49話「もう終わりにしよう」
ベッドの上に置いてある細かい目のチェインメイル。
針状の武器による刺突や打撃については防御効果はないけれど、刃がついた武器の斬撃にはある程度有効な防具である。
目が細かい分通常のチェインメイルよりかは弱いけれど、動きを阻害しないのと金属の擦れる音が殆どしないのが利点。
次に腕には鋼の棒を巻きつけ、手甲の代わりとする。
それを下着の上に着込んで、厚手の長袖貫頭衣で鎧や手甲を隠す。
足元に関してはズボンの下になめし革の脛当てを巻きつけてある。
重装備という訳ではないけれど、やはり荒事が想定される以上最低限の準備はしていくべきだ。
ミーシャさんの受けた傷から考えて相手の得物は鋭利な刃物。
不意を疲れたとしても、初撃さえ凌げば反撃のチャンスは幾らでも作れる。
屈伸したり身体を捻ったりして、着衣の下につけた防具が邪魔にならないことを確認。
重さも気になる程ではないから、スピードで見劣りするようなことも無いだろう。
最後に腰帯を巻きつけ、鍛冶屋で買ってきた片手剣を装着させた。
あまり重装甲されていたら敵わないけれど、今の俺程度の防具ならこの剣で問題なく叩き伏せられる。
もっともこの剣で叩き伏せられないほどの重装備をしていたら、間違いなく衛士たちに見つかってしまうから、武器の選択はこれでいい。
後は予備にナイフを懐に忍ばせておけば、まあ完璧だな。
「さて、そろそろ行くか……」
部屋の扉を颯爽と開けて出ようとしたら、開けた扉の向こうに心配そうな表情のニーナが立っていた。
俺の格好を見て少しだけ驚いた顔をしたかと思うと、どこか寂しそうな笑みを浮かべる。
「行くの?」
「ああ」
「……あ、危なくない?」
「さぁ、どうだろう。15人も殺せる奴らだからな。安全っていう訳には行かないと思う」
その言葉でさらに不安そうな顔をするニーナ。
俺は彼女のそんな表情を見て、なんだか頬がむず痒くなってしまう。
成り行きで行動を共にしているニーナだけど、それでも打算なく心配してくれる人がいるというのは嬉しい。
誰かに心配してもらう事など実家を出てからこっち一度も無かったので、余計に新鮮な気持ちになれたのだろう。
「心配すんなって。情報提供者に会うだけだし、今回は危ないことなんて何も無いと思うぜ」
「うぅん、それならいいんだけど……」
「それに、俺が剣で遅れを取る相手なんて、近衛の連中以外にはそうそう居ないとおもうけどな」
「もう、すぐに調子に乗る! ボーマンの悪い癖だよっ!」
「はいはい。それじゃ、俺もう行くぜ?」
「あ、う、うん。気をつけてね?」
「ああ、それと帰ってきたらパジィサラダでも作ってくれないか? あれ美味しかったんでまた食べたいな」
「もう! ちゃんと時間通りに帰ってこなかったら作ってあげないからねっ!」
「分かってるって」
心配そうな顔をして見送るニーナに、俺は精一杯いい顔で笑って見せてやる。
ついでに帰ってきてからの晩御飯のリクエストを出しておいたのは、居ない間変なことを考える余裕なんて無くなると思ったからだ。
ま、ちょっとハードワークになるだろうけど、帰ってきてからご機嫌取りすればいい。
ニーナをそこに残して俺は階段を駆け下りる。
勝手口に回ると扉を開き、黒髪のメイド、ホランさんとの約束の場所へ一歩を踏み出した。
アニスさんの有力な情報が手に入ればいいのだが……。
その日の夕方、僕はいつものように地下通路を使って教会の物置へと向かった。
扉を開ける前にトントンと壁を叩いて、外で待っている筈のボーマンへと合図を送る。
けれど、暫く待ってみても合図は帰ってこない。
「あれ? ちょっと早かったかなぁ。もうちょっとゆっくりしていても良かったかなぁ……」
僕はもう一度外へと合図を控えめに送るが、やはり返答は無いようだ。
少しだけ迷ったけれど、スイッチを入れて秘密の扉を開けて外に出る。
夜の帳も下りて、物置小屋の中は薄暗かった。
「ボーマン? いないの?」
