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晴眼の魔人  作者: 沼田フミタケ
因果応報
15/21

因果応報 1

001




 暗い夜道を、僕はその疲弊した精神にムチ打って歩いていく。


 夏休みが始まって一週間。


 部活に入っていない、いわゆる帰宅部の僕は、そこそこ評判の良い塾の夏期講習に通っていた。


 理由としては、家で、もっと言うと自分の部屋で勉強するということがどうにも苦手だったからだ。


 自分の部屋というのは、誰にも侵されない自分だけの空間。安心できる空間だ。少なくとも僕はそう考えている。


 想像してほしい。果たしてそのような空間内で勉強という億劫なことを集中してできるだろうか? 周りを見渡せば、マンガや携帯ゲーム機があるような空間で。


 断言できる。無理だ。絶対、誘惑に負ける。そんな空間で勉強なんていうものが捗るわけがない。


 しかし、僕は現在高校三年生の受験生。やりたいことよりもやらなければいけないことを優先しなければいけない時期に入っている。息抜きが主題になっては困るのだ。ほかでもない、受験生であるこの僕が。


 高校がしている夏期講習に行ってもよかったのだが、僕は極力、学校、というか他人とあまり関わりを持ちたくない。


 学校の先生なんてなおさらだ。三年間でいろんな授業に出席した結果、僕はいろんな先生と顔なじみになってしまっている。


 成績が良いというのも困りものだ。


 学校という環境は、それだけでみんなが僕に興味を持つ。


 自慢しているわけではない。むしろ逆。これは愚痴だ。


 別に僕は特別頭がいいわけでも、勉強ができるわけでもない。


 ではなぜ成績が優秀なのかといえば、問題を見た瞬間に答えが解ってしまうという、僕の特殊能力のおかげだ。


 当たり前のことだが、問題の作成者は、答えを分かった上で問題を作っている。テストで考えさせたいことをまず考え、答えと問題を作っている。もしくは、ドリルの問題を流用している。


 僕がしているのはそれの逆算。出題者の思考の逆算だ。僕は問題を見るだけで、何を思ってこの問題を出題したのか、この問題は何を表しているのか、どのような解答を望んでいるのか、それらが思考せずとも分かってしまう。


 模試だって簡単に全教科九割以上の点数を取ることができてしまう。


 そんな特殊能力を持っているのなら勉強する必要がないだろうと、夏期講習に行く必要などないだろうと思うかもしれない。しかし、これらの能力を発動するにはいくつか条件があるのだ。


 この特殊能力は、知らないことは理解できないらしい。


 例えば、『翼覆嫗煦』という字面、というか四字熟語なのだが、これを読んでどのような意味か、いや、まずまずの問題としてどのように読むのかわかるだろうか。


 この『翼覆嫗煦』という四字熟語は『よくふうく』と言って、『家族愛や男女の愛などの愛』という意味の四字熟語らしい。知らないだろう? 僕もいい例はないかと四字熟語専用の辞典を読むまでは知らなかった。


 問題としては、{問:以下の■に入る漢字を埋めよ。 翼■■煦 意味:家族愛や男女の愛などの愛}のような感じだろうか。


 この場合の問題は僕には解けない。圧倒的に知識が足りないからだ。


 かろうじて出題者の意図や要望――今回の例では意図は嫌がらせ、要望は漢字の書き取りだろうか――は理解できる。


 しかし解答を埋めることはできない。漢字も知らなければ、意味も知らないからだ。


 このように知らないことはどうやっても無理なのだ。


 逆に言えば、知ってさえいれば思い出すという過程を挟むことなく、この脳は答えを出力できる。


 たとえ忘れていても、知ったという記録そのものを、脳がもってくるように、回答を出力することができる。


 僕が塾の夏期講習に通っている理由はそういうことだ。様々なパターンの問題を受験のスペシャリストから学ぶことで、センター試験を有利に進めようという計画があるからなのだ。


