訪問診療
翌朝。
村田は朝日が差し込む窓辺で伸びをしながら、ひとつ深呼吸をした。
昨夜、グレイスにこの家での滞在を申し出たときのやり取りが、まだ脳裏に鮮明に残っている。
「もちろんです、というより元よりそのつもりでしたがね」
そのあまりにあっけらかんとした返答に、村田は少しだけ唖然とした。
さらに「せめて何か手伝わせてください」と伝えると、彼はいつもの柔らかな笑みを浮かべた。
「そんな、気にしなくていいんですよ」
けれど、ただ甘えているだけでは居心地が悪くなる。
それが村田という人間だった。
だから彼は、自ら動くと決めた。
(よし、働くぞ..)
簡単に身支度を整えると、キッチンで湯気の立つスープの香りに迎えられた。
グレイスはすでに朝の家事を終えていて、包帯や薬瓶をひとつずつ布袋に詰めていた。
「今日、グレイスさんのお仕事、手伝ってもいいですか?」
「ふふ、昨日も言いましたが、無理はなさらないでくださいね?」
言葉とは裏腹に、グレイスの声にはどこか嬉しさが滲んでいる。
村田はその心遣いに微笑んでうなずき、革のバッグを受け取った。
ライトはまだパンを頬張っていて、「いってらっしゃーい!」と口の中に詰めたまま手を振ってくる。
村田は「お利口にしてろよ」と返して、扉を開けた。
外の空気はまだ少しひんやりとしていたが、朝の光はやわらかく、どこか清々しい。
鳥の声が遠くから聞こえ、石畳の道を歩くたびに小さな砂利が靴の裏で音を立てた。
「今日は二軒ほど回る予定です、このあたりの方は皆優しいので安心してくださいね」
グレイスはそう言いながら、歩幅を村田に合わせてくれる。
村田は彼の持つ革バッグを代わりに持ち、道中の段差に気をつけながらその後を追った。
(にしても、まさかこっちでも医療に関わることになるとは..)
誰かの役に立てるという感覚が、少しずつ身体を温めていくような気がしていた。
一軒目の家。
古びた木の扉がぎいと音を立てて開き、小柄な老婆が顔を出した。
「おはよう。あら、そちらのお兄さんは?」
「はじめまして、村田といいます。今日からグレイスさんのお手伝いをさせていただくことになりました」
村田は深く頭を下げ挨拶する。
丁寧に頭を下げると、老婆は目を細めて微笑んだ。
「あらまあ、よろしくねぇ。若い人がお手伝いに来るなんて珍しいわねぇ」
その言葉に、村田の中の緊張が少しだけほどけていった。
診療中、グレイスは迷いなく患者の手を取り、脈を測り、傷を診て、薬を選んでいく。
村田はその横で、包帯をほどいたり、薬瓶を手渡したり、時には患者の肩をそっと支えた。
昼ごろ、診療を終えたふたりは街路を歩きながら家路についた。
穏やかな陽射しに照らされ、バッグの中で薬瓶がかすかに揺れる音が心地よく響く。
「今日はお疲れ様でした。にしても村田さん、素晴らしい手際でしたね」
「ありがとうございます。一応外の世界では看護師をしていたもので」
「それはそれは..私の助手にはもったいないくらいです」
軽口を交わしながら、家が近づいてきた――
が、そのとき、グレイスが歩みを止めた。
「....おや、あれは?」