67話「王定裁判 その3」
その日は何故か朝から酷く心が落ち着かなかった。
昨日から引き続いてのスワジクの裁判だが、いまだ天秤が相手側に傾いたままということに焦りを感じている。
昨晩、脈のありそうな貴族や関係者、とりわけスワジクに関わっている侍女達の身内と接触し、流れ次第ではこちら側についてもらえる話は出来ている。
幸いにあの中身の違うスワジクを見て、改心しているのではないかと好意的に受け取ってもらえていた様子。
もちろん、エフィネル侯爵とその取り巻きにこれ以上力をつけてもらっては困るという理由もあるのだろうが。
ただ、剣聖マクレイニー卿の反応だけは良く分からなかった。
「面白くなるようなら、相応の役どころで立ち回って見せようか」
一体何を考えての発言なのか、凡人の私にはいっこうに理解出来ない。
ただ、本気で何かを楽しみにしている様子なので、何か一波乱起こすつもりなのか。
レオもそれとなく警戒はしてみますと言ってはいたが、これも私の胃を虐めている原因の一つといえばそうである。
分からない事でこれ以上悩んでも仕方が無い。
私は氷で冷やした水で顔を洗い、気を引き締めた。
「今日の朝ご飯も軽くでいいよ。あと、出かける前までにレオにこっちに来てくれるよう使いを出しておいてくれ」
「かしこまりました」
側で控えていた侍女に濡れたタオルを手渡して、私は執務室へと向かう。
また今日も厳しい一日になりそうだ。
扉の向こう側で鍵が開けられる音がする。
分厚い木の扉が軋みながら押し開かれ、3人の衛士が入ってくる。
責任者っぽい男が、食べずに置いてある朝食を見て眉を潜めた。
意外そうな顔で私に、体調でも優れないのかと聴いてくる。
囚人に気を遣う牢番というのもおかしなモノだが、ここで悶着を起こす気も無いので素直に首を横に振っておく。
そんな私をみて、牢番は酷く不審な顔をしつつ、
「そうか。ならば立て。裁判の時間だ」
と私に命令する。
衛士も慣れた手つきで私の腰と手に鎖を繋ぎ、連行する準備が整った。
私はふと天窓を見上げ、窓越しに青い空を一瞥する。
今日の裁判が終われば全ては丸く収まる。
きっと口元を引き締め私は歩き始めた。
牢番はやはり、そんな私をみてしきりに首を捻っていた。
見慣れた王宮の庭園、代わり映えのしない城壁に城の建築物。
それらの間を通り過ぎながら、私は裁判が行われている会議場へと引き立てられて行く。
といっても私が先頭で歩いて行くので、牢番達が私に付き従っているようにも見えた。
王城へとたどり着き、そこからはさすがに他の衛士の目も気になるのか、強引に私を後ろに下げ、どうにか連行している形にする。
私も特にその事に反抗する必要性もないので、なすがままにされておく。
重厚な扉を押し開き、会議場へと踏み入れる。
すでに裁判の参加者は集まっており、そこかしこで小声でなにやら話し合われていた。
私が登場した事により、会議場の空気が一瞬だけ張り詰めたような気がする。
舐めるような不快な視線が多数我が身に刺さるが、ちらりと一瞥してやるとそそくさと明後日の方向を向く。
本当に気持ちの悪い豚どもめ。
私を拘束している鎖を牢番が被告人台につなげると、第3王子であるフェイタール殿下の声が響き渡った。
私はただ目を瞑り、じっと裁判の成り行きに耳を傾ける。
もっとも内容といえば、私の所有権が誰にあるのか、誰が私を一番に手にできるのかということにつきた。
それはエフィネル側とフェイタール側との綱引き合戦の様相だ。
お互いがお互いの言い分を叩き付け、非を詰る。
