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第十七話 灯夫だけの夜



 いつもなら役人や技師が出入りしている灯道局とうどうきょくの会議室は、その夜だけ、特別な札が下がっていた。


 ――関係者以外立入禁止。

 小さく書き足された墨字が、その下にひとこと。


 ――灯夫のみ。


 灯塔とうとう夜人やひとが戸をくぐると、長机の周りには、もう顔なじみの面々がそろっていた。


 親方。三上みかみ銀次ぎんじ

 霧島きりしま灯子とうこ氷室ひむろ灯真とうま

 港の早瀬はやせうしお汐見しおみみお

 花街の緒方おがた紅市こういちとおたえ

 さらに、宵坂よいざかミナトが、端に控えめに座っている。


「よし、揃ったな」


 親方が、机の上の灯をひとつ強くした。


 真ん中には、三つの物が置かれている。


 父の灯区帳とうくちょう

 倉から出てきた“赤インクの手帳”。

 そして、割れた赤懐中灯の枠。


「……今日は役所抜きだ」


 親方の声が低く響く。


「上も工場も、お偉方も呼ばねえ。

 灯りの下で毎晩歩いてる“灯夫”だけで話を決める夜だ」


 夜人は、胸元の行灯あんどんを握りしめた。

 たしかにここには、ガス管を握る者も、命令書を書く者もいない。

 ただ灯を点け、灯を見て回る者たちだけが座っている。


「まず、灯塔」


 親方が顎で合図した。


「十年前の工場の夜――お前が親父の灯守とうもりから見たもんを、ここで話せ」


 夜人は一度、深く息を吸った。


 工場のボイラー前。

 灯喰ともしくいの“口”。

 父が選んだ、工場の灯と自分の灯の渡し方。


 言葉を間違えたくない、と妙に冷静な自分がいた。


「……十年前」


 夜人は、ゆっくりと話し始めた。


 工場の配管の上を走る父の足。

 ボイラー室の熱気。

 灯喰の口がまだ小さかったこと。

 そこへ駆け込んできた、もうひとりの灯夫の影。


 『次の夜は、子らの代』

 『工場の灯りと引き換えに、町じゅうを一度だけ見逃せ』――


 手帳に赤インクで書かれた言葉と、灯喰の声が重なっていたこと。


 誰も口を挟まない。

 銀次ですら、ふざけようとせず、じっと夜人の声を聞いていた。


「……父さんは、あのとき、自分の灯と工場の灯を、あえて“渡した”んだと思います」


 夜人は、灯区帳の表紙に触れた。


「町じゅうが一度真っ暗になる代わりに、工場だけで終わらせるために。

 そして、“次の夜は子どもたちの代で燃える”って、灯喰と約束された」


 ミナトが、ペンを握る手を止める。


「十年前の“裏切り者”ってのは、外から見りゃそう見える話だ」


 潮が、椅子の背にもたれながら言った。


「工場の灯を渡して、町を救った。

 工場側から見りゃ“裏切り”だし、町側から見りゃ“英雄”だ」


「そのどっちとも違う顔してたよ」


 夜人は、十年前の父の横顔を思い出す。


「“全部知られなくなるのは嫌だ。せめて見てたってことぐらいは、誰かに覚えててほしい”って顔でした」


 灯子が、唇を結ぶ。


「工場を守れなかった、って意味では、私の先輩たちもあの日をずっと引きずってる。

 だから、“続き”を自分たちの条件でやり直そうとしてる灯夫がいても、おかしくはない」


「そこでこの手帳だ」


 親方が、赤インクのページを指で叩いた。


 ――“口”と話した。次の夜は、子らの代。

 震えた字。

 そして、消された名前。


「十年前、灯塔の親父さん以外にも、灯喰と話した灯夫がいる。

 そいつが、自分なりの“次の夜のやり方”を決めて、灯喰と取引をした」


「それが“裏切り”かどうかは、まだわからない」


 氷室が静かに言葉を継ぐ。


「工場だけで終わらなかったことに怒っていたのかもしれないし、

 “もう誰か一人が全部背負うのは嫌だ”と思っていたのかもしれない」


 紅市が、扇子をぱちんと閉じた。


「けどよ。十年後にあの赤懐中灯持って暴れてる奴は、“町を守るため”って顔じゃなかったぜ」


 夜人は、橋の上での会話を思い出した。


 男の目。

 十年前の真っ暗な工場の灯を忘れていない目。


「“預けて楽になる”って感じじゃ、なかったです」


 夜人は言う。


