47話「死を運ぶモノ。死に魅入られる者」
古びた教会の中庭に面した場所で、私は椅子に腰をかけて戯れる子猫達を眺めていた。
周りを気にしてオドオドしている真っ白な子猫を、安心させるかのように寄り添う黒猫。
黒猫に構って欲しいのか灰色の子猫がじゃれ付くが、黒い彼女は眠たげに尻尾を揺らすだけ。
灰色の猫にとっては、それでも満足なのか必死になって黒猫の尻尾を相手に猫パンチを繰り出しているのをぼんやりと眺めていた。
猫達の姿を見ていると、何故か胸の辺りがもやもやする。
何か大切な事を忘れてしまっているかのような、そんな焦燥感。
いつの頃からこんな風に感じるようになったのか。
まるで自分が取り返しのつかない何か悪いことをしてしまった後のような、そんな後味の悪さを常に感じてしまう。
「……私は悪くない。私は私の正義を成しただけ」
訳の分からない焦燥感に心が耐えられないほど苦しくなったら、私は必ずこの言葉を呟く。
そうすると信じられないくらいに心が軽くなるのだ。
私にとっては本当に魔法のような言葉である。
猫達の戯れを眺めながらぼうっと時間を潰していたら、中庭の木戸の軋む音が聞こえた気がして振り返ってみる。
木戸から外套を頭からすっぽり被った人影が一つ、表通りを警戒しながら中庭に入ってくるのが見えた。
こんな昼間から外套を頭から被るなんて、少し風変わりな人だなと思いつつ警戒を怠らない。
今私の居る位置を考えたら、あまり悠長に考えている訳にもいかないようだ。
私は外套をまとっている人物からは見えない位置で、ポケットから取り出したナイフを構えた。
もちろん刺す気なんてないが、万が一の用心といったところか。
用意が出来たところで、私はお尻から中庭に入ってくる不審人物に声を掛ける。
「どちら様でしょう? こんな裏寂れた教会に何か御用でしょうか?」
「ひぃぃぃ!」
外套をまとった人影は背後からかけられた私の声に魂消たようで、声にならない悲鳴を上げて尻餅をついてうろたえている。
その聞き覚えのある悲鳴に、私はおやっと思ってナイフをしまい近づいてみた。
「大丈夫ですか?」
「……ル、ルナ!」
怯えるように尻餅をついていた人影が、私の顔を見て一転、嬉しそうな声で立ち上がる。
もどかしげに跳ね上げたフードの下から現れたのは、思ったとおりスヴィータの勝気な笑顔だった。
「やっと会えたわ!」
「ス、スヴィータ? そんなに勢い良く抱きつかれたら、二人とも倒れてしまいますよ?」
「あ、あら、ごめんなさい。私としたことがはしたなかったですわね」
慌てて私から離れたスヴィータは、照れ隠しの為かお尻についた砂埃をぱんぱんと打ち払う。
本当に昔から意地っ張りなところは変わっていない。
私はくすくすと忍び笑いを漏らしながら、さっきまで座っていた軒先に戻る。
「わ、笑わないで! 誰だってあんな後から突然声を掛けられたらびっくりするに決まっていますわ」
「ふふふ。相変わらずで安心しました。それにしてもよく此処に私が居るって分かりましたね?」
「ええ。無理を言ってお父様に教えてもらったのです」
「お父様? 確か侯爵様だったかしら?」
「ええ。お父様が手を回してあなたを助けたって聞いていたので、何度か手紙も出したのだけれども――」
軒先に腰をかけた私に寄り添うように腰を掛けるスヴィータ。
以前に聞いたスヴィータの身の上話。
