第二十二話 断罪劇はこれで幕ですわ
城門をくぐった私たちは、そのまま王宮奥の一角――かつて私が毎日のように通っていた会計院の棟へと案内された。
冷えた石床、古いインクの匂い。天井の高さも窓の位置も何一つ変わっていないのに、机の上に積まれた帳簿だけが、あの日よりはるかに重く、高くそびえていた。
「ガリア帝国・王国共同監査団の皆さまをお迎えいたします」
出迎えたのは、現会計院長。
かつて後ろの席で咳払いばかりしていた地味な男が、今は立派な髭と肩書きを手に入れていた。
「院長殿、お久しぶりでございます」
「……ヴァーレン殿。いえ、帝国財政顧問殿。その、あの折は――」
「ご挨拶は後ほど伺いますわ。まずは――」
私は山と積まれた帳簿を指先で示した。
「こちらのご機嫌を取る方が先ですもの」
背後で、役人たちがこそこそと視線を交わす。
怯え、苛立ち、諦め。それでも誰一人ここを離れていないのは、まだ『自分の仕事』だと思っている証拠だ。
「本日付けで王国の会計は『帝国・王国共同監査』の管理下に入りますわ。主要帳簿一式と決裁印の預かりをお願いいたします。合わせて、本日の監査は非公開では行いません。すぐに大広間の準備を。王、王太子殿下、聖女殿、関係貴族、その他予算に名前のある者たち全員を数字の前に立っていただきますわ」
会計院長の顔から血の気が引いた。
「きょ、今日中にですかな……?」
「数字の断罪に猶予期間は不要ですもの」
にこりと笑ってみせると、会計院長は情けない声を上げながら廊下へ駆け出していった。
「ミーナ」
「は、はいっ!」
「この山のうち、王家、王太子、大聖堂、一部の貴族関連の帳簿をこちらの机に。断罪劇の当事者から順に見て差し上げますわ」
「と、当事者……」
ミーナが震える手で帳簿を抱え上げる。
その隣で帝国官僚たちも慌ただしく動き出した。
(あの日、私だけが数字を見ていたそのツケを、今日は全員で払っていただきますわ)
私は最初の一冊を開き、赤インクのペン先に軽く息を吹きかけた。
ほどなくして、大広間が埋まった。
断罪の日と同じシャンデリアの下、壇上には王と王妃、王太子シリウス、聖女セシリア。その左右に主要な大臣と財務官僚、そして、あの時に私を糾弾した貴族たち。
向かい側には帝国・王国共同監査団。
――その先頭に、私。
(今度は誰が中央に立たされる番か、数字がよく知っておりますわ)
私は壇上に一歩進み、書類束を掲げた。
「それでは、ガリア帝国・王国共同監査団による、王国財政の『即時監査報告』を開始いたしますわ」
ざわめきが走る前に、私は一枚目をめくる。
「まず『一時的な減税措置』」
会計院側の席から、びくりと肩が跳ねた。
「期限三年との記載。現在五年目。よって『一時的』の文言は虚偽として削除。減税枠は即時縮小、差額分は王都救貧枠に振り替えますわ」
「つ、追加の審議が必要ではございませんか……?」
「数字に感想戦は要りませんわ、院長殿」
私は冷ややかに笑った。
「次に『慰労舞踏会費』」
王妃の肩が、ぴくりと震える。
「戦後三年間の特別措置とありますが、同様に現在五年目。よって、本日をもって『戦後特別』から『王家個人の恒常的贅沢』へと勘定科目を変更。来年度以降は王家私費にてご負担いただきますわ」
王妃が青ざめ、貴族の一部がざわつく。
「さらに、『断罪劇関連費用』。王太子殿下婚約破棄式典に関わる諸経費一式。装飾、警備、祝宴、記念品、そして……流布させた噂の『後始末費』まで計上されておりますわね」
大広間が一瞬で凍りつく。
「当時の説明では『国家的儀礼』とのことでしたが、内容から判断するに『王太子一派による私的茶番』として扱うのが妥当ですわ。よって、この費用一切を『王太子個人および関係貴族負担』に振り替えます」
ペン先が、紙をなぞる。
「ま、待ちなさいヴァーレン殿! それでは――」
「殿ではなく、帝国財政顧問ですわ、伯爵」
私は、あの日もっとも大きな声で私を罵倒していた男に視線を向けた。
「伯爵家、侯爵家、子爵家。断罪劇に名前が挙がっている三家。本日より三年間、免税特権の一部を剥奪。徴収された分はそのまま王都の救貧枠と再建費用に振り向けますわ。かつて悪役を外に作ることで逃れた責任。今度は税という形できっちりお支払いいただきます」
