第6話 パーの街
街に足を踏み入れた瞬間、
胸の奥が、ふっと軽くなった。
理由はわからない。
でも、はっきりと感じた。
——怖くない。
瓦礫はある。
建物も古いし、壁には戦争の傷跡だって残っている。
それなのに、この街の空気は、どこか柔らかかった。
人の視線が、刺さらない。
「……すごい」
思わず、声が漏れた。
隣を歩くピースは、何も言わない。
いつも通り、無表情で、ポケットに手を入れたまま。
でも、ほんの少しだけ、肩が強張っているように見えた。
通りの中央で、子供たちが走り回っている。
転んで、泣きそうになって——
でも、すぐに笑った。
「じゃんけん!」
小さな手が、同時に開く。
「……あ、また一緒だ!」
二人とも、パー。
それだけで、終わり。
勝ちも、負けもない。
喧嘩にならない。
怒鳴る大人もいない。
(……いいな)
胸の奥が、じんわりと温かくなる。
市場では、揉め事が起きても長引かない。
誰かが声をかける。
「まあまあ。じゃんけんで決めよう」
結果は、いつも同じ。
パー。
パー。
引き分け。
それなのに、みんな納得している。
不満そうな顔をする人もいるけど、
怒りをぶつける人はいない。
「……ねえ、ピース」
私は歩きながら、そっと声をかけた。
「ここ、きれいだね」
「……ああ」
短い返事。
でも、否定じゃない。
ピースは街を見ている。
でも、その視線は、人じゃなくて、
もっと奥——
見えない何かを探しているみたいだった。
(この人は……安心してない)
そう思った。
私は、もう一度、街を見回す。
穏やかな人たち。
笑っている子供。
怒鳴り声のない通り。
「……ここなら」
言葉が、自然と溢れた。
「幸せに暮らせるかもしれないね」
そう言った瞬間、
ピースの歩みが、ほんの少しだけ遅れた。
胸が、ちくりと痛む。
(あ……)
何か、言ってはいけないことを言った気がした。
「……リナ」
彼の声は、低くて、少し硬かった。
「ここは、ただ……
勝負を先延ばしにしてるだけだ」
先延ばし?
意味が、すぐにはわからなかった。
「引き分けは、終わりじゃない。
決めないっていう選択だ」
私は首を傾げる。
「でも……決めなくていいなら、その方が楽じゃない?」
言ったあとで、
自分でも驚いた。
(……楽)
そう。
楽なんだ。
誰かに怒鳴られなくていい。
誰かを傷つけなくていい。
負けて、踏みつけられなくていい。
ピースは、答えなかった。
その横顔は、
ここに立っているのに、
もう別の場所を見ているようだった。
(この人には……重すぎるんだ)
ふと、思う。
ピースは、ずっと戦ってきた。
勝たなきゃ、生き残れない世界で。
チョキを出し続けないと、誰も守れない世界で。
だからこそ、この街が、
彼には歪んで見えるんだ。
ピースは、街の奥を睨むように見ていた。
(……何を見てるの?)
私は、まだ気づいていない。
この街で、
誰もチョキを出さない理由を。
ただ、思ってしまった。
——もし、ここに居場所があったら。
——もし、戦わなくていいなら。
その考えが、
自分を弱くしていく気がして、
少しだけ、怖かった。
ピースは何も言わず、歩き出す。
その背中は、
この穏やかな街の中で、
ひどく孤独に見えた。
私は慌てて、隣に並ぶ。
理解できる。
でも、同じ景色は見ていない。
この街は、私にとって「希望」に見えて、
彼にとっては「否定できない異物」なんだ。
——ここは、パーの街。
誰も裁いていないようでいて、
それでも、
どこかで誰かが決めている街。
私はまだ、そのことを知らない。
ただ、
「ここなら幸せに暮らせるかもしれない」
そう思ってしまった自分の心を、
ぎゅっと抱きしめながら、歩いていた。
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次回:第7話 白鷺と牙
勝たなくても壊れる正義と、勝てても折れない意志が、
初めて牙を剥く。




