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偽装勇者と潜入女神の異世界運び屋  作者: 与田 八百
第1章 偽装勇者
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第1話 玄関開けたら2秒でドラゴン

 エレベーターが開くとドラゴンがいたので、エイイチは飛び上がった。


 ちょっとしたワンボックスカーくらいの緑色のドラゴンだった。全身が光沢のある鱗に覆われ、背中からは二枚の羽が生えていた。腹を伏せ前足を伸ばした姿勢はスフィンクスのように威厳があって、長い首と肩の筋肉の盛り上がりも凄まじく、まさにテンプレどおりなドラゴンであった。


 が、なぜかドラゴンはパジャマを着ていた。飼い犬にありがちなゆったりとした袖付きのそれを上着だけ身につけていた。ファンシーな水玉模様であった。


「お前、エレベーターで寿司を直していただろう?」


 ドラゴンの隣に立つ女神が言った。


 これまた“女神”としか形容できない女だった。灰色のスウェットを着て腕を組んでいる。なんだか高そうなスニーカーを履いている。これだけなら別に普通の人間だろう。たわわな胸に均整の取れたしなやかな肉付き、透き通るような白い肌や高貴な顔立ちも、ありえないことはない。鮮やかなピンクの髪だってそうだ。だけど、彼女の頭上には光の輪が思い切り浮遊していた。


「すみません」


 タワマン最上階に住むドラゴンと女神、そのインパクトに圧倒されつつエイイチは答えた。


「どうしても片側に寄ってしまって……」


 彼はウーパーイーツの配達員であった。あの出前代行サービスである。そして今晩、彼は高級寿司『よどやばし五郎』の配達でこのマンションへとやってきた。寿司の容器には隙間が多い。自転車で急ぐと、どれだけ工夫しても多少中身が寄ってしまう。ゆえに彼はエレベーター内でそれを直そうとした。まさか監視カメラで見られているとは思わなかったが、きちんと使い捨てのゴム手袋を用い、衛生面には配慮したつもりだった。


「言い訳するな!」


 しかし、女神は怒鳴った。


「シャリの空気感を味わいたいのに、お前が触ったら意味ないだろ!」


「そんなこと言わてても……」


「黙れ。今すぐ弁償しろ!」


「それはサポートセンターに……」


「知るか、今すぐ十万。さっさと払え!」


「そんなぁ」


 理不尽だ、とエイイチは思った。


 シャリの空気感以前に、『よどやばし五郎』のデリバリーは五郎本人が握っていない。すべて裏の倉庫でマシーンによって作られている。これはエイイチたち配達員なら周知の事実である。だが、今そんなことを言うわけにもいかず、かといって貧乏なエイイチには十万円なんて大金は払えない。なのであたふた狼狽していると、女神がしびれを切らして怒声をあげる。


「払えないなら死ね!」


 その怒りに満ちた声に応じ、ドラゴンがぐわっと起き上がる。


「ニャウギャウニャウギャウ!」


 ドラゴンは見た目に似合わずネコのような声で吠え立てると、前かがみになって大きく口を開けた。


「うわあっ!」


 明確な殺意を持って迫る猛獣に、エイイチは悲鳴を上げて尻もちをついた。そこからわずかに遅れ、さっきまで彼の頭があった空間を強靭な顎が通過していった。パニックになった彼が後ずさるより早く、ドラゴンは頭を振り下ろす。長い首が風を切り、再び図太い二本のキバが迫って、食われる、そう思ったエイイチはとっさに背中に担いだデリバリーバッグを掴んだ。


「ブニャ!?」


 ほとんど反射的に、彼がそれを歯の並ぶグロテスクな口の中にねじ込むと、これにはドラゴンも驚いた。四角く黒いバッグはその口にすっぽり収まって、ミシミシ顎に砕かれ圧縮されると、そのまま喉に詰まってしまう。


「ゴ、ブッ、ガッ!!」


 一気に呼吸困難に陥ったドラゴンは、首を縦に持ち上げバッグを飲み込もうとする。「ギャ! ニャ! ギャ!」と、乱暴に頭を振って揺さぶるが、うまくいかない。ゴリゴリッ、ゴクリッ、数十秒かけて無理くり嚥下する頃には、黄金色の瞳が赤黒く充血しきっていた。


「ブニャ、フギャッ、フギャァァァッッッーー!!」


 すっかり怒り狂い、興奮したドラゴンは唸り声を出し、鋭い爪の生えた二本の前足を振り上げてくる。


 エイイチが転がるようにそれをかわすと、背後にあったマーライオン風の石像が豆腐のように破壊される。ドラゴンの重量は硬い大理石の床をも振動させ、すぐ隣の抽象的なオブジェが倒れ粉々に砕け散る。


「ハッ、ハッ、フッシャッーー!!」


 ドラゴンは激しく噎せこみながら、暴れに暴れた。それは無秩序な攻撃であった。もはやエイイチなど関係なく、観葉植物、革張りのソファ、用途不明だが高級そうな家具など、手当たりしだいに周囲のものを破壊しながら吠え散らかした。


