3 寝床ができて良かった
「ママ……? 行くって、どこに」
伝わりっこないのに、つい聞いてしまう。
ママって……いや、うん。自分と同じ年ぐらいの少年がママ呼びしていることに若干の違和感を抱きつつも、行くところがないのは事実なのでうなずく。
さっきみたいに怪しいところに連れて行かれたらどうしよう、とも考えたけど、このまま突っ立っていても仕方がない。
それに、さっき助けてくれたのだから、大丈夫だと思う。多分。
すでに世界をまたいだ壮大な迷子だというのに、少年は「はぐれるから」と言ってご丁寧に手をつないで案内してくれた。
言葉が通じないから、はぐれたらおしまいだというのもわかっていたので、おとなしくつないだまま歩く。
大通りは人が多く、波に流されると確かにはぐれてしまいそうだった。
少年は人混みを抜けるのが得意なようで、隙間を見つけてぐんぐん進んでいく。
どうやらこの世界の人は、多少肩が当たったぐらいでは気にしないらしい。結構な勢いでぶつかったけど何食わぬ顔で行ってしまった。
愛奈はぶつからないように避けまくっているが、向こうからぶつかってきてるんじゃないかと思うほどよくぶつかり、その度に少年を心配させてしまった。
大丈夫、と言っても伝わらないので、思い切りうなずいて大丈夫ですとアピールする。
ジェスチャーでも結構イケるもんだと思っていたけど、実際言葉が通じないとここまで不便だとは思わなかった。
なんとか大通りを抜け、少し小道に入る。
チラホラと店を見かける。
ショーウィンドウから見えた店内には可愛らしい猫のぬいぐるみが置いてあったり、ガラスでできたグラスが並んでいた。
珍しい風景に時おり足を止めながら、結構歩く。段々道に並ぶ店は少なくなり小道をひたすら進んでいく。
少年に案内されたのは大きな建物だった。
外壁はクリーム色で、安心する雰囲気だ。
芝生の庭には子どもたちが出て走り回っていた。
学校か何かかな……? 愛奈が首をかしげていると、くいくいと手を引かれて建物に近づいていく。
少年に気づいた一人の子どもがほかの子どもを呼び、嬉しそうに駆け寄ってくる。
「コウ兄ちゃんおかえり!」
「遅いよー。待ちくたびれちゃった!」
「その子だれ? コウ兄ちゃんの彼女?」
餌をねだるひな鳥のように次から次へと喋りだす子どもたちに目が回りそうになる。
思わず一歩引いてしまうと、察したのか、コウは愛奈の手を引っ張って後ろに隠した。
愛奈に興味津々といった様子の視線から逃れることができて、ホッと息をつく。
コウは子どもたちを手慣れた様子であしらい、さっさと建物へと進んでいく。
「ママ、迷子連れてきた」
コウが呼びかけると、中から出てきたのは背の高い女性。
淡い緑色のワンピースを身にまとい、ゆったりとした足取りで歩いてくると、愛奈を見るなり「まぁ」と小さく声をあげる。
ママと呼ばれる女は、愛奈と同じ黒髪だった。勝手に親近感が湧く。
穏やかな笑みを浮かべながら、目を細めた。
茶色の瞳に見つめられ、視線が下がる。人に真正面から見つめられるのは、苦手だ。相手の目をまっすぐ見ることができず、いつもうつむいてしまう。
「詳しい話はあとで聞きましょう。まずは手を洗っておいで、夕飯の支度をするから」
にっこりと笑ったママの反応に安心したのか、コウは愛奈を連れて洗面台まで案内した。
一緒に手を洗い、コウはそのまま夕飯の手伝いをしに台所のほうへ行ってしまった。
心細くなり、うつむいて立っているとママに呼ばれ、そばに行く。
ママは、じっと愛奈を見つめる。何も言わずにただ見てくるので、なんだか居心地が悪い。
目を合わせることができず、かといってずっとうつむいているのも首が疲れる。
「……あなた、異世界から来たのでしょう」
「え……え!? え、あ、なんで……」
「ふふ、私もね、異世界から来たのよ」
そう言って、ママは少しだけ悲しそうに笑った。
すぐに穏やかな笑みに戻り、ナイショ話をするように話し始めた。
高校生のとき、学校帰りに光につつまれ気づいたら異世界にいたこと。言葉が通じずひどく困ったこと、魔法で言葉を通じるようにするために、耳と舌に焼印を入れられたことなど、壮絶で苦しい話だった。
見せてくれた焼印は痛々しく残っていて、背筋が冷える。
もしかして、わたしも焼印を入れないと言葉が通じないんだろうか。
いや、それよりも、ママが喚ばれてから元の世界に帰れていないことのほうが大事だ。
愛奈は思考を切り替え、ママに向き直る。
