昼食
コンコンという控えめなノックの音の後、病室のドアが静かに開いた。
姿を見せたのは、清潔感のあるナース服に身を包んだアネミだった。
その手には昼食のトレイ。
ステンレスの縁がわずかに揺れて、小さく音を立てていた。
アネミはいつも通りの、落ち着き払った足取りで室内に入ってくる。
だがその動きは無駄がなく、どこかしなやかで柔らかい。
患者に不安を与えぬように——それが彼女の自然な振る舞いとして滲み出ていた。
「村田さん、昼食をお持ちしましたよ」
その声はやさしく抑揚のあるトーンで、まるで朝露のように穏やかに響いた。
思索に沈んでいた村田の意識が、その声によってそっと引き戻される。
張り詰めていた思考の糸がふっと緩み、彼は目を細めて小さく笑った。
「ありがとうございます、アネミさん」
村田が素直に礼を述べると、アネミはにこりと微笑む。
それは形式的なものではなく、どこか温かく、安心感すら与えるような笑顔だった。
「スープは少し熱めなので、気をつけてくださいね」
そう言ってトレイをサイドテーブルに置き、器の位置を丁寧に整える。
「体調にお変わりはありませんか?些細なことでも大丈夫ですよ」
「いえ、大丈夫ですよ。特に変わりはないです」
村田がやや照れくさそうに答えると、アネミはホッとしたように小さく息をついた。
「それならよかったです。先生に報告しておきますね..あぁ村田さん、カルテ先生なんですが..」
ふと口調が少し曇り、アネミは周囲を一瞬見回してから、村田に身体を寄せる。
まるで誰かに聞かれたくない秘密を打ち明けるような、そんな距離感だった。
「その..大丈夫そうですか?例えばスキンシップが多いとか、問診中関係のない話をしてくるとか..色々」
その小声は、まるで囁くように耳元で響いた。
心配げな目線が真剣さを帯びていて、村田は思わず苦笑いしながらも首をかしげた。
「あぁ..確かに変な人だなとはずっと思ってました..でも、非常に仕事熱心な方なんだろうなぁって」
そう言いながら、村田は顎に手を添えて少し考え込む。
どこか憎めない印象を受けていたのも事実だった。
「仕事熱心....えぇ、まぁ、間違いではないんです。実力も確かですし」
「でもあの性格では、毎回こちらの神経が磨り減るんですよ」
最後の一言には、ほんのりと疲れが滲んでいた。
「なので、村田さんのこと少し気にしていたんです。言動で不快な思いをされてたら..と思って」
「な、なるほど..とりあえず今のところは問題ないですよ。むしろ、けっこう面白い人だなって思ってます」
そう返す村田に、アネミはようやく少し安心したように笑った。
「そうですか、それなら良かったです。でも、何かあったら遠慮なく私に言ってくださいね」
その言葉には、まっすぐな信頼と、守ろうとする意志が込められていた。
村田はその視線をしっかりと受け止め、軽く頷いた。
「そうだ、もうひとつ..」
アネミがふと思い出したように声を上げ、トレイの整理をしながら言葉を続けた。