51話「世界は僕を中心にして回ってはいない」
いつものように残務処理を深夜に片付けていた私は、静かなはずの深夜の王宮がにわかに騒々しくなったのを感じた。
どうやらこちらに向かって誰かがやってくるようだ。
程なくして荒々しく部屋のドアが開け放たれたかと思うと、その向こうに鼻息荒く憤怒の形相をしたクラウが立っていた。
私はそれまで書き進めていた書類の手を止め、何事かと思ってクラウに声を掛ける。
「……どうし――」
「あれは一体どういう事だ!」
私の声を大声で遮るクラウ。
大股でデスクの前までやってくると、ヤツは力いっぱい拳骨で机の上を殴りつけた。
その衝撃で机の上においてあった羽ペンやインクのボトルがひっくり返り、書類の山はなだれ落ちる。
少し考えてから、クラウの怒りの原因に辿りつく。
「……スワジクの事か?」
「それ以外に俺がお前に怒鳴らないといけない事があるのか?」
「さぁな。だがスワジクの件にしても、正直、君は部外者だ。何を知って怒っているのかは知らんが情報漏えいの危険を考えたら、その秘匿は無難な選択だとは思うのだが……」
「くだらねぇ言い訳なんか聞きたくねぇ! 単刀直入に聞くぜ、あれは誰だ?」
今にも頭突きをせんとばかりにずいっと身体を乗り出してくるクラウ。
私はヤツの頭を押し返しながら逆に問いかける。
「一体何を――」
「俺はこの目で、耳で、直にあの蛮行姫の言葉を聞いてきた。あれは俺の知ってる蛮行姫なんかじゃねぇ。あれは一体誰だ!?」
「……こんな夜中に、スワジクの部屋に押しかけたのか?」
何故か一瞬ざわりと心が乱れたような気がしたが、私は何事もなかったかのようにいつもの冷静な仮面を顔に貼り付ける。
貴族や王宮内の人間と渡り合っていく間に身に着けた、果てしなくくだらない特技の一つだ。
それが今はありがたく感じるのは何故だろうか。
「馬鹿を言え、蛮行姫は今城下町の鳥の冠亭という宿屋に入り込んで、町の顔役と密会中だ」
「……なんだと? 侍女達の報告では、彼女はベッドで眠っているとあったが……」
「身代わりでも置いてるんじゃないのか? もしくは侍女もグルとか」
今日宿直のライラや臨時の侍女達との間に、スワジクとの信頼関係があるとは思えない。
なら外部の手引きか何かか?
瞬時にいろんな可能性が浮かんでは消える。
だが今もっとも確かめなければいけないのは、彼女の部屋で寝ている人物は何者なのかという事だ。
部屋を出て彼女の寝室へと向かおうと立ち上がったところを、クラウに椅子へと押し戻される。
「何を――」
「何処かへ行く前に、きちんと俺に説明していけ」
「いくら従兄弟である君といえど、迂闊に話せないこともある」
「なるほど。ということはあの蛮行姫は偽者ってことでいいんだな?」
「スワジクはスワジクだ。それ以上でも、以下でもない」
私がそう冷たく言い放つと、クラウはふんと鼻で笑って私を見下ろす。
その顔は嘲笑というよりは、どこか哀れみを含んでいるような気がした。
鼻白んだような顔をしたクラウが、机より一歩下がって顔を背ける。
「お前のいうスワジクというのは一体どっちだ。傲慢で不遜で貴族とみれば敵意を剥き出しにしていた蛮行姫のことか? それともあのぬるくて甘い理想を夢見る小娘のことか?」
「その問いに答える義務が、私にあるのか?」
「何も知らされずに部下に働けとは言えん。満足に働いて欲しければ情報は隠すな」
「王の剣ともあろう騎士団長の言うこととも思えないな。剣はただその主のために尽くすのみ、じゃあないのか?」
「フェイ、お前は陛下から言われたからという理由だけであの姫を守っているのか?」
「……当然だ」
「なら、スワジク姫の命を守る必要がなくなったら、お前はどうするんだ?」
「なんだその頭の悪そうな仮定は……」
「例えばの話だっ。あの蛮行姫の後ろ盾が無くなったら、この国における存在価値が無くなったら、第3王子様はいかがなさるのかって聞いてるんだ」
多分、これが少し前なら迷い無く「守らない」と言い切っただろう。
