第22話 昔の話と今の私?
「暗黒竜ノックス……!?」
目の前の黒い……漆黒の、周囲の闇に溶け込んでしまいそうな深い闇色の毛並み。
屈強な騎士よりも大きな体。輝く深紅の双眸……。その姿は、まるでこの洞窟のラスボス――がいた。
「どうして竜が狼っぽい姿をしてるの?」
つい……心のつぶやきが口から漏れてしまった……。
「リューリぃ……」
ああ。ロディの呆れきった声が背後から聞こえる……。
私の周りの空気も呆れている。若干、笑いを堪えてるようなやつもいるような。
「つ……い、ね」
あははと渇いた笑いは今更――間に合わないよねぇ。
<やはり面白いなぁ。そなたはリスターによく似ているかもしれん>
「リスター……って、『英雄リスター』のこと?」
<おお、知っておるのか。ああ。あいつも愉快なやつだったぞ>
え?愉快な奴?――と、いうか、この状況をまずどうにかしないと……。
ところで。この黒いおっきな狼、こと『暗黒竜ノックス』はなんだかとてもフレンドリーな感じだな。
<狼の姿で不満かもしれんが、今はこれで我慢せい。わしの本来の姿では、この洞窟をぶち壊すからの>
このノックスさん……もしかしたら楽しい竜さんかもしれない。油断はできないけど。
<お前たちが遅いから、迎えに来てしまったぞ。わしをこんなに待たせるとはさすがあやつの子孫だけはある>
すごい文句、言われてるんだけど……。楽しいとかより、実はけっこう厄介な相手かもしれないな。
「すみません。洞窟の入口あたりでなんだか罠っぽいのをしかけられてて……」
「罠っぽいって……」
私の言い訳に、今度はモーリーがツッコミを入れてくる。ま……まぁ。嘘じゃないんだし。
あれは、しっかりと人を惑わす『罠』なんだろうけどさ。
<あんなもの……まぁ、そなたたち『人』は、あの程度でも命を落とすこともあるようじゃのぉ。
あれを仕掛けられてから、ずいぶんと『人』の気配が消えていたからな。
とはいえ、こんな奥までこんな大人数でやってくることは初めてだがな>
それって、私たちがすごいってことかな?これだけの実力者が揃っているから、当たり前なのかもしれないけど。
そう言いながら、狼が私に背を向けた。
「ノックス……様?」
<わし、自ら案内をしてやろう。ついてこい>
狼が歩みだすと、私は大きく息を吸って、吐き出す。自分の気持ちに戸惑いが生まれたせいだ。
戸惑い――たぶん少しの恐怖かもしれない。このままついて行ってもいいのか?という迷いと暗黒竜を名乗る存在への恐怖。
「……大丈夫だ」
私の肩にアルバートが手を添えた。
「……うん」
大きな手の感触。私は、アルバートの手に自分の手を添えてうなずく。
アルバートは「ああ」とほほ笑んでくれた。
私は意を決して歩き出した。
<そなたたちは仲がよいのう……。リスターの仲間たちもそうであったが……>
「さっきからリスターさんのことを、よく知っているみたいに話しているけど」
<ああ。わしとリスター達とはこの世界を救った仲間じゃぞ。他にボルガン、マール、ミニエーラ……ライオ、ラファル、ズグラ……あやつらの子孫も元気にしておるのかのう>
おい……。私は反射的にカリスを振り返る。――話、全然違うやんっ!!
「……え?」
カリスのせいじゃないんだけどね……。カリスの顔も困ってるというか、動揺しているような。
「なんだか伝わっている伝説とずいぶん違うようだね」
竜の名前が、この暗黒竜は昔は仲間だったと言っている……。これって?
<なんじゃ?リスターと一緒で、ボルカンたちもがんばっていたぞ。わしにはかなわなかったがな>
ちょっと待った。
カリスが説明してくれた――カリスはこの世界に、今現在伝わっている伝説を調べて教えてくれたんだよね。
じゃ……この目の前にいる『自称、暗黒竜ノックス』さんが話している事って……。
「ノックス殿。ボルカンやマール……その方たちは人だったのですか?」
こう尋ねたのはアルバート。
<おお、そなたはもう一人のわしの子孫じゃな。お前も知らんのか?
