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30話「そして僕は笑えなくなってしまった(後編)」

 張り詰めた空気の中、アニスが一歩部屋の中へと入ってくる。

 僕とフェイ兄は自分達の失態に動揺していて、彼女が近寄ってくるのをただ黙ってみているだけ。

 そうしてアニスが僕達の目の前で立ち止まると、震える声をようやく絞り出した。



「で、殿下、ミーシャちゃんに、一体何があったんですか?」

「……そ、それは」

「アニス、あのね」

「姫様は!!」

「っ!」

「……姫様は、少しの間だけ黙ってていただけませんか?」



 絶叫に近い音量に、なんとか宥めて下がらせようと思っていた僕は、見えない何かに押されたかのように一歩後ろへ下がる。

 フェイ兄の顔をちらりと盗み見ると、苦虫を噛み潰したような顔でアニスを見下ろしていた。

 知りたくも無い事実の恐怖に、アニスは怯えて逃げ出しそうになっているが辛うじて踏みとどまる。

 自分が大好きなミーシャの事だから、アニスは踏みとどまれたのだろう。

 アニスの悲壮な表情と揺れる瞳が、フェイ兄に彼女の覚悟を伝えた。



「ミーシャは、恐らくは昨晩から行方不明だ。何らかの事件に巻き込まれた可能性が……」

「その事件というのが、その手紙なんですね?」

「断定は出来ない」

「他にどういう解釈が出来るのですか? 昨日ミーシャちゃんが居なくなって、今朝この手紙が放り込まれたってことは、そういう事ですよね?」

「まだ死んだと決まった訳では……」



 アニスは俯き加減でじっと下唇を噛んで、溢れてくる何かと戦っている。

 多分それは悲しさというよりも、何かに対する怒りなのだろう。

 彼女の小さな肩が振るえて、息遣いも荒い。

 


「なんでミーシャちゃんが狙われなくちゃいけなかったんでしょうか?」

「……こういった手合いに、理屈など付けられん。奴らは奴らの勝手な主観で行動しているんだ。運が悪かったとしか」

「嘘! 運が悪かったなんて、……嘘だ。そんな殿下自身も信じていらっしゃらないような言葉で、私をはぐらかさないでください」

「アニス、落ち着くんだ。君の気持ちはよく分かるが、身近に敵を探してもそれは不毛な結果しか……」

「じゃあ、私は誰を恨めばいいんですか? もし本当にミーシャちゃんが……だったら、私は誰を憎めばいいんですか?」



 フェイ兄に向かって吐き出された言葉は、だけどしっかりと僕の胸に深く突き刺さる。

 ミーシャが居なくなった理由は、恐らくこの手紙が言うとおり私と仲良くなったからに違いない。

 誰かが僕達の毎日をどこからか見ていて、それで生贄を見つけたんだ。

 ミーシャを殺したのが犯人の罪なのであれば、ミーシャを殺させる要因を作ったのは……僕の罪なのだろうか?

 人と仲良くなりたいと思うことが罪になるのなら、僕はどうあればよかったのかな?



(憎めばいいのよ。傍に居る人を。自分を取り巻く状況を。そして自分自身を)



