第三話 未来を見抜くのが、わたくしという価値ですわ
軍事大国ガリア帝国、帝都ヘルツェインの城門は、王都とはまるで違う眩しさに満ちていた。
金箔でも宝石でもなく、鉄と石と人の気配。そして、それらを維持するための莫大な維持費の匂い。
積み上げられた石壁は質実で簡素だが、城壁の上に立つ兵士たちの動きは淀みがない。装飾過多の王宮を見慣れた目には、むしろこちらの方がよほど富と力の匂いがする。
(ガリア帝国。かつて数字の上では何度も相手取った国ですわね)
馬車の窓から外を眺めながら、私は小さく息を吐いた。
兵站、徴税、賠償金交渉。帳簿の上で幾度も睨み合った相手。その心臓部へ、今度は客人として足を踏み入れることになるとは思わなかったが。
「リーティア殿、間もなく宮城です」
向かいの席に座る帝国使節が、緊張を隠しきれない声音で告げた。
彼の名はクラウス・エッケルト。帝国財務省の次官補という肩書きを持つ男。ヴァーレン領での交渉の際、誰よりも早く「この女は危険だ」と正しく恐れてくれた人物でもある。
「ご案内、感謝いたしますわ。道に迷って国境を越えてしまっては大変ですもの」
軽口を返すと、彼は苦笑とも溜息ともつかない息を漏らした。
「……リーティア殿、正直に申し上げてよろしいですかな?」
「ええ、どうぞ」
「帝国はあなたを歓迎しております。しかし同時に、ひどく恐れてもいます。噂は聞き及んでおります。あなたのペン先一つで王国は自ら首を絞めた、と」
「それは少々、誇張されておりますわね。首に縄をかけたのは、あの方々ですもの。わたくしはその縄の結び目を少し固くしただけですわ」
クラウスは喉を鳴らし、視線を逸らした。
冗談として笑い飛ばすには、あまりに現実味のある比喩だったのだろう。
馬車が城門を抜け、宮城へ続く大通りに入る。
整然と並ぶ官庁の建物。軍務省、外務省、財務省。どの建物も必要最低限の装飾しかなく、その代わりに高い窓と分厚い鉄扉が目立つ。
帝国という国家の性質が、石と木材の配置からでも透けて見えるようだった。
クラウスは帝都の門が近づいた所で簡潔に告げる。
「この先で陛下と財務卿閣下、そして第一皇子殿下がお待ちです」
「まあ、それは楽しみですわ」
(今度の『殿下』は、数字を読める方だと良いのですが)
やがて馬車は速度を落とし、宮城の大扉の前で止まる。
石畳の上に降り立ち、自分の役目を思い出す。
――悪役令嬢。人々がそう呼ぶのなら、その期待には相応しく応えてあげるべきだ。
◇
謁見の間は、王国の大広間よりもはるかに質素だった。天井は高いが、過剰な装飾は削ぎ落とされ、柱の一本一本が実用性と耐久性を兼ね備えている。使い込まれた赤い絨毯は靴音が深く沈んでいく。その質素さが、かえって玉座に座る人物の重みを際立たせていた。
ヴォルフガング・ガリアス帝――軍事大国ガリア帝国の現皇帝だ。鋭い灰色の瞳が、私を上から下まで値踏みするように見つめられた。その傍らには落ち着いた金の瞳を持つ青年、第一皇子レオンハルトが控えている。さらに玉座の下手には財務卿と見られる初老の男、宰相らしき痩身の男。他にも主要閣僚がずらりと並ぶ。
私はドレスの裾をつまみ、淑女としての礼を取る。
「元王国会計院副総裁、リーティア・ヴァーレン。ただ今ご依頼通り、『数字で世界をひっくり返しに』参りましたわ。ガリア帝国皇帝陛下におかれましては、初めてのご挨拶と相成りますわ」
「元、か。王国から断罪され、爵位と地位を剥奪された女。そう聞いているが?」
「その通りでございますわ。王太子殿下と愛する聖女のための実に見事な茶番劇でした」
口元に微笑を浮かべると、宰相があからさまに眉をひそめた。
「陛下、この女は毒舌で知られております。あまり深入りなさらない方がよろしいかと」
「ふん、毒舌などどうでもよいわ。問題はそのペン先一つで隣国を崩壊寸前に追い込む程度に有能かどうか、だ」
視線が絡み合う。
私もまた、皇帝を値踏みしている。
――この男は『結果』だけを見る。
誰が悪者か、誰が善人か、誰が泣き、誰が笑うか。
そういった感情の揺らぎではなく、最終的にどれだけの領土と兵力と金が残るのかだけで判断する。
(嫌いではありませんわね。王国の愛に酔った愚王より、ずっと付き合いやすいですわ)
「わたくしの有能さをお確かめになりたいのでしたら、机と紙と最新の国家予算書を一式ご用意いただけます?」
「……予算書?」
隣で第一皇子レオンハルトが、興味深そうに首を傾げた。
「リーティア嬢は我が国の予算構造を知っているのか?」
「おおよそは。賠償金交渉の際に、帝国の財政資料を一部拝見しておりましたから」
「先の戦の機密資料だぞ。王国でさえ完全な内容は知らぬはずだが?」
「知らされておりませんでしたわね。ですから数字から逆算しただけですわ」
堂々と告げると、財務卿が不愉快そうに口を挟んだ。
「陛下、やはりこの女の戯言に付き合う必要はございませんぞ」
皇帝の口元にわずかな笑みを浮かべながら口を開く。
「よい。面白いではないか。机と書類を運べ」
号令一つで、近侍たちが慌ただしく動き始める。
数分と経たないうちに簡易の机と椅子、そして帝国財務省の紋章が押された分厚い書類束が運び込まれてきた。
私は椅子には座らず、立ったまま書類を手に取る。
紙の質、インクの色、押された印章の位置。数字より先に、まず扱われ方を見る。
(さすが軍事大国ですわね。軍費の配分が実に分かりやすい構造ですわ)
ぱらぱらとページをめくり、要点だけを拾う。
収入、支出、軍備拡張と国境防衛費。それらと照らし合わせる形で書かれた賠償金の返済計画。
――そして、あるページで指先を止めた。
「ここですわね。三年後、この数字のままですと帝国は勝ちながらにして財政を崩しますわ」
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