第五話 黒字だからこそ見える歪みがあるのですわ
案内されたのは、宮城の一角にある小さな会議室。
壁一面に書棚、中央には重厚な長机が置かれている。机の上には、すでに帝国財務省の印が押された帳簿や、地図、統計表が山のように積まれていた。
「ここなら、いくら騒いでも外には聞こえん」
皇帝が適当な椅子に腰を下ろし、手で座るよう促す。
私は長机の側面、レオンハルト殿下の斜め前になる位置に立ったまま書類山を眺めた。
「お座りにならなくてよろしいのか?」
レオンハルト殿下が不思議そうに問い掛けた。
「数字を見る時は最初の一巡だけは立っていたいのですわ」
私は軽く笑い、帳簿の一番上を手に取る。
「座ってしまうと視点が固定されてしまいますもの。積み木は俯瞰して見た方が崩れ方が綺麗に分かるというものですわ」
財務卿が苦虫を噛み潰したような顔をする。
「陛下、本当にこの女に帝国の全帳簿を晒すおつもりですか?」
「何度も言わせるな。晒せと言っている」
皇帝の一喝で空気が引き締まる。
クラウスが小さく息を整え、書類の束をこちら側へ押しやった。
「ここにあるのが現行の歳入と歳出の詳細、及び主要都市の徴税記録です。リーティア殿の目から見て、どこから手を付けるべきかと考えますか?」
「順番だけでしたら、もう決まっておりますわ」
私は次々と帳簿を開いていく。
税目ごとの分類、徴税官ごとの収支のばらつき、市場ごとの売上推移。
やはり、この国は勝者だ。一見するとどれも黒字。王国時代の赤字だらけの帳簿を見慣れた目には、目が痛くなるほど健全。
だが、黒字だからこそ見える歪みもある。
「まずは歳入の『色』を変えますわ」
「色だと?」
「ええ」
レオンハルトが眉をひそめる。
私は机の上の紙を一枚抜き取り、さらさらと項目を書き出す。
「帝国の歳入は現状、
一、戦勝国として王国から得た賠償金。
二、併合した北方領の臨時税。
三、既存領からの通常税収。
この三本柱で成り立っておりますわね」
皇帝が無言で頷く。
私は一つ一つに円を付け、その上から違う色のインクで印を重ねていく。
「このうち一と二は勝者の幻想に属する収入ですわ。王国が潰れれば賠償金は消え、北方領の収奪は長く続きません。三つ目の通常税収だけが帝国そのものの『血流』ですわ」
クラウスが小さく息を呑んだ。
「……まさか賠償金と臨時税を歳入から外すと?」
「外しはしませんわ。ただし基礎予算からは切り離すべきですわ。あれは勝っているうちだけのご褒美に過ぎません。恒常的な支出、つまり軍備維持や官僚機構の運営に組み込んではなりません」
「では、賠償金は何に使うべきだと?」
「国の骨を太くするための一時的な投資ですわ。兵站路の整備や港湾の拡張、生産力の底上げ。十年先の税収を増やすためでなければ使う意味がございませんから」
財務卿が堪えきれずに声を荒らげる。
「それは理想論だ! 現実には軍の要求もあれば、貴族たちへの配分もあるのだぞ!」
「現実論だからこそ申し上げておりますのよ、財務卿閣下。今この瞬間も北方からの通商路を王国に依存しておられるのはどちらです?」
「帝国だ……」
「戦場では勝ちを収めましたが、物流と金融の面では帝国はまだ王国の古い商人網に寄りかかっている。違いまして?」
財務卿とクラウスが黙って視線を落とす。
彼らは答えを持っていないのではない。答えを口に出したくないのだろう。
「王国の港で決済される銀貨は、未だ帝国貨より信頼されております。だからこそ商人たちは王都経由の取引を好む。帝国の金庫からは毎年のように見えない形で資金が吸い取られているのですわ」
皇帝が低く唸る。
「そこまで把握しているのか。賠償金で買ったのは領土だけではなく、王国に残してきた古い網にも繋がっていると?」
「いいえ、陛下。帝国はまだ『買っていない』のですわ。わたくしが本日ここへ参りましたのは、その網ごと買い取るための手続きをご提案するためですもの」
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