4 あと半年かぁ
愛奈の新生活が始まった。
朝起きて洗濯をして、食事を作り子どもたちの喧嘩を止め、一緒に走り回り掃除を済ませる。
目が回るような忙しさに、最初はついていけなかった。
元の世界でも、愛奈は人一倍時間のかかる人間だった。言われたことをキッチリ守るが故に融通が効かず、一つ一つの動作がゆっくりなので遅れる。
謝りながらコウに付いて回り仕事を済ませる。
「マナって丁寧だよな」
「え……」
「洗濯物も一枚ずつ広げてるし、ご飯作るときもキッチリ測るから失敗しねーし。俺結構雑だから尊敬する」
丁寧。
初めて言われた言葉だった。
親からも、先生からも、何をしても時間のかかるトロい子どもだと言われてきたのだ。なんでもっと早くできないの! と何度も怒られた。
その度に謝り、申し訳ないのと、できない自分への悔しさでうつむいてばかりだった。
コウは何気なく発した言葉かもしれないが、愛奈にとってはこれまでの自分を救う大きな一言だった。
慣れないマナを手伝いながら、コウは走り回る子どもたちの世話をする。
ぶっちゃけ、連れ込まれそうだったのを助けたのもただの気まぐれだった。
あのまま素通りしてもよかったが、ママと同じ黒髪だったから助けただけだ。
こちらの言葉は理解できるみたいだけど、話せないみたいで意思疎通できないし、自分で相手するのが面倒になりママに任せようと思って連れてきた。
そしたら結局自分に任されて、こうして見てやっている。
でも……くるくると忙しそうに動き回るマナを見ていると、小動物を彷彿とさせ放っておけなくなる。
手を離したら簡単に死んでしまいそうで、仕方ないと言いつつつい助けてしまう。
何かに執着するのは恥ずかしいことだと思っていた。
俺はクールに生きたいんだ、誰かを手助けしたり面倒を見るのはクールじゃない。
そう思っていた、
なのに、マナは不思議と目が離せない。
自分が助けてやったんだという思いと、一番に見つけたという優越感があった。
なんとなく、自分はマナの特別なような気がする。
そしてそれは、気のせいじゃない。
「……ありがとう、嬉しい」
だから、こんな風に笑われると、なんとなく居心地が悪くなってしまうのだ。
コウの気持ちなど気づかない愛奈は、褒めてもらえたことが嬉しくてニコニコだ。
上機嫌の愛奈は、足取り軽く洗濯物のカゴを運ぶ。大量の洗濯物が積まれたカゴは思いの外重量があり、バランスを崩して転びそうになったところを、コウが慌てて支える。
しかし、コウは小柄。愛奈は女子にしては身長が高く、支えきれなかったコウ諸共揃ってひっくり返る。
なんとか洗濯物だけは死守したが、恥ずかしそうに顔をそむけたコウについ笑ってしまう。
そんなこんなで、愛奈は日常を手に入れた。
聞くと、コウは愛奈と同じ年の十三歳だそうで、ここは孤児院らしい。身寄りのない子どもたちを集めて、十八歳まで一緒に暮らす。その間は孤児院から学校にも通えるとのことだった。
愛奈もコウと同じ学校に通えると聞いたが、正直不安でしかなかった。
異世界の学校なんて、馴染めそうにない。
ママの知り合いの言語魔法により、愛奈は普通に会話ができるようになった。
舌にママと同じ印が残ってしまったが、見えにくい場所だし仕方ないと割り切った。
魔法を受けるとき、痛みがあるのではとドキドキしていたが、少し熱を感じる程度で、アッサリ終わった。
拍子抜けするほど一瞬で終わったので、本当に魔法なのか疑わしくなったほどだ。
しかし、その後コウに自分の言葉が通じたことで、魔法ってすごい! と感激した。日常生活を送る上ではあまり魔法は見かけない。もしかしたら案外地味な感じなのかもしれない。
初めて愛奈と言葉を交わしたコウは、愛奈より興奮していて、ひたすら「すげぇ!」を連呼していたので、それに笑ってしまいコウがふてくされる、ということもあったりした。
こちらでの生活に慣れるため、愛奈は一般常識をママから教えてもらっている。
これから学校に通うということもあり、知らないことだらけでは困るから、と。