妾腹の娘とはいえ侯爵様の実の娘だというスヴィータに、私は本当にびっくりしたのを覚えている。
最初の頃は本当にプライドが高いだけで、触れるものすべてに怯えて唸る子犬のようだった。
紆余曲折があって仲良くはなったけれど、今思えばよく平民出の私なんかにこんな風に隔意なく接してくれるようになったものだと思う。
姉さんがいなかったらきっとここまで親しくは成れなかっただろうな。
「ねぇ、聞いてますの?」
「え? あ、ごめんなさい。少しボーっとしてしまいまして」
「はぁ。本当にいつまで経っても貴女は変わりませんわね。危なっかしいというか、なんというか」
苦笑交じりの大きなため息をつくスヴィータ。
こうやってお姉さんぶる彼女を見るのも久し振りだなとぼんやりと考える。
彼女はそんな私にお構いなしに、どんどんと話を進めてゆく。
「だから、敵討ちに私も加えてくださいと言っているのですが、聞いているのですか?」
「あらあら、ちゃんと聞いていますわよ。ですが加えるといっても、もう私の一存でどうのという話では無くなってきているようですし……」
「でしたら、あの蛮行姫に仕返しを計画している人に会わせてください。もう、王宮内の情報をそちらに渡すだけでは……納得出来ませんの!」
そういって悔しそうに俯くスヴィータを見て、私は違和感を覚えた。
てっきりアニスのように、今の姫様は大丈夫だから復讐は諦めろ、と言われるものとばかり思っていた。
もちろん蛮行姫のしてきた事や姉の事を思えば、何度殺しても殺したり無いくらい憎い相手なのは間違いない。
でもあのスワジク姫は、私が殺したいと思った蛮行姫その人なのだろうか?
もっと根本的な所で、スワジク姫は『本当に殺すべき仇』だったのだろうか?
「ルナ! あなたまたぼうっとして! 私の言っていることちゃんと聞いてくれていますの!?」
「……ええ、もちろんよ、スヴィータ」
私の調子のいい返事に、おもいっきり疑わしげな視線をよこすスヴィータ。
あははと笑いながら彼女の視線の糾弾を交わしつつ、どうしたものかと思案する。
仲間に入れるのは簡単だ。
でもスヴィータに何かあれば、困るのは侯爵様に違いない。
そうなった時に、スヴィータはどうなるのか?
……考えるまでも無い、『切り捨てられる』のだろう。
もしかしたら、街道で襲ってきたのはあの蛮行姫の仕業ではなく、レオ閣下の差し金ではないかと勘ぐっていたりもしてる。
万一そうだとしたら暗殺に関わる以上スヴィータの未来は、侯爵様かレオ閣下、もしくはフェイタール殿下から切り捨てられるだけ。
その事をスヴィータは分かっているのだろうか?
いや、多分分かっているから行動したのか……。
「裏切り者のミーシャに鉄槌を下したのも、アニスの事で蛮行姫を精神的に追い詰めようとした時も、私は常に情報を伝えるだけだった」
「……」
「私だってちゃんと出来るって、お父様に教えて差し上げたいの! もっと私を信用していただきたいの!」
「……スヴィータ……」
王宮の外と中では、蛮行姫に対する評価はどうしてこうも温度が違うのだろう?
いや、蛮行姫自体の評価は総じてよくないのは確かだ。
だけど今のスワジク姫の姿を見たら、王宮内で言われていたほど暴虐無人な人物だったのだろうか?
姉の事が無かったら、私はあの裏通りで膝を抱えて泣いていた姫様をどう感じどう思ったのだろう?
