34話「メイド騎士、爆誕!」(こっそり挿絵11/6)
また朝が来た。
僕はいつもの時間に、いつものように起きて、いつも通りの身支度を始める。
今までは黙っていてもミーシャやアニス達が全てをやってくれていたが、今はその二人はここには居ない。
ライラとスヴィータは、多分扉の外で僕の朝食が終わるのをじっと待っているのだろう。
部屋の中には既に食事を載せたワゴンがぽつんと置かれ、汗をかいた水差しが透明感のある音を鳴らす。
いつもなら聞こえてくる笑い声やメイド達の掛け合いはなく、ただ静かに灰色の時間が過ぎてゆくだけ。
髪を梳き終わると顔の手入れをしなければいけないのだが、最近は面倒くさくてせいぜいが乳液をつけるくらいしかしていない。
化粧なんてする気も起きないし、する意味も無いからこれでいい。
暫くしてフェイ兄が静かに部屋に入ってくる。
これも恒例行事となっているので、驚くこともない。
「やあ、おはよう、スワジク」
「おはようございます、フェイ兄様」
「今日は気分はどうかな?」
「そうですね、いつも通りだと思います」
「……そうか」
いつものように愛想笑いを浮かべて、僕はフェイ兄の気遣いをスルーする。
分かってはいるのだが、今はその優しさが鬱陶しいのだ。
僕のことは放っておいて欲しいといっても、フェイ兄はしつこく毎日やってくる。
何度怒っても、何度泣いてお願いしても、フェイ兄はまるでそれが自分の義務であるかのように、毎朝毎晩やってくるのだ。
「昨日市場に行ってきて、美味しそうなパジィがあったから買ってきたんだ。スワジク、これ美味しいって言ってただろ? これなら食べれるんじゃないかと思うんだが、どうだろう?」
「有難うございます。いつもすいません」
「気にしないでくれ。私がやりたくてやっていることだ。君は謝らなくていい」
「はい、すいません」
感情の無い僕の返事に、フェイ兄は苦笑していた。
いつものようにフェイ兄は朝食を用意してくれ、僕は黙ってそれに口をつける。
それも3口か4口ほど口に入れたら、胸がむかついて来て吐きそうになった。
最近はずっとこう。
お陰で以前でも十分にほっそりしていた体が、今ではあばら骨が浮き出てみっともないくらいになってしまっている。
急に立ち上がったりすると、酷い時は立ちくらみで倒れそうになることもあった。
栄養が足りていないのは十二分に承知しているが、食べ物が喉を通らないのだから仕方が無いと思う。
料理長やフェイ兄達がいろいろと工夫をしてくれているのも知っているが、一向に状況が改善する兆しはない。
いや、改善する気が僕には無いのだ。
何で僕は生きているのか?
どうして僕は生かされているのか?
これから僕はどうやって生きていけば良いのだろう?
ミーシャは苦しんで死んだのだろうか、それとも苦しまずに済んだのだろうか?
ふとした拍子に聞こえてくる地下からの怨嗟の声。
なんで死んでいないんですか?
いつ死んでくれるんですか?
そんな呪詛が湿った感触と共に耳にずるりと入ってくる。
(このまま僕が餓死したら、皆幸せになれるのかな?)
ミーシャの笑顔が、アニスの拗ねた顔が、スヴィータの呆れた顔に、オドオドと皆を見比べるライラの顔が浮かんでは消えた。
じわりと目頭が熱くなり、僕は声も無く涙を落とす。
ぽっかりと開いた胸の穴がギシリギシリと音を立て、僕の心を壊してゆく。
こんな思いをするくらいなら早く楽になりたい。
外の人は親友のレイチェルを殺してしまった後、ずっとこんな気持ちで生きていたのだろうか?
だから遺書なんかを用意して、殺される準備をしていたのだろうか?