 ということで、今日も今日とて、僕は塾に行ってきたのであった。


 一週間通った感想だが、意外とハード。


 夏の時期なのに、帰る頃には日が沈んでおり、僕は心もとない街頭が照らす道を歩いているのであった。




「……はぁ」




 僕は自然と溜め息をつく。


 夏『休み』というのにここ五日間、休息というのは布団で寝る程度のことしかできていなかったと思う。


 明日は勉強しない。絶対に勉強しない。好きな事だけしよう。自分がやりたいと思うことを目いっぱいやろう。


 五日間頑張ったのだから一日くらいは許されるだろう。


 本当に、土曜日も休みになるようになってよかった。


 今後学生になる子供たちは羨ましいな。だって一週間の間に二日休みがあることが当たり前になるのだろう? 羨ましい以外の感情が沸き上がらない。


 みたいなことを考えているうちに、僕は大通りに出ていた。


 ここまでくれば街灯は増え、道も明るく照らされている。


 別に僕は暗所恐怖症というわけではないのだが、安心感は桁違いだ。


 僕は夜行性動物ではない。暗いか明るいかだったら、明るいほうが好きなのだ。


 安心して静かな大通りの歩道を歩いていると、ふと違和感に気が付いた。




「……あれ?」




 道を照らす街灯が心もとないものに変わっている。


 知らない間に大通りの道から外れていたようだ。


 僕はいつも大通りの道を使って帰宅している。


 別に、この道でも帰れることには帰れるのだが……、なぜ僕は無意識的にいつもと違う道で帰路につこうとしているのだろう?


 普通、普段と違う道を使うときは、意識的に普段と違う道を使うはずだ。だってそうだろう? 『普段と違う道を使おう』という思考、決断をするのだから。


 だが、今回のことは明らかな異常だ。無意識のうちにそらされた。


 明らかに外側からの要因が絡んでいるとみて間違いない。


 僕は振り返る。その先には、静かな大通りが見える。車一つ通らず、歩行者もいなく、建物の電気すらついていないこの街の中心となる道が。




「――‼」




 なぜ今の今まで気が付かなかったのだろう。


 静かだとは思っていたが、ここまでのものとは思っていなかった。


 意識しなければ見逃していた。


 するとその時、




 ――キャァァァァァァ‼




 どこからか、声が聞こえた。


 甲高い、女性の声。いや、悲鳴。




「一体……何が起こっているんだ」




 ドクン、ドクンと脈打つ鼓動。


 ゾクリと背中を這う悪寒。


 いつもの道なんてどうでもいい。「急がば回れ」ということわざもある。


 無意識のうちに、僕は走り出していた。


 これは外からの要因じゃない。内から出た本能。


 恐怖という僕の感情が、後ろを振り返ることなく、歯を食いしばりながら、全身に鳥肌が立っている体を動かしていた。


 一心不乱。僕は走る。


 幽霊がどのようなものか知った時よりも、僕は恐怖を感じている。


 あれは僕にとって身近なものだった。だからどれだけ幽霊に関する怖い話を言われても、それは無知な人間が喋る戯言でしかなかった。そこに恐怖はなかった。


 だが今回は違う。圧倒的なまでの意味不明。得体のしれない現象がそこにあった。


 今の僕には周りが見えていない。前しか見えていない。


 ただ逃げるために、僕は足を動かす。


 そのせいだろう。僕は道端に落ちている何かに躓き、勢いよく転んだ。


 受け身は取れなかった。かろうじて手で衝撃を緩和させることしかできなかった。


 数秒遅れて、両手のひらと膝に、痛みがじわじわと広がっていく。


 擦りむいてしまった。アスファルトと小石の凸凹が大きなヤスリとなったように、僕の皮と肉を削っていた。


 僕は肘をついて起き上がる。


 先ほど僕が躓いた何か。それは柔らかい感触だった。


 僕がこれまで感じたことがない。肉の感触だった。


 ――よせばいい。


 ――そんなものは放って早く逃げろ。


 そんな言葉が僕の中から出てくる。


 それでも、僕は振り向かずにはいられなかった。


 


