第8話 嵐瞳《らんどう》
──目が、痛い。
いや、正確には違う。
目の奥が、熱を持っている。
視界の端がわずかに歪み、世界が遅れて見える。
それでも、俺は瞬きをしなかった。
目の前に立つ男──白鷺の牙。
握り締められた拳。迷いのない構え。
「……来るぞ」
自分に言い聞かせるように、息を整える。
次は確実にグーを出す。
あいつは、そう宣言した。
つまり──
次は、斬瞳では足りない。
斬瞳は勝ったと錯覚した瞬間を切る技だ。
だが、あの男はもう知っている。
勝つと思わない。負ける覚悟で、拳を出す。
なら──
切るしかない。
意志ごと、視界ごと、判断そのものを。
「じゃんけんぽん」
チョキ。
牙の拳が、打ち出される。
グー。
──その瞬間、世界が砕けた。
「……不知火流」
世界が、一拍止まる。
視界が、分裂する。
前後、左右、上下。
一つだったはずの相手の像が、無数に増える。
「──嵐瞳」
斬瞳を、一方向じゃない。
嵐のように、同時に叩き込む。
網膜が悲鳴を上げる。
脳が焼ける感覚。
視神経が引き千切られそうになる。
見える。
──見えすぎて、壊れる。
牙の意志が、拳の奥で軋むのが分かる。
「負けてもいい」
「それでも、世界は……」
その思考が、生まれる前に──
切る。
意志が、判断になる前に。
判断が、手になる前に。
視界が、竜巻になる。
牙の身体が、宙に浮いた。
一度、二度、三度。
錐揉みのように回転しながら、空中で翻弄される。
──落ちた。
重い音。
土が跳ね、空気が揺れる。
俺は、立っていた。
……勝った。
でも。
膝が、笑う。
視界が、暗転しかける。
目の奥で、小さな火が燃え続けている。
(……使いすぎた)
分かっていた。
分かっていて、止まらなかった。
倒れた牙が、微かに息をしている。
その口が、動いた。
「……それでも……」
掠れた声。
「俺たちは……救われた……」
……救い?
胸の奥が、重くなる。
俺は、何を切った?
誰を、倒した?
ただ立っているだけなのに、
世界が遠ざかっていく。
「ピース……!」
リナの声がした。
駆け寄ってくる気配。
俺は、答えようとして──
言葉が出なかった。
彼女の顔が、滲んで見える。
不安と、恐怖と、怒りが混ざった表情。
「……ねえ」
リナの声が、震えている。
「もう……やめよう?」
その一言が、
斬瞳よりも、深く刺さった。
「復讐とか……正義とか……」
「それより……
これ以上、あなたが壊れるのが、怖い」
壊れる。
その言葉が、頭の中で反響する。
俺は、ゼロを倒す。
兄の仇を取る。
そのためなら、目が焼けても構わない。
──本当に?
倒れた牙。
出さなかった白鷺の手。
そして、今、震えるリナ。
俺は、誰のために切っている?
「……分かってる」
やっと、声が出た。
でも、その声は、俺自身にも届いていない。
「分かってる……けど」
それ以上、言えなかった。
リナは、何も言わず、唇を噛んだ。
責めなかった。
引き留めもしなかった。
それが、余計に苦しい。
夜風が吹く。
冷たいのに、目の奥は熱いままだ。
俺は、まだ引き返せない。
でも──
引き返せない理由が、
少しずつ、分からなくなってきていた。
嵐は、去った。
だが、俺の中には、
まだ、渦が残っている。
ピース失明まで:斬瞳、残り78回。
——切るたびに、視界は薄くなる。
網膜に刻まれた代償は、
確実に、俺を終わりへ近づけていた。
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次回:第9話 引き分けの刃
誰も負けなかった——
でも、俺の心にはゼロの影が差した。