ミーシャとは親友というほど深く長く付き合っていたわけではないけれども、それでもこんなに辛く苦しい毎日なのだ。
もし僕の想像通りだとしたら、外の人の気持ち、今ならなんとなく理解できる気がした。
ふと周りを見回してみるといつの間にか朝食は全て下げられており、目の前にはカットされたいくつかのフルーツと絞りたてのジュースが置かれている。
フェイ兄の思いやりに頭が自然と下がるのだが、それでも目の前の食べ物に手をつける気にはなれない。
それらを用意してくれた当の本人も既に部屋からは消えており、またいつものように1人きりの1日が始まる。
部屋の片隅にうず高く積み上げられた本の1冊を手にとる。
いつもの窓際、変わらず置かれている椅子に座り、手にした本を目の前の机の上で広げてみた。
もっともそれは単なる形だけの行為で、本を読むわけでもなく窓の外を見るともなしに眺め続ける。
人の流れ、雲の流れ、陽の指し加減に影の伸び具合。
それすらも意識をしていないから、記憶の片隅にすら残りはしない。
いつもの僕の灰色の時間はこうやって過ぎていくのだ。
僕は、いつこの灰色の世界を終わらせられるのだろうか。
どうせ僕はこの世界にとって異物でしかないのだから、いつ終わったっていいんじゃないのだろうか?
こっちで死んだら、僕の魂は元の世界に戻れるのだろうか?
もう、この世界で生きているのが辛いよ。
誰か、誰か、僕を助けて……。
僕を……して。
鳥の冠亭、ボーマン・マクレイニーの私室。
俺は、ミーシャさんの荷物をベッドの上にぶちまけて、何か使えるものは無いか探していた。
ドクター・グェロの話では、姫様は今精神的に追い詰められている状況にあるそうだ。
ミーシャさんが死んだと思っているので、自責の念に駆られ拒食症になっているらしい。
その他にも色々と思い悩む事柄もあり、欝症状もでていると言っていた。
姫様の現状について理解できたとは思わないが、のっぴきならない精神状態にあることだけは分かる。
一番の大きな要因であるのは、やはりミーシャさんが殺されたと思い込んでいることだろう。
ならミーシャさんが生きているっていうこと知らせることが出来れば、彼女の状況は少しは改善されるのではないか?
なんとかして彼女に伝えられないだろうか?
それも、王宮の人間や刺客たちに気付かれない方法で、だ。
幸いにして彼女の手荷物の一部は俺が預かっている。
この中からミーシャさんだと一発で分かるようなものがあれば、彼女が生きているという証になる。
とは言うものの、小物をベッドの上に並べて眺めてみてもどれもこれもあまりぱっとしない。
ドクター・グェロに頼んで持っていって貰えばいいんじゃないかと思ったが、ドクター曰く持ち物チェックが登城時に行われるらしい。
診察以外に不要なものを持って入るのは難しいそうだ。
ならドクターの口から説明してはどうかとも提案したら、誰が聞いているかも分からないのに迂闊な発言は出来ないとのこと。
なので、やはり城の外から何らかの方法で姫様と直接連絡を取るしかないのだが……。
「なんか良い方法ないかなぁ。魔法で声が直接届けられたら良いのに」
そういってベッドの上にごろんと仰向けになる。
丁度頭の位置にミーシャさんの布鞄があって、良い塩梅の枕となった。
フカフカしてて気持ち良いな……。
「って、まだ中に何か入ってるじゃねぇか! 何が一体入ってるんだ?」
慌てて起き上がり、鞄を手に取ってみる。
良く見てみると取り出し口がもう一つあって、どうやらそこに服が数枚入れてあったようだ。
それがクッション代わりになったので、ふかふかしていたのか。
俺は少し躊躇ったが、鞄の中に手を突っ込んでその服を取り出してみる。
中に入っていたのは、薄い生地のシャツと侍女用のエプロンドレス、白いエプロンと袋に入った小さく折りたたまれた白い布。
多分ハンカチだろうか?
