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60話「人は誰が為に戦う? 前編」

 時間は少し遡る――



 いつもは静かな夜に突然鋭い警笛が鳴り響く。

 トスカーナはその音を自室のベッドの上で聞いた。

 軽く溜息をついてから、ベッドサイドにある呼び鈴を鳴らす。

 ほどなくして寝室のドアがノックされ、執事のクラウスが現れた。



「騒がしいな」

「はっ、申し訳ございません。どうやら監禁していた娘と騎士見習いが逃げ出したようで……」

「あの部屋には見張りを置けと申し伝えた筈だが?」

「はっ。見張りは牢屋の中で簀巻きにされて昏倒していたと」

「警備責任者と見張りは、この一件が済み次第身分を徒卒に格下げしておけ。無能な輩は当家には必要ない」

「はっ、かしこまりました」



 トスカーナは不機嫌なオーラのままベッドから出ると、部屋の窓から外を見下ろした。

 幾人もの兵士たちが広い城内を右往左往しているのが見える。

 兵士から城壁、そして城門へと視線を移す。

 城門はきちんと閉じられており、城外への出口はすでに塞がれている。



「名無しはどうした?」

「すでに逃亡者の捕縛の任に就いております」

「ふむ、なら私も出よう。着替えを持て」

「はっ」



 クラウスが着替えを取りに行っている間、トスカーナは窓の外を眺めつつ事態の把握に努める。

 そんな彼の視界の中を白い影が横切った。

 闇夜の中を淡く光る妖精が舞い踊る、そんな幻想を抱かせるような光景にトスカーナは苦笑した。



「どこまでも人を飽きさせぬ小娘だな。容易く手折れるものと思っていたがなかなかしぶとい」



 行く先を塞ぐ兵士を蹴散らすボーマンとその後をおっかなびっくり突いていくスワジク。

 ずいぶんと以前に王城でみた姿とは似ても似つかぬへたれぶりに思わず失笑してしまう。

 が、トスカーナはそこでふと考え込む。

 以前は高圧的で傍若無人だったスワジクと、自分の城内を泣きそうな顔をしながら逃げ回るスワジク。

 あまりにも掛け離れているその姿にどうにも違和感を覚えてしまう。

 今目の前にいるのは本当に蛮行姫と忌み嫌われていたあのスワジク姫なのか、と。

 それに彼女の逃げ道を切り開いていく騎士見習いの少年の存在も違和感に拍車を掛ける。

 いや少し前には蛮行姫を嫌っていたはずの侍女の変心もあった。



「しかし何故今になってあの蛮行姫を庇おうと動く輩が増えたのか。外堀はすでに埋め尽くされていたはずだがな」



 思えば彼女の身柄を確保したときに現れた正体不明の一団についても不明なままである。

 あの時彼らはスワジクを助けようと動いていたのは間違いない。

 この国の権力を敵に回してまでスワジクを助ける酔狂な者はいないはずだった。

 考えられるとすれば帝国が秘密裏に彼女の身柄を保護するべく動いたか、あるいはラムザスか。

 だがラムザスと考えるならば生け捕りより、彼女を殺すほうが手っ取り早い。

 必然的に帝国側のいずれかの勢力がと考えるのが普通だ。



「……まさか、な。帝国がいまさら蛮行姫に手を差し伸べるメリットもあるまい」



 そう、これだけ王国内外に悪評を得た姫なのだ。

 当のヴォルフ家ですらあまりの醜聞にそろって口を閉ざしていたのだから、いわんや他の選帝侯が彼女に肩入れする筈はない。

 嘘か本当かは知らないが実は皇室縁の者だと言う者もあるが、それを認めることは帝国や皇帝自身の威信に傷をつけるだけ。

 これも有り得ない可能性。

 では何故孤立無援のスワジクに手を貸しているのか。

 その意図がまったく読めずに眉間に皺をつくるトスカーナだった。



「お待たせいたしました。お着替えでございます」

「ご苦労だった。あと準待機の守衛どもを全て呼び出せ。城下町にいるかもしれない不審者に備えさせろ」

「は、御意に」



 兎にも角にもヴォルフ家のゴーディン王家への影響を排除し、ヴォルフ家とは別の選帝侯との互恵関係も上手くいっている。

 まだ内定とはいえ蛮行姫の廃姫も滞りなく王に認めさせた。

 その上で魔力に目覚めたスワジクを手に入れて自家の存在にさらなる箔をつけるチャンス。

 すべてはトスカーナにとって追い風となるべき事柄ばかりだ。

 スワジクの魔力覚醒以外は全て自身の努力の積み重ねの結果であり、必然でもあった。

 今更これらが覆るはずもない。

 だから油断さえしなければ問題ないはずだとトスカーナは気持ちを切り替える。



「よし、では狩に参ろうか」

「ははっ」







「ッ!」



 背後でなった鳴り筈の音に背筋に怖気が走る。

 まさか前後を挟まれている状況で弓を射る馬鹿がいるとは普通思わなかった。

 避けようとするが、目の前の相手が邪魔をして動けない。

 まずいと思った瞬間、突然の横からの衝撃を受け、俺はそのまま文字通り宙へと押し出されてしまう。

 慌てて伸ばした手の先に見えるのは、恐怖に怯えながらも儚げに微笑む姫様の顔。

 


