第二十一話 断罪は決算としてやり直しますわ
21時も投稿します!
帝都ヘルツェイン、出立の日の朝。
まだ空気に夜の冷たさが残る中庭に、馬車がずらりと並んでいた。
「監査団の荷は、これで全部か?」
階段下からレオンハルト殿下の声が響いた。
馬車一台分が丸ごと帳簿と書類で埋まっている光景は軍の兵糧車より、よほど物騒に見える。
(兵器ではなく、過去の数字を山ほど積んだ行軍ですわね。物語としては地味でも、首を落とすのはこちらの方ですもの)
そんな列こそ、後世の歴史書の脚注に長々と書かれるのだと、私はよく知っている。
「リーティア様!」
廊下側から慌ただしい足音が近づき、ミーナが息を切らして飛び込んできた。
「監査団全員集合完了とのことです! あの、その……皆さん、ものすごく暗い顔をされてました……」
「王都行きの監査団ですもの。遠足気分の方がいたら、そちらの方が心配になりますわ」
「そ、そうですけど……」
ミーナは小さく震え、それから決意したように胸を張った。
「で、でも、私だけは元気出しておきます! リーティア様が積み木……いえ、帳簿を崩してる間に、お茶係と書類運びぐらいは、ちゃんとやりますから!」
「頼もしいですわね。積み木を崩す時に一番必要なのは崩れた木片を拾ってくださる方ですもの」
私は微笑んで肩掛けを整え、執務室を後にした。
◇
「ヴァーレン嬢」
中庭の階段上で、ヴォルフガング陛下が腕を組んで立っていた。玉座ではなく石段というだけで、皇帝というより戦に送り出す将軍のようにも見える。
「王都へ行ってすることは一つだけだ」
「最後の数字だけは誤魔化さず、帝都に持ち帰ることでございますわね?」
「話が早い。王国がどれほど言葉を飾ろうと構わん。断罪の話でも、愛と正義の物語でも好きに語るがいい。だが、最後に立っている数字だけは帝国のものとして確かめたい」
「承知いたしました。決算書の下段に並ぶ数字だけは誰の顔色からも独立させてお届けいたしますわ」
隣でクラウスが、いかにも胃が痛そうな顔で咳払いをした。
「……ヴァーレン殿、王都ではあまり派手にやりすぎないでください。あの国は、まだかろうじて国家の体裁を保っているのです」
「ご安心くださいませ。派手に見えるのはいつだって『断罪』の場面だけですわ。監査は静かに、粛々と、帳簿の上だけで行います」
「それが一番恐ろしいと申し上げているのですがね……」
クラウスの小さなため息が春先の冷たい風に紛れて消えた。
「行って来るがよい」
皇帝の一言を合図に私は深く一礼し、馬車へと向かった。
監査団用の馬車は二台。一台には選抜された帝国官僚と商人代表。もう一台には、私とレオンハルト殿下、それからミーナと最低限の護衛だけが乗り込む。
帝都の石畳を抜け、土の街道へ入ると景色は一変した。戦後復興の槌音が遠ざかり、代わりに芽吹きかけの畑と欠けたままの屋根が続く。
「思ったより静かですわね」
窓の外を眺めながら呟くと、レオンハルト殿下が肩をすくめた。
「帝国側の村だからな。戦で荒れた跡はあるが、少しずつ立ち直っている。お前のおかげでもあるが」
「光栄ですわ。立ち直るための数字を用意するのが、財政顧問の本業ですもの」
「王国側の村は、もっと大変なんでしょうか……?」
「そうでしょうね。帝国は自国の通貨で税を取り、自国の通貨で投資しています。王国は『愛』と『物語』で赤字を塗りつぶした後、帝国貨と借用書で傷口を繕っている。畑の色は似て見えても、土の下で腐っている根はまるで違いますわ」
「怖い比喩です……」
ミーナの肩が小さく震えた。
「リーティア様、王都の人たちは、やっぱり怖がるんですか?」
「怖がるでしょうね。ですが、それでよろしいのですわ」
