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44話「舞台裏の少女達」

 暗闇の街の中を、私はあの古ぼけた教会へ向かって歩いていた。

 もう少し蛮行姫の傍に居て情報を集めていても良かったのだが、多分これ以上一緒に居ても意味がない。

 何故なら、あの蛮行姫は自分が知る蛮行姫とは似ても似つかぬ別人だったから。

 とても気立てのいい、可愛らしいお姫様のよう。

 私の顔を覚えても居ないところを見ると、記憶喪失という話はあながちデマではなかったらしい。

 湖に突き落とされて溺れたくらいで、人の人格が変わってしまうほど記憶に変化が起こるものなのだろうか?

 いったい何が彼女をそこまで変えたのか。

 魔術や医術に通じていない私にはいくら考えても原因辿り着けないし、それを追求したところで私のやることには変わりはない。



「そうよね、姉さん。こんな事で迷っていたら、駄目だよね。大丈夫。今度こそ、ちゃんと仇を討つからね」



 私は自分の記憶の中で微笑む姉、レイチェル・ホランにそう誓う。

 幸い相手は私の事を覚えていないし、警戒心すら抱いていない。

 そう、チャンスはいくらでもあるのだから。

 お腹の辺りに隠し持っている毒付のダガーを、私は震える手でぎゅっと握り締めた。

 これなら、掠っただけで相手は苦しみ悶えて死ぬ。

 ラムザスのスパイが使う暗殺用の毒で解毒剤など流通していないから、助かる見込みもないはず。

 前回は失敗したけど、今度こそちゃんと……殺さなきゃ。

 光を失った瞳で、私はじっと目の前にある教会を見つめていた。



(迷うな、お前は悪くない)



 記憶の中に埋もれている筈のその言葉が、突然理由もなく幻聴として蘇る。

 耳に囁かれたその言葉は、いったい誰が発したものだったろうか。

 思い出せないし、分からない……。

 いやもしかしたら、分かってはいるのだけど私がそれを理解出来ないでいるだけなのか。



(お前はお前の正義を成すがいい)

「はい……、分かりました、……様」



 過去からの囁きに、私はゆっくりと肯き了承の言葉を呟く。

 覚悟は決めた。

 あとはいつ行うか、どうやれば蛮行姫を絶望の淵に叩き落せるのか。

 ……まあ、まだ時間はあるのだからゆっくりと考えよう。

 そして絶対に逃げられない、蟻地獄のような罠を張ろう。

 私は薄い笑みを浮かべて、目の前の教会の中へと入っていった。






 王都の郊外にあるカストール邸。

 ちょっとした出城のような外観を持つこの館の主は、自分の寝室のバーカウンターで一人グラスを傾けていた。

 唐突に静かではあるが、ゆっくりとドアがノックされる。

 こんな夜遅くにこの部屋を訪れることが許されるのはただ一人しかいない。

 執事が頭を垂れながら扉を開け、中に入ってきた。



「なんだ?」

「お寛ぎのところ、失礼いたします。『名無し』が戻ってまいりました。ご報告をお受けなさいますか?」

「そうだな、通せ」

「はい、畏まりました」



 暫くして、『名無し』と呼ばれる何処にでもいそうな雰囲気の男が部屋に入ってきた。

 『名無し』はまるで王に接する騎士が如く、片膝を付いて頭を垂れる。

 彼の様子はまるで絵本の中にあるような忠義の騎士のようにも見えた。

 そんな彼の様子に、主であるカストールは微塵も興味を示さない。

 


「首尾はどうだ?」

「はい。王宮から連れてきた女ですが、あまり使い物にならなさそうでございます。どうやら人死にを目の当たりにして怖気づいたようです」

「まあ、もとより期待はしておらぬよ。蛮行姫がなんらかの反応をしめせばと思ったまでだ。それより、あの黒いのはどうだ?」

「はっ、蛮行姫との接触に成功しております。隠し通路の在処を教え、彼女の出入りを常に監視させています」



 カランとグラスの中の氷が音を立てて揺れる。

 カストールは楽しそうにグラスの中で揺れる氷と灯りの反射を眺めながら、目の前の獰猛な忠犬に命令を下す。



「怖気づいてはいないだろうな?」

「それは大丈夫でございます。最初は蛮行姫の変貌に戸惑っていた様子ですが、ようやく相手が自分の憎むべき敵だと認識できたようで」

「ならばそれでいい。頃合を見計らって蛮行姫を始末しろ。それで一歩、お前の夢に近づけるのだ」

「はっ! 必ずや任務を全うしてご覧に入れます」

「よし、ゆけ。この国の貴族共の目を覚まさせてやるのだ。蛮行姫という呪縛を解き放つことで、な」



 一つ大きく頭を下げて、『名無し』は部屋を後にした。

 そのまま執事も下がるものと思っていたら、珍しく部屋に残ったままカストールの方を見つめている。

 彼の視線に気づいたカストールが、訝しげに執事に振り返った。



「なんだ? まだ何かあるのか?」

「いえ、……はい。ご主人様はあの者を信用なされておいででしょうか? 私はどうもあの者を好きにはなれませぬ」

「好きになる必要などない。所詮は没落した騎士の子孫。王侯の礼儀の何たるかも知らぬ、下賎の輩。あやつは死ぬその瞬間まで私に感謝するだろう。自分がただの使い捨ての駒だとも気づかずに、な」