悲鳴になりきらない声が、列のあちこちから漏れる。
「ミーナ」
「は、はいっ!」
「先ほどお伝えした三家の領地一覧、出してくださる?」
「こ、こちらです!」
ミーナが震える手で紙束を差し出す。
私はそれを軽く掲げた。
「これらの領地には帝国と王国共同の監視官を派遣します。税収のごまかしは、そのまま帝国への不履行として扱いますわ。お気をつけ遊ばせ」
私は書類束を閉じ、会場全体を見渡す。
「では、王国全体の数字について参りますわ。結論から申し上げます。王国は今のままでは自力では立てません」
王の杖が床を一度だけ強く打たれた。
「それは、すでに分かっておる……」
「いいえ、陛下」
私は、はっきりと首を振った。
「『分かっているつもり』と『数字で突きつけられる』のは別物ですわ。帝国からの救貧基金がなければ昨冬の餓死者は二倍以上。その代わりに王国貨の信用は大きく削れました。王都近郊の土地担保価値は二年前の六割。王宮維持費は戦前より一割増し。断罪劇と、その後の混乱で失われた税収は王家と数名の貴族の遊興費とほぼ同額です」
あの日、私に向けられていた侮蔑と正義感の混ざった視線が、今は数字の列に突き刺さっている。
「今、王国が『自分たちだけ』で取れる選択肢は二つだけです」
私は指を一本立てた。
「一つ。王都の水準を落とし、王家と貴族と聖堂の支出を大きく削り、民の生活に揃えること。王妃様の舞踏会の半減、王族個人への宝飾費支給の凍結、一部貴族領への免税特権の剥奪。すでに申し上げた通りですわ。
二つ。帝国の監査と支援を正式に受け入れ、『他国の助けに支えられながらも民だけは見捨てない王国』として立つこと。誇りの置き場を『誰にも頼らない物語』から『誰かを恨まずに済む選択』へと移すことですわ」
再びざわめきが揺れた時、聖女セシリアがそっと口を開く。
「……私は昔、『助けを受けても心まで差し出す必要はない』と言いました」
断罪の日。涙ながらに私を指差していた少女が、今はまっすぐ私を見る。
「今もその言葉は変わりません。でも、王国はもう『誰にも頼らない物語』を続けられるほど強くはない。でしたら、せめて誰かを恨まなくて済む形で助けを受けたい。監査団殿……いえ、リーティア様。そんな道はありますか……?」
(ようやく、物語の主人公ではなく、この国の一人の民の顔になりましたわね)
私は小さく頷いた。
「ありますわ」
簡潔にそれだけ告げる。
「まず、王家が自分たちの支出を削ることを最初に数字で示すこと。減らした分の一部を必ず民と聖堂に回すと、帝国との契約に書き込むこと。そして帝国が王国を滅ぼす代わりに『生かしたまま税を取る』と、はっきり宣言することですわ」
列の端で、レオンハルト殿下が思わずむせた。
「おい、少しは言い方を選べ」
「殿下、数字はいつだって正直ですもの」
王の手が震える。
「それは我ら王家の権威を自ら引き下ろせということか……?」
「いいえ、陛下。権威の『飾り』を削って『中身』を残すだけですわ。自分たちだけで立っている王から、『民と他国に支えられながら、それでも民だけは見捨てない王』へ。前者は一度倒れたらそれまでですが、後者は支える手がある限り、何度でも立ち上がれます」
その時、シリウス殿下が静かに立ち上がった。
あの日、私を指差し「婚約破棄だ」と宣告した、あの位置から。
「それが……二度目の断罪か」
「いいえ、殿下。二度目の断罪はすでに終わっておりますわ」
大広間の空気が止まった。
「あの日の断罪で殿下は『悪役を外に作ることで自分たちの失敗から目を逸らしました』。今日、数字の前に立って『自分たちの分を払う』と決めた時点で、殿下は物語の中の加害者から、数字の上の支払う側へと断罪されましたの」
セシリアがそっと、彼の袖を掴む。
「シリウス殿下……」
「……分かっている」
短い息と共に、シリウス殿下は頷いた。
そして、まっすぐにこちらを見る。
「帝国の宣言文は、お前が書け。俺はそれに王太子として署名する」
「よろしいのですか?」
「綺麗な物語だけを選ぶ資格を俺はもう持っていない」
悔しさも、諦めも、決意も。すべて混ざった顔だった。
「ならせめて、自分の目で数字を見てからサインする。今度こそ誰か一人を悪者にして済ませずに、な」
(……本当に、よく育ちましたわね)