目が慣れるまで小屋の中でじっとしていたけれど、近くに誰かがいる気配も近づいてくる様子も無い。
どうしたものかと思案したけれど、鳥の冠亭までの道は完璧に覚えているので一人で歩いていっても問題はないと思う。
「うーん、ここで待っていても仕方ないしなぁ。こっちに向かっている途中だったら、どっか途中で鉢合わせになるよね? 時間の節約にもなるか……」
誰に言うとでもなしに、僕はそう呟くと小屋を出て鳥の冠亭に向けて歩き出した。
教会の庭から裏通りに入ったところで、後ろから誰かに肩を叩かれた。
「ひぃうっ!」
「姫様、お一人なのですか?」
聞き覚えのある声に振り返ると、そこには半眼で僕を見つめるミーシャがいた。
なんか不機嫌そうなんだけれども、気付かない振りをする。
理由を聞いたら凄い勢いで説教されそうな雰囲気だしね。
「ミーシャかぁ、驚かさないでよぉ」
「あのボーマンとかいう騎士見習いはどうしたのです?」
「まだ来ていないみたいだよ」
「では姫様は何故こんなところを一人で歩かれているのです?」
「あ、いや、ほら、なんていうかさ、慣れた道っていうか、時間の節約っていうか……」
「ま・さ・か、お命を狙われているかも知れないと分かっていながら、一人でこんな人気の無い裏道を暢気に歩いていたとか……仰りませんよね!?」
「い、いやぁ、あ、あはははは」
笑って誤魔化そうとしたけれど、ミーシャは呆れたような顔をしてわざとらしいため息をつく。
なんだよ、駄目な子を見るような顔しないで欲しいんだけどな。
とは何となく言い辛かったので、心の中で言っておく。
「姫様、もう少しお立場を自覚してください。でなければ外出自体、禁止させていただきますよ?」
「いや、それはちょっと……」
「それにあのヒヨッコも駄目ですね。姫様の護衛をサボるなんて、騎士を名乗る資格すらありません。やはり姫様の味方は私一人で十分ですね!」
いやぁ、それはそれで色々と問題があるような気がするんだけれどね。
でも、ミーシャに関してはもう迷惑掛けてるし、今更何を言っても聞いてくれそうにも無いしなぁ。
まあボーマン達についてはアニスが見つかるまでの間の話だし、あの料理屋さんで情報を集めるだけだし、あんまり危なくなったりしないとは思ってるんだけどね。
さすがにあんだけ人が居るところに殴りこみ掛けたりはしないだろうし。
「ま、まあ、とにかくミーシャが来てくれて心強いよ。さすがに暗い夜道は怖いよねぇ」
「そう思われるのでしたら、北の塔舎からお出にならなければいいのです」
「……チッ、薮蛇だったか」
「何か?」
「いいえ、なんにも」
まあ、とにかく今晩は鳥の冠亭にいって北町の会長さんに会わなきゃいけないんだ。
アニスの居所判明していたらいいのになぁと淡い期待を抱きつつ、僕はミーシャを連れて街の中を進んだ。
「ボーマンが行方不明!?」
鳥の冠亭に到着した僕の第一声が、厨房を越えてホールにまで響いた。
食事をしていた何組かの人達が何事かとこちらを気にしていたようだけれど、今の僕はそんなこと気にしている余裕が無い。
「えっぐ……ばい。夕方までには、がえっでくるっでいっだのに」
「どうも、あの黒髪の侍女さんとどこかで待ち合わせをするみたいな事を言っていたんだけどねぇ……」
「ザラダづぐっでまっでろっでいっだのに……」
泣きじゃくるニーナと彼女を宥める女将さんを前に、僕は唇を噛んで湧き上がる感情を押し殺す。
そんな僕の肩をミーシャが包み込むように抱いてくれた。
相変わらずコルセットを締めているのか、いつものような柔らかさは感じない。
だけど今はそんなミーシャの気遣いすらも僕の心を掻き乱す。
「あの侍女さん、確かホランさんっていったかな。昼過ぎに町のどっかで落ち合うって話らしかったんだけど……」
「「ホラン!?」」
僕とミーシャの叫び声が綺麗に重なった。
ホランという名前に心当たりがあったからだ。
「女将さん、ボーマンは確かにホランに会いに行くといったのですね?」