何故なら蛮行姫はこの国の貴族の敵であり、癌であり、命綱だったのだから。
その存在価値が無くなれば、好きでもなかった相手を篭絡する必要もなくなるのだ。
だが今は事情が違う。
あのスワジクには別の人格が宿っており、生前の彼女が行ってきた罪を理不尽に負わされているだけ。
ならば今のスワジクを守るのは、その真実を知る私の役目だ。
「どうした? なぜそこで黙る、フェイタール」
「馬鹿らしい。そんな子供じみた議論に付き合う必要を感じない。私はただ課せられた義務を遂行するだけだ」
だがクラウが言うような王命が下ったら、私は一体どうするのだろうか。
彼女を守る術が、私に残されるのだろうか。
私は内心の動揺を隠して、スワジクの部屋に向かって歩き出す。
憮然としているクラウの横を通り過ぎようとしたとき、この部屋の扉が唐突に開かれた。
私とクラウは突然の闖入者に驚いてそちらを凝視する。
2人分の視線を受けながらもひるむ事無く、突然の闖入者であるレオは口早に喋りだした。
「フェイタール殿下……大変です、帝国で大規模な政変が……」
「政変だと? おい、一体何があった!」
「えっ? ク、クラウ団長!?」
私が声を出す前に、隣にいたクラウが必要以上に大きな声でレオに問いただす。
レオはその怒鳴り声でようやく我を取り戻し、見せ掛けだけでも普段の落ち着きを取り戻した。
「そ、その帝国で政変が起こり、ヴォルフ家が選帝公の地位を剥奪されました。また、その領地には皇帝直属の部隊が駐留をして、実質統治権も剥奪されたとの噂が……」
「落ち着くんだ、レオ。事実確認は?」
「現在は商人経由の情報ですが、恐らく近日中には駐留武官からも報告が届くはず。それを待って詳細はきめるとのことですが、陛下は現在王都に展開中の第1軍と近衛の撤収を支持されました」
今我々が動いているのは、蛮行姫に害する存在を駆逐するためである。
それを撤収させるということは、王は彼女の存在を守る必要がないものだと判断したということだ。
「レオ……、王は……、父上は他になんと……」
「はい。今日は遅いので、明日以降の閣議で北の塔舎の閉鎖、および前王妃の別荘の取り壊しを検討したいとおっしゃられていました」
「父上は、……スワジクの廃姫をお考えなのか?」
「はい。恐らくは……」
レオが苦々しい顔で私の考えを肯定する。
部屋の中が重々しい空気に押し潰されたように静かになる。
この事実を知れば、きっと被害を受けていた貴族連中が嬉々として王に進言してくるだろう。
スワジク・ヴォルフ・ゴーディンが行ってきた蛮行に正しき鉄槌を、と。
私はレオの報告によって一旦止めた足を再び踏み出した。
今度はスワジクの部屋ではなく、彼女の養父であり私の父上であるこの国の王の元へと。
闇に包まれた王都の中、僕はニーナと二人で目的の場所へと向かっていた。
こうやって歩いている僕達を、ミーシャと北町の会長さん達が見守ってくれている。
そう思うだけで恐怖にすくみそうになる足も、なんとか前へと動かせている。
「出来れば話し合いで片が付けばいいのになぁ」
「それはそうですけど、いろんな人を傷つけてきた人たちですから、ちょっと無理っぽくないですか?」
「まあ、そりゃあ、そうなんだけどね。ところで話は全然変わるんだけどさ、今晩妙に静かじゃない?」
僕は辺りを見回しながら、ニーナに同意を求める。
彼女も自分たちが歩いてきた道を振り返ったり耳を済ませたりしてから、僕の意見に賛成した。
「そういえば変ですね。いつもなら警邏の人たちが居たりするんですけど。いわれてみれば来る途中も会いませんでしたね」
「今日はお休みなのかな?」
「何をいってるんですか。軍や近衛の人たちの仕事に全員お休みの日なんてあるわけないじゃないですか」
「そりゃそうか……」
いつもより静かな夜の町並みを歩きながら、得体の知れない不安感に襲われる。
もしかしたら何か僕の想像を超える何かが起こっているような、そんな根拠のない不安。
今は分からないことに対して怯えていても仕方が無いので、僕は敢えてその不安を無視することにした。