今、名前をあげたのはぜーんぶ人じゃぞ。わしがまだ幼体じゃった頃。
千五百年前ぐらいのことじゃな>
私たちは言葉を失った。だって……今さっき、『竜』として聞いた名前が『人』だったというのは、一体どういうことなのか。
<あれじゃな。あれがわしが封印されている『最奥の間』の扉じゃ>
私たちの戸惑いを尻目に、黒い大きな狼ことノックスさんがそう言ったんだけど、目を凝らしても、真っ暗闇で先が見えないって。
ここから少なくとも百メートル以上の距離はあると思うんだけど、距離感覚もこの先の暗さではまったく役にたたないし。
「ちょっと待て」
アルバートが右手を前に伸ばすと、洞窟の両側――私の身長以上の高さの壁に、ニ~三メートルおきに奥まで用意されていたかのように、暗闇を照らす炎が現れた。
<ほう……便利なもんじゃな。リューリ。そなたはこれぐらいできんのか?>
「……私は魔術の才能がないんです」
<そのようじゃな。ま、リスターも最初はそうじゃったが。やはりそなたはリスターの子孫じゃ>
ノックスさん、さっきから……カリス以上に真実を小出しにしつつ、それを語ろうとしない。
……こういうのが一番、イライラするやり方だよね。かと言ってここで焦っても、というやつで。
「俺は『赤炎竜ボルカン』の加護を受けているからな。火属性の魔術は得意だ」
アルバート……もしかして。
<『せきえんりゅうボルカン』?なんじゃそれは?確かにボルカンは炎の魔術を使った剣の使い手だったが……あやつは立派な剣士であって、人じゃぞ?>
「……ノックス殿が『人』として教えてくださったリスター殿の仲間たちは、現在、この世界を守護する『守護竜』としてその名が伝わっているのですよ」
アルバート。
私たちの疑問をノックスに教えようと、きっかけをつくってくれたんだ。
そうなんだよねぇ。さすがアルバート……デキる男。私の理想なんだよなぁ。
でも。暗黒竜ノックス……とても世界を破壊しようとした危険な竜のようには見えない。
それにリスターたちを語る言葉も、優しさがこもってるし……。
<あやつら……まさか>
ノックスには思い当たる何かがあったのだろうか?
私たちに向き直って、アルバートを見上げた。
<そなた、名を何という?>
あれ?私の名前を知っているのに、どうしてアルバートは知らないのよ?
「アルバート・ビナーズと申します」
<アルバートか。ふむ……その『守護竜』の話を教えてくれ>
ここでノックスの足は完全に止まってしまい、アルバートはカリスが私たちに教えてくれた『守護竜』の話をノックスに説明した。
アルバートも騎士だもの。この『守護竜』の話は当然、最初から知っていたんだろうけど。
<……状況は呑み込めた……わしがここで封印されている間に、色々とあったようじゃ。
待たせて悪かったな。奥まで案内しよう……>
アルバートから話を聞いたノックスの様子が、可哀そうなほど落ち込んでいる。
様子からだけど、リスターたちって大事な仲間だったんじゃないだろうか?
でも私たちはリスターがノックスを倒して封印したと聞いてきていたわけで。
このふたつの存在は敵対していたはずなのだが……ということになる。
「ノックス様……私たちのご先祖様であるリスターさんたちって、ノックス様にとっては大事な仲間だったんでしょ?」
<そうじゃな。リスターは正確に言えば、わしの血を継いでいるというわけではない。わしの頼みを聞いてもらったのでな。そのせいでわしの能力を受け継ぐことになったのだよ。
だからわしの眷属になったということじゃ。その能力は代々遺伝していく。
直系ならば、なおのことじゃ>
「……ノックス様の能力って?」
<これから説明する。もう少し待て>
私も気が利かなかったかな。落ち込んでいる様子のノックスに、こんな話は辛かったかもしれない。
もう少し待てばよかったな。
☆☆☆☆☆
それ以後は狼は無言で、炎が照らし出す洞窟内を私たちの先頭を歩いて行った。
私たちを会ったばかりのときはあんなに明るかったのに。
<ほら。ここじゃぞ>
私の目の前には、高さが数メートルはある重厚な扉があった。
ここがこの洞窟の終着地点であり、『暗黒竜ノックス』の封印されている場所。
<……ついてこい>
狼は、扉を……えぇっ!!通り抜けたぁ!?
