後日譚 新海諸国連合通貨監査録ですわ
帝国・王国共同監査の数ヶ月後。
一日目:新海諸国連合都市。
新海諸国連合都市の港は、どこを見ても帆柱、帆柱、帆柱。陸地よりも海上構造物の方が大きく、まさに洋上の巨大都市。桟橋は王都の大通りよりも広く、城壁より高い見張り台が、海から吹き上げる風を受けている。
「わぁ……王都より人も船も多いです!」
隣でミーナが目を丸くし、興奮気味に声を上げた。ミーナの瞳には、自由な海都の風景が新鮮に映っているのだろう。
「人と船と物語が積み重なったお金ですわね」
私は冷静に言い直す。この場所は陸の秩序が届きにくい独自の経済圏を形成している。
「ようこそ、新海諸国連合へ!」
タラップの下で怪しくも満面の笑みで手を振るのは、ラルドだ。その肩書きは以前より増えて、さらに長く複雑になっていた。
「今は『新海諸国連合対外契約窓口代表、兼、連合内貿易信用保証委員会委員』でしてな」
「肩書きが長い人ほど帳簿の厚みも増し、隠し事が多くなる傾向がありますわね」
「耳の痛い前提ですな……。ご指摘の通り、山ほど溜まっております」
軽口を交わす背後で、もう一人、海風に外套を揺らす人物が一歩進み出る。
「新海諸国連合・常設会議議長、ソレン・ナールと申す。帝国財政顧問殿をお迎えできて光栄だ」
深く刻まれた皺と、真実を見抜こうと酷使された目。数字を長年見続けてきた者特有の疲労が瞳の奥に沈んでいる。
(やはり『誰も破綻を出さない物語』を維持するための後始末に、この方は追われておりますのね。その帳尻合わせを、わたくしに頼みたいと)
「まず状況の説明と帳簿閲覧の手配を」
「ええ、その前に一つだけ」
私は穏やかに微笑み、後ろの帝国護衛に合図した。
「ミーナ」
「は、はいっ!」
「例の箱を帳簿庫へ運ぶよう伝えてくださる?」
「承知しました! 書記官に指示してきます!」
帝国から持ち込んだのは、十数箱の真新しい空の帳簿と羊皮紙だ。
(こちらで『物語が数字を追い越し、溢れた分』を、正しい形で書き込む余白。今日はそれを配るところからですわ)
――新海諸国連合通貨監査、一日目。
まずは海の匂いと積み重なった物語の厚さを確かめるところから始まった。
◇
二日目:数字の海、帳簿庫。
連合都の帳簿庫は、王都の城の蔵とは別種の迷宮的な構造をしていた。湿気と古い紙の匂いが満ちている。
壁一面が引き出しと棚。引き出し一つ一つに主要な港の名と、複雑な航路の名と、それに従事する船団の名が刻まれている。
「こちらが連合券発行記録。主に各港への融資と、保険積立金です」
「こちらが回収記録。本来なら破綻していた船を連合が肩代わりした履歴です」
「こちらは沈没時の救済履歴で……記録が少し曖昧な部分もございますが……」
案内役の書記官が、焦燥からか、しきりに汗を拭きながら説明を続ける。羊皮紙の他に貝殻に刻まれた符号、色紐で束ねられた契約書、船員の手書き日誌。帝国の会計院より雑然としているが、それでも会計の本質は同じだ。
誰が、いつ、どのような約束をし、その約束が今どうなっているのか。ただそれだけだが、この海ではその約束の数があまりに多すぎた。
私は持参した赤インクのペン先で、怪しい行に印をつけていく。
・ 高すぎる利回りと、その根拠の薄い投資先。
・同じ担保を三度も四度も重ねて発行された多重債務契約。
・ 「次こそ取り戻す」とだけ書き換えられた、過去の失敗航路への無理な再挑戦。
「リーティア様、その赤い印の数が、すでにこの一列だけで船団一つ分の負債額に迫ってます……!」
ミーナの悲鳴まじりの声を、私はさらりと受け流す。
「ええ、期待通りに多いですわね。皆さま、物語を維持する努力を怠らなかったようですもの」
私はペンを置き、書記官に告げる。
「議長殿にお伝えくださいませ。『誰も沈まない物語』の裏で、すでに数字の上では幾度となく沈んでいる船がいくつもございます、と」