「では最初から騎士に取り立てるというお話は……」

「いや、本気だとも」

「?」

 


 執事の問い掛けに、彼が期待した正反対の答えを返しすカストール。

 カストールの答えに困惑顔になった執事は、じっとその後に続くカストールの言葉を待った。



「なに、生きて帰ってこられたら、という条件が付くだけだ。蛮行姫といえど、王家の身内だ。この暗殺劇が成功しても失敗しても、害そうとした下手人が無事に済む訳が無かろう? クラウの小僧あたりが鼻息荒く、あやつや黒い小娘もついでに始末してくれるだろう。こちらが頼みもせぬのにな、くっくっく」

「なるほど。納得いたしました」

「まあ、一応保険も掛けてある。事が成れば、私は更に多くの盟友を手に入れるだろう。してその力を育てていけば、いずれゴーディン王をも凌ぐやもしれぬ。そうしてこの国を正しき方向へと導くのだ。ああ、その途中で私がこの国を手に入れてしまうかもしれぬがな、ははは」



 自分の壮大な夢に、楽しげに嗤うカストール。

 彼の頭の中では、広大な謁見の間に傅く家臣達が居て、自身を称える音楽が鳴り響いていた。

 掲げた琥珀色の液体を、カストールは満足げに飲み干すのだった。






 今にも潰れてしまいそうな安普請の宿の一室で、私は一人ベッドの上で震えていた。

 地下牢から連れ出される際に見かけた騎士たちの死に様が、目の裏に焼きついて離れないのだ。

 王宮で出会えば笑いながら挨拶をしてくれた騎士の顔もあった。

 いつも勇ましげに見回りをしていた若い騎士が、血溜まりのなか悶えているのに何も出来なかった。

 手当てをすれば助けられた命があったかもしれないのに、自分は『名無し』と名乗った男が怖くて視て見ぬ振りをするしかなかったのだ。

 それが今になって自分の良心をこれでもかというくらいに苛む。

 もし、あの血溜まりに居たのがライラやスヴィータだったら、私はどうしたのだろう?

 もし、あの血溜まりの中で悶えていたのがスワジク姫だったら、私の気は晴れたのだろうか?

 地下牢の中では怒りと悲しみの矛先が姫様に向かっていたから、私はおかしく為らずに済んでいたのかもしれない。

 あの血臭の中を歩き、私は正気に戻れた気がする。



「どうしよう、私、姫様になんて酷い事を言っちゃったんだろう」



 どうして死んでくれなかったのですか?

 死んじゃえば良かったのに!

 現実の人死に接した後で、その言葉の持つ意味がどれほど重いものだったのかようやく理解できた。

 自分でも分かっていたと思う。

 姫様がミーシャちゃんを殺したわけではない事を。

 姫様がミーシャちゃんの事を聞いて泣きそうな顔をしていたのだって、ちゃんとこの目で見てたはずなのに。

 ミーシャちゃんを取られたという嫉妬から、すべての責任を姫様に押し付けたんだ。



「うううっ。わ、私、どうやって姫様に謝れば……」



 姫様を殺そうとしている人達に連れてこられて、手渡された毒の瓶。

 これを短剣に塗って相手を傷つければ必ず死に至る、という劇薬が入っているらしい。

 でも、こんなもの使いたくない。

 今の改心なされた姫様に、こんな怖いものは使えない。

 手にしていた瓶を汚いものでも振り払うかのように放り投げる。



「……いけませんね、貴重な品をそんなに手荒に扱われては」



 いつの間にか部屋の中に入ってきた侍女風の少女が、腰を屈めて床に転がった瓶をそっと拾いあげる。

 私は目の前に現れたその侍女風の少女に釘付けになった。

 何故なら本来ならこんな場所に居るはずのない、既にレオ様の手配によって故郷へ帰ったはずの少女が居たから。



「久しぶりね、アニス」

「……ル・ナ・ちゃん?」



 ラムザス人に良くいる褐色の肌の少女は、私の漏らした呟きに暗い笑みで答えてくれた。

 拾い上げた瓶をベッドの横にあるサイドテーブルの上に置くと、膝を抱えて丸まっている私の横に腰を掛ける。

 まるで怯える私を気遣う親友のような仕草で、私の背中を撫でてくれるルナちゃん。

 警戒心を抱きながらも、見知った人の温もりに少しだけ張り詰めていた緊張が緩む。



「ルナちゃん、貴女どうしてここに?」

「遣り残したことがあるから、かしら?」

「……姫様を、殺すの?」

「……ええ。姉さんが寂しくないように、ちゃんと送り届けなきゃいけないと思うし」

「そ、そんな事して、レイチェルさんが喜ぶの?」

「ええ、だって姉さんは姫様の事、大好きだったじゃない。それに姫様も寂しいって思ってる。私には分かるの」



 光の無い瞳で何処でもない何処かを見つめるルナの横顔に、地下牢の床に転がっていた騎士さん達の死に顔が重なる。

 ルナちゃんはきっと死に魅入られているんだと、私は直感で理解した。

 