もはやスワジクという個人の罪を裁くのではなく、王族派か侯爵派、いずれが強くなるためのアイテムを得るかという話。
そこに私の意思はなく、私という存在の重みもありはしない。
ただの政争に必要な道具。
それはこの王国に流されてきた時と何一つ変わらない。
母様も私も、所詮帝国と王国の結束を強めるための生け贄でしかなかった。
だから全てに抗おうとして、挫折したのだ。
何も変わらない、変えられない。
どころか大事な者さえ失われてゆく。
ならば、こんな世界に意味はあるのか。
こんな人生になんの価値があったのか。
こぼれ落ちた私の欠片を拾い集めてくれたお爺さまには悪いが、本当に余計な事をしてくれたと思っていた。
だけど、この薄汚い豚どもに一矢報いる事が出来るのなら、あの私の身体に乗り移ったお人好しやフェイ兄様を助けられるなら、こんな惨めな私でも生きた意味があったのかもしれない。
「私はフェイタール殿下とそこな町会の議長との癒着を疑うものであります!」
「何を馬鹿な話を。殿下は常に全ての公務にて公正な判断を下されている。それは政務次官である私が――」
「公務はそうかも知れぬが、しかし、ことそこの小娘の事になるとどうですかな? 大体、この裁判を開いたいきさつ自体、どうにも腑に落ちぬ所が――」
「蛮行姫のお目付役としての責務がある以上、かの者に対して殿下が如何に心を砕いておられたか! 対して貴殿の行動こそ姫殿下を操り私腹を肥やす意図があったのでは――」
「馬鹿な!! 貴殿は何を持ってその様な暴言をっ!!」
喧々諤々と飛び交う罵詈雑言。
お互いの陣営を少しでも有利に導こうとする為、どんどん加熱していき感情的な発言も見えてくる。
私を奪い合い獣欲や権力欲を見たそうとする男達を見ていると、どうにも笑いがこみ上げてきた。
自制する必要も無いので、感情のままに肩を揺らして笑う。
「貴様、何がおかしい!!」
一人の若い貴族が私の嘲笑に気付いて怒鳴りつけてきた。
彼の怒声に、ヤジの飛ばし合いをしていた両陣営の視線が集まる。
最高のシチュエーションではなだろうか。
私は自分が表現しうる最大の侮蔑を込めて一同を睨め付ける。
「たかが小娘一人の事で、ここまで良くも脳天気に馬鹿面下げて喧嘩が出来るものだと感心していたの」
「貴様っ!」
激高した若い貴族が立ち上がって、手元にあったインク瓶を私に投げつける。
飛んでくる瓶を私は首を横に倒すことで避け、フンと鼻で笑って彼の無様を笑う。
私の態度に更に血を上らせた彼は、そのまま席を蹴ってこちらに近づこうとする。
それを慌てて止める同僚らしき人物と王族派貴族達。
「王の御前だぞ、落ち着け!」
「小娘が粋がっているだけだ。放っておけ」
「しかし! あの売女のせいで我が領地がどれほど迷惑を被ったかっ!!」
肩をふるわせ、鼻息を荒くしながら私を指さし、怒りに震えている。
それほど怒りを買うような事をこの男にしただろうか。
記憶を探ってみるが、思い当たるようなことはない。
他人事のように醒めた態度の私に、若い貴族がなお怒りを募らせる。
「2年前の出荷予定だった農作物が全部駄目になった! お前の気まぐれのせいでっ!!」
「まぁまぁ、卿の怒りももっともだ。だが王の御前であるし、君の身の上話で裁判を中断させるのもどうかと思うのだが」
腹の贅肉をぶよぶよさせた中年貴族が、激高する貴族を窘める。
その顔をみて、私はようやく思い出した。
「あぁ、2年前の馬上試合の時の話かしら」
中年貴族の眉間に皺が寄り、若い貴族の顔に勝ち誇った狂気すら感じる笑みを浮かべる。
なるほど、そういうからくりか。
