26.5話「とある王子と侍女のお話」(2/21加筆)
「殿下、少し姫様についてお話があるのですが、よろしいでしょうか?」
外出から帰ってきて暫くしてから、珍しくミーシャが私の執務室を訪ねてやってきた。
なにやら思いつめた表情だったので、普段は噂が立つのを気にしてやらないのだが、人払いをして部屋に二人きりとなる。
それに対してミーシャは無言で頭を下げて謝意を示す。
「で、話とはなんだ?」
「はい。実は姫様の事なのです」
「ふむ。昼間、急に取り乱したことについて何か心当たりがあるのだな?」
「はい。ですが事は昼間の件というよりも、姫様自身の秘密についてでしょうか」
「スワジクの秘密、だと?」
私はいぶかしげに目の前のミーシャを見据えた。
ミーシャは私の視線に臆することもなく、ゆっくりと首肯する。
少なくとも今現在、スワジクの事で我々が把握していないことなど何一つない筈である。
その交友関係(もともと交友関係すら存在しないが)、取引のある業者や、彼女に睨まれている貴族や官僚たち、食事の状況から健康状態まで、完全に管理しているはず。
そのスワジクに秘密があるというのなら、彼女自身の内面の話か、彼女が画策しているなにか、か。
私は居住まいを正して、ミーシャに向き直る。
「よし、話を聞こう」
「はい。実はあのスワジク姫様は、本当のスワジク姫ではない、と本人は言っております」
「……はぁ?」
のっけから意味の分からないことを言われて、私は思わず間抜けな声を上げてしまった。
そんな私を見ても、ミーシャは特に気分を害することもなく、むしろ私の反応に理解を示しているようだ。
「では、あのスワジクは替え玉で、本物はどこかに連れ去られたとでも?」
「いえ、そうではありません。確かにあの姫様は、本物の姫様です。が、中身がどうも違うようなのです」
「中身が違うだと?」
「はい。これは本人の話ですが、中の人である自分はおそらくイジゲンの世界にあるチキュウという星から来たミライ人らしいです」
「……全くもって意味が分からんのだが?」
「実は私も完璧には理解をしておりません」
頬をぽりぽりと指で掻きながら、ミーシャは苦笑する。
私は大きくため息をついて、椅子にもたれかかった。
正直、目の前の侍女の配置換え、もしくは解雇も視野に入れて考えなければいけないかもしれない。
「まあ、そのイジゲンのチキュウという所のミライ人が何をしに、我々の王国にきたのだ?」
「姫様の話では、おそらく向こう側で事故か何かで肉体を離れた魂が、何かの拍子で、たとえば魔法で召喚した等ですが、こちらの世界に呼ばれて姫様の体に宿ったということらしいです」
「……その魔法は誰が使ったというのだ? この王国に魔法を使えるものなど、数える程しかいないのだぞ? ましてや、ドクターを超える導師など帝都に行かなければ見つからないのではないか?」
「それはおっしゃる通りです。実際姫様も、自分の仮説には自信がない様子でした。ですが、手段の証明は出来ないけれども、結果の証明なら出来るということで先ほどの話を聞かされたのです」
「にしてもだ、そんな与太話、誰が信じる?」
苦笑いをするミーシャ。
まあ、自分の話がずいぶんと怪しげなものであることは理解している様子だ。
なぜこんな意味不明な話を持ち出したのか、その真意を聞きだした後彼女の処遇を決めることにしようと心に決めた。
「殿下は、スワジク姫の人物をどのように評価されていますか? もし差し支えなければお聞かせ願いたいのですが」
「……まあ、いいだろう。私のスワジクに対する評価は、自己中心的で排他的な思考、自己顕示欲が強くて、猜疑心の強い女だ」
「はい、そうです。私も以前まではそう違わない認識でした」
「今は違うと?」
「はい。それは殿下だけでなく、落水事故以後姫に関わった者達であれば、違和感を覚えているはずです」
確かにミーシャの言うとおり、現在我々はスワジク姫の今までにない行動に翻弄されて頭を悩ましていたところだ。
「人畜無害、臆病者でどうしようもない善人。私が接してきて感じた今の姫様の評価です」
「なるほど。確かに君に言われてみれば、符合する点がいくつもあって納得だな」
いつの間にか前かがみになっていた体を、再度椅子の背もたれに寄りかかって、私は天井を仰ぎ見た。
確かに違和感という点では、なるほどと肯かざるを得ない点が多い。
だが、荒唐無稽な『別人格の憑依』という話を納得させうる内容かといわれれば、少々首を傾げなければならない。
確かに以前のような攻撃的な雰囲気は消え、どこか町娘を思わせるような仕草や行動が目立っていたのは確かである。
だからといってそれが『別人格』であると、いったいどこの誰が証明出来ると言うのだ。
「だがやはり『別の人格』だとか、『イセカイ』から呼び寄せられた魂だといわれても誰も納得はしないと思うんだが」
「はい。正直私もその点については、姫様の論を証明できないのでどうしようもありません。ただ、落水事故以後の姫様の言動を見聞きして、そして実際に彼女の心に触れてみて、私は確信いたしました。あの姫様は別人であると」
まるでそれが最大の証明であるといわんばかりに胸を張って言い切る彼女の姿を見て、少し考えを改めるべきなのかもと私は根拠もなく思ってしまった。
ミーシャの今までの働きを見る分には、彼女は侍女として十分以上の働きをしていると思う。
その誠実な働きに清廉な人格はヴィヴィオも大いに褒めていたところではあるので、彼女の狂言だと言い切るのも少し疑問の余地がある。
だが、それでも彼女の話を無条件に信じるには、色々と情報が足りないのも事実。
「殿下。私は必要以上に姫様を警戒するのは、いい結果には繋がらないような気がするのです。あの姫様は自分の善性にそって行動なされています。ですのでその言葉、行動をそのまま受け入れてあげれば、それがきっと姫様にも殿下にとっても最善の道になる、と私はそう思うのです」
「……」
彼女の言わんとしていることも分かる気がするが、といって無条件に蛮行姫を信じていいものかどうか。
しばしの間、無言でじっとミーシャを見つめ、ミーシャも無言で私の視線を正面から受け止めている。
その瞳に揺らぎはなく、その表情にも翳りも不安も焦りも見えない。
「すぐに信じろとはいいません。ですが、落水事故以後の彼女のことをもう一度思い返してあげてください。そして疑いの眼でみるのではなく、彼女の善意を信じて感じ直してください。その上で、姫様から今の話を打ち明けられたときには、黙って話を聞いてあげて欲しいのです。心を開いて、彼女の気持ちを受け止めてあげてください。それが出来るのは、多分殿下を置いてほかにはいないと思うから……」
言いたいことを言い切ったという表情で、ミーシャは口を閉じた。
彼女の気持ちは分からないでもないが、正直信じたい気持ちが半分、疑わしい気持ちが半分である。
その私の内心も見透かして、ミーシャは信じなくていいと言ったのだろう。
もし、スワジクからその話があるのであれば、先入観なしに聞いてやるのもいいかもしれない。
その上でスワジクやミーシャの言うことが狂言かどうかを判断すればいいことだ。
もし狂言であれば今までどおりの対応で問題ないだろうし、本当ならば、それは王国にとってはいい話なのだろう。
そう頭の中で結論付けた瞬間、目の前にあの夜の幼かったスワジクが現れる。
(またね、フェイタール兄様……)
突然湧き上がる寂寥感に、私は意味が分からずと惑ってしまう。
あの夜のスワジクの笑顔がなぜこんなにも悲しく見えてしまうのか、この時の私には理解できなかった。