48話「うん。番外編だな」
なにやら後頭部に鈍い痛みを感じる。
さっきまでスワジクの部屋の床を調べていたのだが、それ以降の記憶がぷっつりと途絶えて思い出せない。
一体私はどうしたのだろうか。
寝起きの眼を瞬かせながら、私は自分の現状を確認する。
天井の装飾やインテリアから、ここがスワジクの部屋であることが分かった。
それに何故かスワジクのベッドで寝かせられているようだ。
意識を失っている間に、彼女が私を寝かせてくれたのだろうか?
身体を起こそうと思って身をよじると、また後頭部に鋭い痛みが走る。
かなり手加減なしで殴られたようだな。
私は小さく呻きながら、後頭部に手をやろうとして失敗した。
右腕が動かないのだ。
「な、なんだ?」
右腕の感覚の無さに私は慌てて掛かっていた上布団を跳ね上げて、そして凍りついた。
私の右腕は……私の右腕の上には……、なんとも幸せそうな顔をして眠るスワジクが居たのだ。
急に私が動いたからだろうか、少し眉をしかめつつ私の腕に頬を擦り付けて幸せそうに眠り続けるスワジク。
「な、なんだんだ、一体これは?」
「うにゅぅ……すぅ、すぅ」
「こ、これでは動けないか……」
自分の傍で無防備に眠る美少女の寝顔を見つつ、さてどうしたものかと思案する。
このまま行ってしまうと、部屋に入ってきた侍女達にあらぬ噂を立てられてしまう。
いや、ついこの間まではこのような状況になるように努力してきたのだから、それはそれで目的は果たされたと喜ぶべきもの。
もちろん、それはスワジクの中身が別人でなければという前提つき。
この状況はヴィヴィオやレオに知れたら、非常に不味いのではないだろうか。
そうでなくともこの間のトイレの一件もある。
あの時はうまく誤魔化せたが、同衾していたとなればかなり言い訳に苦しくなる。
なんとかスワジクを起こすことなく、すみやかにこの場を離脱する方法はないかと周囲を見回す。
そしてベッドサイドのある一点に私の視線は釘付けとなる。
「ば、馬鹿な……。あ、ありえない! そんなことはありえない!!」
思わず声を荒げてしまい、ハッとなって自分の腕を枕に眠る少女を見る。
なにやら不機嫌そうな表情になっているが、しかしまだ夢の中にまどろんでいる様子。
ふぅと冷や汗を左手で拭いながら、私はもう一度ベッドサイドに置かれた椅子の上にある自分の履いていたであろうズボンを睨み付けた。
皺にならないようにご丁寧にきちんと畳んであり、しかもその上にちょこんと乗っているのは私の下穿きだ。
「どうも下半身が涼しげだと思ったら……」
上はきちんと着たままなのに、下半身だけ何も身に着けていない状況。
しかも脱がされたズボンは、あろうことかスワジクの向こう側にあった。
これは一体誰の仕業なのか……。
「くそっ。ここからでは手が届かないか」
仕方が無いのでなんとか起こさないように、腕をスワジクの頭の下から抜こうと試みる。
ゆっくりと腕を引き抜き始めると、何故か不機嫌になって私の腕にしがみついてくるスワジク。
しかも布団が少しずれて彼女の肩があらわになった。
瞬間、私の心臓は止まりかける。
どうみても彼女の肩には布一枚、紐1本纏わりついていない。
すらりと伸びたしなやかな腕は艶かしく私の腕にまとわりつき、上腕から肩へ、肩から脇へと降りてゆく少女の瑞々しい曲線が嫌でも眼に入った。
「な、な、な、な、なんで寝間着を羽織っていないんだ?」
「う~ん……、五月蝿いよぉ、み~しゃ……」
不味い。大分眠りが浅くなって来ているかもしれない。
早く何とかしなければ!
私は意を決し、彼女に覆いかぶさるようにしてスワジクの頭を左手でそっと持ち上げる。
細心の注意を払いながら、私は右腕を抜いてゆく。
上腕さえ抜けてしまえばあとは楽に抜けるはず。
「うぅん……、なんだよぉ……」
下半身裸で全裸のスワジクに跨り、両手で彼女の頭を支えているという構図。
ここで眼を覚まされたら社会的な意味も含めて、多分私は生きてはいられないだろう。
しかも彼女に馬乗りになって気がついたことがある。
見えてはいないが、紛うかたなくスワジクは全裸だ。
私の内腿に摺れる彼女の決め細やかな肌の感触で、嫌でも分かってしまったのだ。
私は脂汗をダラダラと垂れ流しながら、抜いた右腕の変わりにそっと左腕を差し込む。
さっきまで不機嫌そうだった顔が途端に穏やかなものに変わり、軽い寝息をさせ始めた。
「ふぅ。なんとか位置の入れ替えまでは出来た。ここにある下穿きとズボンを履けば、あとはスワジクが起きようが何をしようが言い訳は立つ」
が、ここにきて新たな問題が発生した。
右腕が痺れてきて、言うことを利いてくれないのだ。
しかも何処かに触れるたびに、ジンという痺れに思わず声を上げそうになる。
これではズボン一つ満足に掴めないだろう。
私に背を向けて寝るような形になっているスワジクの寝顔を覗き込んで、眠りの深さを確認する。
「うん、当分は大丈夫そうか。仕方が無い、少し痺れが治まるのを待ってから行動するか」
私は仕方なしにベッドに再び横たわる。
こうやって誰かと一緒のベッドに寝るのは、一体いつ振りになるのだろうか?