「あとに続きましょう」
カリスが躊躇する私に笑顔で話しかける。
「……そ、そうだね」
私がここへ来たいと言ったんだもんね。ここで止まる訳に行かないし。
息を吸い込んで、止める。まるで水に潜る準備のように、狼――ノックスさんが通り抜けていった場所に頭から通り……目も閉じていたみたいで、なんの感覚もないまま。
次に目を開けると……。
「きゃぁぁぁっ!!」
私は思わず悲鳴を上げていた。
<うるさいわっ。これがわしの本体じゃ>
高さが十メートル以上はありそうな巨大な空間に、そんな天井に届きそうなこれまた大きな大きな氷の塊――に氷漬けにされている漆黒の恐竜――違う。鳥のような両翼を持つドラゴンがいた。
「……これが……『暗黒竜ノックス』ですか」
あれ?頭だけをこの空間に突き出している感じの私の隣には、カリスの全身があった。
「大丈夫でしたよ。私でも扉を通り抜けられました」
と、笑顔のカリス。
「そ……そうなんだ」
怖がってた私がバカみたいじゃん。
カリスが悪いわけじゃないけど……不貞腐れ気味に、私も扉を通り抜けた。
<わしが許した人間なら、この扉を通れる。怖がりすぎじゃ。これがわしの子孫とは……。
いや。リスターのバカもそうじゃったな。そなた以上に悲鳴を上げておったわ。これも遺伝なのかの>
大きな黒い狼に、大きなため息をつかれた。
私のことは仕方ないけど、ご先祖様のことまで言われてもねぇ。
こうしている間にも、皆が扉を通り抜けていた。
この氷の塊自体が、淡く白い光を発しているので、ドーム全体が光に満ちている。
でも氷である以上、ドーム内の空気は冷たい。
「少し寒いかな……こんな大きな氷の塊があるんだもんね」
「……リューリ様」
私の着ている服が少し薄手だったせいか、空間に充満している冷気にぶるっと体を振るわせると、ユトが自分の着ていた上着を私に羽織らせてくれる。
「ユト……ユトが寒いでしょう?私は大丈夫だから……」
「リューリ様になにかあったら大変です。私は大丈夫ですから、こうしていてください」
「……ご、ごめんなさい……」
ここで私が大丈夫と言っても、ユトと、「いる」「いらない」と堂々巡りになりそうなので、仕方なく一歩引いた。
「謝らないでください。リューリ様がお風邪でも召された方が、皆さまが心配なされますから。
それこそ大変です」
あ……なんか安易に想像できるな、それ。私は「うん」と返事をしながら、ユトにお礼を言う。
でもユトが風邪をひいた方が、私なんかより、もっと大変なことになりそうな気がするんだけど。
少なくとも、屋敷の運営は停止すると思うな。
<もう良いか?まったく、お前は意外と男にモテるようじゃのう。先ほどのアルバートといい、その優男といい……その黒髪の男といい……>
「ノックス様……その言い方、色々と語弊があるのでやめてくれませんか?」
アルバートとユトは……まぁ。でもその『優男』は、カリスのことですか?
「私もリューリ様の『男』に混ぜてくださるんですか?」
うれしそうに言うのやめてくれないかな、カリス。
「だったら、僕もっ」
この……その場を引っ搔き回すのが大好きなかまってちゃん野郎……ロディも名乗りを上げる。
「……ロディは却下」
「なんでだよぉっ!!」
「あなたは『仲間』で納得してたでしょ?」
「違う、違うっ。納得はしてないよ。チャンスがあるなら、リューリの『彼氏』になりたいっ」
「だから却下」
「だから、どうしてぇ!?」
「精神年齢が『子供』は嫌」
「子供じゃないでしょう。僕は君より年上だってっ」
「実年齢じゃない。精神年齢の話をしてるの」
「はいはいはい。話が進まないから、リューリの男はアルバートとユトとマーカスとカリスだけということで。ノックス様が待ってらっしゃるから、これ以上の議論は帰ってからにしろ」
強引にモーリーが決着させる。話が進まないというところは同意するけど、どうして男の数が増えてるのっ!?ってか、私に特定の『男』は、まだいないはずでしょ!?
「そうだな……その議論は帰ってから、私も含めてじっくりしよう。
ノックス様、お待たせいたしました。話を進めてください」
マリアーナが……すごく怖い。
どうして私が怖がらなくちゃいけないのかわからないけど、ノックスをお待たせしているね。
<リューリ。お前も苦労しておるのう……>
狼が、憑かれ――否。疲れている私の隣に歩み寄って座り込む。なんだかその姿がかわいいけど、それも気にできないほど疲れているみたい、私。
「……いいえ。少し慣れました……。それよりノックス様のお話を進めてください」
<おお、そうじゃな>
ノックスが促した私の顔を見上げたあと、自分の本体と言った氷漬けの漆黒のドラゴンに視線を移した。
<これは千五百年前……リスターたちと世界を救ったあとに、この『カトルアン』の地をわしの体を眠る聖地とすること約束してな。
わしはリスターたちにこの世界のことを任せて、長き眠りについておったのだ。いずれ、人と竜とが共存できる世界を創ると約束してくれたリスターたちを信じて……>
「……もう少し詳しく説明してくれませんか?