「“終わってねえ約束を、きっちり燃やし切る”みたいな顔でした」


「だからこそ厄介だ」


 氷室の目が鋭くなる。


「完全に闇に呑まれているわけでもなく、灯夫としての記憶も誇りも残っている。

 そういう者は、灯喰の側からすれば“最高の導線”になる」


「問題は、そいつが誰なのか、って話ですよね」


 ミナトが、机の端に貼られた候補の名前の紙を見やる。


「十年前の灯夫で、“灯”の字がついて、“今もどこかの灯区に線が繋がっている”人」


「名探偵ごっこしてる時間は、あまりねえ」


 潮が、頭をかく。


「灯喰の“口”は、もう一度どっかで大きく開きたがってる。

 鍵の灯の夜で、それがよくわかっただろ」


 夜人は、橋に突き立った黒い柱を思い出した。


 鎖火で引きずり倒し、潮と澪で流した。

 だがあれは、あくまで“顔を出しかけた口”を逸らしただけだ。


「じゃあ――」


 夜人は、自然と前に身を乗り出していた。


「こっちから“鍵だと思わせる灯”を、もう一度用意するしかないんじゃないですか」


 室内の視線が、いっせいにこちらへ向く。


「倉を狙われたときも、橋を狙われたときも、

 “記録”と“灯を並べる筋”が餌になってました。

 それなら、灯夫だけが知ってる場所に、もっと都合のいい餌場を作ればいい」


「たとえば?」


 灯子が問う。


 夜人は、町の地図を思い浮かべた。


「港と下町の境目にある、はい灯台とうだいはどうですか。

 今は使われてないけど、昔のガス灯と油灯の記録が、全部眠っている」


 潮が、目を細める。


「あそこか。……悪くねえ」


「灯台なら、“口”からすれば、格好の出入口だろうねえ」


 お妙が、扇子で頬をあおぎながら笑う。


「一度消えた灯を、もう一度灯すのが得意な場所さ」


「その廃灯台に、“十年前の記録の写し”“鍵灯の配管図”“赤インク手帳”――」


 氷室が、指を折って数える。


「灯喰とその導線にとって、これ以上ない餌を揃えるわけだ」


 親方が、ふっと口元を歪めた。


「表向きは“灯夫の講習会”でもやってるって言やあいい。

 現役も元灯夫も呼べるだけ呼んで、“十年前の話を聞かせろ”ってな」


「その中に、“本物”が紛れ込んでくるわけですね」


 ミナトの目が、一瞬だけ光った。


「記者としてはよだれが出る場ですが、今回はちゃんと口を慎みます」


「珍しいな」


 銀次が茶々を入れる。


「書きたくて死にそうになったら言えよ。ちゃんと止めてやる」


「あなたが一番危ないんですよ、口」


 お妙と紅市が同時に突っ込みを入れ、少しだけ場の空気が緩んだ。


     *


「――もうひとつ、大事な話がある」


 笑いが引いたところで、氷室が夜人を見た。


「灯塔」


「……はい」


「君は、灯喰と何度か“会話”をしている」


 部屋の空気が、少しだけ重くなった。


 夜人は、逃げずに頷く。


「三ノ丁の角で。工場街で。中央広場で。橋の上で。

 向こうからも勝手に話してきましたけど、俺も、答えました」


「怖くなかったんですか」


 澪が、小さく尋ねる。


「怖かったです」


 夜人は正直に言った。


「でも、“何も言わないで飲まれる”方が、もっと怖いと思ってしまって」


「――それでいい」


 不意に、親方が笑った。


「灯夫ってのは、基本おしゃべりなんだよ。

 灯りに向かっても、闇に向かっても、ぶつぶつ文句言ってるぐらいがちょうどいい」


 銀次が、それに乗る。


「“黙って喰われるぐらいなら文句言って喰われたい”ってな」


「縁起でもないこと言わないでください」


 それでも、夜人の肩の力は少し抜けた。


「ただし」


 氷室が、釘を刺すように言った。


「灯喰と話すことが、“闇の側に足をかける”第一歩なのも事実だ。

 父上の灯区帳にも書いてあっただろう。“灯りを見ている限り、まだ戻れる”と」


 夜人は、胸元の行灯を握りしめた。


「……はい。

 だから、たぶん、灯を嫌いにならない限りは、戻れるんだと思います」


「自分も、赤懐中灯の男も、だ」


 潮が、椅子の背から起き上がる。


「“あいつはもう駄目だ、闇の側に落ちた”って決めつけちまえば楽だが、

 それをやったら、灯夫としてなんか負けた気がする」