 ちょうど街灯の下に、それはいた。




 それは女の子だった。


 荒い息を吐き、頬は赤く上気し、脂汗をかいている。明らかに体調が悪そうな女の子がいた。


 そう。女の子。人間の女の子。一糸まとわぬ姿で、道に転がっている人間の女の子。


 そのはず、なのだが。




「…………なんだ?」




 妙に輪郭がぼやける。


 彼女は人間の形をしている。でも僕の眼には同時に、植物や、獣の輪郭が混在しているように視える。


 疲れていると思った。でもそれは間違いではなかった。


 何度か瞬きをすると、僕の視界は現実に焦点が合った。




 そこには、異形の少女がいた。




 まず目に付くのは、背中から生えている二本の木。これだけでも異常だが、それだけではない。


 全身の体毛は獣のように毛深く、ネコのような耳と鼻口部、尻尾がある。そんな人間と獣と植物が融合したような少女がそこにいた。


 彼女を見たとき、先ほどの女性の悲鳴に得心が行った。


 彼女をみて驚いたのだ。驚き、悲鳴を上げ、逃げ出したのだ。


 恐らく、ほとんどの人間が、彼女を見て逃げ出すだろう。


 怖いから。理解できないから、得体のしれないものだから。


 人間は目の前に理解しがたい謎が現れたとき、それに恐怖する。


 先ほど、僕が大通りから逃げ出したように。


 僕も怖い。いつ彼女が起き上がるかわからない。


 僕が体勢を立て直し、逃げようとしたその瞬間。




『……タ、スケテ』




 声が聞こえた。いや、違う。彼女の、心が視えた。




『……タ、スケテ。マダ……、死、ネナイ』




 弱弱しい、触れれば砕けてしまいそうに細い思念。僕の眼は、それを捉えた。


 僕は彼女のことを知りたいと思ったのか、僕の眼は彼女の現在の情報を解析していく。


 分かったのは、彼女は何らかの薬品が理由で、瀕死であること。しかし『生きている』こと。そして、彼女がまだ生きることを望んでいること。




『タス、ケテ……』




 そして、僕に助けを求めていること。




「……ッ!」




 逃げたらいい。知らぬ、存ぜず、何も見ていない。わざわざ面倒なことにかかわることはない。無視して安全圏で踏ん反り返っていればいい。


 悲鳴を上げて、逃げ出して、「あれは夢だ」と現実に起こっていないことなんだと逃避して、ゲームでもしていればいい。


 その方が楽だ。その方が幸せで、辛くない。


 普通の人間だったら、そのようにするだろう。


 自分が一番かわいい、普通の人間だったら、そういうふうに逃げるだろう。


 ――でも、




「――大丈夫⁉」




 僕は普通の人間じゃないみたいだ。


 気が付いたら、いや、僕に助けを求めていると知ったら、僕の体は自然と動いていた。


 僕はこの異形の少女に駆け寄っていた。


 驚いているのか、少女は目を見開いた。




『ナ……ンデ?』




 彼女から、困惑、戸惑い、疑問が伝わる。




「なんでだろう……ね!」




 僕は彼女を抱きあげようとしたが――女性にこういうことを思うのはどうかと思うが――彼女はとても重く、僕の腕ではその体重を支えることができなかった。


 僕は抱き上げることを諦め、




「――乗って!」




 おんぶの形であれば彼女を運べるだろうと考え、彼女のそばにしゃがみ、背を向ける。


 しかし一向に背中に彼女の重みが来ない。


 振り返ると、彼女はまだ困惑しているままだった。


『ナンデ……?』と理解できないと言うように。




「――ッ‼」




 僕は無理やり彼女の両手を肩に掛けさせる。僕はそのまま彼女の膝に手を掛け、背中にその重みを背負う。




「何でって……、君が僕に願ったからだろ……!」




 僕はこの少女が地面に落ちてしまわないように、ゆっくり、ゆっくり、慎重に歩いていく。


 しかしどうすればいいだろうか。


 体調が悪そうだから、病院に行けばいいのだろうか。


 ――待て。病院に行くと言っても、一体人間と動物、どちらの病院に行けばいいのだろう?