今、この世界……は、あなたが、『暗黒竜ノックス』がこの世界を滅ぼそうとして、リスターがあなたと戦って、この世界を救ったと伝わっているのです」
私はカリスが説明してくれた、このトリアンド王国の『建国伝説』をノックスに話す。
<わしはリスターたちが約束を違えたとは思えない。おそらく、この千五百年という時間の間に、なにかあったのだろう……。
千五百年前に、わしがリスターとともに戦った時、『竜』と呼べる者はわし……『暗黒竜ノックス』と『混沌竜ケイオス』だけじゃった。
『混沌竜ケイオス』は、数万年周期で生まれる特殊な竜でな。
この世界を一度、まさに『混沌』に戻すために生まれる存在じゃ。
わしはそれを阻止するために存在する。
その時の『世界』を存続させる価値があるかどうかを見定め、『混沌竜ケイオス』に破壊させるには早いと判断すれば、わしは『混沌竜』と戦う。
本来はわしが単独で『混沌竜』と戦うのだがな。あの時は『混沌竜』は力ある人間に味方させてのう。
わしだけでは勝利は難しかった。わしはリスターとその仲間たちに協力を仰いだ。
そして本来は『混沌竜』を眠らせるだけでよかったのだが、リスターたちの活躍で、『混沌竜』を完全に消滅させることに成功したのじゃ。
そしてリスターたちは、生き残った人たちとともに国を作ったのじゃろう……>
ノックスは私――ううん。この国に生きてきた皆の知識を覆すだけの威力を持った内容を語った。
<のう……リューリ。そなたに頼みたいことは、千五百年前、リスターに頼んだことと同じことなのじゃが、この氷に包まれたわしの体はまもなくその生を終え、新たに生まれ変わる。
ここにいるわしは意識体じゃ。わしの意識はこの世界を『監視』する役目があるのでな。消滅することはないが、この体は千五百年ごとに生まれ変わらねばならぬ。
そしてこの世界の担い手である『人間』に生まれ変わったわしの『幼体』を、ある程度の大きさになるまで育ててもらわねばならん。
そして前回選んだのがリスターであり、そして今回はその子孫であり、わしの能力を受け継いでおるリューリ、そなたに頼みたいのだ。だからこそ、そなたをこの地に呼んだ。
そして今、そなたが語った伝説の差異を、わしも突き止めてみたい。
そなたたちが疑問に思っているいくつもの『竜』の意味もわかるかもしれん。
どうじゃ……『わし』を育ててみる気はないか?>
……それは、私に『拒否権』はある話なのだろうか?
謎を知りたいとは思うけど……別な意味で深い『混沌』を呼びそうで……全身全霊で断りたかった。けど……。
「リューリ様。これは貴女が命を狙われる意味もわかるかもしれません……私は受けるべきだと思います」
私に判断の間を与えずに、カリスが真剣な面持ちで言い切った。
「……ノックス様。この申し出は、リューリ様に危険は及ばないでしょうか?」
これはユト。たぶん、私の身の危険と言うより、私の精神衛生上の危険という問題の方が大きいと思うんだけど。
<危険はない。とは完全には言えんが、リューリの魔術の才能がないのは、『暗黒竜』に繋がるために、わしがそばにおらんと能力の覚醒がないのだ。
リューリの身を案ずるなら、わしがそばにおった方がよいじゃろうのう>
え?そういうことなの?それは私――前世の私、『林田香織』が知らんかったよ。
いや、もうそれもどうでもいいか。このノックスの話だって、私の設定……云々なんてもう関係ないもん。
もう、こうなったら……行くところまで行くしかない、ということなんだろうか。そうなんだろうな、もう。
「わかったよ、ノックス。私の能力の覚醒に必要とか言うなら、あなたが私のそばにいないといけないなら。私は皆を守りたい。だから能力がほしい……。あなたの申し出……受けます」
<これも遺伝なのかのう。リスターとまったく同じ理由でわしの願いを受けるとは……。
わしの目には狂いはないということか。本当にそなたを気に入ったよ、リューリ……>
ノックス――狼はまるで笑ったかのように、その深紅の双眸を私に向けた。