8 ちょっとは打ち解けた……かな?
誰かに吐き出したかったのかもしれない。
ノエルのキュッとつり上がった目は意志の強さを感じさせ、全てを拒んでいるようにも見えた。
しかし、その胸には抱えきれないほど大きな苦しみをもっていた。
零れるように、ノエルがポツリポツリと話し出した。
それは、ノエルの前世の話だった。
「私、前世を覚えていますの。頭がおかしいと思われるかもしれないけど、確かに覚えていますの。前世の私は、この世界ではない別の世界で生きていて、体の弱い子どもでした。外で走り回ることもできず、食事すら苦しくなるような……生きているのが苦痛になるほど、弱い体だった」
前世。
ノエルの言葉に、愛奈がゴクリと唾を飲み込む。
前世、生まれ変わり……ノエルは、転生したのだ。記憶を持ったまま。
テレビで前世の記憶がある、と言っていたモデルを思い出す。顔は忘れてしまったが、足や腕が折れそうなぐらい細かったことだけは覚えていた。
前世の記憶なんて、嘘くさい。そう思った。だから、ノエルもそういうふうに言われたんだろうな、となんとなく察したがついた。
痛いような、苦しいような、悲しそうに目を伏せたまま、言葉を続ける。
「前世の私は体が弱かったけど、周りの人には恵まれていました。両親も優しかった。見舞いにきてくれる友達もいた。でも、私の体はどんどん弱って……そのまま。気がついたら三歳ぐらいになっていて、ノエルとして生まれていました」
「……」
「私は、妾の子だった」
「……めかけ?」
「愛人ってことです」
「あい……!?」
「まぁ、貴族の間では愛人を持つことはさほど気にされていませんでしたが、普通はそう言う反応なのでしょうね」
初めて聞く言葉に愛奈は普通に聞き返してしまったが、返ってきた単語に目を剥く。
愛人が普通の環境とは、貴族とは恐ろしい場所だと身をふるわせる。
というか、貴族とかいるんだ……今更のようだけど、ファンタジーだなぁと愛奈はぼんやり思う。
愛奈が明後日の方向に考えを巡らせていると、ノエルは自嘲するように唇をゆがめた。
「おかげで、使用人や義兄弟にはひどくいじめられましたのよ。お前は卑しい身分だ、お前のような人間はこの家にはいらない、とね」
思い出しているのか、ノエルの目付きが鋭くなる。
しかし、声はふるえていた。当たり前だろう、まだ十三歳ほどの子どもがそんなことを言われ、いじめられるのが怖くないはずがない。
痛ましい話に、愛奈は胸が締め付けられるようだった。
体を丸め、身を守るように小さくしたノエルの姿が痛々しく、抱きしめてあげたいと思った。
スゥ、と小さく息を吸い、ノエルは話を続ける。
「挙句の果てに、母が事故で亡くなってからはゴミのように捨てられた。母だって、本当に事故でかどうかも……前世では病弱、今世では愛人の子、とことんツイてない」
「ノエルちゃん……」
あまりにも壮絶な話に、愛奈は何も言えなかった。
ノエルの顔を見て、その表情は泣くのを我慢しているように見えた。しかし、瞳の奥には怒りの炎がチラついている。
理不尽な人生に、ノエルは怒っているのだ。
前世では病弱で思うように動けず、今世では愛人の子として生まれ蔑まれる。
ノエルはその怒りを原動力に、生きているのだ。
すごいなぁ、と愛奈は思う。
自分だったら、きっとくじけてしまう。
救いのない世界を恨み、自分を恨み、動けなくなってしまうかもしれない。
本当に恵まれている人は、自分が恵まれていることに気づかない。それが当たり前だからだ。
愛奈も、そういう人間だったらしい。
この世界にきて、初めて自分が恵まれていたのだと気づいた。
ノエルのような話を聞いて、真っ先に思ったのは、「自分じゃなくてよかった」だ。
なんて浅ましいのだろう。
他人の不幸話を聞いて、安心するなんて。
自分がこんなにも醜い人間だったなんて、初めて知った。知りたくない事実だった。
――わたしのような人間が、ノエルに対し何か言うことなんて、できない。
「マナさん。ごめんなさい」
「え、なんで謝るの」
「……人に話すようなことじゃなかった。前世のことなんて、信じられないでしょう」
「そっ、そんなこと、ないよ! わ、わたし……あのね、わたし、異世界からきたの。信じられないかもしれないけど――本当、なんだよ」
「――ッ」
「だから、ね。わたしは信じるよ、ノエルちゃんの話。異世界からきた人間がいるなら、前世の記憶がある人だっているでしょ」