◇
三日目:沈む船を戻す場所。
私は常設会議での公開説明に時間を費やされた。
円形の会議場。海を望む中央の円卓を囲むように、七つの主港と十三の準加盟港の代表が着席している。
貝殻の飾りをつけた外套、派手なターバン、片目に眼帯の女船長。
まるで物語の登場人物のような個性の強い顔ぶれが、帝国の監査人である私を警戒心をもって睨んでいる。
「帝国財政顧問殿。我らの『連合券』は十年もの間、誰も破綻を出さずに運用してきた誇りがある」
海運と保険を統べる大柄な男が、胸を張って発言する。
「沈んだ船も、干ばつの年も、互いに肩代わりし、連帯してきた。その結果が――」
「『誰も沈まない海』という都合の良い物語ですわね」
私が冷静に言葉を継ぐと、会議場にざわめきが走る。
「そして今、その物語が現実の数字を大きく追い越し始めています。無茶な航路、根拠の薄い投資話、そして隠蔽された負債。それは連合の信用を内部から蝕む泡沫に他なりませんわ」
「……その泡沫を、帝国では『バブル』と呼ぶのだったな」
ソレン議長が、私に向けられた厳しい視線を受け止めながら苦い顔で呟く。
「だからこそ外から来た貴殿に頼みたい。連合券の運用基準を見直し、港ごとの信用枠を数字で引き直し、それを……」
「『この海の人々が感情としても飲み込める形』に直してほしい、ですわね?」
私の言葉に、いくつもの代表者の視線が揺れた。彼らが求めているのは単なる会計処理ではない。この海で通用する新しい秩序だ。
(やはり求められているのは数字だけの冷たい裁定ではなく、『新しい語り口』と、それに伴う許しの形ですわ)
私は指を一本立てる。
「提案は簡単ですわ。沈む船を『無かったこと』にするのをやめて、物語の中に正式に戻すことです」
◇
四日目:二冊の帳簿。
私はミーナに持たせた真新しい二冊の帳簿を、会議の円卓に静かに置いた。羊皮紙はまだインクの匂いもしない。
「まず、一冊目。『海の譲渡録』」
まだ何も書かれていない最初のページを、指で叩く。
「沈んだ船の名、船長の名、出資者の名。その損失をどの港が、どれだけ、どのような動機で引き受け、肩代わりしたか。それらをすべて美談としてではなく、決算記録として記す帳簿ですわ」
「……沈没記録を物語に仕立て直す、と?」
眼帯の女船長が面白そうに片眉を上げる。
「ええ、『誰も沈まなかった』という欺瞞を続ける代わりに、『誰が誰を支えたか』という連帯の真実を歌えるようにしますの。沈没は悲劇。しかし助け合いは価値ですわ」
私はもう一冊を掲げた。
「そして、こちら『海の黒名簿』」
空気がぴんと張りつめる。
こちらの表紙は濃紺の革装だ。
「負債を隠蔽した者。名義を偽って何度も沈むことを繰り返した者。そうした悪意のある者を一定期間、『新規の連合券融資を受けられない』状態にする名簿ですわ」
「それは、つまり処罰帳ではないか?」
「いえ、予防帳ですわ」
私ははっきりと言い切る。
「この帳簿に載ることを恐れれば、人は一度沈んだ物語を他人に押しつける形で誤魔化そうとしなくなる。沈むこと自体は赦す。しかし『沈んだという事実を悪意をもって他人に押しつけ、連合の信頼を裏切る』行為だけは赦さない。そう、この海で新しいルールを決めるのです」
沈黙の後、眼帯の女船長がニヤリと笑った。
「いいじゃないか。沈まない海なんてつまらない。命を懸けた航海の末に沈んでも、その顛末が歌になり、誰を助けたかという事実が残るなら、まだマシだ」
その一言で場の空気が少しだけ和らいだ。物語を語る視点が変われば、受け止め方も変わる。
私の狙いは、まさにそこにあった。
◇
五日目:文字になる物語。
過去の「本当は沈んでいたはずの船」を掘り起こす作業に費やされた。
「第一号は、この航路といたしましょう」
私は赤印の最も多かった一件を指す。
