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17 どうして

 愛奈が旅に出て、二年が経った。

 瘴気は大陸全体に広がり、凶暴な魔物も増えた。

 黒竜のいる孤島に近づくには深く濃い瘴気の中に入らなければならず、常人には到底無理な話だ。

 聖女である愛奈なら入れるのだが、瘴気の濃い場所には当然のように魔物がいる。

 孤島まではアルベルトとロイドが送り届け、黒竜を倒すのは愛奈一人、という作戦が立てられた。

 愛奈一人で孤島にいる魔物と戦わなくてはならず、想像を絶する特訓が始まった。


 剣を握るなんて経験は人生で一度もなく、ずしりとかかる重みにまず筋肉痛になった。

 振れば手にマメができて潰れて痛い、体力をつけるための特訓も運動経験のない愛奈にとっては地獄のようだった。

 なによりつらかったのは、魔物を切り捨てることだ。

 目の前で息絶える魔物を見ることすらダメだったのに、あろうことか魔物を自分で切れと言うのだ。無茶にもほどがある。

 切らなければ自分が死ぬ。そう言われ、魔物と対峙しても愛奈は逃げることを選んだ。

 

 体力がつき、走る元気もあった。

 しかし、相手は人間ではない。小娘一人の足に追いつくなど、魔物にとっては造作もないことだ。

 何度も食われかけ、腕を噛まれたり足を噛まれて出血もひどかった。

 足首に噛みつかれ、そのまま魔物に首を左右に勢いよく振られたときは足首が千切れるんじゃないかと思ったほどだ。

 実際、肉はえぐれ骨まで見えていたそうだ。

 しかし、アルベルトもロイドも本当に愛奈の命が危険なとき意外は手を出さなかった。

 そうでもしなければ、愛奈が剣を振るうことはないだろうから。


 ロイドはドラゴンということもあり、治癒魔法が使えた。

 人間ではありえないほどの強い治癒魔法で、愛奈は数え切れないほど魔法をかけられた。

 自分の血だまりの中で意識が薄れていくときは死を覚悟したし、血が出すぎると気持ち悪くなり眠気に襲われることを知った。

 爪で裂かれることも、牙に肉をえぐられることも嫌と言うほど体に覚えさせられた。

 魔物を見るだけで過呼吸になっても、二人は容赦がなかった。


「もうやだ! 死んじゃう……もうやだぁ……」

「聖女サマ、剣を振らないとあんたが死ぬんだぞ」

「しっかりしてください。元の世界に帰るんじゃないんですか?」


 なだめてくる二人を愛奈は泣きながら睨みつける。

 勝手だ、あまりにも勝手だ。

 こんな風に毎日魔物に痛めつけられて、いつ死ぬかもわからないのに。

 剣なんて振れるわけない。魔物に襲われたとき、咄嗟に剣を振ったことがあった。 

 魔物の肉が裂ける生々しい感触に、その後一週間は寝込んだし吐きまくったというのに。


「元の世界に帰る前にこの世界で死ぬよ! ま、魔物なんか、切れるわけない……こんなことになるなんて聞いてない!」

「これがこの世界なんだよ! 世界を救ってくれ聖女サマ。あんたにしかできないんだ!」

「なんでわたしなの!? アルベルトのほうが強いでしょ?」

「俺は人間だからできない。どれだけ強くなっても、ダメなんだよ……! なんで、あんたなんかに力があるんだよ……クソッ」

「……ッ、わたしだって、望んでないッ!」


 そう叫んで、愛奈は部屋から飛び出した。

 アルベルトは何かを言いかけ、歯を噛みしめる。握った拳が震え、爪が皮ふに食い込む。

 わかってる、マナが望んで聖女になったわけじゃないことぐらい。

 それでも、当たらなければ気が済まなかった。

 黒竜は自分が倒すのだと、そう信じて今まで生きてきたのだ。

 そのために力をつけてきたのに、突然現れた女に役目をかっさらわれたのだ。悔しいなんて言葉じゃ言い表せない。


「……クソ」



 愛奈は重い足取りで歩いていた。

 勢いのまま飛び出していてしまったけど、これからどうしようか。

 ああ、なんでわたしなんだろう。

 世界を救う聖女サマなら、もっとふさわしい人なんていくらでもいるだろうに。

 なぜわたしなんかに力が宿ってしまったのか。

 日本人だから? それだけで? 力を持ってるから世界を救えだなんて、勝手だ。


 一ヶ月ぶりにまともに宿に泊まれ、少しの間でも休めると思っていたのに、アルベルトは愛奈の特訓のためだと言ってわざわざ転移魔法で魔物のいる荒野まで毎日連れて行くのだ。

