14話「なんとなく状況が分かってきたかもっ!」(後編)
しんと静まり返った執務室の中、レオがまさに私の問いに答えようとしたその時、突然ドアがノックされた。
会議中ということは各部署に通達済みなので、よほどの緊急事態でないかぎりここへは誰も寄ってこないはず。
私はヴィヴィオに目配せをして、対応するよう促す。
彼女はすぐさま表情を切り替え、洗礼された動きで来訪者が待っているであろう扉へと向かった。
「誰か?」
「はい。スワジク姫殿下付の侍女、アニスでございます。姫殿下が是非フェイタール殿下にお会いしたいとお申しになられまして……」
「しばらく待て」
問答無用に会話を切り上げ、ヴィヴィオがこちらを振り向いてどうするかの指示を待っている。
私は傍まで来ていたレオを見上げて、彼の意見を聞くことにした。
「先ほどのお尋ねの件ですが、私にも姫殿下の狙いがいまだ絞りきれておりません。が、向こうから出向いてきてくれているのであれば、ここは相手の行動を見てから考えてもよいかもしれません」
「女狐と狸の化かしあい……か」
「女狐は女狐でも、あれは妖狐の類です。しっかりと気を張って臨むべきでしょう」
「……わかった」
私はゆっくりとヴィヴィオに肯いて、スワジクを執務室に招き入れた。
時間は少し遡って、城の厨房。
さすがに城に詰めている人たちの食事を作るだけあって、半端じゃない広さだ。
かまども30位はあるんじゃないだろうか。
今は昼食後ということもあって調理場にはほとんど人がおらず、洗い場で食器やら道具を洗っている人が10人くらいいる。
その調理場の一角を、スワジクとミーシャ、アニスは占拠していた。
「さてと、材料はこんなものですね。道具も一通りそろっているし、窯はどうでしょうか?」
「は、はい。今火を入れましたけど、昼前にも使っていたみたいなのでそんなに時間は掛からないと思います」
鼻の頭を真っ黒にしたアニスが振り返って報告してくれた。
なら窯がいこるまでの間に、生地を作ってしまおうか。
妹に無理やり作らされたクッキー作りが、まさかこんな所で活躍しようとは。
なんでもやっておくものだなぁとしみじみ思う。
ま、そんな回想よりもクッキーを焼くの方が先なんだけどな。
出来ました。
え? 途中経過? なにそれ、美味しいの?
ぶっちゃけ、そんなレシピここで言ってもねえ。
だいたい普通のバタークッキーだし、慣れてたしね。
出来栄え? あーた、そりゃ完璧だよ。
伊達にあの鬼妹に2年間も強制的に仕込まれたわけじゃない。
っていうか、ミーシャさん、アニスさん、なんでそんなに驚いた顔してんの?
女の子ならこれくらい当然の嗜みでしょうが。
「い、いえ、それはそうかもしれませんが、まさか姫様がここまで上手に焼かれるとは予想もしていませんでしたので」
「ですよね。なんかすごい手馴れてた。もしかしたらミーシャちゃんや私より上手いかも」
「ふふふん。ま、人間誰にでも一芸はあるということです。さあ、お茶の用意をしてフェイ兄様のところへいきましょう。きっとびっくりするでしょうね」
「本気で腰を抜かすくらいびっくりすると思います」
そんな大げさなミーシャさんのお世辞に気をよくした僕は、女の子ぽく見えるように飾り付けをしてワゴンに乗せた。
ぐふふふ、ここまで完璧にしないと許してくれなかったからな、うちの鬼妹。
っていうか、ボーイフレンドへのプレゼントくらい自分で作りやがれ!
さて、今必殺の手作りクッキーを持っていってやるからな、変態シスコン兄め!
これで悶え死ぬがいいわ。
で、今フェイ兄の執務室。
意気揚々と乗り込んだまではよかったんだけど、あれ? 何? 空気悪くない?
「やあ、スワジク。急にどうしたんだい。こっちの方まで来るなんて珍しいじゃないか」
「あ、いえ、フェイ兄様は今日はお忙しいとお聞きしていたので、3時のおやつに甘いものなどいいのではと思って焼いてきたのですが……」
「え゛、君が焼いたのかい?」
「はい。フェイ兄様の為に一生懸命作りました。よかったら皆様も摘んでくださいな」
ぴしっという音が部屋の中に響いたような気がするくらい、僕とミーシャ、アニス以外の皆が固まってる。
なんだよ、そのありえないっていう表情での反応は。
なんでミーシャ声を殺して笑ってるの?
……ってあれ? もしかしてスワジク姫ってお菓子も料理も出来なかった……のか?
あるぅえ、リサーチ不足?
