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1-2 森の少女と最弱術士


 

 そもそも、こんな森に入ったこと自体が間違いだった、とフィリクスは心底後悔していた。


 アリシア令嬢誘惑事案の重要参考人として捕らえられそうになったフィリクスは、二日前、職場である魔法管理局(アルセイア)から逃げ出した。

 魔法管理局(アルセイア)と懇意のある公爵家と婚約中のアリシア令嬢が、「フィリクス様に本気の恋をしたから婚約は破棄したい」と泣いているらしい。

 アリシアをたぶらかした、と公爵は大層お怒りだそうだ。

 たぶらかしてなんかない、とフィリクスは上官のダルセインに訴えたが、どうにもならないから行ってこいとばかりに公爵家へ引き渡されそうになった。

 引き渡されれば、待っているのは恐らく拷問。

 下手すればそこで殺されてしまう。

 いわれのない咎で死ぬなんて、まっぴらごめんだった。

 

 そもそも、ダルセインだって分かっているはずだ。

 これは、フィリクスの特別な《魔力の香り》のせいなのだと――


 魔力には香りが存在する。

 鼻で感じる香りではない。

 第六感をくすぐる、もっと感覚的で魅惑的な――。

 それは、魔力が強いほど濃くなる。 


 フィリクスは、強い魔力の持ち主だった。

 しかも、その香りは厄介なものだ。

 香り自体は石鹸に似た、清涼感のある甘いようなものらしい。

 しかし、そのフィリクスの《魔力の香り》に当てられた女子全てが、フィリクスに惹かれてしまう。

 

 これまで何十人、下手すると百人以上の女の子たちを虜にしてしまったが、今回の案件も、その一つだった。


 俺だって被害者だけどな、とフィリクスは独り言ちる。

 

 そんなフィリクスにとって《魔力の香り》を抑える希少魔導具であるケープは必需品だった。

 たまたま暑くて脱いだ時、アリシアに会ってしまったのだ。

 《魔力の香り》に当てられた者から感じる、高揚した魔力の揺らぎ。

 それをアリシアから感じた時、もう終わったと思った。

 

 フィリクスは、誰も近づかないと言われる王都の遥か西、ティルフォレの森へ先ほど逃げ込んだ。

 お腹がすいて仕方がなかったところ、たまたま桃が茂る木を見つけ、そこで小熊と出会ったのが運の尽き。

 熊の気配を感じ、すぐに逃げたが、遅かった。

 母熊に遭遇。それから狂ったように追いかけられ、今に至る。

 

 背後から響く、低く唸るような咆哮。

 

「うわああああああ!」


 逃げながら振り返ったその時、熊からもあの高揚した《魔力》の揺らぎが見え、フィリクスはぎょっとした。

 

 まじか。

 ケープしてるのになんで。

 

 たまに、ケープをしていてもフィリクスの《魔力の香り》に当てられる敏感な子がいる。

 何を隠そうフィリクス自身も《魔力の香り》にはかなり鼻が利くタイプなのだが……

 

 熊も鼻が利く子がいるの?


 もう泣きそうだった。

 動物って人間より嗅覚するどいんでしょ?

 それで更に《魔力の香り》にも敏感なのがいるとか……


「それはなしでしょー!」

 

 地理もよく分からない森の中では分が悪く、熊との距離は徐々に縮まっている。


 どうする? 攻撃魔法、使うか?


 しかし、そんなものを使えば、すぐに《魔力の香り》を探知した魔法管理局(アルセイア)がフィリクスを捕らえに来るだろう。

《魔力の香り》に同じ香りは存在しない。

 攻撃魔法から生じる強い《魔力の香り》に、魔法管理局(アルセイア)が反応しないわけがなかった。


 とはいえ、熊に襲われるのだってごめんだ。

 

 どうすれば、と逡巡した、その時――


「っ!」


 足がもつれ、体の重心が傾いだ。


 ――やばい。


 振り返る間もなく、母熊の咆哮が背後で聞こえる。

 荒い息遣い。

 落ち葉を蹴る獣の重たい足音。

 躊躇している暇はもうなかった。


 ――魔法を使うしかない。


 意を決し、母熊へ手を伸ばした、その時だった。


「――どいて」


 透き通るような可愛らしい少女の声が、後ろから聞こえた。


「え?」


 振り返る前に、誰かが熊の前に躍り出る。それは、長い亜麻色の髪の少女だった。

 武器は、持っていない。

 魔法を使う気だろうか?


 いや、《魔力の香り》もしない。微塵も。


「あ、危な――!」


 止める間もなく、少女が母熊と対峙した。

 熊が咆哮し、巨大な前足を振りかざす。


「……っ!」


 フィリクスの悲鳴――次に見たのは、熊の腕をばしぃっと受け止める少女の姿だった。


「……え?」


 見間違いかと思った。しかし、次の瞬間少女は熊の腕をねじり上げ、そのまま腹を蹴り上げる。茶色い巨体は宙に浮き、どっ、と鈍い音を立てて木にぶつかった。

 よろめきながら体勢を整える熊に、少女は冷たい眼差しで言い放つ。


「――行け」


 熊が低く唸った。そして身をひるがえし、子熊を連れて森の奥へ逃げていく。


「……まじか……」


 信じられなかった。

 魔法もない。

 武器もない。

 素手。素手だ。


 少女はぱんぱんっと手を払い、何事もなかったかのようにフィリクスへ向きなおる。夜空のように深い瞳に一瞥され、フィリクスは思わずケープのフードを深く被った。


「あ、ありがとう」


「――いえ」


「あの、君……」


「熊も倒せないのに、この森に入っちゃダメですよ」


「…………」


 呆れたような少女の物言い。いやいやいや、普通素手で戦うなんて無理でしょ。心の中でツッコミながら、「そうだよねー」とフィリクスは愛想笑いを浮かべる。


 そして――突然、意識がふっと遠のいた。


 ……あれ?


 ぐぅらり、と歪む視界。


「え……っ」


 少女の慌てた声。

 近づいてくる気配に、まずい展開だな、と警戒する。

 ケープをかぶっているとはいえ、彼女と距離を取らなければ。

 でも、体が動かない。そういえば、ごはんを二日も食べていない。空腹の限界だ。


 柔らかい土の上に倒れたフィリクスの横に、少女が膝まづく。よく見ると、少女はフィリクスと同い年くらいに見えた。


「――だ、大丈夫?」


 頬をばしばし叩かれる。

 叩かれながら、フィリクスは違和感を感じずにはいられなかった。

 これだけ近い距離にいるのに、彼女から《魔力の香り》がまったくしない。

 これまで色々な人に会ってきたが、《魔力の香り》を感じない人などいなかった。

……まあ、熊を素手で倒せる女の子にも会ったことないけど。


 疑問には感じるが、しかし、今は何を置いても少女に言っておかなければならないことがある。

 遠のく意識の中、フィリクスはなんとか口を開く。


「……何?」


 少女が気遣って耳を近づけてくれる。

 震える声で、フィリクスは呟いた。


「……お願い、俺を好きにならないで……」


「――馬鹿じゃない?」

「ぎゃっ」

 ばしっ、と強めの平手打ちが頬に飛び、フィリクスの意識はついに、沈んでいった――。







まずはたくさんの小説の中からこれを選んでくださり、ありがとうございます。

そして、最後まで読んでくださって本当にありがとうございます。


もしよろしければ、ブックマークや下の☆にて評価等いただけたら励みになります。

リアクションや感想等も嬉しいです!


次回も読んで頂けたら嬉しいです。


よろしくお願いします。

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