 アルベルトの言葉を聞き確信した。

 わたしに自分の役目を取られたことを恨んでいる。

 魔物と戦わせるのは、きっとその当てつけだ。

 元の世界に帰りたい。家で待っている家族がいる。

 生きて帰らなくては。

 そう思うのに、魔物と対峙するたびに死んだほうがマシだと思える。

 痛みも、怖いのも、全部嫌いだ。

 

「マナ……?」


 どこかなつかしい声に引かれるように顔を上げると、そこに立っていたのは二年間ですっかり成長したコウだった。

 低かった身長はとっくにマナを超え、丸みを帯びた子供の体から筋肉のついた少年のものへと変わっている。

 緑色の瞳が愛奈の姿を捉え、ポカン、と間抜けに口が開く。

 愛奈も同様に間抜けな顔を晒した。

 お互いしばし無言で見つめ合い、それからコウの目にじわりと涙が浮かんだ。

 慌てたように袖で拭ったが、愛奈の目からは涙がポロポロとこぼれていた。


「コウ! コウ! こんなところで会えるなんて……!」

「ったく、泣くほどかよ……。ま、俺も会えて嬉しいとは思うけど?」


 天邪鬼なコウにしては素直な言葉だ。

 言って恥ずかしくなったのか、頬がほんのり赤くなっている。

 照れ隠しをするように唇を尖らせたあと、泣いている愛奈の頭をガシガシと乱暴な手付きで撫でた。

 愛奈は髪が乱れることも気にならないほど、友人との再会が嬉しかった。

 

 一人ぼっちでこの世界に放り出され、訳もわからないまま攫われそうだったところを助けてくれた。

 ママに任されたから、などと文句を言いつつも何かと愛奈を助けてくれたコウは、この世界で誰よりも特別な人だ。

 ノエルという友人もいるが、コウだけはやはり違うのだ。

 心細く、泣きたかった自分に手を差し伸べてくれた。

 コウは愛奈にとって、ヒーローだった。


「どうしてこんなところに……」

「……ま、ちょっとね。それより、飯食わねぇ? 久しぶりに会えたし、積もる話もあるし?」

「わたし、お金持ってないよ?」

「いいよ、俺おごるし」


 荷物は宿に置いてある。

 取りに戻るのは気が引けた。

 ありがたくコウの好意に甘えることにした。

 二人で飯屋を探し歩いている道中、コウからいろんな話を聞いた。

 愛奈がいなくなって孤児院が大騒ぎになったこと、普段表情を表に出すことが少ないノエルが珍しく大泣きしたこと、ママが心配しすぎて倒れたことなど。

 たくさんの人に心配をかけてしまったのだと知り、愛奈は胸の奥が熱くなると同時に申し訳ないとも思った。


 愛奈には居場所がある。

 もちろん元の世界にもあるけれど、こちらの世界にもできたのだ。

 大切な、居場所が。

 そのことが嬉しく、少しだけ怖くもあった。

 いつかは元の世界に帰る自分が、こちらの世界に居場所を作ってもよかったんだろうか?

 そんな疑問がぐるぐると頭の中をめぐるのだ。


 店に入り、対面して席に座る。

 メニュー表を開いて注文に迷っていると、コウが慣れた様子で店員と話し出す。

 愛奈の耳には勝手に日本語に翻訳されて届くのだが、コウの言葉に訛りのようなものが入っている気がした。

 おそらく気のせいではない。

 ここは北の大陸で、愛奈とコウのいた東の大陸とは違うのだ。

 愛奈の世界にも外国語があったのだから、こちらの世界にあっても不思議じゃない。


 それより、コウが訛りのある言葉を流暢に話していることのほうが驚きだった。

 コウはこの地方に来て長いのかもしれない。

 それにしても、なんでわざわざ危険なところに来ているのだろう。

 コウは要領がよくて、危険な地に飛び込んでくるような性格じゃないのは知っている。

 愛奈がメニュー表とにらめっこしながら考えていると、コウが笑顔でメニュー表を指差す。


「ここ、チキンがうまいんだってさ。注文しようぜ」

「あ、うん。……コウ、流暢に話してたね」

「ん、結構長いしな」

「そうなの? なんで、わざわざこんな危険なところに……学校はどうしたの?」

「辞めた」


 サラリと、この料理おいしいねなんて言うように気軽に発せられたその言葉に、愛奈は思わず椅子から腰を浮かせた。

 なんで、孤児院にいれば高校まで通えるし、学校さえ出れば仕事先もそれなりに見つかる。

 こんな危険な地方まで来て、コウには何か目的があるの?

 言いたいことがまとまらず、中腰で固まっていると、コウが口を開いた。


「マナを探してた」

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