世界を知るには歴史から、と思っていたけど流石にそこまで掘り下げはしないらしい。
魔法についての話も、チラホラ出ていた。
愛奈は当然だけど魔法が使えない。当たり前だ、魔法なんて存在しない世界から来たのだから。
しかし、周りは魔法を使える。学校も、魔法が使える生徒を前提として授業を組んでいるから、その内容に愛奈がついていけるかをママは心配していた。
ママ自身も相当苦労したようで、話を聞いているだけで愛奈は不安になってくる。
入学は九月にあると聞き、日本とは違うのだなぁと思った。
日中、コウや他の子どもたちは学校に行っている。愛奈だけ一人残って家事をしている。九月になれば憧れていた中学生らしいけど、なんだか実感がない。
本当は、もっと早く入学式を終えているはずだったのに。
元の世界のことを考えては、泣きそうになる。
一人でいるとどうしても考え事をしてしまう。掃除に集中することにした。
床を磨き上げ、窓や棚を拭き、どんどんキレイになっていくのを見ると気持ちがいい。
掃除は嫌いでもないけど好きでもなかった。しかし、こうして毎日ピカピカになるのを見ていると好きになってくる。
やった分だけ結果が返ってくるのは、嬉しいことだ。
何より、子どもたちが学校に行っている平日は愛奈だけなので、一人でゆっくり動けるのだ。
周りがせかせかしていると自分も急がなくては、と慌てて失敗するタイプなので、これはありがたかった。
黙々と掃除を済ませ、乾いた洗濯物をせっせと取り込む。
ママは日中仕事をしてるようだった。机の前でうんうんうなっていたので、邪魔をしてはいけないと思いなるべく物音を立てないようにする。
一通り家事を終えたら、部屋に戻り本を読む。この国の歴史についてだ。
この世界は四つの大陸に分かれていて、東西南北にそれぞれ大きな国があるらしい。その国の中で、街であったり小さな町であったり、村や集落ができるようだった。
国には王族もいた。王様なんてファンタジーの世界だったから、実在するなら見てみたいと密かに愛奈は思う。
やっぱりひげが生えているんだろうか。
この孤児院があるのは東の大陸、リファーララの中にあるリーラという小さな町らしい。
町の中には小さな店が一、二軒あるだけで、買い物をするためには歩いて三十分ほどかかる大きな街に出ないといけなかった。
どうりで、最初この町に来たとき結構歩いたわけだ。
不思議と疲れを感じないので、コウに裸足を心配されたけど全力で大丈夫の意を込めて腕全体を使ってまるを作っていたら、足ではなく頭が大丈夫なのか心配されてしまった。
結局コウが履いていた靴を押し付けられ、コウが裸足で歩いたのだが。
学校が終わり子どもたちが帰ってくる。
孤児院に活気がもどり、日中の静かさが嘘のようだ。
学校から帰った子どもたちはママの言いつけを守り、まず宿題を済ませる。
終わった子から順番に外へ出て遊ぶ。コウはいち早く宿題を済ませ、愛奈に日中何をしていたのか聞いてくる。
愛奈はコウが学校でどんなことをしたのか聞き返す。
そうしてコウと話す時間が、愛奈は好きだった。
遊び疲れた子どもたちを集めて夕飯の支度にとりかかる。
人数が多いので、作る量も多い。
孤児院には全員合わせて三十人ほどいる。最年長は十七歳で、来年にはここを出て行くらしい。
日々の生活はもちろんのこと、高校まで行かせてもらえるのはとても恵まれたことだと話していた。
彼は親に捨てられ、近所の人が気づくまで腐った食べ物を口にしなんとか生き延びていたそうだ。
住む家があり、あたたかい布団で寝られ、何も心配することなく食事がとれることがどれだけ幸せなことか、彼の話を聞いて愛奈は実感する。
忙しい一日はあっという間に終わる。
動き回っているのにまったく疲労感はなく、もりもりご飯を食べ、ベッドに入る。
他の子どもたちは二人部屋らしいが、愛奈は空き部屋に入ったので今のところ一人だ。
これでぐっすり眠れたら最高なのだが、毎晩のように夢を見た。この世界にきてから一ヶ月、ずっと。