02 不貞の証拠
「お二人にお世継ぎは、生まれないでしょう」
突然の宣言に、私の身体は動かなくなる。
ルネは無言のままベッドから大きなシーツをはぎ取り、丸めて内扉の前へ放り投げる。さんざん教育されたのに、私と二人きりだと孤児院育ちの少年らしい所作が復活するのだ。
「説明して」
なんとか声を絞り出すと、
「ごめん、お姉様。驚かせて。あの男、無精子症なんです」
その言葉に目の前が真っ暗になる。王家断絶ではないか。
「原因は度重なる近親婚でしょう」
確かに王妃様は、国王陛下の姪にあたる方だ。それを言ったら私とハインツ様もいとこ同士だけれど。王家と近縁である四つか五つの公爵家から代々、王家に嫁いできた弊害が現王子たちの代を襲ったようだ。
「ふふっ」
ルネが押し殺した笑い声をもらした。
「あいつは男として俺のお姉様を奪うことはできない、か」
紅を塗った唇を笑みの形に歪めた。美しいはずの彼が妖しく見えて、私は悲しくなった。
「そんな悪い顔、あなたには似合わないわ」
いつでも彼の綺麗な微笑を思い出せるのに、目の前の彼は王太子そっくりな顔に化粧をほどこして、侍女に身をやつしている。
「どんな顔をすれば似合うというのです、俺のかわいいお姉様」
「きゃっ」
ルネがいきなり私をお姫様抱っこしたので、短い悲鳴を上げてしまった。私をそのままベッドに寝かせると、長い指で私の髪を梳る。
「お身体が冷えてしまいましたね。俺が暖めて差し上げましょうか」
ルネの言葉に心が華やぐ。でも駄目、首を振らなくては。
そう思っているうちに、彼は寝台に上がって添い寝した。
「い、いけないわ。ルネ――」
「獣の行為は致しません。俺は、あなたの弟だから」
嫌よ、嫌よ。弟だなんて―― 決して口には出せぬ言葉が、涙に姿を変えてこぼれ落ちる。
「泣かないで。かわいい人」
ルネはささやいて、私の鎖骨に唇を押し当てた。
「ああ、せっかく清めたのに汚してしまった」
そう言って私の肌を染めた紅をぬぐったのに、もう一方の鎖骨もついばんだ。くすぐったくて、こらえても笑いが漏れる。
「やっぱりお姉様は、笑った顔が一番かわいい」
満足げにほほ笑むと、悪魔のように長い舌で私の唇をぺろりと舐めた。
「――――!」
抗議の声を上げる間もなく、強く抱きしめられる。
男性の体臭をごまかすためか、ルネは女性の香水をつけている。でもその花の香りすら、彼の優しい声音を思い出させて、私は安心するようになった。
侍女の腕の中で、私は眠りに落ちた。
ミリィがどこの誰なのか、ルネは得意の魔術を使って調べてくれていた。
「分かりましたよ、お姉様」
五日後、彼は魔術に使う水晶を手に、内扉から私の部屋へ入ってきた。
「しかも証拠までつかめました。この水晶に記憶させてあります」
「見たいわ。相手はどこの誰なの!?」
身を乗り出した私に、ルネは少し困った顔をした。
「あまり品の良い場面ではありませんから、お見せするのは――」
「私はもう公爵家のお嬢様ではないのよ?」
結婚した女に何を言っているのだ。
「とにかく―― ミリィと呼ばれていたのはミリアム・グロッシ男爵令嬢でした」
「グロッシ男爵家というと、金融業で成功を収めて爵位を手にした新興男爵家」
「その実態は高利貸しで、裏社会の連中とも通じているようですがね」
ルネはあきれた様子で言い放つと、水晶を手のひらに乗せて魔力を込めた。
「こちらが証拠になります」
虚空に映し出されたのは、成金趣味の一室。黄金の枠から真っ赤な布が下がる天蓋付きベッドに腰かけて、軽薄そうなオレンジ髪の女性が口を開いた。
『安心してよぉ、殿下ぁ。グロッシ家の手下を使えば簡単だからぁ、ミリィを信じて』
何の話題か分からないが、どうも悪い計画を立てているような雰囲気が漂ってくる。画面手前から、見慣れた背中が現れた。ゆったりとベッドへ歩を進め、
『グロッシ男爵の長女である君がそう言うなら信じよう。急ぐ必要はないから、抜かりなく進めてくれ』
予想通り、それは聞き慣れたハインツ王太子の声。
「――というわけです」
映像はルネの声と共に突然かき消えた。
「まだ続きがあるんじゃないの?」
私は素早く、ルネの手から水晶を奪い取る。
「お姉様、その先はいけません」
慌てるルネを無視して、私は魔力を込める。私だって水晶に記憶させた映像を再生するくらい、できるのだ。
虚空に蘇った映像は、先ほどの続きからだった。
『分かったわぁ、殿下。ミリィたちの幸せな未来のため、あの者たちにはしっかり働いてもらうからぁ』
間延びした口調で答えると、ミリアム嬢は両手を広げて王太子を迎え入れる。
『そうしてもらおう。もう面倒くさい話は終わりだ。今夜も存分に楽しませてくれ』
ベッドへ上がった王太子が、ミリアム嬢の足に手のひらをすべらせてドレスをまくり上げた。私にするのと同じ手順だ。
「もう良いでしょう。こんな場面、お姉様にお見せしたくありません」
唇をかむルネを片手で制して、私は夫とミリアム嬢の行為を最後まで凝視した。
「ねえ、ルネ。私に考えがあるの」
映像が終わったとき、私の声は自分でも驚くくらい冷ややかだった。
「お姉様、悪女のようなほほ笑みを浮かべられて、何か思いついたのですか?」
悲しげに問うルネに、私は淡々と話した。
「三ヶ月後、第二王子殿下の誕生会があるでしょう? そこでこの映像をお披露目したらどうかしら?」
それから私は、思いついた計画を打ち明けた。
その夜も王太子は、馬車でどこかへ出かけて行った。
「行き先はグロッシ男爵邸?」
私が尋ねると、水晶をのぞきこんだままルネがうなずいた。
「そのようです。ラピダ川を越えて行きましたから」
王太子が夜、王宮にいないのは珍しくない。だがその行き先が毎回、あの粗野な女の元だったとは。怒るなんてみっともないことはよそう。私は学んだだけだ。王妃教育で躾けられた通り、行儀のよい非の打ち所がない生き方を貫いていては、損をするだけだと。
「ルネ、あなたは私が悪女になったと失望するでしょうね」
侍女のドレスを纏ったルネの腰を、私はぐいと抱き寄せた。
「お姉様――?」
見下ろすサファイヤブルーの瞳が、驚きに見開かれる。男性の粗い肌質を隠すため白粉に覆われた彼の頬を、私は手のひらで包み込んだ。
「私をお前の好きにしてよくてよ」
言葉の意味を察したのだろう、彼はごくりと喉を鳴らした。首に巻いたチョーカーの裏で、喉仏が上がってまた戻るのが分かった。
「俺の気持ちに気付いておいででしたか」
気付かないわけないでしょう、と返すより早く、私の唇は熱い口づけでふさがれた。愛する人との初めてのキスは、紅の味がした。
それから私とルネは、王太子がミリアム嬢に会いに行くたび体を重ねるようになった。
ほどなくして、私はご懐妊となった。
次話『王太子の不貞、白日の下に晒される』
第二王子の誕生会で、王太子の不貞映像がお披露目されます。お楽しみに!