「あ、ああ。あのラムサス人ぽい侍女さんの名前がホランさんだって、ボーマンが言ってたからねぇ。間違いないよ」
「そっか……あのメイドさんが……ルナ・ホランだったんだ……」
泣きじゃくっていたニーナと女将さんは、青い顔をしている僕たち2人を見て怪訝そうにしている。
ルナ・ホラン。
レイチェル・ホランの実の妹で、この身体の本来の持ち主であるスワジク姫を湖に突き落としたとされる侍女。
あの日記にルナの名前は何度と無く出ていたから知っていたのに。
名前を聞こうとしたら上手くはぐらかされていたのは、今の僕に悟られないためだったのか。
「間違いないよね、ミーシャ」
僕は震える声で隣に佇むミーシャに問いかけた。
その瞬間も、あの路地裏での出会いや今までの彼女との会話が脳裏に蘇る。
信じたくは無かったし、否定して欲しかった。
なんだかよく分からない不思議な娘だったけれど、誰かを陥れるとか出来るような娘には見えなかった。
それだけは確かだと自信を持って言える。
「私自身、彼女の姿を目にしていないのでなんとも言えませんが、ルナ・ホランは確かにラムザス系移民の娘です」
「そっあ……あの娘がルナだったんだ……」
「ただ私が腑に落ちないのは、ルナが恨んでいたのは姫様ただ一人。他の誰かを巻き込むようなことをする娘じゃないのですが……」
「あの黒い娘からは姫様を恨んでいるというような雰囲気は感じなかったけどねぇ、あたしゃ」
「むしろ手のかかる妹のような感じに見えたな。人違いじゃねぇのか?」
女将の感想に鍋を振りながら大将も同意する。
ニーナも顔をタオルで覆いながら、こくこくと頷いて2人の意見に同意した。
「もちろん、人違いかもしれません。が、ラムザス系のホランという侍女風の娘が姫様に正体をぼかして接近してきた。ヒヨッコ騎士がその人物に会いにいって消息を絶つ。疑うには十分な状況でしょう」
そういって顎に手を置いて眉間に皺を寄せるミーシャ。
「でもそうだとして、どうして姫様を直接害さないのか。多分ルナには姫様を殺す機会など山ほどあったはず……。そんな回りくどいやり方を選ぶ必要なんてないのに」
「それはボクに絶望して欲しかったから……じゃないのかな?」
ぽつりと呟いた僕の言葉に厨房が凍りつく。
ミーシャやニーナ、女将さん達の誰もが既に分かっていて、それでいても口に出来なかった言葉。
「姫様、一体何を――」
「良いんだ、ミーシャ。これ以上、ボクは周りの人に迷惑を掛けたくないんだ。……本当はね、なんとかなるんじゃないかなって淡い期待を抱いていたんだけど」
そういってはにかみつつ、頬を人差し指で掻く。
これ以上僕の我侭で誰かを傷つけるのは耐えられないよ。
「前から分かってたんだよね、実は。だってね、不幸な事って全部ボクがらみな訳だし。 ミーシャの事だってそうだし、アニスの事もそう。今回のボーマンもその延長線上なわけだよね。実はレイチェルさんの話もそうらしいんだよね。お姫様の日記に書いてあったよ。事件を裏で仕組んでいる人は……ボクに自殺して欲しいらしい」
ニーナや女将さん達には唐突な話に思えたかもしれないだろうけど、多分ミーシャはある程度は気付いていたんじゃないかと思う。
だって僕の言葉に動揺してない。
姫様の日記には、彼女がどう感じ何を思って毎日を過ごしていたのかも全部書いてあった。
どんな最後を彼女が望んだのかも……。
僕がそれを受け入れられなかっただけ。
だから僕は足掻いた。
生き延びたいと思ったし……。
死んじゃった姫様に、世界はそんな悲しいことばかりじゃないって教えてあげたかったしね。
でも結局は周りの皆を傷つけただけ。
もうそろそろ潮時かもしれない。
「多分、ボク宛にメッセージが届くんじゃないのかな。ボクが大人しく彼らのいう通りにすれば、ボーマンもアニスも無事に帰ってこられる筈」
震える手を必死に隠しながら、僕は悲壮にならないように勤めて明るく振舞う。
今の僕には、これくらいしか出来ないから。
「だから、もう終わりにしようよ」