そう思って袋の中の布を取り出してみると、やはり小さい布着れだ。
ただ、なにやらハンカチとは赴きが違う気がする。
恐る恐るだが、両手で布を持って大きく広げてみた。
「おおう、これってもしかしてパンツってやつじゃねぇのか?」
下穿き、下着、パンツ。
色々と言い方はあるのだろうが、それはまさしく女性が下半身を隠すために身に着けるものである。
思わず辺りをキョロキョロと見回してみてから、再度パンツに視線を落とす。
こ、これはあれだ、その社会勉強というか、後学のためというか、人類の発展には必要不可欠な調査なんだよ、きっと。
「へぇ、ボーマンにそんな趣味があるなんて知らなかった」
「ひぃぃぃぃぃ!!」
「鼻息荒くして何見ているのかと思ったら、人の荷物漁って下着なんか探していたんだ」
「ちちちちち、違いますですよ、ニーナさん?」
「その割には鼻の下がびろ~んと伸びていたみたいだけれど?」
人間慌てていると碌なことをしない。
今の俺がまさにそれだ。
鼻の下が伸びているといわれ、慌てて手を持っていって確認したまでは良いのだが、たまたま持っていたものが悪かった。
人の下着を鼻の下に押し付けて、顔を真っ赤にしている変態の出来上がりだ。
「……最低」
絶対零度の視線と言葉を浴びて初めて、俺は俺の仕出かした最大級の失敗に気がついたのだ。
慌てて鼻の下に当てた下着を放り出して、ニーナに言い訳しようと近寄ろうとする。
だがニーナは俺が近寄った分だけ遠ざかる。
くそう、なんだろう、自尊心とかプライドとか色んな物がズタボロになっていく。
「ニーナ、違うんだ」
「ボーマンがそんな人だったなんて、私知らなかったよ」
「いや、だから違うんだって」
「女の人なら誰のでも良いんだ?」
「ば、ち、違うって」
「へぇ、じゃあ、ミーシャさんのだったから、匂いを嗅いだの?」
「違うって。これは事故なんだよ! たまたま何だろうって広げたのがパンツだっただけでだな!」
「……」
相変わらず冷たい視線を送ってくるニーナに、その後小一時間ほど誤解を解くための釈明するのに時間を使ってしまったのだが長くなるので省略させてもらう。
しかし血涙を流し魂を削った甲斐があったのか、姫様と直接連絡とをとる意外な手段をニーナが提案してきた。
提案してくれたのはいいのだが、それを実現するには多くの問題、主に俺の男としての尊厳が失われそうに思える。
とは言うものの俺にはその提案を拒否するだけの気力も根性も無く、ニーナの言うがままになるしかなかった。
変態という汚名を雪ぐには、さらなる屈辱に耐えなければならなかったのである。
世の中はこんなはずじゃ無かったという事で一杯だと、改めて気付かされた昼下がりだった。
曇天の空を、薄暗い部屋の中から見上げている。
一面の鼠色の空ではあるけれども、それでも同じ形の雲はないのだ。
昼食、といっても3口くらいしか喉を通らなかったけど、を済ました僕は、午前に引き続いて、窓際に座ってぼんやりと時間が過ぎてゆくのを感じている。
あれから何日経って、今日という時間がどれくらい過ぎたのかも、今の僕には分からない。
いつものように、いつもの如く、時間は流れてゆくだけ。
そして僕はいつか身も心も朽ちていくのだろう。
ふと視界の端に何かが動いているのが見える。
何の気なしに視線を移すと、どこかの集合住宅の家の屋根の上に人が数人上がって揉み合っているのが見えた。
屋根の上で喧嘩しているのだろうか?
