが柔らかく微笑んで、彼女を見る。
ふと思い出したように、マリスが言った。
「そう言えば、プーのヤツ、前から、あたしとケインのこと、デート中だとか、恋人
同士に間違えてるけど、ケインは否定しないのね」
「なんだと? 」
逸早く、ジュニアの目尻がつり上がった。
「えっ!? そ、そうだっけ? ……そ、その方が、ヤツも油断すると思ってさ」
焦って、とっさにごまかしたケインだったが、洞窟の中で、光苔を
見ながら、マリスと二人で歩いたのを、思い浮かべた。
もしも、あれが、本当にデートだったら……
と、想像した彼は、自然と穏やかな瞳になって、マリスを見つめる。
「ああ、でも、マリスには迷惑だよな。じゃあ、……妹ってことにしとくか」
「全然似てないのに? 」
「だ、だよな。う〜ん、どうしたら……」
考え込むケインを見ながら、マリスが、おかしそうに笑った。
「気を遣ってくれてるの? ケインたら、結構、紳士なのね。いいわよ、恋人同士に
見せかけても」
「えっ……」
「あいつ、からかうと面白いし」
二人のやり取りを、面白くなさそうに見ていたジュニアが、割り込んだ。
「なんだよ、ケイン、一人で紳士ぶるなよなー。お前だって、時々、マリーちゃんの
色香に惑わされてるくせに」
ケインが、カーッと赤くなる。
「ヒワイなこと言うなよ! 」
「あー、赤くなった! やーい、やーい! 図星だろー? 」
「お前は、コドモかっ! 」
「それよりも、これから、どこに向かいましょうか? 」
不安そうなクレアの問いかけが、とりとめもないやり取りを打ち切った。
それには、ジュニアが、自信たっぷりに握りこぶしを振り上げて応える。
「エルマを出たら、俺様が、空間移動で、どこでも連れてってやるぜ! 」
「おお、それはラクでいいな! じゃあ、まずは、美女の多い、南方の国なんか
どうだ? 」
「オーケー! 合点だー! 」
ジュニアとカイルは、二人で勝手に盛り上がっていた。
「言い忘れたが……」
そこへ、突然、ヴァルドリューズが現れた。
「わあっ! なんだよ、ヴァル、脅かすなよ! 魔道士の塔に行ったんじゃなかった
のかよ!? 」
びっくりしたカイルとジュニアは、思わず、抱き合うように腕をつかみ合っていた。
ヴァルドリューズが、マリスの方に、てのひらを向けると、彼女の懐
から、黒い宝石が浮かび上がる。
「俺のダーク・ストーンが……! 」ジュニアが、はっとする。
ヴァルドリューズの瞳は、何の感情も表してはいない。
「これは、私が預かっておく。私の留守中、皆になにかあっては心配なのでな」
「ええっ!? そっ、そんなあ! 俺、なんにも悪いことはしないよー! あんた、
そんなにまで、俺を信用してないのか!? 」
ヴァルドリューズは、片手をかかげたまま、ジュニアを見下ろす。
いつもと変わらない瞳であったが、ジュニアにとっては、彼を蔑むような、
哀れみも、後悔も、一切ない瞳に見えた。
「当たり前だ」
ヴァルドリューズが言うと同時に、黒い石は、宙から消えた。
「わーん! 」
総毛立って叫びながら、ジュニアの姿は、空間の中に、溶け込んでいく。
「では、行ってくる」
ヴァルドリューズは、またしても一瞬で、素っ気なく、消えていったのだった。
「ああ……、せっかく、いろんなところに、遊びに行けると思ったのに……」
カイルが、がっくりと肩を落とす。
静まり返る中で、マリスが口を開いた。
「とりあえず、エルマを出ましょうか? 」
「ああ、そうだな」と、ケイン。
「しかし、こんな状況なんだし、わざわざ動き回らなくても、いいんじゃねぇ?
ヴァルが帰ってくるまで、どっかで遊んでようぜ! 」
カイルが、わくわくを隠せない顔で言うと、隣のクレアが、決心したように、
大きく頷いた。
「行きましょう! 正義の旅へ! ヴァルドリューズさんたちが戻られるまで、
みんなで修行して、少しでも腕を上げておきましょう! 」
「なにっ!? 」
予想していなかった言葉に、カイルが非常に驚いた。
「待っていてください、ヴァルドリューズさん。私たち、頑張ります! 」
祈るように、空を見上げて、クレアが呟いている。
カイルは、あんぐりと口を開けて、それを見ていた。
「なあ、なんかクレア、張り切ってないか? 」
「ああ。元気だな……」と、カイルに答えるケイン。
「よしっ! それじゃあ、適当に、どこかへ出発ー! 」
「この世にはびこる悪を、私たちだけでも、立派に倒して行きましょう! 」
少年兵を装った白い甲冑姿の少女戦士と、清楚な神官服を着た魔道士見習いの少女
の後に、よくわからなそうな表情の傭兵二人が、よくわからなそうな足取りで、付い
て行くのだった。