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01 王太子と公爵令嬢は、それぞれ秘密を抱く

 夜通し、雨が降り続いていた。


 寝静まった王宮の一室、ゆらめく燭台の灯りに、贅を尽くした調度品が浮かび上がる。


 (ひそ)やかな雨音をかき消すのは、天蓋付きベッドがきしむ音と、男女の荒い息遣い。それは私と、夫であるハインツ王太子のもの。


 この行為は王太子妃である私の責務。お世継ぎを授からなければならない。愛などないが、人も獣の一端だ。寝台において和合すれば、成る――はずだった。


 高みに至る瞬間、王太子が声をあげた。


「ああ、ミリィ――!」


 私の身体を燃やしていた熱は、冷や水を浴びせられたように一瞬で凍りついた。


 誰よ、ミリィって? 私はサンティス公爵家に生まれたマルタですが?


 私は冷え切った目で王太子をうかがう。蝋燭(ろうそく)に照らされた金髪は汗に濡れているが、その顔立ちは線の細い端正なもの。病弱な彼は体つきも華奢で、儚げな美青年ぶりは王都の女性たちを(とりこ)にしている。


 つまり、いくらでも相手はいるのだ。


 だが許せない。私だって公爵家に生まれた令嬢として相応(ふさわ)しい振る舞いをするべく、これまで耐えてきたのに、あなたはそれを破るの?


 王太子は、快楽に脳を焼かれて愚かな言葉を口にしたことなど気付かなかったのか、事が終わると、


「おやすみ」


 感情のこもらない一言を残して、バスローブを羽織って部屋から出て行った。


 廊下で待機していた侍従と共に、二人分の足音が遠ざかっていく。 


 ああきっと私なんかが相手だと思ったら、行けるものも行けないから、愛する浮気相手を想像しながら挑んでいらっしゃったのね。


 そう思えば屈辱の炎がチリチリと胃を焼くようだ。


 貴族学園時代から、彼の周りには(つね)に令嬢たちが(むら)がっていた。だが巷の恋愛小説のような婚約破棄などあり得なかった。国王夫妻は厳しい人で、息子の横暴を許さないからだ。


 王家の男子は身体が弱く、第二王子は一年の四分の三を寝台の上で過ごしている。第三王子は精神薄弱で表には一切出てこない。唯一、第一王子のみが世継ぎを期待されているのに、身分の低い令嬢との婚姻など認められるはずはなかった。


 控えの間に続く内扉がノックされて、私は我に返った。


「どうぞ」


 外で続く雨音に、私の小さな声が溶け込んだ。


「お嬢様、失礼します。お身体を清めに参りました」


 音もなく扉が開いて、背の高い侍女が姿を現した。私が公爵家から連れて来た侍女――ということになっている。


 片腕に陶器の水(がめ)を抱え、もう一方の腕に幾枚も布を垂らして私の前に立つ。その表情は沸々(ふつふつ)と煮え立つ怒りを無理やり抑え込んでいるようだ。


「ルネ、そんな顔しないで。せっかくの美男子が台無しよ」


 そう、ルネは男性だ。侍女に変装して、王宮に忍び込んでいる。


「だってあの男、許せない―― ミリィって誰? お姉様をコケにして!」


 甕を床に、布をベッドに置くや(いな)やルネは、リネンの寝間着姿の私を抱きしめた。


 私は何も言わず、うしろで三つ編みにしたルネの金髪をそっと撫でた。


「あの男が触れた痕跡は一つ残らず消して差し上げましょう」


 サファイヤブルーの瞳に悔し涙をためて、ルネは布を甕の水で濡らした。寝間着の裾を持ち上げるルネの手に、羞恥の炎が燃え上がる。


「嫌、恥ずかしい。自分でできるわ……!」


「俺のことなど弟と思って下さればいいのに」


 挑発するようなまなざしで、ひざまずいたルネはベッドに腰かける私を見上げる。


「弟でもおかしいでしょ、こんなこと!」


 ベッド下に置いた布製の靴を履いて衝立(ついたて)のうしろへ逃げようとすると、立ち上がったルネがうしろから私を抱きしめた。


「じゃあ妹なら、俺に全てを見せてくれる……?」


 耳元でささやく。さっきまでの作った女声とは違う、彼本来の低く甘い声で。理性が蜜に溶かされて、彼に身をゆだねそうになる。でもいけない、私は王太子妃なんだから。


「姉妹だってそんなことしないわ。シーツを替えてくれるのでしょう? 私の侍女さん」


 ルネの腕からするりと抜け出て、私は布を手に衝立の裏へ急いだ。


 私とルネが出会ったのは七年前――私が十歳、ルネが九歳の頃だった。


 お父様がクリスタル教会附属孤児院で見つけてきたのだ。ハインツ王太子と瓜二つの子供を。


 連れてこられた当時のルネは、教会での栄養状態が悪かったのか痩せていて、七歳くらいにしか見えなかった。だがそれが余計に、病弱で発育の悪いハインツ王太子を思わせた。


 お父様は魔術師やマナー講師、果ては劇団の役者まで雇ってルネに様々な教育を(ほどこ)した。私が王妃教育の一環として受けていた文学や歴史の授業も、ルネは一緒に学んだ。


「朝から夜までずっとお勉強で疲れるでしょう?」


 私がルネのやわらかい金髪を撫でると、彼はふるふると首を振った。


「お勉強できるのは幸せなことです。それにここには暖かいお洋服があって、お優しいお姉様がいるもん」


 愛らしいルネが屈託のない笑みを浮かべたので、私はたまらず彼を抱きしめた。私とルネは本当の姉弟のように、互いを(いつく)しんで育った。


 お父様はルネにあまり食事を与えなかった。だからルネはいつまで経っても本物の王太子と同じく、華奢な体つきを保っていた。


 ルネは屋敷の外に出ることを許可されなかった。お父様が何をお考えなのか、私には分からない。だが大人になって、王弟であるお父様が王位継承権第二位だったことを知ると、黒い霞のような不安が私の心に広がった。


 私は首を振って疑念を払う。だってお父様はクリスタル教会の教王。その地位は国王に次いで高いものだ。


 衝立のうしろで身を清めた私は、ベッド脇に立ったルネが何か魔法を使っていることに気が付いた。


「鑑定」


 小さく呟き、シーツの上に残された白濁液に白い魔法の光をかざす。


「何をしているの……?」


 怪訝に思って近付くと、振り返りもせずにルネが言った。


「お二人にお世継ぎは、生まれないでしょう」

二人に子供ができない理由とは? 次話で明らかになります!

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