私は膝の上の書類束から一枚抜き取り、その末尾に記された署名を指先で叩いた。
――『王太子シリウス・アウルム』。
「怖がるというのは、まだ何かを失いたくない証拠ですもの。失うものも悔しさも残っていない場所からは何も生まれませんわ」
レオンハルト殿下が、ふとこちらを見る。
「一つ聞いておきたい。王都に入ったら、お前は最初に誰を訪ねるつもりだ?」
「決まっていますわ。会計院の現地責任者、それから王都大聖堂の聖女殿。それが済んだら王太子殿下ですわ」
「王ではなくか?」
「王は物語の主役でいらっしゃいますもの。主役の出番は少し遅らせた方が舞台映えがしますわ」
ミーナが小さく「物語って言い切っちゃいました……」と漏らした。
◇
昼を過ぎた頃、街道の先に国境の関門が見えてきた。帝国兵が立っていた砦は簡素化され、その代わりに通行証を確認する役人の机が増えていた。
「帝国貨での通行税は右列、王国貨は左列だ! 間違えるな!」
兵士の怒鳴り声に、行き交う人々の列が二つに分かれる。帝国貨の列はするすると流れ、王国貨の列だけが詰まり、不満の声が漏れている。
「効果が出ていますわね」
私は窓辺からその様子を眺める。
「帝国貨で払えば、早く安く通れる。王国貨を使い続ける自由は残しつつ、不便と不満だけを上乗せする。単純でよく効く薬ですわ」
「その薬を調合した本人がよくも涼しい顔で言うものだな」
レオンハルト殿下の皮肉に、私は微笑みだけを返した。
国境を越えた瞬間、空気が変わった。同じ春風でも、こちらはどこか重い。街道の先に見える村の屋根は、帝国側よりも明らかに修繕が遅れている。街道脇の朽ちかけた立て札には、薄くなった『王国万歳』の文字。
(まだ、自分たちの物語のタイトルだけは信じているようですわね)
私は書類束の上に指を置き、静かに息を吐いた。
◇
夕刻。
遠くの丘を越えた時、王都の城壁が視界一杯に広がった。
「……わあ」
ミーナが思わず息を呑む。
高い城壁、その内側に折り重なる屋根と尖塔。だが、かつて私が見た時より灯りは少なく、どこか痩せた印象だ。
「懐かしいか?」
「懐かしいというより、ようやく『貸したままの帳簿』を取り立てに来た気分ですわ」
「相変わらず情緒より数字を優先する女だな」
「わたくしに情緒を求めるのは、さすがに酷というものですわ」
馬車が城門前の広場へと進む。
監査団の旗と帝国の紋章を見た門番たちの顔が、目に見えて強張った。
「ガリア帝国・王国共同監査団到着を確認! シリウス殿下にお知らせしろ!」
叫び声が城壁の上を走り、王宮の奥へと消えていく中、ミーナがそっと私の袖をつまんだ。
「リ、リーティア様……」
「大丈夫ですわ、ミーナ」
「ほ、本当に大丈夫なんですか……?」
「ええ、今から始まるのは断罪ではありませんもの。名目の上では、あくまで『監査』ですから」
「……あの日、リーティア様を断罪した人たちが、今度は帳簿の前に並ぶんですよね」
「役目が入れ替わっただけですわ。あの時はわたくしが舞台の中央に立たされましたが、今度は殿下方に数字の前へ並んでいただきますの」
そう告げると、ミーナの指先の震えが少しだけ静まった。
「断罪はすでに一度あの日の大広間で済んでおります。今度はその結果を数字で書き直しに来ただけ。『誰も読んでいなかった』とは二度と言わせませんが」
王都の石畳に監査団の車輪が静かに乗り上げる。
かつて私を追放した城門が、今は帝国の封蝋を押した文書に道を開けた。
(さあ、殿下。今度はあなた方の物語ごと決算書の一番下の一行に並べ直して差し上げますわ。数字の前では物語も王冠も平等に処刑されますのよ)
王宮奥の会計院へと続く道の先に、数字の舞台が静かに口を開けて待っていた。




