第九話 得をしている気分で縛られる方が喜ばれますわ
明日も12時と17時投稿となります。
帝都の朝は早い。
まだ日が昇りきらないうちから、大通りの石畳に荷車の軋む音と商人たちの声が満ち始める。その喧騒を宮城の一角にある、会計顧問用の執務室にも、かすかに運んでくる。
「リーティア様、本日の予定でございます!」
扉をノックせずに、侍女ミーナが勢いよく飛び込んできた。ミーナの両腕には、書類の束と茶器の盆。
「元気なのは結構ですけれど、扉はノックしてから開けるものですわよ、ミーナ」
「す、すみません! で、でも時間が……!」
彼女は慌てて机の上に茶器を置き、その隣に分厚い書類束を載せた。
「まず帝国商業連合会の代表の方々とのご会合、それから財務省の為替担当官との打ち合わせ、午後からは――」
「午後からは銀行の方々、でしたわね?」
私は茶器の香りを確かめ、一口だけ口をつける。
しっかりと蒸らされた茶葉の味。ミーナも紅茶を淹れるのが上手くなってきた。
「帝国中央銀行構想の素案を持ってくるはずですわ。ようやくですが」
(どれだけ強い軍を持っていようと、金の出入りが穴だらけでは積み木はいつか崩れますもの)
机の端に置いておいた自分のメモを引き寄せる。
貨幣流通量、王国貨と帝国貨の交換レート、主要港湾都市での決済通貨比率。いずれも、ここ数日で数字が動き始めていた。
「ミーナ、朝の市の報告は?」
「は、はいっ。帝都東市場では帝国貨での決済が昨日より二割増えているそうです。後、王国貨での支払いには手数料を上乗せする店が出てきたって……」
「仕事が早いことですわ。手数料を上乗せしなさいなど、一言も言っていませんのに」
「えっ、違うんですか?」
「違いますわよ。わたくしがお願いしたのは、それをしても罰せられない環境を作ることだけですから」
王都の商人たちは皆数字に敏感だ。帝国貨と王国貨のレートにわずかな差をつけ、帝国貨優遇を協定に盛り込む。税の還付も、帝国貨建てで受け取った方が手続きが簡単になるよう細かく線を引く。後は商人たち自らが、『得をする選択』を選び続けるだけ。
――王国で、彼らがそうしてきたのと同じように。
「リーティア様、まもなく皆さまがお越しになる頃合いとのことで、近侍の方が……」
「分かりましたわ。さあ、今日も積み木遊びのお時間ですわね」
私は椅子の背にもたれた姿勢を正し、机の中央に空白の紙を一枚だけ置いた。
◇
帝国商業連合会――帝都と主要都市に支部を持つ大商会たちの連合組織。その代表たちが執務室にずらりと並んだ。
「初めましての方もいらっしゃいますわね」
私は淑女らしく一礼する。
「帝国財政顧問、リーティア・ヴァーレンと申します。今後、帝国貨と王国貨の扱いについて少しばかり得をするお話を持って参りましたの」
代表格の一人、髭を蓄えた中年の男が眉をひそめる。
「得……とおっしゃいますか。ですが財政顧問殿、商人としましては最近の為替の動きには不穏なものを感じております。王国貨がじわじわと値を下げておりましてな。王国の市で商う者たちからも不安の声が届いておるのです」
「不安ですか。それは結構なことですわ。不安を感じた者ほど数字を見る目が育ちますもの。では皆さま、まずは数字から始めましょうか」
机の上に置いた一枚の紙に、私はさらさらと数字を書き込む。
帝国貨と王国貨の現在の交換レート。
銀貨一枚あたりの購買力。
帝国内で徴収される税の割合と王国経由で得られる利潤。その全てを数式で表してみせる。
「例えば、あなた方が帝都で布地を仕入れ、王国の港町で売るとします。その際の輸送費、関税、港湾使用料は、いずれも帝国貨で支払った方が今後は安くなりますわ」
一人の商人が口を挟む。
「しかし現地の市場ではまだ王国貨が主流でございますぞ」
「ええ、ですから現地での販売価格は王国貨で構いませんのよ?」
私は微笑んだまま、紙の上に二つの円を描いた。
「こちらの円を帝国貨、こちらを王国貨といたしましょう。仕入れも税も輸送費も帝国貨で払う。売上は王国貨で受け取る。そして王国貨を再び帝国貨に戻す際のレートを少しだけ帝国側に有利にしてあります」
「……そうすれば?」
髭の商人が喉を鳴らした。
「商人は帝国貨で支払うほど得をする。王国貨で受け取っても結局は帝国貨に戻しますから、その時の差益が商人側の懐に、ちょうどよく残るようになっておりますわ。帝国は損をさせるのではありません。むしろ当面の間は、『王国経由で商う者ほど得をする』ように設計してありますのよ? ただし帝国貨を使う限りにおいて、ですわ」
「な、なるほど……」
「だが、それでは王国の市で王国貨を受け取る者たちの負担が……」
「それは王国が考えるべきことですわ」
私は冷ややかに、しかし楽しげに微笑んだ。
「帝国の商人は帝国の利益になる行動を取り、そのついでに自分の利益も最大化すればよいのです。そのための仕組みをご用意するのが、わたくしのお役目ですわ」
連合会の代表の一人が、恐る恐るといった様子で口を開く。
「……つまり我々は帝国貨で動き、王国には王国貨を残せばよいと。王国貨の価値がどうなろうと、自分たちは帝国貨に逃げられる、と」
「とても正しく理解してくださって嬉しいですわ」
(本当に商人という生き物は話が早くて助かりますわね)
「さて、皆さま。ここから先は数字ではなく『契約』のお話ですわ」
私は新しい紙束を取り上げた。
「帝国商業連合会と帝国政府の間で結ぶ、新しい通商優遇契約。内容はいたって簡単ですわ。帝国貨での決済比率を一定以上に保ってくだされば、貴族領を含む帝国内の通行証を優先的に発給する。港湾使用料にも軽減措置を設ける。その代わり……」
そこまで言って、わざと一拍置いた。
「王国貨による大口取引の際には、事前に帝国会計顧問へ報告すること」
「……つまり王国での大きな取引の流れは、すべてあなた様の手の中にあるということですか……?」
「ええ、網を張るのですから、どこを通った魚かぐらいは把握しておきたいですもの」
商人たちは顔を見合わせると、静かに頷いた。
「……よろしい。帝国が我らを守るのならば、我らも帝国に従いましょう」
「ありがとうございます。すでに契約書の準備はできておりますわ」
帝国と商人たちを結ぶ、新しい約束の線。
これで心臓へ流れ込む血管は、帝国側に傾くことになる。
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