「っ!!」



 姫様を残して落ちれない。

 そう思って手を伸ばそうとしたが、俺の手が動く前に身体が堀へと引き込まれるように落ちた。

 水面に叩き付けられそのまま浅くない堀の底まで一気に落ちる。



(くそっ、くそっ! 何してんだ、俺! また姫様に助けられたっ)



 俺は慌てて水面まで浮かび上がると、さっきまでいた城壁の上を見る。

 姫様があの狂犬じみた男に剣を向けているのが見えた。

 剣を突きつけられて怯えているはずの姫様は、すぐに城壁の向こうに姿を消した。

 飛び降りたのか、組み伏せられたのか?

 ここからじゃ何も分からない。



「姫様ぁっ!」



 姫様の力になる、姫様を守って見せると豪語した後のこの醜態。

 俺が守るべき姫様は城壁の上に残ることで俺を助けようとしたに違いない。

  今からでもこの城壁をよじ登って彼女の元へと戻りたい。

 が、もとよりそんなことは不可能。

 ならば時間は掛かってももう一度城内に入り込むしかない。

  俺は城壁の上の顛末を気にしながらも、対岸へと向かい泳ぎ始めた。



「くそっ! くそっ! くそっ!」



 悪態をつきながら堀の縁へと泳ぎ着く。

 だか水から上がるには少々水面と地面の高低差がありすぎた。

 どこか適当な場所はないかと見回していると、頭の上から一本のロープが垂らされる。



「これを掴んで登って来てください」



 見上げると黒髪の少女と目が合った。

 どこか掴みどころのなかった、あのルナ・ホランだ。

 しばらく相手の真意を探ろうと気配を伺う。

 そんな俺にじれたのか、彼女は早くとロープを揺らす。



「どういう風の吹き回しだよ?」

「姫様を助けたいのでしょう?」

「あんたは姫様の敵じゃなかったのか」

「……ええ、あの娘のことが憎かったわ」



 姫様の事をあの娘呼ばわりか。

 何にせよ、今はこの堀から這い上がることが先決か。

 俺は腹を決めてロープを握った。



「手を掴んでください」

「……ああ、すまない」



 俺は彼女の手を掴み、力を入れて地面の上へと身体を引き上げた。

 登ってみるとそこにいたのはルナだけじゃなく、ロープの端を片手で握っているミーシャさんや半泣きのニーナまでいた。



「ボーマンッ!!」



 ずぶ濡れの俺の胸に飛び込んでくるニーナ。

 思わず抱きとめてしまうが、慌てて引き離す。



「ちょ、濡れるって」

「馬鹿っ! 馬鹿っ! ムチャばっかりしてっ!!」

「い、痛いって、グーで叩くな、グーで!」



 泣きべそをかきながら俺の胸を叩いてくるニーナの頭を押さえつける。

 っていうか、傷口があったところを叩くな。

 もう塞がったとはいえ、なんとなく痛いんだから。



「もう傷はいいのですか?」

「あ、はい、ミーシャさん。姫様が癒してくれましたから」

「えっぐ、えっぐ、ほ、ほんと? 本当に大丈夫?」

「ああ、大丈夫だ。さっきだって大立ち回りしてた位だからな。だからもう泣くなよ、ニーナ」

「ひっぐ……う、うん」

「で、中に乗り込むんですよね?」



 濡れた胸にしがみつくニーナの頭をかいぐりしながらミーシャさんに訊く。



「当然でしょう。それとも貴方は怖くて足が竦んでいるのですか?」

「馬鹿言わないでくださいよ。ここんとこみっともないとこしか姫様に見せてないから、フラストレーション溜まりまくりなんですよ」

「……ま、あまり当てにはしていませんが、着いて来るなら別に拒みはしません」

「で、どうやって中に戻るんですか?」

「それは……」



 と言ってミーシャさんがルナの方に顔を向ける。

 彼女の視線を受けてルナがゆっくりと頷く。



「私達のような密偵や刺客が使っていた秘密の抜け穴があります。そこからなら城内に戻れるはず」

「……信じていいのか? あんたは一度俺を嵌めたんだぜ?」

「必要とあれば何度だってやります。でも、あの娘は私が憎むべき相手ではありませんでしたから……」



 そう言って顔を横に向けるルナ。

 どういう心境の変化があったのか俺には分からないけど、姫様に危害を加えないというなら取りあえずは信じていいのだろう。

 大体あのミーシャさんが一緒に行動しているんだ。

 姫様に害を成すようなら、ミーシャさんなら躊躇わずにルナを排除しているだろう。



「そうか、じゃあ取りあえずは信じてやるさ」

「では行きましょうか。ルナ、案内をお願いします」

「ええ」



 待っていてください、姫様。

 すぐに、すぐに助けに行きますから!