「どうもね、私は喚ばれたらしいの。でも、喚んだ人は未だに見つかっていない。なんで喚ばれたのか、どうして私だったのか、わからずじまいなの。もしかしたら、あなたも喚ばれたのかもしれないわね」
「喚ばれた、って……そんな。あの、わたしも焼印を入れないとダメなんでしょうか……?」
「あら、うふふ。大丈夫よ。今はもっと便利になっているから、焼かなくてもね。ただ、魔法を受けたときに印が残るわ。私が耳と舌に入れられた焼印と同じ形のものがね」
「そうですか……。あの、元の世界に帰れる方法って……」
ぎゅっと片方の手を覆う。声は震えていた。
ママが今ここにいるということは、それはつまり……まだ、帰る方法が見つかっていないんじゃないか。
わたしも帰れないのかもしれない。そう考えるだけで、おそろしくて足元が揺れているような感覚になる。
ママは申し訳なさそうに目を伏せた。それが答えだった。
ヒュッと息を呑み、鼻の奥に熱がたまる。視界がにじみ、唇が震える。頭の中を言葉が飛び回った。
どうして、なんで、帰れない、うそだ、わたしは。……わたしは、どうしたらいいの。
ふぅ、ふぅ、と呼吸が荒くなっていることに気づき、意識して深く息を吸う。
ショックで一瞬気が遠くなったが、愛奈は思っていたより落ち着いていた。
大丈夫、大丈夫。方法を調べればわかるかもしれない。高校生のときにこの世界にきたママがとっくに大人になっている現実を、あえて見なかった。
帰れる。そう希望を持たなければ、愛奈は気が触れてしまいそうだった。
「……あの、言葉が通じるための魔法って、どこで受けられますか」
この世界のことを知り、元の世界に帰る方法を調べるためには、まず言葉が通じなければいけない。
意思疎通ができなければ、調べるどころではない。
自分の手で調べて、探して、それで帰れないというのなら、諦めがつく。
人から帰れないと言われても、はいそうですかと納得できそうにはなかった。
愛奈の目を見たママは、一瞬眉を下げ、すぐに笑みを浮かべた。
「私の知り合いに連絡をとるわ。彼女は私のこともよく知っているから、快く引き受けてくれると思う」
「ありがとうございます」
頭を下げ、話が終わったところで夕飯の時間になる。
食堂に子どもたちが集まり、ずらりと並べられた料理に愛奈のお腹が鳴った。
聞かれた本人は恥ずかしくて赤くなっていたが、周りの子どもたちが笑顔で皿をわたしてくれたので受け取って笑う。
隣に座ったコウに料理の説明や食べ方を教えてもらい、ボリュームたっぷりの料理を目一杯食べた。
甘辛いタレをからめた肉団子に、サクサクのコロッケ。クリーム煮の野菜はとろけるように柔らかく、ミネストローネは具だくさんで、どれも美味しかった。
子どもが集まっていることもあり、時おりおかずをめぐった喧嘩も交えつつにぎやかな食事だった。
愛奈は普段そこまで食べないのだが、不思議とどんどんお腹に入っていく。
自分でも驚くほど食べ、周りの子どもは面白がって愛奈の皿に色々乗っけてくるが、それらすべてキレイに食べ尽くした。
隣のコウがあんぐりと口を開けて驚いているのが、なんだか可笑しかった。
「ごちそうさまでした!」
驚異の胃袋を見せた愛奈は、食事を終えるころには子どもたちのヒーローのようになっていた。
六歳から八歳ぐらいの子どもからすると大食いは一種のステータスのようで、どうやったらそんなに食べれるの? とキラキラした目で聞いてくるのが少しつらい。
乙女としてはこう、なんというか……といった気持ちになった。
とはいえ、お腹も膨れ大満足である。しかし、ここで愛奈は重大なことに気づく。
――わたし、お金持ってない!
なんという致命的ミス。これだけ食らい尽くしておきながら無一文とは、恥ずかしいやら申し訳ないやら。
いや、それもそうだけどこれから暮らしていくのにお金がなければ生きていくことすらできない。
困った。とても困った。この建物を出たら野宿確定だし、お金の稼ぎ方もわからない。
深刻な顔で悩んでいると、ママが隣に座った。
何もかもお見通しといった様子で、ニッコリと提案してくる。
「ここに住むといいわ。行く場所がないのでしょう?」
「え、いや、でも……」
「いいのよ。私も同じような立場だったから、ね。それに、まだ言語魔法を受けていないでしょう」
「あ……ありがとう、ございます……。わたし、あ、わたし、愛奈って言います! あの、これからよろしく、お願いします」
申し訳なく、ありがたく、優しさがまぶしくて、愛奈は目を見ることができなかった。
しかし、ママはそんなことすらわかっていると言わんばかりに笑う。
「これからよろしくね、マナ」