てかその件についてはリサーチすらしてなかったけどね。
「一つお聞きしてよろしいでしょうか、姫殿下。それはお一人でお作りになられたのでしょうか?」
頬を引き攣らせたレオが、恐る恐るといった感じで話しかけてきた。
ははぁん、さてはあれだな、食えない代物を持ってきたって思っているんだな。
愚か者め、一口食して己が不明を猛省せよ。
「ミーシャさんとアニスさんにも手伝ってもらいましたが、おおむね私一人で作りました」
「なるほど。お一人で、ですか」
「それでは私が毒見をさせていただきましょうかな」
なんか初めて見るごつい人がぬっと出てきて、ワゴンの上にあったクッキーを一つ摘んだ。
しかし、でかいなこの人。
僕の1.5倍くらいはありそうじゃん。
焼いたクッキーが、なんかの欠片かと思うくらい小さく見えるよ。
で、ひょいとクッキーを口に入れ、傍に入れてあったあつあつの紅茶を一気に飲み干す。
ってそんな勢いで飲んだら、喉を火傷するんじゃないのか?
「ふむ。なるほど。これは……なんとも」
執務室にいた一同の視線が、その木偶の坊さん(勝手に命名した)に集中する。
そんなことを気にもせず、彼はさらに別の形のクッキーに手を伸ばし口に放り込む。
繰り返すこと5度目にして、フェイ兄が痺れを切らしたようだ。
「コワルスキー、どうなんだ?」
「は? 何がでしょうか?」
「お前、毒見してたんじゃないのか?」
「おお、これはすいません。あまりに美味しかったもので、ついつい失念しておりました」
がこんと机の上にアゴを落としたフェイ兄に、豪快にがははと笑ってもとの場所へと戻ってゆく木偶の坊改めコワルスキーさん。
ロッテンマイヤーさんぽい人とミーシャ、アニスが皆にクッキーと紅茶を振舞っているうちに、僕もフェイ兄の分をトレイに乗せて持ってゆく。
「お仕事お疲れ様です、フェイ兄様。疲れたときは糖分を取るといいといいますから、たくさん食べてくださいね」
「あ、ああ、すまないね。しかし君がお菓子を焼けたなんて僕は初耳だったよ。いや、本当にびっくりしたよ、スワジク」
トレイで口元を隠しながらはにかんで見せる。
僕の予想では、破壊力ばつぐんの視覚効果があるはずだ。
寝る前に、ちょと何度か鏡の前で遊んでたから間違いない。
自分の笑顔に悶えるって言うのも痛いけど、まあ、もとが違う人間だしOKだよね。
ま、ロリ変態にここまでする必要はないかもしれないが、他の人もいたしレオもいたから「可愛く健気な妹」のアピールが出来てよかったかもしれないな。
とりあえず、クッキー焼いて好感度UP作戦は成功したといっても過言ではなかろう。
うわっはっはっは。
スワジク達が出て行った後の扉を、部屋の中にいた全員がじっと凝視していた。
目の前にある食べ残したクッキーと、可愛らしいレースの布とリボンに包まれた手付かずのクッキー。
今あったことだけを素直に受け止めるのであれば、甲斐甲斐しい妹の兄への気遣いという話でいいのだが、相手はあの蛮行姫である。
この出来事を素直に受け止めていいものかどうか。
「ヴィヴィオ殿」
「はい、なんでしょうか閣下」
「私は今まで姫殿下が厨房に入って料理の真似事などをしたといった報告は一度も受けたことが無いのですが?」
「はい。私もそのような報告は閣下にした覚えはありません」
二人がふぅと大きなため息をついて肩を落とす。
優秀であると自負する二人が、自分達が一番注視していた人物において知らないことが存在した。
さぞ二人の矜持を傷つけただろうな。
何を隠そうこの私ですら少なくないショックを受けたのだから。
あの者については他の誰よりもむしろ本人よりも熟知しているつもりだったのだが、どうやらそれは慢心であったようだ。
「レオ、それでスワジクの狙いをどう見る」
「……彼女の行動は、それほど複雑でも難解でもありません。が、彼女の目的なり考えが読めません。上辺だけを見るのなら、これ以上ないくらい我々にとってはいい変化ではあるのですが」
「ま、これだけ方向性が違えば、何を信じていいかわからんですわな。まったく、ボーマンの奴が誑かされるのも分からんでもないな」
あきれたようにソファーにふんぞり返って笑うコワルスキーに、眉間にしわを寄せて不機嫌にしているヴィヴィオ。
センドリックは既に思考を放棄しているようだし、私にいたっては何をどう考えていいいのかすら分からなくなっている。
暴れても、大人しくなっても、人を悩ませ翻弄することだけは人一倍の能力を見せるスワジクに、今は脱帽するしかなかった。
「この変化が本当であれば、皆が幸せになれるのにな」
誰に聞かせるでもなく私はそう呟いた。