「に、逃げたぞぉぉぉぉっ!!」



 あの憎っくき小娘の姿を一瞬で見失ってしまう。

 城壁の上からの飛び降り。

 人の5倍の高さはあろうかという高さからだ。

 いくら城壁の内側には若干の傾斜があるとは言うものの無茶苦茶である。

 意表を付かれたとはいえ、あの小娘にいっぱい食わされたという事実に体中の血が沸騰する思いだ。



「くそっ! 追え、早く追うんだっ!! この際だ、手足の骨を折るくらいは構わん!!」

「はっ、了解しました」



 それなりの防具と武装をしている我々の動きは衛兵の平服だけの小娘よりも鈍い。

 この重さのまま壁を駆け下りるような離れ業も出来ない。

 必然、俺と小娘の距離は広がってゆく。

 遥か眼下を悠々と逃げてゆく小娘の姿に臍を噛みつつ、一向に周囲の兵士が動かないことに気が付く。

 どうやら城壁の降り口辺りで押し合いになっている様子だ。

 俺はまごつく兵士達に痺れを切らし、人を掻き分け無理やり前へと出た。



「いったい何を遊んでいるんだ!!」

「お前がこの隊の指揮官か?」



 目の前にいるのは輝くような銀の鎧に身を包んだ侯爵付きの騎士達だ。

 滅多なことが無い限り彼らが動くことなど無いはずなのだが。



「はっ、左様であります」

「なるほどな。せっかく此処まで追い詰めておきながら両方とも逃がしてしまったのか。存外に無能なのだな」

「……」

「まぁ、いい。ここから先は我々がやる。だからお前達はすっこんでいろ」



 いいなとばかりに見下した視線を投げつけ、俺に背を向けて歩み去ろうとする騎士。

 普段ならそのまま唯々諾々と言いなりになっていればいい。

 だが、今は駄目だ。

 他のことならいざ知らず、あの蛮行姫だけは、誰にも渡せない。

 あれは俺の獲物だ。

 もちろん、侯爵が最終的にあの姫を得るのだろうが、それまでの間、嬲り辱めて絶望を奴に刷り込むのは俺だ。

 男爵様の無念と屈辱の万分の一でもあの女に味わせねば、なんのために騎士の名を捨て身をやつしてまで狗のような身分に甘んじているのかわからなくなる。



「それは承諾できませぬ」

「あ?」



 階段を下りようとしていた騎士達の足が止まり、ゆっくりとこちらを振り向く。

 その顔にはやはり侮蔑と怒りが見て取れた。



「貴様、俺の言ったことに逆らうのか?」

「滅相も無い。ただ、我らとて侯爵様からの命を受けていますゆえ、私の一存では応とは言えませぬ」

「ならば自ら盟主様の下へ指示を伺いに行けばよかろうが。そんなことすら分からぬのか、無能な鼠め」

「お言葉ですが、ことあの小娘の件に関しては侯爵様から変更指示が無い限り思うように動いてよいとの指示を受けております」



 言葉を都合と思った瞬間、目の前の騎士が警告も無しに拳を俺に向かって振るってきた。

 もっとも半分挑発していたようなものだから、予想はしていた。

 だから騎士の拳は空を切るだけで、なんの成果もあげはしない。



「きっさまぁ、鼠の分際でっ!」

「申し訳ありませんが、侯爵様からの追跡停止の命令が無い限り、私は任務を続行したいと思います」

「まだ分からんようだな。貴様は邪魔だから失せろと言っている!」

「貴方も分かってくださらないのですね。私は貴方から命令される謂れなど無いという事に」



 まったく威勢がいいだけの張りぼての癖に。

 そんなにご主人様に頭を撫でられたいのか。



「それにこんな所で言い争って、あの小娘に逃げられたらそれこそ侯爵様の勘気を被るのではないのですか?」



 ちらっと蛮行姫が逃げた辺りを見回しても姿が見えなくなってしまっている。

 おそらく魔法を使うのを止めたのだろう。

 さすがにいい目印になると理解したのだろうか。



「ちっ、屑が。もう一度言うが、俺達の邪魔をするなよ、鼠。目の前をちょろちょろと走り回れば、あるいは踏み潰してしまうかもしれんしな」

「ご忠告感謝いたします。せいぜい気をつけさせていただきます」



 ぺっと唾を俺の靴に吐き捨てて去ってゆく騎士達。

 全くもって度し難い。

 だが今はそんなことに構っている暇は無い。

 目の前の階段が邪魔な騎士達で塞がっている以上、違うルートで蛮行姫を追わなければならない。

 俺は徐にチェインメイルを脱ぎ捨て、要らないものを全て身から外した。

 あの小娘に出来て、俺に出来ぬ道理があるまい。



「身軽な者だけでいい。俺に続けっ!!」



 そういって俺はあの小娘同様、わずかな足がかりを頼りに城壁を駆け下りた。

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