帰宅
夕暮れ時。
朱に染まった空の下、林からの帰り道を、村田はずぶ濡れのまま歩いていた。
足元からはぽたぽたと水が滴り、靴の中で水がちゃぷちゃぷと音を立てるたびに、足取りが重くなる。
シャツは前も後ろもびしょびしょに濡れて肌に貼り付き、
ズボンも膝から下が完全に染みていて、歩くたびに冷たさが身体の芯まで伝わってくる。
髪は額にぺたんと貼りつき、まるで水中から引き上げられた直後のような哀れな姿だった。
そんな村田の隣を、ライトはぴょんぴょんと軽快に跳ねるように歩いていた。
まるで何事もなかったかのような顔で、時折こちらを見上げてはニコッと笑う。
(結局何も出来なかった..つか、足早すぎだろこいつ)
村田は息を吐きながら、半ば脱力した視線でライトを見やる。
悔しさよりも、もはや呆れが勝っていた。
「あー楽しかった!シュンも楽しかったでしょー?」
ライトが弾むような声で笑いかけてくる。
まるで自分の悪行に気づいていないどころか、
「楽しかったでしょ?」という全肯定っぷりに、村田は言葉を失いかける。
「お、おう..」
苦笑いを浮かべながら、濡れた前髪をかき上げた。
やがて、家に到着した。
「ただいまー!」
ライトが元気よく玄関の扉を開けて叫ぶと、
すぐに奥から軽やかな足音が響いて、グレイスが顔を出した。
「おかえりなさーーって..え?」
玄関に立つ村田の姿を一目見た瞬間、その口調が止まった。
目をぱちくりとさせ、まるで状況が理解できないといった顔で村田を凝視する。
「ちょ村田さん!?何があったんですか一体!?」
グレイスは驚きと心配が入り混じった声を上げながら駆け寄ってくる。
そのままくるりと踵を返すと、キッチンへと走って行き、タオルを探す姿が見えた。
「いや..ちょっとした水遊びをですね」
そう言って視線を逸らすと、グレイスの目線がライトへと移る。
表情こそ柔らかいが、その目だけがじっと彼を捉えていた。
「なるほど、水遊び..ですか」
その口調は静かだが、確実に察した空気がにじんでいた。
「僕がアクアをぶつけたらシュンがすごい声で転んだんだよー!」
ライトが楽しげに言うと、グレイスの口元に笑みが浮かぶ――が、その目は笑っていなかった。
「ふむ、ライト..私言いましたよね?魔法を気安く人へ向けてはいけないと」
穏やかな声とは裏腹に、まるで刃のような威圧感が走った。
ライトの顔が瞬時に引きつり、肩をきゅっとすぼめる。
「ご、ごめんなさい..」
弱々しい声で謝るライトに、グレイスはふぅっとため息をついた。
そして目元をほぐすと、優しく語りかける。
グレイスはため息をつき
「次やったらご飯抜きにしますからね..ではライト、お風呂を沸かしておいてもらえますか?」
「う、うん..わかった」
小さくうなずきながら、ライトはとぼとぼと奥へと引き下がっていった。
ふんわりとしたバスタオルを広げながら、濡れた頭にそれをそっとかぶせた。
「すみません村田さん..お怪我はされていませんか?」
「あぁ大丈夫ですよ、本当に楽しく水遊びしていただけなんで」
タオル越しに照れくさく笑いながら答えると、グレイスは少し口元を緩めた。
「そうですか..でも、確かにあんな嬉しそうにしているライトは久しぶりに見ました」
その声はどこか遠くを見るようで、少しだけ胸にしみるものがあった。
「これからも一緒に遊んでもらえると嬉しいです、彼もきっと喜びますよ」
グレイスは深く礼をするでもなく、ただ穏やかにそう言って、目を細めた。
その言葉の奥に込められた信頼と感謝に、村田は胸の奥が温かくなるのを感じた。
「もちろんです、俺もライトから色々学べる事があると思うので」
タオルをかぶりながらそう応える村田の声には、
どこかくすぐったいような、しかし確かな笑みがこもっていた。