「干ばつ三年、海賊二回、嵐四回。どう考えても沈んでしかるべきところを、『連合の誇り』の名の下に無理やり浮かせてきた船団ですわ」
「ひ、ひどい言い方です……」
「事実ですもの」
ミーナが半泣きになりながら、関連書類を山積みにする。
その横で、連合の書記官たちと吟遊詩人たちが頭を抱えながら文章を練っていた。
『かつて蒼鯨号とその船団は――』
沈みかけたこと。
他の港から何度も助けられたこと。
そして四度目の嵐でついに沈んだこと。
「……これを本当に港の掲示板に?」
「ええ、英雄譚としてではなく、『一つの決算』として掲げてくださいませ」
誰も笑わなかったが、誰も否定もしなかった。
◇
六日目:連合券の裏側。
私は新しい連合券の見本を受け取った。
表面は従来どおり、海と船と連合の紋章。違うのは裏面の隅に刻まれた小さな文字だけだ。
『この券は新海諸国連合の約束により支えられる。
その約束は『海の譲渡録』及び、『海の黒名簿』に記された物語をもって証とする』。
「……物語を正式に契約条項にしたわけか」
「ええ、議長殿。どうせ人々は数字だけの契約に自分勝手な物語を上書きしますもの。ならば、最初から契約の中に物語の行き先を書いておけばよろしいのですわ」
ラルドが肩を竦める。
「帝国内の商人たちが、これを見たらどう言いますかな」
「『説明の手間が省ける』と感謝なさいますわ」
私は軽く笑った。
「『沈むことはある。その時はこう処理する』と一行でも書いてあった方が、まだ誠実ですもの」
◇
七日目:黒名簿の一行目。
海の黒名簿の一行目が静かに埋まった。
『名義を偽り、三度沈んだ者――』
名を刻まれた男は激しく抗議したが、その場に集められた契約書と証言が、彼自身の物語を覆すには十分だった。
「俺だけじゃない! 皆もやっている!」
「ええ、皆さまも多少なりとも怪しいことはなさっていますわ。ですが、今日ここに並べられたのは『あなただけの鎖』ですわ。自分の鎖ぐらい自分の名で受け取らなくてどうしますの?」
港の人々の視線が男と帳簿に釘付けになる。
やがて、誰かがぽつりと漏らした。
「沈んだことより、誤魔化したことの方がカッコ悪いな」
その一言で抗議の声はひどく小さくなった。
◇
八日目:静かな市場。
表向き市場の数字は大きく変わっていなかった。相場表の数字は昨日とさほど変わらない。ただ、取引所のざわめきの質が違っていた。
「高利回りの航路勧誘、減りましたね……」
「ええ、『沈んだら譲渡録に載る』、『誤魔化したら黒名簿行き』と分かっただけでも、ずいぶん冷静になるものですわ」
ミーナが不思議そうに首を傾げる。
「でも、それって怖くないんでしょうか? 皆はもっと嫌がりそうなのに」
「怖いものの居場所がはっきりしている方が、人はよく眠れるのです」
私は港の子どもたちを見る。
彼らは掲示板の譲渡録を指でなぞりながら、沈んだ船の名前を声に出して読んでいた。
『蒼鯨号……』
『次は沈まないようにって書いてあるよ』
『沈んだ人を笑う話じゃないんだってさ』
(ええ、その通りですわ。沈んだことは笑いませんの。ただ数字を誤魔化した人だけは笑われていただきます)
◇
九日目:贈り物。
九日目の夜、新海諸国連合は小さな宴を開いてくれた。
「沈まない海の物語を終わらせた客人に、ささやかな礼を」
ソレン議長が差し出した小箱の中には、小さな木片と短い鎖が入っていた。
「これは?」
「連合が最初に正式に『沈んだ』として譲渡録に記した船の破片だ」
議長は静かに言う。
「沈まない鎖はない。だが、鎖は繋ぎ替えられる。貴殿は、その繋ぎ替えの方法を教えてくれた」
私は木片を指先で撫でる。
海水の匂いが微かに残っていた。
「大事にさせていただきますわ。机の上の赤ペン立ての隣にでも」
「赤ペンの隣とは、なかなか落ち着かない場所だな」