 足が止まる。ノープランで咄嗟にこの少女を背負ってしまったのを後悔する。


 だからと言って、この少女をここに置いて行くのは論外だ。




「…………」




 とりあえず彼女を置いては行けない。


 どうしよう。病院に行ったって、この娘を診ることができる医者がいるとは思えない。


 この娘の存在は余裕で人知を超えている。


 存在そのものがありえないと思うほどに。


 せめて暖かい布団で休ませたいが、彼女の背中の木のせいで安静に寝させることができるのか分からない。


 いや、そんなことは後で考えればいい。今考えるべきことは、彼女が危険に冒されないようにすることだ。彼女を好奇の眼に晒してしまえば、どうなるかわからない。


 病院に行くという案は捨てよう。もしかしたら実験動物のように扱われてしまうかもしれない。


 ホテルに連れて行っても、結局人の目を引いてしまう。


 一番安全なのは――




「家……、かな?」




 まるで誘拐みたいだと思いながら、あながち悪い考えでもないのではないかと思ってきた。自宅なら他人の目に付かないし、家族は説得すればいいし、何より食料も寝床もある。自宅への道だって、人通りが少ない道を使えばいいのだ。




「仕方がない……」




 唯一家族の説得が不安だが、事情を話せば分かってくれる人たちだ。おそらく大丈夫だろう。


 方針も決まり、これから人通りが少ない道を進み帰宅しようとしたその時。


 ――バッ‼


 と、背負っていた少女が僕を蹴飛ばし、飛びのいた。




「イテテ……。 どうしたの――」




「ウゥゥゥゥゥ……‼」




 彼女はその顔を威嚇の形相に歪めて、唸り声を上げていた。




『コロス……‼』




 そんな思念を、彼女は天に向ける。


 僕も彼女が向いている方向を見る。


 目線の先には、住宅の屋根、そしてその上に、ローブをまとった五人の人間が立っていた。


 月明りを背にしているため、その表情は見えない。しかし、体系的には男性のように見える。


 ローブの男たち。その全員が一斉に手を僕たちに掲げた瞬間。




「ウガアアアァァァァァァァ――‼‼」




 獣の少女が手を掲げたローブの男に向かって飛び跳ねた。 


 その体は、一跳びで二階建ての住宅の屋根に乗り、そのまま手を掲げた男を、その強力無比な獣の爪で切り裂いた。


 腰から横に、上半身と下半身を分けるように腕を振るった。


 男は腰から二つに分かれ、血液をまき散らしながら地面に落ちた。


 獣の少女は間髪入れず、次の獲物に飛び移る。


 彼女は大きく口を開け、獲物の頭に食らいつく。足を肩に乗せ、脚力を利用し、その頭を脊椎ごと食いちぎった。


 彼女は咥えた頭を、プッと吐き飛ばし、次の獲物に襲い掛かろうとする。しかし、残り三人の男たちは、懐から銃のようなものを取り出し、それを彼女に向けていた。


 サプレッサーのついた、現代的な拳銃を。




「――危ない‼」




 声を上げると獣の少女はこちらを向いた。その一瞬の隙に、男たちは三方向から拳銃を発砲した。


 ――失敗した。


 僕が声を上げてしまったせいで、奴らに隙を作ってしまった。


 彼女は三角屋根の上で膝から崩れ落ちる。




「ッ……‼」




 屋根から滑り落ちる彼女を受け止めるため、僕は走る。


 けれど、僕は超人でもなければ、魔法使いでもない。


 僕の足は彼女の落下より遅く、僕の腕は、彼女と僕の距離を縮めてくれるほど、長くはなかった。


 ドサッ。と、鈍い音が鼓膜に響く。


 僕は倒れている彼女のそばに腰を下ろし、彼女を視る。


 ――大丈夫だ。まだ『生きている』


 彼女の体はボロボロといっても過言ではない状態だが、呼吸はしている。


 打ち込まれた弾丸は彼女の体内に入ってはいない。おそらく彼女の肉体が、弾丸を跳ね返したからだろう。


 彼女が倒れた原因は、弾丸ではない。では、彼女の体をボロボロにしたのは、一体――。