もしかして何か大きな勘違いをしているのではないか、私は最近はそんな風に思えてならない。
「とはいうものの、今更後戻りなど出来はしませんけれど」
「何を突然言っているのです? ルナ、お願いですから私にも何か手伝わせてください!! もう、私を仲間はずれにはしないでちょうだい!」
スヴィータが焦れたように私に詰め寄ってくる。
彼女の碧い眼の奥に揺らめく決意に、私は心の中でどうしたものかと困り果ててしまった。
「貴女に人が殺せるのですか?」
背後から唐突に男の声がして、私もスヴィータも泡を食って立ち上がり振り返った。
そこに佇んでいたのは、『名無し』と呼ばれる騎士の称号を剥奪された元騎士。
どこにでも居そうな平凡そうな顔と雰囲気で、まるで茶飲み話のように人の生き死にを語れる男だ。
私達はともかく猫にすら気付かせずに、わずか3歩か4歩の距離に名無しはいる。
その事実に服の下の肌が粟立つ。
スヴィータはその意味に気がついていないようで、警戒はしつつも不機嫌な声を名無しに掛ける。
「あ、あなたは確か……」
「幾度かすれ違ったことがございましたか?」
「そうですわね。……それはそうと、さっきの質問は私に向かって言われたのですか?」
「ええ、そのつもりでお聞きしたのですが」
何を考えているのか分からない顔で、いつもの如く飄々と会話を進める名無し。
いつ見てもこの男は空恐ろしく感じる。
虚無感というか、生きている人間を相手にしているという実感が湧かないのだ。
「ええ、必要とあれば出来ると思いますわ」
「なるほど……それでは――」
「あらあら、私の意見は聞いてくださらないのですか? なんというか反対なのですけれども」
「ちょっ! ルナ! 貴女はっ――」
血相を変えて詰め寄ろうとするスヴィータを片手で制しながら、名無しは私の方を睨みつけてきた。
表情も目つきも全く変わっていないのだが、彼が纏う空気が変わったことで不機嫌になっていることが分かる。
「何故ですか、ルナさん。人手は多いほうがいいんじゃないですか。あの赤毛の娘が仲間にならない以上、ここは侯爵様のお嬢様にお手を拝借するのもありではないでしょうか?」
「そ、そうです! ルナ、先ほども言いましたけれど、私も貴女と共に仇討ちをしたいのです」
名無しの一言で、私の腹は決まった。
私はことさら厳しい表情を作り、二人に相対する。
見も知らぬ誰かの都合で、私の友達を危険に晒すわけには行かない。
「ここで騎士見習いを確保して、アニスと共に蛮行姫をおびき寄せる餌にする。その手はずはほぼ整っていて、今更なんの手助けを必要とするのです?」
「いやはや、何事にもイレギュラーというモノが存在するのですよ、ルナ」
名無しが、にやりと笑った。
背筋が凍りそうなその笑みの意味を、直感的に私は理解する。
どうりで、この男から生臭い臭いがしていたわけだ。
「人を……殺したのですね? 協力者の方ですか?」
「いやいやいや、幾ら私でも仲間を手に掛けるほど落ちぶれてはいませんよ。どうも王都のならず者達がアニスの居場所を探っているようでして。先ほど隠れ家が襲われてしまったのです」
大げさに悲しむような格好をしつつも、彼の眼の奥は冷え冷えとしているのが分かる。
そう、この眼を私は見たことがある。
しかもつい最近のことだ。
「アニスは無事なのですか?」
「ええ、彼女だけはなんとか。ただ決行の日まであの娘の世話をする人物が居なくなってしまいましてねぇ。それに場所を変えないと、衛士たちに見つかる可能性も高くなる」
「あなた、それで私はアニスの世話と監視をすればいいのですか?」
スヴィータが会話に割り込んできて、自分の役割を確認しようとする。
私は焦ってスヴィータを睨むけれども、彼女は私の視線を意図的に無視して名無しと話を進めた。
「いいでしょう。役としては不満もありますが、とりあえずは人手が足らないのであれば手伝います。お父様にもちゃんと私が役に立っていることを報告してくださいね」
「ええ、もちろんですとも。事後の事もご心配なく。しばらくは王都から離れねばならなくなりますが、居心地のいい場所を用意しておりますので」
恭しく首を垂れる名無しに、満足そうに頷くスヴィータ。
スヴィータの愚かな決断を止める事が出来ず、私は苦い思いで二人を見つめることしか出来ない。
蛮行姫も敵だが、この名無しも敵だという事を確信する。
結局は私達は権力者の間で翻弄される小さな存在でしかないのだ。
自分の非力さに、悔しい思いを噛み殺すしかない。
今はまだ、挽回のチャンスがあると信じたい。
敵も討ち、権力者の口封じからも逃れられる道が、きっと何処かにあるはずなのだ。
「私一人なら、どこで死んでもよかったですのに……」
私の呟きは、教会を去っていく名無しとスヴィータにはもう届かなかった。