「姫様、やっぱり真正面から話し合いって不味くないですか?」
「んー、まぁ、そうなんだろうけど……。一応相手の言い分も聞いてみて、無事にボーマンやアニスを開放してくれるっていうなら、それに越したことは無いかなって」
「話が通じる相手なら、牢破りなんてしないと思うんですが……」
ニーナの言うことはもっともなんだけれど、だからといって初手から暴力で解決っていうのはなんか相手に負けた気がする。
平和ボケしているって散々言われたけど、でもやっぱり暴力は最終手段だと思うんだ。
話せば分かる、と言うつもりは無いけれど、どこかで妥協点が見出せるまで交渉するのも一つの方法。
どこかの国の警察には交渉人っていう役目をする人たちが居るって聞いたこともあるし。
程なくして僕達は会長さんが教えてくれた屋敷の前にまでたどり着いた。
王都の中でも閑静な住宅街の一角。
周りの家は既に灯も落とされて真っ暗なのに、目標の家だけは木戸の隙間から光が零れ落ちていた。
どうやら家の中の人は起きている様子。
高まる緊張に、知らず知らずの内に僕の膝は無様に震えている。
それは横に居るニーナも一緒で、お互い顔を見合わせて苦笑しあう。
「じ、じゃあ、私行ってきますね?」
「……や、やっぱりボクが行くよ。なんか危なそうだし」
「何言ってるんですか。姫様が相手に掴まったらお終いだって会長さんも言ってたじゃないですか。大丈夫です。直ぐに掴まるようなヘマはしません。逃げ足にはちょっと自信あるんですから」
「あはは、ボクと一緒だね」
「ふふふ。逃げ足の速い姫様と侍女だなんて、笑えませんねぇ」
笑いあいながらも、お互いの顔は緊張で引きつっているし足も震えっぱなしだ。
少し離れたところでミーシャが見守ってくれているとは言うものの、僕達には彼女の姿はまるで見えない。
まあ、簡単に分かるようだったら相手にも悟られてしまうわけだが。
僕は目標の家から少しだけ離れた路地の真ん中で、ゆっくりと扉へと向かってゆくニーナを見守る。
ニーナは扉の前まで行くとノックを3回して、素早く5歩ほどそこから退いた。
それだけの距離があれば、相手が何かをしようとしても対応する時間は稼げるはず。
不気味な間があってから、ゆっくりと玄関の扉が開かれる。
部屋の中から溢れ出す光のせいで顔が良く分からないけれど、どうやら女性のメイドさんのようだった。
「お待ちしておりました、姫様」
どこかで聞いた声にハッとして、僕はよく目を凝らしてそのメイドさんを見る。
勝気そうな目に金色のツインテール。
僕付きの侍女であるスヴィータに間違いなかった。
「す、スヴィータ……、どうして……」
「お待ちしていたのですわ、貴女を。中でアニスと貴方のナイトが待っています。さぁ、こちらへどうぞ」
そういって僕に中に入るように促すスヴィータ。
家の中には絶対に入るな、とはミーシャと会長さんからきつく言い渡されていた。
だけど、2人をダシにされては抗いようもない。
少しだけ迷ってから、僕はスヴィータの招きに応じることにした。
ニーナが慌てて僕の前に立ちふさがってそれを阻止しようとする。
が、僕は彼女の肩をやんわりと掴んで、彼女を安心させるように微笑みかけた。
「大丈夫。ちゃんと2人は返してもらうようにするから。ニーナは安心して外で待っていて?」
「相手を外に誘き出さないとミーシャさん達が動けないですよっ」
「ボクにもしもの時があったら、その時は遠慮なくやっちゃっていいから。そうミーシャと会長さんに伝えておいて」
「そ、そんな! 姫様、打合せと違うっ!」
スヴィータに聞こえないよう小声で抗議してくるニーナは、不安そうな顔のままで僕の服を掴んで離さない。
僕はニーナの頭に手を置いてゆっくりと撫でてあげる。
そんな僕たちを無言で見守っていたスヴィータが、目で早くしろと僕に催促してきた。
僕はニーナの手を優しく振りほどいて、ゆっくりと屋敷の中へと足を踏み入れた。
そう、ここから先はスワジク・ヴォルフ・ゴーディンである僕の戦場なんだ。