昔はたまに母上が添い寝をしてくれたように記憶しているが、それもはるか昔の事で思い出すのも難しくなりつつある。
その時は、あたたかい何かに抱擁されるような気持ちよさがあったが、今は緊張のためかそういったものは感じない。
義理の妹相手に抱擁されたいなどという変な趣味も無いけれど。
妙な安らぎに身を包まれながら、私は目の前に横たわっている美しい銀色の髪を眺める。
母親が違うというのに、この銀色の髪だけは双子のように似ているな。
帝国皇族の血を引いているのだから、当たり前といえば当たり前なのかもしれないが。
「うん。大分腕の痺れも取れてきたようだ」
私はベッドの横に置かれている自分の下穿きをまず手に取り、布団の中でなんとか履く。
あまり身体を動かさないようにと注意を払いながらの作業なので、凄く時間が掛かってしまうがバレるよりはいい。
しかし私の体の動きを敏感に感じ取ったのか、またスワジクがぐずりながら寝返りを打ってきた。
しかも私のお腹にしがみ付いてくる様な感じである。
「うほっ、いい抱き枕……」
「……何か背筋が寒くなるような一言だったな」
脂汗を流しながら、私はスワジクが再び眠りに落ちるのを待つ。
だが今の状況だと、手を伸ばしてズボンを取るのにも一苦労しそうである。
なにせ体幹に抱き付かれているのだからな。
さらに困ったことに、私の右足にスワジクの足がのっかかって来たのだ。
(何か別の事を考えるんだ! そ、そう、足に当たっているのは絹の肌触りをした何か動物めいたモノだ。腰の付近に当たっているのは、マシュマロか何かなんだ)
唯一の救いは下穿きを履けたのと、わき腹にしがみついているだけなので、誤解されるような状況にはまだない、と信じたい。
この状況を切りぬけさえすれば、問題など何処にも無いのだから。
私は復活した右手を伸ばして、なんとか椅子の上のズボンを取ることに成功した。
その動きに反応したスワジクが、わき腹に回していた手を五月蝿そうに跳ね上げ、そしてぱたりと落とした。
「はぅっ!」
あまりの容赦の無い痛みに、私は思わず身体を捻って唸り声を上げてしまう。
私が瞬間的に身体を激しく捻らせてしまったので、お腹に乗せていたスワジクの頭も跳ね上がってしまった。
「うみゅっ! な、なに? 何事?」
本格的に覚醒を始めてしまったスワジクに、私は焦ってズボンを履こうと強引に動く。
その動きも相まって、完全にスワジクは眼を覚まし始めてしまった。
唯一の救いは、いまだ寝ぼけていることか。
「うー、懐中電灯、懐中電灯っと……、あ、あった!」
「っ!!!!!」
「ん? あれ? スイッチは何処かな? こっちか? いや、こっちかな?」
「!!!!!」
声にならない声を上げつつ、私はスワジクの攻撃に耐えた。
もちろんスワジクの手を離そうと彼女の手首を掴んだ。
「あ、もしかして頭を回すタイプのやつかなぁ?」
「や、やめないか、スワジクっ!」
私の怒鳴り声でようやく寝ぼけた頭がクリアになったのか、ぱちくりと瞬きを繰り返しながら私の顔と自分の手を交互に見やる。
ようやく状況を把握したのか、その瞬間スワジクの顔から一気に血の気が引けた。
「のあぁぁぁぁっ!!!」
姫とは思えないような叫び声を上げながら、器用に尻餅をついた状態で後ろへと這い下がるスワジク。
もちろん全裸なので直視しようものなら、いろんなモノが見えてしまう。
私はとっさに視線を逸らしながら慌てて弁解しつつ、シーツを彼女に投げてやった。
ほどなくしてスワジクのいいよという声が聞こえたので、私は逸らしていた視線を戻す。
「ご、誤解はしないで欲しい! 私も目覚めたらこのような状況にあって戸惑っていたのだ」
「な、な、な、なんで、ズボンを脱いでるの? それに、ボク寝る前はちゃんと寝間着で寝たのに!」
「それは私のほうが聞きたいくらいだ」
「そ、そ、それに……」
「いうなっ!!! それ以上は言うんじゃない!」
おぞましいものでも見るような眼で、スワジクは自分の右手を凝視しながら震えている。
それはそれで色々と傷つくのだが、まあ今は気にしては駄目だ。
「ま、まずは落ち着こう、スワジク」
「う、うん。分かったよ、フェイ兄」
状況を一から説明するとスワジクは納得してくれたようで、ようやく笑みにも硬さが消えたように思える。
もちろん内心はどう思っているのかは分からないが、それでもここ最近で培ってきた信頼関係が台無しになるような事態にはなっていないはず。
結局スワジクに聞いても、こんな悪戯をした犯人には心当たりが無いという一点張り。
不可解な事件ではあったが、スワジクもこの話はおおっぴらにしたくないとの事で二人の秘密とすることになった。
どうにも腑に落ちないがレディに恥をかかすわけにも行かず、この件はうやむやにするしかなかったのが残念だったが。
その夜、「ミィィィィシャァァァァッ!!!」という少女の怒号が夜の街に響き渡たったのと、凄い形相で町を徘徊する白鬼がいたという噂がまことしやかに囁かれることになるのは、また別の話。