「数字と一緒に並べておく方が安心できますもの」
◇
十日目:出航。
私たちは、帝国へ戻る船に乗り込んだ。
「リーティア様、これ、連合から帝国宛の通貨報告書です……。お、重い……!?」
ミーナが抱える書類の山は、以前の監査報告書よりも遥かに分厚くなっている。それは隠されていた負債の総量を示していた。
「ミーナ、それは未来の安眠の重さですわ」
「安眠にも限度があります……」
タラップの下では新しい旗がはためいていた。以前よりもその色は深く、現実の厳しさを帯びている。
『沈んでも歌になる海――新海諸国連合』。
「……あれは誰の案でしたかしら?」
「リーティア様では?」
「私は『沈んだことはきちんと書く海』程度しか提案しておりませんわよ?」
ラルドが目を逸らす。
「細かい文言は吟遊詩人たちが……」
「まあ、良しといたしましょう。物語が少々誇張されるのは、この海の仕様でしょうし」
帆が風を受け、港が少しずつ遠ざかっていく。
「数字の上では、これで一件落着ですわね」
――新海諸国連合通貨監査、ここに完了。
後は、この海の人々が自分たちの歌の続きを書いていく番だ。
◇
あれから一年。
新海諸国連合の連合券は帝国内でも確実に信用を積み上げていた。以前のような一攫千金の煽り文句が減り、代わりに『譲渡録』を読み込み、信用できる連帯のある港を選んで投資する商人が増えたと、ラルドの手紙にある。
『黒名簿入りを恐れるあまり、何もしないことを選んだ者もいましたが、今は減りました。沈んだことを歌にしてもらえるなら、一度ぐらいの敗北は怖くない、という現実的な勇気を持った若者も増えています』
「上々ですわね。『誰も沈まない海』から、『沈んでも誰かを恨まなくて済む海』へ。物語の向きは変わりましたわ」
私の机の上では、例によって帳簿が山を成している。
その一角に、小さな木片の箱と王国から届いた報告が重ねて置かれていた。
『王国では、帝国・王国共同監査の二年目決算が無事に終わり、王家の支出削減も、なんとか数字で形になっている。次に、数字を直視しないまま、過去の栄光や嘘の美談にしがみついている物語に溺れかけている国を見つけた時は、また一緒に行こう』
レオンハルト殿下の文は、相変わらず簡潔で要点だけだ。
「共犯者という言葉を、すっかり気に入ってくださったようですわね」
私が苦笑いすると、ミーナが紅茶を置きながら首を傾げる。
「リーティア様、次はどこの国に行くんです?」
「さあ、どこでしょうか」
私は窓の外、帝都の以前より賑やかになった市場の方角を眺める。
「ただ一つだけ決まっているのは、どこの国であっても『物語の断罪』の後には、必ず『数字の決算』が必要だということですわ」
断罪された悪役令嬢として恨まれるのも結構。
帝国財政顧問として嫌われるのも上等。
それでも、数字の上で、その国がまだ「生きている」と言えるのなら――それは私が背負ってきた物語に対する、一つの贅沢な幕引きだ。
「さあ、ミーナ。次の案件の契約書を持ってきてくださる?」
「ひぃっ! も、もう次の幕が……!?」
「幕が上がる度に悲鳴を上げていては共犯者たちに笑われますわよ?」
私はペンを取り、白紙のページを開く。
――帝国財政顧問にして、断罪された悪役令嬢、リーティア・ヴァーレンの第三幕は、まだ始まったばかり。
その新しい台本のどこかに、新海諸国連合の海で拾った小さな木片の物語も書き込まれていくのだろうと、私は少しだけ楽しみにしていた。
これにて完結です!
この後日譚を書くだけで一週間ほどかかりましたが(汗) 皆さま、本当にありがとうございました!
現在連載中の↓と★も、是非よろしくお願いします!
【連載版】断罪されたらレベルが上がったので、王国を蹂躙することにしました
https://ncode.syosetu.com/n6526lk/
それではまた( ´∀`)ノ