「十年前に“取引”をした灯夫自身も、落ちきれないままこの手帳を残した」


 灯子が、赤インクのページを指で叩く。


「“次の夜は子らの代”……なんて、よくも悪くも他人任せな言葉ですがね」


「その“子ら”が今ここに揃ってんだ」


 親方が、夜人と銀次の頭をぽん、と叩いた。


「灯塔、銀次。お前らは、廃灯台の夜、ど真ん中に立て。

 闇と話す役は、もう逃げられねえ」


「……知ってました」


 夜人は苦笑した。


「だったらせめて、“灯りを嫌いにならないまま話し続ける”方法、探します」


「上等だ」


 親方が、にやりと笑う。


「十年前の灯塔が背負った分と、赤インクの誰かがこじらせた分、まとめてぶん殴ってやれ」


「殴るの得意なのは俺だがな」


 銀次が胸を張る。


「言葉の方は夜人に任せる。俺は物理担当」


「役割分担が雑すぎません?」


 そんなやり取りに、場の空気がわずかに明るくなる。


 こういう一瞬がなければ、とてもやっていられない。

 夜人はそう思った。


     *


 会議が散ったあと。


 番屋に戻る夜道は、いつもより静かだった。


 灯の高さも、間隔も、全部覚えているはずなのに、

 今夜だけは、ひとつひとつの灯が、いつもより少し遠く見える。


 夜人は、番屋の裏手――三ノ丁と川筋の境目あたりで足を止めた。


 胸元の行灯が、かすかに温かい。


「……聞いてましたか」


 誰にともなく呟いた。


「父さんも、灯喰も、赤インクの誰かも。

 “灯夫だけの夜”の話を」


 返事はない。

 ただ、夜気の密度がほんのわずかに変わる。


 次の瞬間、胸の灯守が、ちり、と小さく鳴った。


『――君は、どこまでこちらの話を皆にしてしまうつもりだい?』


 耳の奥に、冷たい声が落ちる。


 灯喰の声だ。


 橋の下から、工場の奥から、倉の中から聞こえてきた声と同じ響き。


「隠して得する相手じゃないなら、大体全部です」


 夜人は、思ったより落ち着いた声で答えていた。


「“灯喰が何を話してるのか”って、灯夫が知らない方が危ないでしょう」


『十年前の灯塔は、あまり喋らなかったよ』


 灯喰の声が、どこか楽しげになる。


『彼は、私と話したことをほとんど誰にも言わなかった。

 ただ、“灯りを嫌いにならないでくれ”とだけ伝えた』


「だから十年前は、そうなったんでしょう」


 夜人は、空を見上げた。


「工場の灯だけが犠牲になって、町じゅうは何も知らないまま。

 父さんは、それでよかったのかもしれないけど、俺は、ちょっと足りないと思います」


『何が足りない』


「“続きの話を、みんなが聞いてる”ってことです」


 自分で言いながら、何を言ってるんだろう、と苦笑したくなる。


「十年前の約束を知らないまま、“なんとなく”喰われるのは嫌です。

 十年前の誰かが“預ける”って言ったなら、その続きで俺たちはちゃんと“預けない”って言いたい」


『それは、君ひとりの灯で言うことかい?』


「だから、灯夫だけの夜を開いたんです」


 夜人は、握っていた行灯をそっと撫でた。


「十年前の灯塔の続きは、俺ひとりじゃなくて、

 下町も、港も、工場も、花街も、山の手も、みんなで持つべきだって」


 短い沈黙。


 闇が、少しだけ笑ったような気がした。


『……ややこしい灯夫だね、君は』


「よく言われます」


『だからこそ、次の夜が楽しみだ』


 灯喰の声が、ひやりと近づく。


『廃灯台の灯りが再び灯る時――

 君がどこまで“こちら側”へ踏み出すのか、よく見せてもらおう』


「そっちに踏み出すつもりは、ありません」


『灯塔夜人。

 灯りを嫌いにならないまま、どこまでここに立っていられるか――』


 声が、ふっと遠ざかっていく。


『楽しみにしているよ』


 胸元の行灯の灯芯が、かすかに白く揺れた。


 夜人は、深く息を吐き出した。


「……勝手に楽しみにされても困るんですけどね」


 小さくぼやいてから、ふと気づく。


 さっきまで遠く見えていたはずの町の灯が、

 いつの間にか、少しだけ近づいていた。


 廃灯台の夜は、もうすぐそこだ。

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