5 会いたくなかったんですけど
入学式だ。愛奈は真新しいセーラー服を身にまとい、緊張した面持ちで校長先生の話を聞いている。
少しだけ視線を動かせば、隣や前後の生徒が友達同士でコソコソ小さな声でしゃべっている声が聞こえた。校長先生の話が長いことや、同じクラスになれるといいね、なんて話していて、いいなぁ、と思った。
愛奈はあの一件があって以来、周りに人がいなくなってしまった。
しかし、中学に入れば他の学区からの生徒もいる。何も同じ小学校の子と一緒にいる必要はないのだと自分を励ました。
教室に入ると、見知った顔も何人かいた。しかし、友達とのおしゃべりに夢中で愛奈には気づかない。気づかないようにしているのかもしれない。
愛奈は、ぽつんと一人席に座っていた。
誰かから話しかけられることもなく、自分から話しかける勇気もなく。
新しい生活が始まったら頑張る、そう決めていたのに、早くもくじけそうだった。
一人で登校し、一人で休み時間を過ごし、一人で帰る。その繰り返しだ。
なんだか虚しく、悲しかった。
変われると思っていた。変わろうと思っていた。
けれど、結局自分は何もできないのだとわかってしまった。
そこで、目が覚める。
今日も同じ夢だった。元の世界で、うまくやれない夢。
自分はどこにいても変わらないのだと、そう思った。
――でも、コウは認めてくれた。トロいわたしを、丁寧だと褒めてくれた。
そのことだけは忘れてはいけないと心に刻む。たった一人、認めてくれた人がいる。それだけで救われた。
「マナ、今日も街行くか?」
「うん!」
箒にまたがったコウが庭で待っていた。
やはり魔法使いは箒で空を飛ぶらしい。初めて乗せてもらったときはバランスが乗れなくてひっくり返るかと思ったが、だいぶ慣れた。
空を飛ぶのは気持ちがいい。ぶっちゃけ速度的には自転車とそう変わらないのだが、この町で自転車に乗っている人を見かないので、もしかしたら物自体ないのかもしれない。
コウは愛奈を乗せて空へ浮き上がる。
慣れた手付きで箒を握り、操作する。愛奈が落っこちないようバランスを取りつつ、箒に乗った二人は空を滑るように進む。
この世界、というか、この国は気候がおだやかだ。日本みたいに四季に分かれているのかと思ったが、どうやら違うらしい。
基本的に温暖な気候で、一年を通してカラッとした空気に包まれている。冬になっても雪が降ることはないらしい。
「にしても、異世界なんてねぇ」
「本当だよ。わたし、日本ってとこから来たの」
「別に嘘だなんて言ってねーじゃん。おとぎ話みたいだなーって思っただけ。それにしてもよく調べるね」
「うん。帰りたいからね」
今日もせっせと本を読む。
歴史書だ。
国の成り立ちから、四つの大陸についてなど、様々な歴史が記されている。
どこから手をつけていいのかわからず、手始めに四つの大陸について調べることにした。
東の大陸リファーララ、西の大陸アステルカ、南の大陸シール、北の大陸オーロラ。
四つの大陸を軸にして、国が成り立っている。
勉強は得意じゃないけど、本を読むのは好きだった。
歴史書も、堅苦しいものから物語のような形のものまで様々で、物語のような形の歴史書は読みやすかった。
熱心に本を読み進める愛奈の横顔をながめ、コウはポツリとつぶやく。
「そんなに帰りてー世界なのかよ」
本に集中していた愛奈の耳にその言葉が届くことはなく、コウは自分の発言に頭をかかえたのだった。
「マナ、制服の採寸に行きましょうか。もう、来月だし」
「わかった。準備してくるね」
そんなこんなであっという間に半年が過ぎ、愛奈は九月にある入学式を控えていた。
あれからドラゴンの姿は見ていない。恐ろしいことを口にして去ってしまったが、現れないということは殺すことは諦めたのかもしれない。
そんなことより。
愛奈が入る学校は六年制らしい。小学校みたいだ、と思った。
要は中学と高校が合体したようなものだろう。校舎も大きく、敷地内には遠方からの生徒にむけて寮も完備してあるとのことだった。