 それは幻聴。

 聞こえるはずの無い、本当のスワジク姫の声。

 でも、今ならなんとなく彼女の深い悲しみが少し見えた気がした。



「アニス……」



 僕はどう声を掛ければいいのかも分からないまま、それでもいたたまれずに彼女に声を掛ける。

 何か話をすることで、少しでもアニスの気持ちが和らげばいいと。

 でもそれは火に油を注ぐ結果にしかならない。



「楽しいですか?」

「え?」

「周りの人を不幸にして、そんなに楽しいんですか?」

「そこまでだ、アニス!」



 据わった目で僕を睨みながら、低い声で僕を糾弾するアニス。

 そこから先を言わさないようにと、フェイ兄が僕とアニスの間に割って入る。

 だが激昂したアニスがそれで止まるわけも無く、フェイ兄を振り切って僕に掴みかかって来た。



「そんなに私たちが苦しむ姿が楽しいんですか?」

「ち、違っ、そんなことは……」

「だったら、なんでミーシャちゃんがここに居ないんですか!?」

「……」

「だったら、なんでレイチェルさんがここに居ないんですかっ!!」

「……」

「皆、貴女に近づいて居なくなったんですよ? これ以上、私から友達を奪わないで……」



 ぼろぼろと涙を流しながら崩れ落ちるアニス。

 僕はただ見つめることしか出来ず、声すらも出ない。

 そして、破滅の言葉は紡がれる。



「どうして、貴女はあのまま死んでいてくれなかったんですか?」

「アニス!」



 フェイ兄の鋭い叫びが部屋に響いたが、そんなものは今のアニスにも、僕にすら届かない。

 僕に向けられた純粋なアニスの願い。

 その呪詛は、あっという間に僕の心臓に絡みつき鋭い棘を突き刺した。



「貴女があのまま死んでくれていたら、せめてミーシャちゃんは死ななくて済んだのに!」

「よせ、アニス! それ以上喋るなっ!!」

「あんたなんか、死んじゃえば良かったのにっ!!」



 パンッと乾いた音が鳴り響く。

 フェイ兄がアニスを平手打ちした音。



「衛兵! この者を連行して牢にぶち込んでおけ」

「はっ!」



 叩かれて呆然としているアニスを、見知った衛兵達が両脇から抱え上げた。

 アニスは特に抵抗する様子も無く、大人しく連れてゆかれる。

 ほんの少し前まではいつもと同じように僕と過ごしていたアニスが、今は罪人として連れて行かれるのだ。



「大丈夫か?」

「う、うん」



 フェイ兄が僕に寄り添うように肩を抱き、気遣ってくれている。

 いつもはウザイとしか思えない行為も、今だけは有難かった。

 僕はフェイ兄の胸に頭を持たせ掛けながら、ぼんやりと宙を眺める。



「フェイ兄、アニスは……、どうなるの?」

「……暫く牢で頭を冷やしてもらおうと思う。時間が経てばあの娘も冷静になれるかもしれないしな」

「不敬罪……、ってやつなんだよね?」

「ああ……」

「レイチェルの二の舞だけは……、駄目だよ」

「ああ……」



 多くの人が見守る中での発言だから、簡単には許されることではない。

 それに悪しき前例がある。

 でもアニスまで居なくなったら、僕はきっと駄目になるだろう。

 フェイ兄は僕を優しく抱き上げると、そのまま寝室へと連れて行ってくれた。






 スワジクを寝室に運んでから、身の回りの世話をライラとスヴィータに任せ、私は自分の執務室に戻った。

 ミーシャの事も、アニスの事も非常に頭の痛い一件ではある。

 が、それよりも私には気にかかることがあった。

 それはスワジクの事である。

 人格が入れ替わって以降のスワジクは、本当に良い笑顔をする娘だった。

 私が7歳の夜に見た、あの時のスワジクのはにかむ姿と変わらぬように。

 しかしさっきの彼女の表情は、再会したときのスワジクを髣髴とさせた。

 まるでこの世に楽しいことなど何一つとしてないというような、絶望や拒絶を臭わせる表情だ。

 このままでは、今のスワジクも同じ道を歩んでしまうのではないか?

 それを未然に防ぐには、私はどう動けば良い?



「殿下、そう思いつめたところで状況は変わりませんよ?」

「……レオ、か」

「この度の件は、未然に防げず申し訳ありませんでした」

「人は万能には出来ていないんだ。広げた指の間から零れていくものだってあるだろう」

「そうかもしれませんが、やはり悔やまれます」



 優秀だ、天才だと言われても、所詮人間のすることに万全などということはない。

 今は極左派の仕業としてミーシャの件を捜査しているが、それだって本当かどうか怪しいものだ。

 何せスワジクの敵は多すぎる。

 皆、自分達の正義を振りかざして、あの娘を蹂躙しようと暗躍しているのだ。

 それはもちろん自分達を含めての話。



「私はな、レオ……」

「はい、なんでしょうか」

「スワジクがなんであそこまで傍若無人に振舞っていたのか、本当に理解出来なかった」

「はい」

「下心を持って近寄ろうとする者には牙をむいて、親しみを持って近寄ろうとするものには毒舌と暴力で接してきたんだ」

「はい」

「私はそれを母親に対する処遇への逆恨みや自分の環境への反発、ヴォルフ家の名を守るためだとばかり思っていたのだが……」

「はい」

「いや、思い込もうとしていたのかも知れないな」



 だからどうしたという話。

 全ては憶測、全ては過去。

 スワジクが何を考え、思っていたのか、それはもう私が知りたいと思っても叶わぬ願いなのだ。



「私は、やり直せるのだろうか? あの夜からもう一度……」



 そんな自分にだけ都合の良い話が、世の中に通用するはずも無く。

 次の日の朝、スワジクの部屋の前でぼんやりと立っている二人の侍女の姿を見つける。

 何事かと思い二人に何があったのか聞いてみた。



「はい、今朝いつものように姫様の支度をと思って参りましたら、道具一式を中に入れたところで追い出されてしまいました」

「何を考えているんだ?」

「私たちには、少し分かりかねます」

「分かった。私が聞いてこよう」



 私は二人の侍女を置いてスワジクの部屋へと足を踏み入れた。

 スワジクは鏡台の前に座って一生懸命髪を梳いているところだった。

 鏡に私が映ったのを見たのか、慌てたように此方を振り向いて朝の挨拶をする。



「今朝はどうしたんだい?」

「えと、自分のことは自分で出来るかなと」

「それは彼女達の仕事を奪うことになるんだよ。気持ちは分からないでもないけれど、それも王族の仕事の内だ」

「かもしれませんが、あまり彼女達もボクと一緒にいたいと思ってないようですしね」

「……」

「なら、一人のほうが気楽で良いのです」



 困ったような顔をしてそう言い切るスワジク。

 きっと昨日のアニスのことが尾を引いているのだろう。

 だからといって無理やり侍女を引き入れるのも、スワジクの気持ちを考えれば躊躇われれる。

 私は彼女に何も言えず、仕方無しに朝食の準備を手伝って一緒に食べることにした。


 次の日も、やっぱり侍女たちは扉の前で待ちぼうけを食らわされている。

 その次の日も同じことが繰り返され、ライラ達もそういう役割に変わったのだと割り切った様子。



「スワジク、ご機嫌はどうかな?」

「ああ、フェイ兄様。別にいつもと変わりないですよ? なべて世は事もなし、ってところですね」

「そうかい」



 次の日もまた、私は彼女の様子を見に部屋へ通う。


 

「え? 今日はずっと外の景色を眺めていました。まあ、少し退屈ですけど、平和が一番ですよ」



 錆び付いた様な愛想笑いしかしなくなったスワジクを見ても、私には彼女にかけられる言葉が見つからず、ただそうかと頷くだけ。

 予定していた家庭教師たちも全てキャンセルして、スワジクはただ一人あの寝室に閉じこもる。

 誰とも会話もせず、少しも笑いもせず。

 ほんの数日前までのあの賑やかさが、いかに貴重なものであったのか嫌でも思い知らされた。

 私は、あのスワジクに何をしてやれるのだろう?

 どうすれば、私はあの笑顔を取り戻せるのだろう?

 過ぎ去った時間は、どうあがいても取り戻せないのだろうか……。


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