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偽装勇者と潜入女神の異世界運び屋  作者: 与田 八百
第6章 (偽装)勇者と(潜入)女神
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第42話 法は守るためにある?

 ――エイイチ!


 クリスタリナは叫んだ。しかしマルパスに頭を押さえられ、うまく声を出せなかった。


 鍛冶師の作った最強の剣は、最強の鎧を背中側までやすやすと貫通していた。エイイチがよろめきながら剣を引き抜くと、血しぶきが激しく吹き上がった。


 それは明らかな致命傷だった。


 ドサリ、と非情な音を立てて、エイイチが地面にうつ伏せに倒れ込むのを、クリスタリナはただ見ていることしかできなかった。


「ははは、まさか自殺とか、ははっ」


 頭上でマルパスが笑うのをクリスタリナは聞いた。その甲高い笑い声に応じ、嫌らしい震えが足を介し首筋に伝わって、クリスタリナは悔しさに塗りつぶされた。


 地面に投げ出された剣に赤い血がべったりと付着していた。エイイチの肉体からは血溜まりが一回り、もう一回りと、心臓の拍動に合わせ同心円状に広がっていく。十秒もするとその勢いも収まり、血糊は同じくうつ伏せになったクリスタリナの目の前で止まる。


 その直後、クリスタリナに緊張が走った。


 鼻先から、甘い匂いがしてきたからであった。


 嘘だろ? と思うも、それは明らかにエリクサーの香りだった。血にあるまじきメロンの甘さにナッツの香ばしさ。間違いなくそうだった。


 なぜだ?


 彼女は混乱した。なぜエイイチはエリクサーの混じった血を流しているのか?


 その理由はわからなかったが、これは明らかなチャンスだった。


 これを舐めれば、この窮地を突破できるかもしれない。そんな考えがクリスタリナの頭をよぎった。しかもマルパスはケラケラ笑い続けていて、まだそれに気づいていない。


 だが、


 私は麻薬取締官だ。


 という思いもまたあった。


 たとえ限界の状況といえど、エリクサーを摂取するというのは倫理に反する。取り締まるべきものが、それを摂取していては本末転倒だ。正義も糞もあったものじゃない。


『法は守るためにある』


 そうだ。でも、


 マルパスはいまもなお笑っている。父を侮辱したのと同じ口で笑い続けている。


 もしいま父がこの場にいれば、なんと言うだろう。わからない。わからないけど、この女を野放しにしてはいけないことだけは間違いない。


 だから、


 クリスタリナは覚悟を決めると、エイイチの血を舌先で舐めた。


 それだけで十分だった。


 身体のこわばりがほぐれ、手足がポカポカと暖かくなった。傷が癒え、背中の内側で燃え尽きていたはずの羽根が広がっていく感じがする。気持ちいい、とクリスタリナは思った。それは彼女がこれまで感じたことのない快楽であった。


 クリスタリナは跳ねるように立ち上がると、間髪入れず風魔法を放った。


「なにっ!?」


 ふいを付かれたマルパスが猛スピードで水平方向に吹き飛ばされる。バウンドしながら地面に擦り付けられた彼女はなんとか受け身をとって立ち上がるも、目を丸くした。


「なぜ傷が治っている!? まっ、まさかエリクサーかっ!?」


 感づいたマルパスが胸ポケットに手を入れようとするのを、クリスタリナの追い打ちが吹きすさび食い止める。


「クソがっ!」


 再度弾き飛ばされたマルパスがすれすれのバランスで着地する。その際、足をぐねったのだろう。彼女が痛そうに顔を歪め、またもポケットに手を伸ばそうとしたちょうどそのとき、そのしなやかなその肢体が、ビクンッ、と引きつった。


「あっ……ぐわっっ……!!」


 エイイチがマルパスの腹を貫いていた。


 すっかり元通りに回復したエイイチが、剣を持って彼女の背後で待ち構えていた。腰を落とし体重を乗せて、槍のように一気に彼女の腹を突き刺していた。それはクリスタリナが以前に教えた唯一の剣術であった。


「なにをっ!?」


 マルパスはなおもポケットからカプセルを取り出そうと試みる。しかし、エイイチがマルパスの体から剣を引き抜くやいなやクリスタリナが飛びかかり、全力で押さえつける。マルパスは血しぶきを撒き散らしながら暴れるも、クリスタリナによって後ろ手に拘束される。


 先と完全に逆転した状況になったところで、クリスタリナが言った。


「局長、あなたを麻薬密輸および世界損壊の現行犯で逮捕します!」

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― 新着の感想 ―
[良い点] 法は人の生活を良くする為の道具なので守った方がよいが、法が人の生活を良くする為の障害になるなら、法を破ってもよいと昔誰かが書いていたなぁ。
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