足は引っ張るものではない
小学生のときの話と死んでしまった飯田君。
校内のマラソン大会でのこと。隣に並んで走っていた生徒が僕に言った。
「先に行くなんてずるいよ」
この日のために僕は毎朝三十分早く登校して校庭を十周回って走っていた。去年のマラソン大会では僕はビリだったからだ。それがすごく恥ずかしかったから、半年前から準備をしてトレーニングをしていたのだ。飯田君は去年は確か僕よりも二、三人前を走っていて、学年ではかなり足が遅い方だ。
僕は半年間毎日走っていただけあって、足は軽くかつてほどマラソン大会が苦痛に感じなくなっていた。ビリ集団にいるのも歯痒く感じてもっと前に行きたかった。飯田君の脇をすり抜けて前に行こうとしたとき、彼はそう言ったのだ。僕は彼が何を言っているのかすぐには理解できなかった。だから走りながら考えた。良くも悪くも走りながら考えることができるほど余裕があったのだ。
僕が彼を追い抜いていったら、彼はビリになってしまうだろう。僕が彼の後ろに残れば、彼はビリになって目立って恥をかかずに済む。それが彼の望むことなんだ。
「ずるいのは君の方だ。これは競争だぞ。僕が先に行くのが気にくわないなら、僕より速く走ればいいじゃないか」
僕が彼にそう言ったら彼は僕をにらみ付けた。その顔はひどく邪悪で歪んで見えた。後で何かしらの嫌がらせや報復を受けるかもしれない。そんな考えがチラリと脳裏をよぎった。けれど僕が今信じるべきことは彼のエゴではなくこの半年間の僕の日々の練習だった。
自身の内から湧き上がる力が僕の足を前に進める。飯田君の脇をすり抜けて僕はグングンスピードを上げて彼を追い抜く。まるで僕は去年の僕自身を追い抜くように飯田君を追い抜いた。背後で彼が何か言っていたけれど、僕の耳にはもう入らない。過去の自分とは対話しないのだ。
結局、僕は学年152人中98番だった。そのことは誰も気づかないほど誰の関心も呼ばなかったけれど、僕は自分の成し遂げたことを確かに受け止めた。自分は無力ではない。その感覚が自分の人生のこれからにどれほどのものを与えてくれるのか僕はまだ知らなかったけれど、今日が自分の人生の転換点であることは本能が感じ取っていた。
結局、大会後に飯田君が嫌がらせをしてくることはなかった。校内で時折すれ違うことはあっても言葉を交わすことはなかった。そもそも彼の存在を意識することがなくなっていた。僕は自分の人生と向き合うことができるようになっていたから、その人生に意味のない、つまりネガティブな影響しか与えないであろう彼のことは視界に入らなくなっていたのだ。
そしてこれはずっと後の話。学校を卒業してから十数年後のことだ。風の噂に彼が死んだことを知った。自殺だった。彼がすがることの出来るものがもう何もなくなってしまったのだろう。彼が自分より後ろに置いておきたかった僕はもうずっと昔に彼を追い抜いて前に進んでしまった。たぶんそれからも彼は誰かを自分より後ろに置こうとしたはずだ。でもそんなことをしていた彼の周りには十数年をかけて誰もいなくなってしまったのだろう。彼はとうとう本当にビリッけつになってしまったんだ。そうして最後には人生からこぼれ落ちてしまった。
風の噂を運んできたかつての同級生は言っていた。彼は自営で商売を始めたみたいだけど、借金がふくれあがってどうしようもなくなったみたいだ。同級生の何人かは金を貸してくれと言われたらしい。かわいそうだったがどうすることもできなかった、と。
それを聞いても僕はちっとも彼のことをかわいそうだとは思わなかった。彼の人生がこのような道筋を辿ったのは当然の結果だと思う。自分が早く走って前に出るのではなく、他人の足を引っ張って自分より後ろに置こうとする。彼のそういった行為が彼自身の進歩と成長を妨げ、世界との戦いに敗北をもたらした。原因があって結果がある。ただの因果応報にしかすぎない。彼がそうせざるおえない魂の持ち主で他に道はなかったのだとしても、同情はできない。
結局、人生というものは魂の顕現にすぎないのだから、彼のその他人の足を引っ張るという邪な魂がそのような破滅的な人生をもたらしたのは一つの自然のあり方で、そこに救いがある必要はないのだ。薔薇の種からはいつか薔薇の花を咲かせ、ぺんぺん草の種からはぺんぺん草が生えてくる。ただそれだけの自然界にあふれている出来事に過ぎないのだ。