それにしては、人だかりの中心には野球の応援団旗くらいの大きさの旗がはためいていた。
「あ、あの紋章は……」
風に靡く団旗の紋章、ミーシャが国内貴族について教えてくれた中に確かあったはず。
記憶の奥底に沈みこんでいる情報を無理やりに掘り起こして、あそこの屋根にたなびいている旗がどこのものかを思い出そうとする。
旗は相変わらず数人の人に揉みくちゃにされて大きく揺れて、今にも屋根から落っこちそう。
でもなんでだろう、僕はあの旗から視線を逸らせることが出来ない。
いつもなら窓の外で何が起こっても、欠片も僕の興味を惹くことは無かったのに。
喉がヒリつく。
口の中が乾いているようだ。
目は逸らさぬままに、僕はテーブルの上にあった冷めた紅茶を口に含む。
その時、旗が大きくよろめいたかと思うと屋根から落ちそうになる。
「あっ……」
思わず声を上げてしまった自分自身にびっくりしたし、それ以上に自分が何かに興味を持っていることが信じられなかった。
落ちないで欲しい。
頑張れ。
これといった意味も無く、倒れそうになる旗とそれを支える人を応援している自分がいる。
次の瞬間もう倒れてしまうと思った旗が一気に力をぶり返し、取り囲んでいる男たちを振り払い、堂々と屋根の上に旗を突き立てた。
風にたなびく旗の下、濃紺のエプロンドレスと真っ白な前掛けを付けた金髪ショートカットのメイドが立っている。
あのメイド服は、僕付きの侍女にしか着用を許されていないもののはず。
アニスは赤毛、スヴィータは金髪のツインテール、ライラもショートカットだけど、水色の髪をしている。
金髪のショートは、ミーシャだけだ。
僕は手に持っていたカップをテーブルにおいて、目の前の窓を大きく開け放つ。
ここからあの屋根まではとてもじゃないがお互いの声が届くような距離にはない。
僕は屋根の上に仁王立ちしているメイドさんを凝視する。
あれは本当にミーシャなのだろうか。
ミーシャが生きていてくれたのだろうか?
そして僕の瞳は、屋根の上に立つメイドさんにピントがぴたりと合った。
パーマをかけた様な金髪は、ミーシャのそれとは似つきもせず。
しっかりと着込んだ濃紺のエプロンドレスが風に靡く。
自身も自分の格好が恥ずかしいのか、頬を赤らめながらもむすっとした顔をしている。
そう、そこに居たのは、いつぞやの騎士見習いのボーマン・マクレイニーその人であった。
「ぶーーーーーっ!」
口の中に含んでいたお茶を一気に噴出してしまった。
待て! それは無いだろう?
あまりの衝撃に何から突っ込んで良いか分からず、僕のほうがみっともない位にうろたえてしまっている。
「っていうか、ボーマン、君は何してんだよ……」
ああ、なんか真面目に悩んでいた自分が馬鹿みたいじゃないか。
相変わらず集合住宅の住人に揉みくちゃにされているボーマンを、冷めた目で見ている僕がいる。
もうね、突き落とされたら良いと思うんだ。
そう心で悪態をついたらその願いが天に通じたのか、ついにボーマンは集団に押し倒されてそのまま屋根裏部屋へと引きずり込まれていった。
「あ、あはは。本当に馬鹿だよな、ボーマンって」
肩の力が抜けて、胸を塞いでいた何かが綺麗さっぱりと消えてなくなっている。
何故ボーマンがあそこでメイド服を着て立っていたのかは、何となく理解できた。
多分、ミーシャは生きている。
それに何らかの形でボーマンが関与していて、僕にそれを知らせるためにあんな馬鹿なことを仕出かしていたに違いない。
真っ赤な顔をして周囲にわめき散らしていたボーマンの様子を思い出すと、自然と笑みが浮かんでしまう。
「ミーシャが無事だって分かっただけでも嬉しいよ。ありがとう、ボーマン。でもね、もう僕に近づいちゃ駄目だよ? きっとまた皆に迷惑を掛けてしまうだろうから……」
聞こえるはずの無い忠告。
そうであったとしても、僕はそれを言わずには居られなかったんだ。