 ――ザッ。と、近くでなにかが飛び降りてきたような気配を感じた。


 ローブの男たちが、住宅の屋根から降りてきたのだ。


 三人が、僕たちを囲むように立つ。「逃がさない」とでも言うように。


 三人は一斉に少し首を傾げた後、手を前に掲げた。


 すると僕たちの下、アスファルトで造られた地面に、神秘的で、幾何学的な文様が円状に広がった。


 ――なんだ、これは。


 それはアニメや漫画やゲームで『魔法』を使うときに出現する――魔法陣のようなものだった。


 このようなものが存在するなんて、にわかに信じがたいが、現に目の前にあるのだ、信じるほかない。


 白い光の線が魔法陣を凄まじい速度で地面に刻んでいく。




『燃える』




 漠然とそう思った。


 なぜかと言われても説明ができない。強いて言うなら、テストの問題を見たときに答えが分かる感じに近い。


 僕の特殊能力が発動しているということだろうか。


 ということは、僕は、過去にこれを見たことがあるのか。


 まあ、でもそれを確認することもかなわないだろう。


 僕の特殊能力が答える。


『少なくとも摂氏二〇〇〇度以上の炎が僕たちを包む』


 摂氏二〇〇〇度は、人体を燃焼させるのに十分な火力だ。静かすぎる大通り、そして――いろいろなことがあって周りが見えていなかったため今気が付いたが――街灯しか電気のついていない住宅街。


 周りに人間の気配がしない。ここで悲鳴を上げても、おそらく助けは来ない。


 魔法陣を構成する白い光が、だんだんと炎のようなオレンジ色に変わっていく。


 ――アツイ。


 焦げ臭いにおいが徐々に立ち込めてくる。


 ――逃げたい。


 今すぐここから逃げ出してしまいたい。


 でもそれは残り二人のローブの男が許さないだろう。


 それに、彼女を置いては行けない。行きたくない。


 一か八か、僕たちを燃やそうと魔法を使っている男にタックルするため、足に力を籠める――




 ――足が動かない。




 いくら動こうとしても、僕の足は地面に張り付いたように動けない。


 ――不思議なことでもないのかもしれない。だってこいつらが使っているのは『魔法』だ、ファンタジーだ、幻想だ。どんな不思議だって許容されるフィクションの世界のものだ。


『動けなくなる』そういうこともあるのだろう。


 


 なすすべもなく、僕と少女の体が『炎上』する。




 しかし、その炎は一瞬だけしか僕らを包まなかった。


 目の前の男は困惑している。


 おそらくこの『魔法』は僕たちを灰にするまで続いたのだろう。


 それが一瞬で終わってしまったことへの疑問。この男からは、そんな困惑が視える。


 何故、と僕も思った。しかし、それはこの現象に関してなんの知識もない僕が考えても仕方がないことだ。


 そんなことより――




 ――足が動く。




 それに気づいたのと同時、僕は目の前の男にタックルを仕掛けていた。


 目の前の男はまるで人形のように倒れたが、後ろの二人が僕の動きに気が付き、僕に手を掲げ、『火の玉を出す』魔法を発動する。


 火の玉は一瞬で構成され、射出された。


 僕は火の玉の軌道を視認し、それを躱す。


 火の玉の速度は意外と遅かった。時速一〇〇キロメートルほどだろうか。


 ――その程度じゃ、僕を仕留めることはできない。


 二人は全く同じ動作でもう一度手を掲げる。


 僕は打ち出される軌道を視認し、射出と同時に体を動かし、火の玉を躱す。


 そのまま僕は前方に走り、男たちに接近する。


 握りしめた右の拳を僕から見て右側の男に放つ。


 スピードが乗った拳は男の顔面にめり込み、男は糸が切れた人形のように転がった。


 残った最後の男は超人的な脚力で僕から一気に距離を取る。


 三メートルほどの距離を、たった一跳びで。


 男は僕から目を離し、獣の少女が倒れている方向に手を掲げる。




(彼女だけでも葬ろうというのか!)