「や、ヤバいってこれ!」


 ここにきてやっと、逃げなくちゃ、とエイイチは思った。立ち上がろうにも腰が抜けていて、彼は這うようにしてエレベーターへと向かうと、『▼』しかないボタンを連打する。


 エレベーターが動き始める。けれど遥か下の階に止まっていて、なかなか来てくれない。


 焦る彼が肩越しに背後をうかがうと、そこにはとんでもないカオスが広がっていた。


 改めて見ると、かなりの広さがあった。玄関前にある庭でも廊下でもないこの空間をなんと呼ぶのか、その日暮らしのエイイチには皆目検討もつかなかった。ドアの取っ手一つ、柱の丸み一つ手抜きなく、あらゆる調度品が豪華で、さすが百階建てのタワマンは勝手が違う、そう思った。


 そんな空間がこれでもかと破壊されているのであった。


 通常のフロア二階分はゆうにある高い天井の中央に、宝石を散りばめたシャンデリアがぶら下がっている。羽を広げ飛び上がったドラゴンが、それに取り付き咆哮しながら揺れている。


 女神がそんなドラゴンの動向を不安げな表情で見守っていた。彼女の肩はわなわな震え、白い顔がより白く青ざめていた。ピンク髪の上で輝く光輪すら、エイイチには心持ち薄くなっているように思われた。


 てかなんで女神とドラゴンがタワマン住んでウーパー頼むんだよおかしいだろ、そんなツッコミもむなしく、ついにシャンデリアが落下してくる。


「きゃー、ドラギちゃーん!」


 素っ頓狂な声を出して、女神がドラゴンに駆け寄った。ドラギちゃん、というのがこのドラゴンの名前であるらしい。彼女がうずくまる竜の首筋をせわしく擦ると、大きな体が不規則に痙攣し、長い首の根元が膨らんだり引っ込んだりした。どうやらバッグを吐きだそうとしているようだった。


 エレベーターはまだ来ない。何十階も下でもたもたしている。


 エイイチはドラゴンとモニターの階数表示との間で視線を交互に動かし続ける。早く来てくれ、と念じ続ける。


「ウゴッ、ブニャ、……オゲェェッッ!!」


 何度目かのトライでやっとうまくいったのか、首の膨らみが下から上へとせり上がり、ついにドロドロになったバッグが吐き出される。ドラゴンは充血しきった瞳に涙をためて、幾度も嗚咽を漏らしながら、ぐったりその場にへばりこんだ。


 エレベーターはまだ来ない。


 ドラゴンの脇で膝立ちの女神がエイイチを睨みつけ言った。


「お前、ドラゴンが生魚食えないことを知っててわざとやったな?」


「え」


「殺す。絶対殺す」


 女神は立ち上がると、右手をまっすぐ前に伸ばしエイイチに向けた。頭上で光輪が瞬いたのもつかの間、彼女の全身から強烈な後光が溢れ出す。光は伸ばした右手の掌へと集中し、エネルギー弾のようなものが形成されていく。


「ひゃっ!」


 エイイチは頭の上に両手を掲げ飛び退いた。


「すみませんすみません。ドラゴンのことなんて知らなくて」


「問答無用!」


「ほんとマジなんでもしますから許して!!」


 エイイチは叫んだ。こんなの無茶苦茶だと思った。こんなことで死にたくないと思っても、女神の光の弾は膨らんでいく一方だった。そのあまりのまぶしさにまぶたを閉じると、女神がひりつくような低い声で言った。


「……少年お前今、なんでも、と言ったな?」


「あ、はい」


 まぶたの裏に差し込む光が急速に弱まったのを感じ、エイイチは恐る恐る目を開けた。


 女神は手を伸ばしたまま、なにやら思案しているようだった。


 数秒後、エレベーターが到着したタイミングで彼女は言った。


「なら少年、()()をしてみる気はないか?」


「仕事?」


「そうだ。異世界からちょっとした()()を持って帰るだけでいい。成功したら追加報酬だって払ってやる」


「はい?」


「先の身のこなし、とっさの機転、悪くない。なにより普段私と接点がないところがいい」


 わけがわからず戸惑うエイイチに構わず、女神は伸ばした腕を振り下ろす。途端に強い風が吹き抜け、フロアに散らばる瓦礫が一掃される。と同時に、うずくまるドラゴンのそば、真っ白いの床の上に直径五メートルほどの魔法陣が出現する。きれいな真円の、青い光で紋章が輝く、またしてもテンプレートなものであった。


 誰も乗り込むことなく、開いたエレベーターが閉まっていく。


 エイイチはゴクリと唾を飲み込んだ。すごいことになってしまった、と思った。


「あの、ちょっと意味がわからないんですけど? 異世界? 荷物ってなんなんですか?」


「細かいことは気にするな。後はそうだな……ほら」


 女神がそう言うと、ぽん、と手のひらサイズの手帳と紙幣のような紙きれが虚空から作り出される。


「ほらって、なんですかこれ?」


「なにって、パスポートとチケットだよ」

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