「承知いたしました、殿下」
私は一礼し、最後の書類束を静かに閉じた。
「では王国断罪劇・第二幕は、ここで幕といたしましょう。今度は物語ではなく、決算書の上での、正式な『幕』ですわ」
大広間中の視線が、一斉に数字へと向く。
かつて私ひとりに向けられていた断罪のまなざしが、今度は王家と貴族、そして自分たちの選んだ物語へと向けられていた。
◇
その夜。
監査団にあてがわれた客間のバルコニーから、私は王都の灯りを見下ろしていた。断罪の日よりずっと少ない灯り。それでもどこか温度が違う。
「これで王国は片付いたと思うか?」
隣に立ったレオンハルト殿下が問う。
「片付くのは数字だけですわ」
私は遠くの大聖堂を見る。淡い光が鐘楼の影に滲んでいる。
「物語の後始末は、この国の人たちがこれから何年もかけてなさることでしょう。誰を恨み、誰を赦し、何を忘れるか。そこまでは、さすがのわたくしも口出しできませんもの」
「珍しく控えめだな」
「悪役令嬢にも『幕が下りた後に舞台から降りる』という分別くらいはございますのよ?」
殿下がふっと笑う。
「一つだけ教えてくれ。お前はあの日の断罪を、まだ根に持っているのか?」
「さて、どうでしょう」
私はわざと曖昧に笑ってみせる。
「少なくとも、あの日のおかげで帝国財政顧問という遊び場と、こうして第二幕まで付き合ってくださる共犯者が手に入りましたもの。十分、元は取れておりますわ」
「……共犯者か」
「お気に召しませんでした?」
「いや」
レオンハルト殿下は少しだけ視線を逸らし、照れくさそうに呟いた。
「その呼び方は嫌いではない」
胸の奥が少しだけ温かくなる。
「それなら悪役令嬢としては上出来ですわね。殿下、もしこの先、別の国が同じように『物語』に溺れて数字を見失ったら、その時もわたくしを呼んでくださいます?」
「また悪役をやるつもりか?」
「悪役でも、監査人でも、呼び名は何でも構いませんわ。ただ、物語が人を断罪した後で本当に裁かれるべきは数字の方ですもの。そこだけは最後まで見届けたいと思っておりますの」
「……分かった。その時は真っ先にお前の机に新しい積み木を運ばせよう」
レオンハルト殿下の言葉に、思わず笑みがこぼれた。
「その時は、またミーナの悲鳴が城中に響きますわね」
「ひどいです……」
気付けば、バルコニーの陰からミーナが涙目でこちらを見ていた。
「で、でも今日の大広間のリーティア様、すっごく格好良かったです! 断罪した人たちが今度はちゃんと数字を読まされて……本当に、ざまぁみろって思いました……!」
「ミーナ、口が滑っておりますわよ」
「はうっ!」
私は小さく笑いながら、夜風を吸い込んだ。
あの日、私は一人の悪役として追放された。
今、同じ城の中で私は帳簿の最後の行に、王国の『生き延びるための選択』を書き込んだ。
それで十分だ。
これでようやく、あの日の借りは返せた。
悪役として恨まれるのも結構。
監査人として嫌われるのも上等。
それでも数字の上でこの国がまだ生きていると言えるのなら、それは私が背負ってきた物語に対する、一つの決着としては悪くありませんわ。
――帝国財政顧問にして、断罪された悪役令嬢、リーティア・ヴァーレンの第二幕は終わりを告げた。
次の幕がどこの国で上がるのかは、まだ決まっていないが、その舞台袖で、またこの共犯者たちと肩を並べている未来を、私は少しだけ楽しみにしていた。
最後までお読みいただきありがとうございました!
話の終着点は迷いましたが、これにて完結です。
しかし、新諸国連合の物語を後日譚として投稿予定ですので、こちらもよろしくお願いします。
そして最後にお願いです!
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↓別作品のご紹介です。
【短編】断罪されたらレベルが上がったので、王国を蹂躙することにしました
[日間]ハイファンタジー12位。
https://ncode.syosetu.com/n5261lj/
【短編】断罪された日から元婚約者の背後に『見えないもの』が見えるようになりました
[日間]ハイファンタジー14位。
https://ncode.syosetu.com/n6546lh/
それではまた( ´∀`)ノ