 男を止めるために走り出そうとしたその時――




 ――パチン




 と、指を鳴らしたような軽い音が聞こえた。


 それと同時。転がっていた二人の男と、獣の少女に手を掲げている男の身体が、まるで空気に溶けるかのように分解されていった。


 血潮もなく、跡形もなく。


 一瞬、なにが起きたか分からなかった。


 なんの前触れもなく体が崩壊していったのだ。思考が追い付かない方が自然だと思う。




「ン……、ゥン……」




 後ろから、喉を鳴らすような声が聞こえ、振り返る。


 獣の少女が目を覚ましたようだ。


 命に別状はなかったが、ちゃんと目を覚ましてよかった。


 安堵し、胸をなでおろそうとしたその時――


 ――カツン。と足音が聞こえた。


 その音は一定のリズムで空気を響かせ、どんどんと音量が大きくなる。


 先ほど、男たちが消えた時に、なんの前触れもなかったと思っていたが、撤回しよう。


 ――前触れはあった。


 考えてみればいろいろおかしかった。


 何故あの炎は一瞬で消えたのか。


 何故タックルしただけで、殴っただけで人形のように倒れ、その後起き上がることがなかったのか、


 そして、あの指を鳴らしたような、乾いた音。


 僕に特殊能力はあっても、それは他人に作用するようなものじゃない。


 ならこれらのおかしなことには、『外的要因』があると考えた方が、妥当ではないのか。


 


 ――足音が近い。




 僕は足音がする方向に向き直る。


 暗闇から、人影が見える。


 やがてそれは街灯の光で鮮明になり、その姿があらわになった。


 それは、一見すると人間の女性のような形をしていた。


 ジーパンに半袖のシャツというラフな服装で、長い黒髪を一つに結んだ女性。


 その人は、僕と獣の少女を見て、ニヤリと口角を吊り上げた。




 ――ゾクリ。




 背中に冷たいものが走る。


 ――違う。アレは違う。


 反射的に僕はそう認識した。


 アレは根本から違う。――人間じゃない。


 傍から見れば、アレは美しい女性に見えるだろう。


 でも違う。アレはそんなモノじゃない。


 異形なんていうレベルじゃない。


 文字通り次元が違う。


 アレが今から『私は神だ』と言っても納得できる。


 それほどまでに違う。内包する歴史も、文明も、構造も、何もかもが違う。




「――おい」




 一瞬、心臓をつかまれたような気がした。


 それほどまでに、アレがこちらに興味を示すこと自体が恐怖だった。


 アレはこちらを見ている。眉間にしわを寄せ、睨むようにこちらを見ている。


 逃げ出したいと、もう獣の少女とかそんなのどうでもいいから逃げ出したいと、僕はそう思ってしまう。


 でも逃げられない。足がすくむ。いまアレから目を離したら死んでしまうと錯覚させる。


 そんな僕に不機嫌になったのか、アレは「チッ……」と舌打ちをして――




「……あんまり他人のことをじろじろ視るな。恥ずかしいだろうが」




 と、とっても不機嫌そうに、そう言った。




「…………は?」




 僕としても、まさかそんなことを言われるとは思ってもいなかったので、一瞬、身体の緊張がすべてほどけ、僕はその場に膝から崩れ落ちた。


 いや、身体だけじゃない。脳も、内臓も、全ての緊張が一気にほどけてしまっていた。


 そのギャップのせいだろうか、僕は立ち眩みのような感覚に陥り、意識が朦朧としてきた。


 目の焦点が合わない。眠気に似たものが僕の意識を奪おうとしてくる。




『恥ずかしいだろうが』




 ふと、あの人の言葉が思い起こされる。


 思えば、僕は女性に向かってとても失礼なことをしてしまっていたのかもしれない。


 だから、せめて意識がなくなる前に、じろじろ見てしまったことへの謝罪は、しておくべきだと思った。




「ごめん……なさい」




 そして、僕こと源和斗は、ついに体を支える背骨にすら力が伝わらなくなり、そのままうつ伏せになるように地面に倒れた。




 ■■■




「ごめん……なさい」




 そう言って、目の前の少年は倒れてしまった。




「……えっ?」




 ――私、そんな怖がらせるようなことを言っただろうか。


 魔術、いや、超能力だろうか。それを使用してまでじろじろとかなり深いところまで視てこようとしてきたから「やめろ」と言っただけなのに、なぜこの少年はここまで恐怖してしまったのだろう。




(いや、すでにかなり深いところまで視られていた? 私の正体を看破し、それに恐怖していて、私が彼の中の私のイメージと違うようなことを口走ったから緊張状態が一気に解けて気を失ったのかな?)




