第二十話 王都という首を取りに数字の処刑人が参りますわ
帝都ヘルツェイン、皇帝執務室。
「戻ったか、ヴァーレン嬢」
重厚な扉の向こうで、ヴォルフガング陛下はいつものように簡潔に言った。
「エルネシアの商人たちは帝国にとって十分に『都合の良い独立都市』になる覚悟を決めましたわ」
「ふむ」
陛下は私が差し出した要約書に目を通し、何度か短く指で机を叩いた。
「帝国貨決済の共同窓口。海貨取引の情報共有。南方新興港への牽制か……悪くない」
「エルネシア側にも逃げ道を一本残してありますわ。陛下がお気に召さないようでしたら、次回の改訂で塞ぐことも可能です」
「いや、そのままでいい」
ヴォルフガング陛下の口元がわずかに吊り上がる。
「逃げ道があると思っている者ほど最後まで全力で走る。税は走っている者から取るのが一番効率的だ」
「お考えが合致して光栄ですわ」
そこへ、クラウスが控えめに咳払いをした。
「陛下、西方の件はひとまず順調として、問題は王国の方です」
そう言って差し出されたのは、王都から届いた報告書。王国の冬はどうにか越えたが、春を迎える前に穀物価格が跳ね上がり、王都近郊の土地の担保価値が急落し始めている。
「救貧基金の拡充がなければ、餓死者の数は倍以上であったと。ですが、それと引き換えに王国貨の信頼はさらに削れております」
「数字は残酷ですわね」
私は報告書の片隅に記された名前を指先でなぞる。
「王都大聖堂、聖女セシリア。帝国救貧基金受け入れの現地責任者」
「聖女もすっかり帝国の物語の登場人物だな」
レオンハルト殿下が苦いような諦めを含んだ口調で呟いた。
そこへクラウスが別の束を取り出す。
「そして、こちらが王太子シリウス殿下からの書簡です。共同監査団の受け入れ準備が整いつつあると。お読みになられますか?」
「殿下の感情の整理具合には興味がございますが、数字のない手紙は後回しで構いませんわ」
「お前は相変わらずだな」
レオンハルト殿下がため息をつき、皇帝が低く笑う。
「よし」
ヴォルフガング陛下は椅子から立ち上がり、机の端に置かれていた地図を広げた。
帝国、王国、エルネシア。そして、そのさらに西に小さく描かれた新海諸国の島々。
「エルネシアは新しい心臓として繋いだ。海貨はまだ血管の先に過ぎん。……残るは、首だ」
「首でございますか?」
「王都だ」
皇帝の指先が、王都に押された印を軽く叩く。
「ヴァーレン嬢、王太子シリウスの署名入りの共同監査契約。あれを飾りではなく、本物として機能させる時が来た」
「帝国・王国共同監査団の編成ですわね」
「そうだ。人選案はクラウスが作っておる。だが最後に、お前の目で削り、書き足せ」
「承知いたしました」
クラウスが手早く一枚の一覧を差し出す。
帝国側監査官候補の名前がずらりと並んでいた。
老獪な官僚、数字に強い下級貴族、帳簿に埋もれて人生を終えそうな地味な男たち。
「華やかさに欠けますわね」
「監査団に華は要らん」
陛下の即答に、私は素直に頷く。
「では、この方と、この方。それから……」
いくつかの名前に印をつけ、そのすぐ横に新しい名前を書き加えた。
「帝都商業連合会から一名。エルネシアから窓口担当官を名目に一名。現場の金の流れを知る目が必要ですわ」
「ラルド・オルフォートを呼び寄せるつもりか?」
「いえ、彼はあの街の避雷針ですもの。抜けばエルネシアごと焦げてしまいますわ。代わりにラルド殿の右腕を一本拝借いたします」
「右腕に同じ癖が染みこんでいないと良いがな」
「むしろ染みこんでいる方が扱いやすくて助かりますわ」
皇帝が満足げに頷いた。
「よかろう。監査団の編成はお前に任せる。派遣の時期は――」
「王国の春市の前がよろしいでしょう」
私は間髪入れずに口を挟んだ。
「春市で交わされる約定が、その年の王国経済の『物語』の書き出しになりますもの。数字は書き出しが一番美しい時に読むに限りますわ」
「なるほどな。では、一月以内だ」
陛下が告げた言葉に、クラウスが目を見開いて思わず声を上げる。
「一月でございますか!? 監査団の準備と王国との調整にはもう少し……」
「以前にも言ったはずだ、クラウス。この女に無駄に時間をかけろという方が酷だろう」
ヴォルフガング陛下が笑い、レオンハルト殿下も苦笑を漏らした。
「ヴァーレン嬢、一月あれば足りるか?」
「十日あれば骨組みは整いますわ。残り二十日で王国側が、『まだ自分たちの物語だ』と勘違いできるぐらいの飾り文句を考えさせていただきますわ」
「ふっ……やはり気に入っているぞ」
王国断罪劇の第二幕の舞台は用意された。
後は、処刑人の名前を書き込むだけだ。
◇
執務室を辞し、自分の執務室へと戻る途中、ミーナが不安げに問いかけてきた。
「リーティア様、その……また王国に行かれるんですか?」
「ええ、帝国・王国共同監査団の団長として正式に」
「団長……。お、王国はリーティア様のことを嫌っていませんか? 断罪とか追放とか色々ありましたよね……?」
「嫌っているでしょうね。ですが、今度は違いますわ。前回は王国の物語の中で『悪役』を押しつけられた立場でした。今回は帝国と王国、そして数字の側から派遣された『監査人』ですの」
「な、何か違うんですか?」
「ええ、悪役は物語の都合で断罪されますが、監査人は物語が終わった後に帳尻だけを合わせに行きます。どちらがより嫌われるかは――」
「い、言わないでください!」
ミーナが耳を塞いだ。
「でも、私も一緒に行くんですよね……?」
「もちろんですわ。帳簿を運ぶ人手がないと、わたくしの積み木遊びが捗りませんもの」
「積み木の数を今のうちに減らしておきませんか……?」
「大丈夫ですわ。増える一方ですから」
ミーナはその場でしゃがみ込みたくなったようだが、どうにか踏みとどまってついて来た。
執務室の机の上では、新しい羊皮紙が一枚だけ待っている。帝国の紋章が印刷された白紙。
「さて」
私は椅子に腰を下ろし、羽ペンを取った。
書き出すべき文言は、すでに頭の中で何度も組み立ててある。
――『ガリア帝国・王国共同監査団派遣通達』。
王都行きの封筒の宛名に、王国の王の名と王太子シリウスの肩書きを並べる。その下に、きっちりと自分の名前を書き添えた。
『帝国財政顧問にして共同監査団団長、リーティア・ヴァーレン』。
「さあ、殿下。あの日の断罪劇の続きは、今度こそ数字の舞台で演じていただきますわ」
封蝋が落ちる小さな音が、帝都の一室に静かに響いた。
その手紙一通が、再び王都の空気を変えることを、私は知っている。