私は若い貴族の傍らで苦虫をかみ潰している太った貴族を見る。
奴は私の視線に気が付いて、露骨に目を合わせるのを嫌った。
「貴様の突然の思いつきで、我が領民がどれ程苦渋を舐めたか! 何人が槙代を払えずに冬を越せずに死んでいったか!!」
「そう……、でも馬上試合と貴方の農作物と繋がりが見えてこないわ」
「馬上試合を行うという話で行商人達を総動員して、祭りの準備物資を買いあさっていたらしいではないか。そのせいで我が領地で仕入れをして売りに行ってくれる筈の行商人が1ヶ月も後れてしまった。だから収穫が済んでいた者は殆ど全てだめになり、借金をせざるを得なくなった。冬を越す分の生活費という借金を!!」
「なるほどなるほど。それはお気の毒ね」
「どの口がほざくっ!!」
「ちなみにっ!!」
私と貴族達を隔てる柵を乗り越えようとする男に、私は声を大にして注意を惹く。
「ちなみに、そのお金を貸してくれたという貴族は、そこのデブ子爵?」
「そ、そうだ。ガーメ子爵が私財をなげうってまでして資金援助をしてくださった」
「へぇ、それはすばらしいお話ですね?」
「もういいっ!! これ以上裁判の進行を妨げるでないっ!!」
半笑いの笑みをガーメ子爵に向けると、顔を真っ赤にして怒鳴り散らす。
その慌て振りに、若い貴族もその周囲にいた貴族達も不信感を顔に表した。
「何をそんなに慌てる必要があるのかしら、ガーメ子爵? あぁ、そういえば、件の馬上試合の提案は確か貴方からでしたね? いまようやく思い出せました」
「小娘がっ! そんないい加減な事をほざいて、ワシを嵌めるつもりか?」
「さぁ? 私は事実を述べているだけです。それに確かにあの馬上試合は盛大に催された分、どこかで誰かの懐が潤ったのでは? あぁ、あと領地の乗っ取りなんて話もぽつぽつと聞いた記憶がありますね」
少々脂汗を額に浮かべた子爵は、居住まいを正して若干引きつった笑顔を浮かべた。
「この小娘は生来より男を誑かし、口を開けば嘘ばかりを並べ立ておる。己が罪を人に着せ、勝手気ままに振る舞うその様はまさに毒女といって差し支え有りませんな」
「よく回る口ね。自分の嘘を暴かれそうになって焦っているのかしら?」
ゴッ!
鈍い音が会場に響き渡った。
それは私の頭から発せられた音であり、元凶を作ったのは子爵が投げつけてきた文鎮だ。
脳が揺らされたせいで、私は思わず被告人台の柵にしがみつく。
ゆっくりと世界が赤く染められて初めて、自分の額に酷い裂傷が出来たことに気が付いた。
「スワジクっ!!」
フェイ兄様が慌てて私の元へと駆け寄って、手にしたハンカチで額を押さえてくれた。
ハンカチに置かれた兄様の手をそっと押し返して、自分で圧迫止血する。
見ればガーメ子爵は数人の王族派によって囲まれていた。
ガーメ子爵は、血走った目でこちらを睨み付け、何か言葉らしきものを大音量で発していたが理解不能。
そんな私にフェイ兄様が小さな声で囁きかける。
「君は、本物のスワジクかい?」
「えぇ、蛮行姫と呼ばれたスワジク・ヴォルフ・ゴーディンです」
「……君と入れ替わったあの娘はどうしたんだい?」
どんな表情でそれを私に聞くのだろうか。
顔を上げて確かめたい気がしたが、どうにも勇気がわかなくて視線をそらしたまま問いに答える。
「この茶番が終われば、安全な所へ逃げられるように手は打ってあります」
「……なぜ今になって……」
「兄様には関係ないし、関係があってはいけないの。これ以上は不審に思われるわ」
無理矢理小声の会話を終わらせて、フェイ兄様の身体を突き放す。
手に残るその感触に、少しだけ胸が痛くなった。