 私が彼を認識してから、彼が何らかの術式を起動したそぶりも、超能力を発動したそぶりもなかった。


 常時発動し、私の正体を看破するまで強力な観測、いや観測と理解を可能にする異能と言えば、私の知っている中では、一つしかない。




「晴眼……か?」




 だとしたら、それはとても危険だ。


 彼はすでに魔術師が遠隔操作していた生体人形と戦闘している。


 奴が本腰入れて襲いに来るのも時間の問題だ。


 このような異常の世界では、目撃者は殺すのがセオリーらしいが、私に人間を殺すことはできない。


 とりあえず、今回の件が終わるまで保護してあげよう。そう思い、私が彼に近づこうとすると――




「――グワァウゥ‼」




 突然、組織から脱走したキメラが彼を守るように私の前に立ちはだかった。


 ――守った……?


 ありえない。知恵も知能も何もないはずのキメラが、しかも、この個体は人類、人間に対して仲間を弄ばれたことへの憎悪を抱いているはずだ。


 ――そんなキメラが、人間を守る?




(いや、待って。なんで『細胞分解酵素』を打ち込まれた体で、こんなにも動けるの?)




 キメラに守られた少年の身体が私の目に入る。


 ――いや、晴眼者にそこまでの特殊能力はない。


 だがしかし、このキメラは現に、この少年を守っている。


 人間を恨むキメラが、人間を守る理由。


 そんなのは一つしかない。このキメラにとって、この少年は他の人間とは違う。特別だということだ。




「――どけ」




 私は試しに、少年に向かって一歩踏み出す。




「! ――グワァァァウゥ‼」




「いいのか? 私と戦えばお前は死ぬぞ? お前の手で奴らを殺すという、お前の願望は、達成されることなく終わることになるぞ? お前はそれでもいいのか」




 一瞬、キメラは逡巡する。


 当たり前だ。それは彼女にとっての存在意義。そして同時に、私にとって、キメラが怪物であるための絶対条件なのだから。


 ――さぁ、逃げ出すがいい。少年を置いて逃げるがいい。その瞬間、私が貴様を殺してやる。


 私はエネルギーを溜める。キメラが逃げ出すと思っていたからだ。速やかに仕事を終わらせるために、私は一瞬で身体を塵にするイメージを組み立てていた。


 しかし――




 キメラは尚、少年を守った。




「……バカな――!」




 覚悟を決めた眼差しで、私を正面から見据えて、少年を守るように、手を横に広げた。


 その体に震えはない。体を支える二本の足も、少年を守らんとする二本の腕も。


 それは、『私の命はくれてやる。だからせめて、彼は殺すな』と言っているようだった。


 私は体に溜めていたエネルギーを世界に戻した。


 これで確定だ。確定してしまった。




「君は……、『人間』みたいだな……」




 嗚呼、胃が痛い。


 仕事が、いや、やることがまた増えた。




「もういいよ。君たちに危害を加える気はない」




 私の言葉か、気持ちが伝わったのか、キメラの少女は私の心変わりに疑いながら、徐々に手を下げた。




「だがしかし、君も疲れているだろう。どういう理屈かわからないが、君は少なくとも三本以上の細胞分解酵素を投与されてその肉体を保てている。しかし肉体のダメージがゼロというわけではない。今楽にしてやる」




 私は彼女の額に指を当て、強制的に睡眠状態に入らせた。




「今はゆっくりおやすみ」




 私は全身から力が抜けた彼女の身体を支え、所持していた『細胞維持酵素』のビンを銃のような専用の注射器のセットし、この娘に投与した。


 空になった容器を取り出し、続いて『細胞増殖促進酵素』を投与し、キメラの少女をうつ伏せに寝かせた。




「……さて。これからどうしたものか」




 私は道脇に二人を寄せ、その横に腰を下ろし、天を仰ぐ。


 今日は思いのほか夜空がきれいだった。


 

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