「で、でも、人殺しは、どんな理由でも良くないよ? だからさ、もうこんなこと止めよう?」

「アニス、貴女はミーシャの事、許すの?」

「そ、それは、許せないけど。でもミーシャちゃんを襲ったのは、姫様じゃない。それは分かる」

「そうかしら? 蛮行姫だもの、彼女の命に従う無頼漢なんて掃いて捨てるほどいるんじゃないかしら?」

「それは違う。今の姫様は本当にお優しくて、ドジな私にだって嫌な顔ひとつしないで笑いかけてくれて……」



 私は最後まで言葉を言い切れなかった。

 自分の発した言葉で、優しかったここ最近の姫様やミーシャちゃんの笑顔を思い出してしまって、涙が止まらなくなっちゃったから。

 そんな私の様子を冷ややかに見つめるルナちゃんが、ため息をついて立ち上がった。



「同じ姫様を憎む者同志で仲良くやっていけるかなと思ったけど、そっかやっぱりアニスはまだこっちには来ていないんだね」

「……こっち側?」



 ルナちゃんの言葉に思わず泣き顔を上げて、傍に立つ彼女を見上げる。

 私の視線に気づいて、ルナちゃんが振り向いて寂しそうな笑みを浮かべた。

 彼女の瞳はさっきの光の無いようなものではなく、どこか理性を思わせる光が浮かんでいる。



「そう、こっち側。人を殺めた者が棲む世界」

「る、ルナだって誰も殺してないじゃない! 姫様だって元気だし、それに性格だって変わったし。あれって多分ルナがそうしたお陰かもしれないんだよ? ルナってもしかしたら姫様を救ってあげた一番の功労者かもしれないんだよ?」

「ふふ、そんな夢を無邪気に信じられたらどれほど素敵なのかなぁ」

「……ルナちゃん」

「結果がどうであれ、私は人を殺そうとして一線を越えたの。越えてしまった者は、あとは突き進むしかないの。」

「そ、そんな事ないよ! 何度でもやり直せるよ? だから、ね? 私も一緒に姫様に謝るから。今の姫様なら、きっと笑って迎えてくれるから!」



 破滅に向かおうとしているかのような雰囲気のルナちゃんに、私は縋り付いて思いとどまるように説得をする。

 ついこの間までさんざんに姫様の事を悪し様に罵っていたのに、こんな時だけ姫様の助力を願うなんて、私ってなんて浅ましくて都合のいい女なのだろう。

 でも今の私には、姫様の温情に縋るしかルナちゃんを思いとどまらせる方法が思いつかないのだ。



「あの姫様なら笑って許してくれそう。本当、なんか妹みたいな娘だったわ。だからアニス。貴女は戻れるし、戻ったらいい。私みたいになる前にね」

「……え? ルナ、ちゃん? 姫様と会ったの?」

「ええ。姫様は私の事ぜんぜん覚えてないみたいだったけど。隙だらけで、お馬鹿さんで、それでいて他人を巻き込まないように頑張ってるあの姿をみたら、とても以前の蛮行姫と同一人物とは思えないわね」

「でしょ? 姫様は変わられたの。だから、きっとルナの事も……」

「ええ、姫様は変わられたわね。でもね、もう姉さんは返って来ないの。どんなに姫様が改心なされても、どんなに私達が願っても、姉さんは返って来ないの。なら、姉さんが寂しくないように、あの姫様に逝ってもらわないと。あの姫様なら、きっと姉さんを大事にしてくれると思うから」

「そんなの駄目だよ、ルナちゃん……」



 ルナちゃんは話は其処までとばかりに、手で私の言葉を遮る。

 明らかな拒絶に、私はそれ以上言葉を紡ぐことが出来なくなった。



「姫様ね、いま一生懸命貴女を探しているの。絶対助け出すんだって息巻いてね。だから、少しだけ貴女にも手伝って欲しいの。姫様をおびき出す役でね」

「ルナちゃん、そんなのイヤだよ……」

「ごめんね、アニス。その時が来るまでは、ここに居てね?」



 そういってルナちゃんは私の部屋を後にする。

 扉が閉まり際、あの『名無し』さんの横顔がちらりと見えた。

 彼は歩み去るルナちゃんの背中を、悪魔のような笑みで見ていたように思う。

 こんな所でじっとしているわけにはいかない。

 そう思って逃げ道を探すけれど、鉄格子が嵌った窓すら壊せない私に逃げ道など無かった。


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