制服の採寸を済ませ、愛奈がこれから着る予定の制服はブレザーだと知る。
元の世界ではセーラー服を着る予定だった。ブレザーもかわいいな、と思ったが、やはりセーラー服を着たかった、とも思う。
孤児院に帰り、食事を済ませて部屋にもどる。
愛奈が入学するころ、この部屋に新しい子が入ってくるそうなのだ。
初めての同室に、愛奈は今から緊張している。
うまくやっていけるだろうか、喧嘩したらどうしよう。色々考えては、うんうん頭を悩ませる。
しかし、まだ来てもいないので、悩んでいても解決はしなかった。
コウと愛奈の入学を控え、子どもたちはお祝いの準備をしているようだった。
「サプライズだから見ちゃダメ!」と二人揃って部屋を追い出され、顔を見合わせて笑う。
子どもたちがケーキや花束を用意していることは知っていたが、しっかり驚いてみせようとうなずき合う。
その夜、子どもたちからケーキと花束のサプライズをもらった二人はたいそう驚いてみせ、子どもたちは満足げだった。
入学式がやってきた。
愛奈はガチガチに緊張している。なんなら緊張しすぎで吐きそうだった。
そんな様子を見てママは心配していたが、コウに背中を押されながら二人は学校へと向かった。
まず門の高さに驚き、次に校舎の大きさに驚き、最後は生徒の多さに驚いた。
ひしめき合う生徒たちの数に圧倒される二人は、人混みでふらふらになりながらなんとか席につく。
隣にコウが座っていることで、愛奈はなんとか気を保っていられた。
本当は元の世界で迎えているはずだった。しかし、夢を見るうちに元の世界で迎えていたらどうなっていたのだろうと怖くもなる。
校長先生の話が長いのは全世界共通なのか、この世界でも長かった。
緊張から眠りが浅くなっていた愛奈は眠気に誘われ、船を漕ぎながらなんとか耐えた。途中ヨダレが出そうだったが、耐えたったら耐えたのだ。
「うう、クラスが一緒でありますように……!」
「……何、俺と同じクラスがいいわけ?」
「あったりまえじゃん! うう〜お願いします〜」
必死で祈る愛奈の隣で、コウは口元がゆるむのを抑えられそうになかった。慌てて手で口元を隠すが、幸いなことに愛奈には気づかれていない。
――やっぱり、俺がいないとダメだな。
コウはそのことが、たまらなく嬉しく感じた。何かに執着することはカッコ悪いのに、自分がクールではないことを知ってしまったのに、それよりも愉悦が勝った。
クラス発表が出され、番号を探す愛奈が「あ!」と明るい声を出した。
「やった! コウと同じクラスだよ!」
「ふ、ふ〜ん? まぁ、俺はどっちでもいいけど?」
「やったやった〜!」
「はしゃぎすぎ……」
呆れたコウの視線を受けつつ、愛奈は上機嫌だ。スキップでもしそうな様子で教室に入る。
当然だが、教室に愛奈の知り合いはいない。いない、はずだった。
目が合ったその人は、にこやかに笑みを浮かべていた。
ヒィ、と小さく悲鳴が漏れた。
コウは立ち止まった愛奈を不審そうに見て、それから視線の先にいる男を見る。
男はゆっくりと近づいてくる。逃げたい、と愛奈は心の底から思った。
「ご機嫌いかがです? 我が主よ。あなたにお仕えするにはこちらのほうがいいと思いましてね」
にっこりと、それはもういい笑顔で男は言い放つ。
黒髪、黒目。マナとそっくりな毛色の男にコウは警戒心丸出しで睨むが、男はどこ吹く風といった様子だ。
何より、男のいった「我が主」という言葉のほうが気になった。
マナは一体、どこでこんな男を拾ったのか。
「な……なんでいるの……恐竜もどきぃ」
「おや、失礼ですねぇ。僕はれっきとした、ドラゴンですよ」
ささやくような声で告げられたその言葉に、ビシリとコウの動きが止まった。
愛奈は半泣きで、ドラゴンを睨みつける。しかし、本人はニコニコと笑うだけで何も言わない。むしろ、愛奈が睨んでくることを楽しんでいるようにも見える。
じゃれつく子猫をあしらうように口角をつり上げ、ドラゴンは恭しく一礼した。
「これからどうぞよろしくお願い致しします、我が主」