頬がピクピクする。うまく笑えているだろうか。
少しでも安心させたかった。
愛奈はノエルと同じ痛みは抱えられない。抱えたくもないと思う。だけど、ノエルの痛みを少しでも軽くできたらいいと思った。
異世界からきたことを、愛奈は否定されなかった。
ママが異世界からきた人間ということもあり、孤児院のみんなはすぐに信じてくれた。
だから、信じてもらえないツラさも、愛奈にはわからなかった。
それでも。
くちびるを噛みしめ、必死に泣くのをこらえている女の子に寄りそってあげられることぐらいはできる。
ノエルは、その大きな目から涙をこぼした。
口をへの字に曲げ、くしゃりと顔をゆがませる。
ふっ、ふっ、と息を小刻みに吐き、目を見開いて涙をこらえようとしているようだった。
声をもらさないよう静かに泣く姿は、ノエルのひどい過去を物語っていた。
「ノエルちゃん。わたしは……わたしはね、弱い人間なんだ。だから、ノエルちゃんのツラさが理解できない。でもね、悲しいときにそばにいることができるよ。話したかったら話せばいいし、話したくなかったら話さなくていいんだよ」
「ッ。……あ、あり……ええ、そう、ね……」
ぐ、と手を握りしめ、ノエルは昼間と同じように何か言いたげな目をする。
しかし、言葉が紡がれることはなかった。
顔をそむけ、ノエルは「もう寝ます」と言って布団に入った。
またうなされるんじゃないか、愛奈は心配してしばらくノエルの様子を伺っていたが、規則正しい寝息が聞こえてきたので、安心して眠りについた。
翌朝、愛奈は見事に寝坊した。
「なぁんで誰も起こしてくんないの!?」
「起こしたわよ。マナが起きなかったの」
「コウは?」
「もう行った。あの子もだいぶ粘ってたけどね、起きる気配がなかったから行かせたわ」
「も〜! 入学して二日目で寝坊とか、最悪すぎる! 行ってきます!」
「ご飯はいいの?」
「いい!」
大慌てで顔を洗い、制服に着替える。髪がボサボサだけど、この際気にしている場合ではない。
何より、学園まで歩いて三十分はかかる。走ったとしても遅刻は免れられないだろう。
起こされても起きなかった自分に腹が立つし、いつも箒に乗せてくれたコウがいないとこんなにも困るのかと実感した。
ママが言っていた。コウも待っていてくれたのだ。だと言うのに、なんで起きなかったわたし!
靴を引っかけ玄関から飛び出ると、箒を持ったノエルが立っていた。
へ、間抜けな声がもれる。
「乗ってください」
「え、いや、なんで」
「いいから、早くしてください。私まで遅刻します」
「あ、はい」
言われたとおり箒にまたがる。
すぐにふわりと浮き上がり、重力に逆らう感覚にバランスを崩しそうになって慌ててノエルにしがみつく。
浮き上がった箒は、そのまま空を滑る。
コウが操るより、ずっと早かった。
風の音が耳のすぐそばで聞こえ、ページをめくるように景色が変わっていく。
あっという間に学園が見え、ノエルは門の内側に降り立った。
本当なら門の外側からチャイムを押して入れてもらわなければいけないのだが、ノエルはそのつもりではなかったようだ。
平然とした顔で進んでいく。
教師に見つかれば怒られてしまうのだが、ノエルは見つかることを気にする様子もなく進んでいく。
その堂々たる姿に、愛奈は感心するしかない。
しかし、ノエルも遅刻したのは愛奈の責任だ。
「私のせいですの」
「え?」
「夜、遅くまで付き合わせてしまいましたから。……昨日は助かりましたの。ありがとう」
「――! ううん、いいよ。全然!」
昨日言いかけた言葉は「ありがとう」だったのかもしれない。顔をそむけているが、赤くなった耳を見てそう思った。
嬉しくて、愛奈はノエルの心に少しだけ近づけた気がした。
友達、と呼んでもいいんだろうか。……さすがにそれはちょっと、図々しいかもしれない。会ったばかりだし。
まだ知人、かな。
友達になれたらいいな、と思う。
痛みはわからないけれど、寄りそうことはできるから。
昨日は見かけなかったが、ノエルも同じクラスだったらしい。
二人そろって静かに教室に入る。コソコソと身をかがめて後ろのほうの席にシレッと座ろうとしたが、黒板のほうを見ているはずの教師から「遅刻したならさっさと座れよ二人とも」と声をかけられ、反射的に背筋を伸ばす。
おかげでクラスメイトに笑われる羽目になった。