求ム! 怪魚ヒーリング・ピラニア・ドクターフィッシュ
唐突だが、私は靴下が嫌いだ。
理由は特にない。
子どもにピーマンが嫌いな理由を問い詰めれば「苦いから」とか「甘くないから」とか、それっぽい理由を捏ねるだろう。
私の靴下嫌いも同様で、「足が蒸れるから」とか「足指が上手く動かせないから」とか、言語化できないわけではないのだが、私は感覚的に嫌いだから嫌いと感じるものにその理由を言語化することに、欺瞞じみたものを感じてしまう。
故に、ただ嫌いだという。
毎朝出勤時に靴下へ足を通す際にはストレスを感じるし、プライベートでは余程畏まった場でもない限り、通年下駄サンダルかクロックスで過ごしている。
帰宅した折には、射精後のコンドームのように靴下を足から引き抜き、即座に洗濯機へと叩き込むのが常である。
そんな私が、靴下を履いたまま就寝をした。
踵が割れたのである。
私は趣味と実益を兼ねてある武道を行っているが、真冬には踵があかぎれて罅割れるのが常だ。
しかし、今年は稽古に力が入ったせいか、踵が四か所も罅割れ、血が滲み出し始めたのだ。
床との摩擦によって分厚くなった踵の角質は、強化ガラスをハンマーでブン殴ったように罅割れ、罅に沿って流れた血液で赤黒く染まっている。
私は痛みには相当に耐性がある方だと思っていたが、これには閉口した。
普段歩く度に激痛が走るのでは堪らない。
例年生来の鈍感さに胡坐をかき、踵が罅割れるのも構わず角質の手入れを放置していたことを悔いた。
稽古となれば、アドレナリンで痛みは消し飛ぶ。何度踵を床に叩きつけても平気の平左。
だが、稽古の後には更に罅割れが広がり、血が流れる踵があるのだ。
……踵、削っとけば良かったなあ。
最後に踵の角質の手入れをしたのは、今年の五月のことだ。
いや、してもらった、と言うのが正しいだろう。
旅行先の台湾のマッサージ専門店で、足裏マッサージの足裏の角質削りの施術を受けたのだ。
日本語の達者なバスガイドは、台湾の足裏マッサージが如何に神秘的な効能があるか、台湾に来たからには足裏マッサージを受けなければ損かを滔々と説き、割引券を渡してくれた。
……無論、彼女がマッサージ店からのマージンを受け取っているのは想像に難くない。
だが、私はこういうのに騙されてみるも一興と、そのバスガイド――確か林さんと言った――の薦める、高級店へ足を運んだのだ。
安くはない出費だが、安全と日本語の通訳が保証されている点を考えれば、悪くはない。
結局、私はその店の施術――按摩と、足裏マッサージと、角質削りをフルコースで受けることになった。
元々、マッサージの類は大好きなのだ。
風俗店のような薄暗い店内で、マッサージは同時進行で行われた。
按摩も足裏マッサージも、悪くない塩梅だった。
『お゛ッ』
『い゛い゛ッ!』
など、個室なのが幸いして、ツボを押さえられる度にエロ漫画のようなオホ声を遠慮なく上げることができた。
足裏の角質削りは、専門の男性が、額にライトを付け、手術に挑む医者のような格好で、私の足元に傅き、一心に施術を行っていたが、按摩を受けている私には彼の様子をよく見えなかった。
全ての施術が終わった後、角質削り担当の男性は、
『コンナニトレマシタ』
と、枕崎の鰹節のように、薄く削った足の角質をこんもりとタオルに盛って見せてくれた。
勿論、そこには実際量以上にボリュームを増して見せるテクニックがあっただろうし、フェイクであったとしても驚かない。
だが、これは彼に対する技術の礼として、
「すごい! こんなに取れたんですか!」
と私は素直に驚くことにした。……や、私の足の角質は余人より遥かに厚いことは知悉していたので、彼の驚きも本物だったかもしれない。
台湾旅行から半年と少し。
すべすべに削って貰ったはずの足の踵は、再び角質を肥大させ、見るも無残に罅割れている。
あの時の彼に、また踵を削って貰いたい。
そんな思いに度々襲われるが、台湾は遥か彼方だ。
自分で軽石をつかって削ろうにも、既に痛みが強すぎて手の出しようがない。
八方塞がりである。
高校生の頃、瞬間接着剤は医療目的で開発されたことを知った私は、この足の罅割れを、瞬間接着剤アロンアルファを流し込んで処置しようとしたことがある。
結果は、大失敗だった。傷口に直に瞬間接着剤が触れ、硬化加熱で痛みを帯び、更には踏み込みで主成分のシアノクリレートが木っ端微塵に割れて飛び散ったのだ。
結局、現在はクリームを塗り、乾燥しないように靴下で保湿するという最も穏当な治療に専念をしている。
ドクターフィッシュという魚をご存じだろうか?
温泉地などに良くあるサービスで、メダカほどの小魚のいる池に足を浸けると、魚が集まってきて足の余分な角質を食べてくれる、というものだ。
しかし、これは一種のアトラクションのようなもので、私の体感では実益はない。
レゴブロックを踏んでも平気な――下手をすれば画鋲を踏んでも貫通しない私の足の角質は、到底小魚の歯が立つものではない。
私は夢想する。
ピラニアのように強靭な顎と、あの台湾の角質削り職人のカミソリのような歯を持ったドクターフィッシュが、私の踵を湯の中で優しく削ってくれることを。
ついでに、例年春まで治る見込みがない傷口の治療もお願いしたい。
私の願望を全部乗せした、ヒーリング・ピラニア・ドクターフィッシュを飼っている温泉がどこかにあるだろうかと虚しい願いを抱きながら、今日も踵の罅割れに液体絆創膏とクリームを擦りこんでいる。
完